あれから2年。 | TealBlue*SAKIのニチジョウ

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今日は、2回目の京子先生の命日になります。
私にすべてのノウハウを教えてくれました。

夜にはよわ~い私が、なぜか昨日は朝方までおめめパッチリ。昨日は満足のゆく作品がつくれたり。。
この時期は自然と私もリセット期にはいるのかなぁ?不思議です。

もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、
私は実はドジで、ぬけているところがあります。なので、たった一人でやっていたら、今頃ここはないでしょう。。
京子さんの亡きあとも、失礼があってはいけないと、時々自分にねじ締めをしてくれるきっかけになる存在でいてくれます。
ここによく登場するかんこちゃんの大親友だった京子さんなので、よくかんこちゃんも言います。「京子だったらなんていうかな??」
私もですが、プライベートでも京子さんのアドバイスの数々にそれだけ救われたかわかりません。
今でも、そうして考えることがたくさんあります。

京子さんがいなくなってしまい、みんなに言われたことは「ひとりになって、大変でしょう?」ということでした。
その時は必死だったということもありますが、実はひとりになってもあまり状況は変わらずでした。
私が一人になっても何一つ困らないようにして逝ってくれていたのです。

思い出してみると、その年の2月にもらったお手紙にたどり着きます。文章をたしなめるのが大好きな京子さんでしたが、その時のお手紙はワープロでした。
そこには、「これからは早紀ちゃんがすべて決めていってください。」という文があり、あまりピンとこないまま、言われるがままに行動した私。

そして3月の誕生日にもらった最後のお手紙は、直筆でした。手が思うように動かないので、と書かれていましたが、相変わらず達筆でした。ふるえてましたが、最後には、“思い立ってFAX用紙に書いたわりには上手に書けました”とあり、さらに“どうかお体を、お心を、大切に・・・”とありました。
私にはそんな力ないですが、字をみただけて想いが伝わってきました。

2月には仕事のこと、3月には私という一人の人間に対してのことをお手紙にくださり、私がオロオロしないように、ぜ~んぶ考えてくれていました。

なんとも、用意周到な方なんです(笑)

日本人は亡くなった人を美化する傾向にある、とよく言いますが、
京子さんは病気になる前から、ほんとうに
うつくしい人 でした。

だから私は京子さんからいろいろ学びたくて必死だったので、いまだに京子さんがいないことがピンときません。それくらい、私の心にずっといる人です。

自分をごまかさず、私らしく過ごすことがなによりの恩返しだと思っています。