きんぱこ(^^)v  

  きんぱこ教室、事件簿、小説、評論そして備忘録
      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ


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    【VEMA Trace of an Ancient Civilization】
謎の遺跡発見か 古代文明の夢を見たい

 私が見つけたGOOGLE EARTHの古代遺跡 らしいもの私は何度見ても不思議な所です。

 発見場所 10°30'20.29"N 40°55'29.41"W 発見日  2009/02/22 11:45

 皆さんも、何か情報や意見があれば是非教えてください。(^^)

砂坂を這う蟻-1 (更新) 砂坂を這う蟻-1

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スタッフ・ベンダ・ビリリ 日本で見たコンゴの心  

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レイプ・略奪・殺戮の悪夢 (コンゴ民主共和国)
大惨殺千の丘ラジオの事は覚えていますか?
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最近、仕事が忙しい。

 
先日MSNニュースにこんな記事が載っていました。(最下部に一部引用)
 
要するに、人間の先祖はアウストラロピテクスやネアンデルタール人・北京原人などではなくて、地球外生物体だ
 
という話です。
 
アメリカのエリス・シルバー博士によると、人類は宇宙からやってきた。
その証拠に、
・人間は腰痛持ちが多い(重力に弱い)
・日光に弱い(日差しに弱い)
・出産が困難(胎児の頭がでかすぎる)
・慢性病が多い(ほかの動物に比べて慢性疾患が多い)
ということから、地球の環境に適合しきれていないのだそうです。
 
さらに多くの人が「自分は地球に属していないのではないか」という不安を漠然と持っているらしい。
 
これらの事から、人類は「20万~6万年」の間にほかの惑星から地球にやってきたという仮説を唱えているそうです。
 
他にもNASAの宇宙生物学者のクリス・マッケイ氏の場合、地球に衝突した隕石に付着していたバクテリアから人類が誕生したと言われています。
・・・こっちは信用できそうな感じですね。
 
これはあり得る!
メキシコのユカタン半島に墜落した巨大隕石
地球を見ていて、誰もが解る変な場所で変な地球の傷跡。
多くの人が言っているし、実際にメキシコのユカタン半島(上図では黄色の線とメキシコが交わるあたりの上にある半島の先っちょ)では間違いなく巨大隕石が墜落したことは証明されているし。
沢山の人がネットで唱えていますが、私も賛成!。
つまり低い角度で薄い黄色の矢印の方向に隕石がぶつかった。
だからこんなに地表が異様にえぐれた。
ユカタン半島の先に落ちた有名な隕石は、メインの隕石の一部だったのではないかな?。
 
千葉工業大学の大野宗祐上席研究員の場合は、2014年に発表した研究結果によると、隕石が落ちて、海が硫酸の海になったらしい。
ユカタン半島は硫黄が多く含まれていて、そこに隕石がぶつかった。
それにより高温で蒸発した気体が硫酸ガスで、次第に地球が雲に覆われて硫酸ガスが含まれる酸性雨が降り、プランクトンが死滅し、数年かかって生物が死んでいったのだそうですね。
 
こうなってくると楽しい楽しい勝手なキンパコ想像教室の始まりです(^^)
 
ユカタン半島の隕石は6500万年前に落ちたことは事実です。
それは実は巨大隕石の破片に一部にすぎず、実際はその数倍の隕石が浅い角度で地球にぶつかった!(と私は勝手に考える) これが上の黄色の矢印。
その隕石が「ガリ~~」っと地球を傷つけて上のように大きくえぐれた地球の傷みたいになって、その衝撃で大量の水が水蒸気として蒸発した。
それまで生きていた恐竜などの生物をほとんど死滅させて、さらに空を覆った雲によって気温が下がり氷河期になったのはほぼ間違いないのじゃないかなと思うのです。
ところがその蒸気はただの蒸気ではなくて、千葉大学の研究のとおり硫酸の蒸気となり雲となり、酸性雨が降ってたくさんの生物が死滅した。
その後もマンモスなど生き残った生物が生き続け、そのうちに隕石に含まれていたバクテリアが人間を形成して人間の祖先が誕生して人間が生まれた。・・・・というのが私の想像。(^^)
 
人間って明らかに人間以外の生物とは違いますよね。
 
人間以外の生物は何十億年という年月をかけて徐々に進化したけれど、人間はある日突然出来るんだ。
 
サルは似ているけど全然違います。
 
そしてそれを人間は、地球上の生物の頂点に立つ生き物だと思い込んでいる。
 
私は・・・・・人類は
 
例えば異常に増殖した蟻の大群みたいに
 
地球上に異常に増えた  地球の悪性ウイルス
 
だと思っています。(^^;)v
 
人類の祖先を仮に新人類、つまりクロマニヨン人だったとすると、人間はまだたったの20万年しか存在していないわけですよ
 
地球は約45億年前にできたのですよ。
 
そして生命が誕生したのは約40億年前ですよ。
 
人類はたったの20万年前
 
今絶滅すればおそらく地層も薄っぺらくて人間もアンモナイトのような化石にもならない。
 
あったとしても、せいぜい「ド根性ガエル」のピョン吉みたいにカエルのプレスみたいな感じでぺったんこ人間が見つかるかどうかだろうな。
 
そんな人間はたった20万年で、73億人にまで「増殖」していて、いまでも
 
一日に20万人
 
も増殖しているんだ。
 
異常な増殖ですよね。
 
こんな人間はどうなるのか?
 
異常に増殖した人間はある日突然死滅するのです!
 
1月14日のNHKを見ていた。
 
人間以上に鳥インフルのようなウイルスが蔓延して、ある日突然人間がバタバタと倒れて死滅する。
 
こんなおそろしい話をNHKが良く報道したな・・・
 
と思いながらも、「きっとそうに違いない」と私は確信しました。
 
つまり、地球に来た人類はもともと囚人で、隕石に付着させられて地球に放り込まれた。
そして人間が形成されていったわけ。
 
いまはそれが異常に増殖してしまった。
 
そして近い将来、人間はウイルスという殺菌スプレーを誰かに巻かれて、絶滅。
 
そういう運命になるんだ。
 
じゃあ、そんな人間を地球に送り込んでいるのは誰かって?
 
 
そんなもん!
 
わかってるやん!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

■人類は地球上で生きるようにデザインされていない?

 古代の謎を探求するウェブサイト「Ancient CODE」は2016年11月5日付の記事で、アメリカの生態学者が著した一冊の本を紹介している。エリス・シルバー博士は、著書『HUMANS ARE NOT FROM EARTH』内で、かなり大胆で具体的な古代宇宙飛行士説を展開している。博士は、人類(ホモ・サピエンス)はあるとき宇宙からやってきたという仮説を、人類の生物的特徴を分析した上で提唱する。

 人類が宇宙からやってきた根拠であると博士が主張する、人類の生物的特徴は以下の4つ。

1. 腰痛  多くの人を苦しめている腰痛であるが、博士はこの原因を、人類が地球より重力の弱い環境下で生きていたことの証拠と見ている。

2. 日光に弱い皮膚  我々は、強い日差しの下では、数時間足らずで火傷のような日焼けを負ってしまう。他の動物のように、何の問題もなく太陽の下で過ごすことはできない。これは我々が元々、地球上で浴びるような強烈な日光を前提にデザインされていないからだ。

3. 困難な出産  人類の出産が困難である要因のひとつとして、出産時の胎児の頭が大きすぎることが挙げられる。これは極めて不可解なことで、他の動物には見られない。博士は、これも地球の強い重力が影響していると考えている。

4. 慢性的な病気  他の動物に比べると、圧倒的に多くの慢性疾患を抱える人類。これは我々の体内時計がズレていることによる結果である、と博士は考える。我々の体は1日25時間を想定して作られたという。

 これらの点から考えて、博士は人類が地球の環境に適合できていないとみなす。

「これらの病気は、何も近代になってから問題化したのではありません。こうした状態は、地球における人類の歴史を通して、常に我々を苦しめてきたのです」(エリス・シルバー博士)

 さらに博士によると、多くの人が「自分は地球に所属していないのでは」といった漠然とした不安感・孤独感を抱えているという。これらの点を考え合わせ、「人類は20万~6万年前の間に他の惑星からやってきた」という仮説に至るのだ。ではなぜ、我々は生きるのに適しているとはとてもいえない地球に送られてきたのだろうか。

「人類は他の惑星で、今のように進化したようです。その後、最も進化した種として、地球に連れてこられたのでしょう。連れてこられた理由ですが、地球は囚人が送られる刑務所のような役割を果たしていたのだと思います。人類には、暴力性が備わっていることを認めざるを得ませんから。正しい行いを学ぶまで、ここ(地球)から出られないのではないでしょうか」(同博士)

 確かに、我々人類は他の動物たちと比べ病気がちである。そうした事実に基づく博士の大胆な仮説は魅力的だが、直感的な部分が多く科学的であるとは言い難い。しかし博士によると、この本を出版した目的は、科学的な理論を打ち立てることにあるのではなく、人類進化の謎について議論を起こすことにあるという。

 事実NASAの宇宙生物学者、クリス・マッケイ氏からは、「人類が地球外生命体であることを証明するには、常識では考えられないほど、より飛躍的な証明が必要だろう」との異論が出ている。ちなみにマッケイ氏は、地球に落下した隕石に付着したバクテリアが生命を形作った、と考えている。シルバー博士の“地球=刑務所説”とはかなり異なるものの、生命誕生に地球外からの影響を認めている科学者は意外なほど多いようだ。

■聖書の記述をサポートする「古代宇宙飛行士説」

 さて、人類誕生には高度に発達した地球外生命体が関与していたというアイディアは、『プロメテウス』や『2001年宇宙の旅』などのアメリカ映画にたびたび採用されるが、なぜアメリカではこうもポピュラーなのか、その要因を探ってみたい。「サルが進化してヒトになった」とする進化論はキリスト教、特に聖書に登場する出来事を歴史的な事実と捉える、ファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)によって激しく非難されてきた。

 ケンブリッジ大学の神学者ジョン・レイトフット氏により、神による天地創造は紀元前4004年10月18日から24日にかけて起こり、アダム創造は同年10月23日午前9時と算出され、その時に全ての生物も個別に創られたそうだ。アメリカは、このように聖書を史実と捉えるキリスト教原理主義が根強く、いまだに州によっては公立学校で進化論が教えられることはない。こういった事情が、「古代宇宙飛行士説」に関係しているのではないだろうか。つまり、「古代宇宙飛行士説」は、部分的に聖書の史実的な誤りを認めることになるものの、進化論を真っ向から否定することができるのだ。「古代宇宙飛行士説」がアメリカでとりわけポピュラーであるのには、このような宗教的理由も絡んでいるのかもしれない。

 
 
 

 

ー以下一部引用ー

■進化の空白“ミッシング・リンク”とは?

 進化論では、サルから分化した集団が猿人(代表例:アウストラロピテクス)、原人(代表例:ジャワ原人、北京原人)、旧人(ネアンデルタール人)という段階を経て新人(ホモ・サピエンス)に至ると説明される。しかし、化石の発見などから、人類はそれほど単線的に進化してきたわけではないことがわかってきている。例えば、アウストラロピテクスと我々人類の間には直接的な関係はなかった可能性が指摘されている。彼らは、絶滅した化石人類であり、彼らが進化して我々人類になったわけではないようなのだ。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2017/01/post_11934.html

 人類進化は、そう単純なものではなかったことが徐々に明らかになりつつあるのだが、進化論の影響は科学や教育の場で依然として根強い。しかし、その進化論が説明するように、人類が段階的に進化してきたと考えるならば、腑に落ちない大きな謎が存在する。「ミッシング・リンク(失われたつながり)」である。

 人類の遺伝子はチンパンジーやオランウータンと99%同じだとされているが、人類を彼らと区別する残りの1%が、いつ・どのように形成されたのか具体的にわかっていないのだ。ご存じの通り、確認されている中で最も古い化石人類は「アウストラロピテクス(約390-290万年前)」だが、その前段階、直立二足歩行開始直後の類人猿の化石は見つかっていない。化石発見上、人類の祖先は突然直立二足歩行を開始したようなのである。人類の起源に何らかの形で宇宙人が関わっていたとする『古代宇宙飛行士説』はトンデモ説と見なされることも多いが、こうした謎を説明するものとして生まれたという経緯がある。

 

・・・・続く

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2017年  謹賀新年

 

あけまして おめでとうございます

 

ことしもよろしく おねがいします

(このアニメがほしい人は「たそがれきんのすけ」をあなたの名前にして送ってあげます

ブログ右にあるメッセージでメールをください。そしてコメントか何かにメッセいれてください)

 

最近ブログがなかなか更新できませんが

また、頑張って復活してゆきます。

 

今年はどんな年になるでしょう。

 

イギリスのEU離脱

アメリカのトランプ政権

ISISの衰退とゲリラ化

 

いろいろと、反グローバル化の波がうごめいていますが

 

私は

 

プーチンが生きている限り

 

ロシアの台頭

 

がキーになるのではないかと思います。

 

トランプは間違いなくロシアに借りが出来ている。

 

しかしトランプは良くも悪くもアメリカ政治をビジネス感覚で動かしてゆく。

 

ロシアとアメリカの接近。

 

EUの分裂

 

中国の衰退

 

イスラム教の拡大

 

北朝鮮と韓国の孤立化と崩壊の兆し

 

そして日本は、アメリカの動向に振り回されながらも、そしてアベノミクスの停滞が問題になりつつも、アベノミクスに頼るしかない一年

そして日本のアメリカ離れが加速

 

という感じで予想しております。

 

みなさんはどうでしょうか。

 

いずれにしても、平和な一年でありますように

(^^)

 

 

 

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--------20161224----

 

とうとう真田丸が終わりました。

この大河ドラマは、私は面白かったと思います。

 

ヒーローが負ける話。

主人公が時代に負けてゆく話。

 

中堅企業の課長さんか部長さんが主人公の話。

 

最初は株式会社武田信玄に勤めていた。

親子ともども勤めていたが、株式会社織田信長によってつぶされてしまった。

「しかたがない、株式会社織田信長で働こう」

「それにしても、株式会社徳川家康が大きくなってきたな、仕事を取られそうだ」

しかし株式会社織田信長はとてもきつい会社だった。やがて社員の裏切りによって社長の織田信長は株主総会で失脚し、社長を降ろされた。

会社は柴田勝家常務と明智光秀取締役そして豊臣秀吉統括部長の3派に分かれた。

明智取締役は社長をだました罪で取締役を外された。

豊臣部長は持ち前の営業力で味方を増やして、柴田常務を失脚させて社長にまでのし上がった。

豊臣秀吉社長はすぐに本社を大阪に造り、豊臣秀吉株式会社を発足させた。

やがて豊臣秀吉株式会社は日本を代表する大企業となった。

真田信繁は秀吉に認められて社長秘書の端くれになった。

秀吉社長は徐々に信繁を信頼していった。

 

やがて秀吉が死んだ。

会社は社長室長の石田三成と徳川家康専務が対立した。

老獪で狡猾な徳川専務は、粘り強く石田室長を攻めてとうとう失脚させることに成功した。

 

二代目の豊臣秀頼は幼かったので家康専務は株式会社徳川家康を子会社にして仕事をすべて引き受け、やがて日本一の大企業にした。

真田信繁は当然石田室長側だったので会社を首になった。

仕方なく、和歌山の九度山で細々と百姓をしていた。

 

秀頼は成人した。

そして家康専務に「私はもう社長としてやってゆけるので仕事を豊臣秀吉株式会社ですべて引き受ける」といった。

家康専務は笑って言った。

「わしの会社株式会社徳川家康はすでに豊臣秀吉株式会社の株を51%買い取ったので、

もう子会社ではありません」

 

秀頼は怒って、社員を増員させて対抗しようとしたがもはや手遅れだった。

その時に、九度山にいた信繁を再び雇い、営業戦略部長に抜擢した。

 

信繁部長は徳川の仕事をどんどん取り込んでいった。

その手腕を見て、家康社長は信繁をヘッドハンティングした。

 

「年収2000万円でどうだ。わしの会社に来い」

 

信繁は内心思った。

--これだけあれば、今まで黙ってついてきてくれた社員にの良い思いをさせてあげられるだろうな。--

そう言って寝返る人間を家康社長が嫌いなのもわかっていた。

 

もうこの時代になって、株式会社徳川家康をつぶすわけには行かなかった。それだけ社会的にも重要な会社になっていた。

 

「俺ももう50歳か・・・・」

「何から何まで側で働いてきた秀吉社長の秘書時代が懐かしかった。

「秀吉社長は俺の事をよく面倒見てくれたなぁ」

 

仕事をするなら、社長に信頼されて、頼られながら頑張りたい。

信繁は思った。

今更徳川の会社に行って、その他大勢の中間管理職の中でもがきながら仕事をするのはうんざりだ。

もう49歳。

「人間50年、下天のうちに比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を受け、滅するもののあるべきか・・・」

信繁は、自分の過去を振り返って決心した。

 

豊臣秀吉株式会社と心中しよう。

 

やがて、豊臣秀吉株式会社は倒産した。

 

こんな感じだったのでしょうかね。

 

そりゃ、徳川の会社に行けが、給料もよかったでしょう。

それは兄の信之が徳川の会社で部長になり、年収2000万円(まぁ、適当に10万石のこと)ももらうようになったことでもわかります。

 

信繁は才能はあったのに、年収500万円もなかった。

 

けど、信繁は、「それでいい」と思った。

 

若いうちは夢と可能性がある。

50歳くらいになると、あと何年生きるのかと考えるようになる。

だんだボケ始めてきて、体力も落ちて最初からやろうというバイタリティーを自分自身で受け止めることが出来なくなってくる。

「真田丸」の最後のシーンで、忍者の藤井君に信繁が「いくつになった?」と聞いた。

藤井君は「55歳です、もう体力もしんどいです」と言ったシーンが物語っている通り・・・今も昔も変わりませんよね。

 

けど、俺は夢が小さくなってもボケても、しんどくても前見て頑張る。

 

もう何のためかわからないけれど、とにかく、頑張る。

 

 

--------20161218----

NHK大河「真田丸」はいよいよ最終回です。

 

しかし今日は最悪!

なんとサッカーの鹿島アントラーズがクラブワールドカップで(なぜか)決勝に進出。

C・ロナウドをはじめとするスーパースター軍団レアル・マドリードと決勝戦を行うことに。

なんの夢か幻か・・こんなことは後にも先にも成立しないカードでしょう。

 

う~~ん・・・これは仕方がない。サッカーを見るしかない!

真田丸は次の土曜日にある再放送を見ることに決めました。

追伸、鹿島はレアルに2-4で負けました。しかし、延長戦まで互角だった。

鹿島が決勝まで行けたのはフロックではなさそうですね。見事な試合でしたよ。見て良かった(^_^)

 

(真田幸村)

 

だから、その前に茶臼山の事を書いておこうと思います。

 

 

 

(あべのハルカスから北西を望む。眼下に茶臼山が見える)

 

そして、真田幸村が最後の決戦をすべく陣取った場所がこの小さな丘「茶臼山」

茶臼山と言われる小山は全国各地にありますが、この茶臼山は5世紀ごろに出来た長さが200mほどもある前方後円墳の跡だとされています。

ここは作り方などから見て、古墳だという事は多くの専門家が言っているそうですが、古墳から出土される埴輪などは一切出てこないのだそうです。

 

しかも、この5世紀というのは、日本の歴史の中でも国内情報が乏しい時代で、天皇でいえば応神天皇(初代天皇)-仁徳-履中ー反正ー允恭ー安功そして7代目の雄略天皇の時代だったとされています。

 

 

雄略天皇は、船で朝鮮半島に渡り高句麗と戦い百済と和解して、中国に「武(雄略天皇)」が上奏文を送った記録があるそうです。

中国や半島には記録があるのですが、日本には雄略天皇(ワカタケル大王)の部下に豪族のオワケがいた(埼玉稲荷山古墳)とか日本書記にワカタケル大王のことが書かれてはいますが、文献はそれだけで、何も見つかっていないと聞きます。

そんな時に、この茶臼山古墳が出来たそうですが・・・何も出土しない。

雄略天皇は埼玉から関西、九州そして朝鮮半島までを支配していた可能性があるにも関わらず、何も出土しないのは摩訶不思議です。

それより古い卑弥呼の時代や飛鳥時代より前にあった大阪の難波宮は有名なのに。

 

この和気橋と川底池は、8世紀の和気清麻呂と関係があるらしく、清麻呂がここに運河を引こうとして失敗したまま放置されて池になったとか・・・。

この茶臼山の直ぐ東側に、四天王寺がありますが、四天王寺は6世紀後半に出来た古い寺とはいえ、茶臼山はそれよりも100年ほど前に作られているわけで、茶臼山が出来、四天王寺が出来、そのあとに和気清麻呂が橋を作った。

いずれにしても古代日本ではこの辺りは賑やかな場所だったのではないでしょうか。

 

(和気橋の向こうに通天閣が見える)

さて、茶臼山です。

JR天王寺駅の西側にある天王寺公園の北橋にこの小さな丘があります。

現在では茶臼山の東がホテル街になっており、それよりも低いのでどこが茶臼山かよくわかりません。

余談ですがこのホテル街はその世界でもさほどレベルが高くなく、一時は外国人の娼婦やおかまが立ち並ぶ少々不気味な場所でした。

今はほとんど見かけませんけどね。

天王寺駅から茶臼山にゆくには、びっくりドンキーの横から歩いてゆけば良いでしょう。

 

茶臼山は階段でほんの2,30段程度の岡なので、大阪でいえば南港の天保山より高いか低いかを争うほどの小山になります。

この茶臼山から大阪城が望めたかどうかは、たぶんですが見えなかったのではないでしょうか。というのも、大阪城は確かに上町台地という丘の上に建っていますが、その上町台地は茶臼山の手前で終わりなので台地から下った先に茶臼山の小さな古墳(岡)がある感じになるからです。

(上町台地の終わり。前方に向かって下り坂になっている。

正面に阿倍野ハルカス。少し先の左側には四天王寺、右側に曲がると茶臼山がある)

茶臼山の丘の上。

昔もこんな林になっていたのだろうか。

これだと敵軍の状況が見えなかったと思うので、昔は木も生えていないような丘になっていたと想像します。

茶臼山からあべのハルカスを望む。

つまり真田幸村はここからハルカスの後方に陣取っていた徳川家康めがけて合計3度の攻撃を仕掛けた。

真田幸村の攻撃は二度目に家康の直近まで迫りましたが、反撃に遭いやむなく後退。

この茶臼山に戻り、その裏の一心寺を超えて安居天満宮で力尽きたといわれていますね。

 サッカーの合間に少し大河を見た時はちょうど豊臣方の敗走のきっかけになるところでしたね。

今度の土曜日にゆっくり見よう(^_^)

茶臼山⇒一心寺⇒と北方向に歩いて来ると道路を渡った先に安居天満宮の入り口がある。

傷を負い疲れ果てていたはずの幸村は茶臼山に戻り一心寺の境内を抜けて大阪城方向に戻ろうとして、この安居天満宮まで来たところで疲れ果てたのかもしれません。

ここで負傷した味方の介抱をしているところに越前松平家鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、首を取られた場所だと言われています。

ほかにも、この安居天満宮からさらに数百メートル大阪城に近づいたところにある勝鬘院(しょうまんいん)(地元では愛染さんと呼ばれていて、聖徳太子が建立し秀吉が再建したと言われるお寺です)で休んでいた信繁に、西尾が相手を信繁と知らずに声をかけ槍で戦った末に討ち取り、後に陣中見舞いに来た知人が過去に真田家に仕えていたことから信繁の首と判明した(WIKIより)という説もあるかもしれません。

絵馬に描かれているイラストを見ていて、みんな絵がうまいなと感心しました。

 

 

しかし、私はこんなことは信じません。

信繁はいったん大阪城にまで逃げ戻って、息子と秀頼を逃がして九州まで落ち延びたと信じています。

 

淀殿はしかたがない。

城を焼かれるのも3度目となれば、もはや生き延びる気力すら無くなると思います。

 

しかし、秀頼の母であることはほぼ間違いない。

秀頼は身長が190センチ、体重も100キロを超えていたとも言われていますので、豊臣秀吉の子ではないと思っています。

しかし淀殿の子ではあるでしょう。

母の気持ちならば、秀吉と本当は関係のない秀頼を大阪城から逃がすのが常識的心理だと思うのです。

大阪城で死ぬ理由がないからです。

だから、道頓堀を作り上げたての安井道頓(豊臣方で、夏の陣で戦死)の手下などを使って大阪湾に逃げ、そこから九州の島津を頼っても何の不思議もないわけです。

 

その証拠が残るわけがない。

残るほどなら、すぐに徳川にばれて殺されることでしょう。

 

遺体は火災で見つかっていないわけですし、この九州説はかなりの確率であり得ると思うのです。

 

そうであってほしいなぁ。

 

以上

 

 

 

 

 

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