【メディアと言う凶器そして大量惨殺の記憶】
千の丘ラジオと言えば、日本の事の様に思う人も多いでしょう。
千の丘を持つ国、ルワンダ共和国。アフリカのど真ん中の小さな国です。
面積は長野県の2倍程。1994年に775万人、現在は1000万人が住みます。
1994年4月3日
ルワンダの国民の多くが聞くラジオ放送。千の丘ラジオ放送局
(ルワンダのメディア主体はラジオです)
この日、ラップの効いたBGMが流れる中で奇妙な放送が流れました。
「ラジオを聴いている君たち、元気かい。今入手したばかりの情報を教えましょう」
「今日は3日だよね。5日が過ぎたら、ちょっとしたことが起こるはず。そして7日からは手榴弾や砲弾が炸裂する音を聞くでしょう」
なんとも意味深で奇妙な放送です。しかし国民の誰もが何か不吉な予感はしても、何が起きるかまでは想像もつきませんでした。
そして5日の日が訪れました。その日に信じられないことが起きたのです。
大統領が乗った飛行機が離陸して間もなく撃墜されたのです。
撃墜の30分後に、またも奇妙な放送が流れました。
「大統領が乗った飛行機が撃墜された。愛国戦線が攻めてくるぞ。みんな村を封鎖して検問を張れ」
愛国戦線とはツチ族主体の反政府ゲリラのことです。
「町や村には愛国戦線のスパイが潜んでいる。みんな勇気を出して斧や鉈を持ち、立ち向かえ」
ラジオから流れる声は段々と戦う相手をはっきりとさせて行く。
「ツチ族はその場に首を置いて行け、隣のツチ族に気をつけろ」
最後には戦う相手をツチ族であるということをはっきりと伝えるラジオ放送。
一人、また一人と斧を持った男が家から出て行った。
ルワンダは元々ベルギー領。元々区別の無かった現地民を90%のフツ族と10%のツチ族に分けてツチ族に支配を任せました。ツチの女性とフツの男性の婚姻は多かったがその逆は稀らしい。しかしツチとフツの混血はどんどん進んで区別は付かない。
1994年当時の身分証には、自分がツチかフツかがはっきりと記されていました。
そして1994年。和平合意を取り付けた。
しかし、ハビャリワナ大統領はその帰りの飛行機が、何者かに撃墜され命を落としてしまった。
そして、その30分後。「千の丘ラジオ」はいち早くニュースを流した。
これはフツ過激派のクーデター。
ナチスのジェノサイドより惨い事件。
ほんの数ヶ月の間に、80万人とも100万人とも言われるほどの人々が殺されました。
このことは、知らない人は知っておくべきだと思います。
(ルワンダ虐殺の映像は1から4まであります)YOUTUBE
このときの首謀者はまだ10人ほどが逃げ延びているそうです。隣国のコンゴ民主共和国に逃げ延びてコンゴ民主連合開放運動などに潜伏しているという噂があります。
マスコミの恐ろしさ。
群集心理の恐ろしさ。
そして戦争の恐ろしさ。
【続く】