きんぱこ(^^)v  

  きんぱこ教室、事件簿、小説、評論そして備忘録
      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ


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    【VEMA Trace of an Ancient Civilization】
謎の遺跡発見か 古代文明の夢を見たい

 私が見つけたGOOGLE EARTHの古代遺跡 らしいもの私は何度見ても不思議な所です。

 発見場所 10°30'20.29"N 40°55'29.41"W 発見日  2009/02/22 11:45

 皆さんも、何か情報や意見があれば是非教えてください。(^^)

砂坂を這う蟻-1 (更新) 砂坂を這う蟻-1

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スタッフ・ベンダ・ビリリ 日本で見たコンゴの心  

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レイプ・略奪・殺戮の悪夢 (コンゴ民主共和国)
大惨殺千の丘ラジオの事は覚えていますか?
ルワンダ惨殺とホテル・ルワンダ
「イノキ・ボンバイエ」と「キンシャサの奇跡」


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野生のフジバカマを探しに、山の中へ。
とはいっても道なき道を行くのではなく、車の轍が残る砂利道を軽自動車で進んでゆく。

対向車が来れば延々とバックをするしかない。
 
山道は時には人里近くに近づき、時にはひたすら山の奥へと進んでゆく。
行きどまりになればバックで戻るかどこかでUターン。
 
 
時々、クマを捕獲する檻も仕掛けられている。
ここは京都府綾部市の山中。
 
野生のフジバカマを探し始めて初めて分かったことだが、道端に生い茂る雑草はどこに行っても同じものばかり。

ヘラオオバコ
ヤセウツボ
ドクダミ
クマザサなど・・・
 
他にもシダやツルの雑草が生い茂る。
 
コナラの木やクヌギの木(ドングリの木)、杉の木が生い茂る森の中に歩いて入っても木陰の植物が生い茂るだけでフジバカマは生えていないと考える。

なぜなら、フジバカマは日当たりが良く水分が多い場所に生えているはずだから。
 
フジバカマと言えば平安時代以前からあって秋の七草の一つなのに、野生のフジバカマはどこにも咲いていないことには驚いた。
 
そうこう考えながら車で走っていると、廃墟のような神社のようなものがあった。

手入れがされていないのか、山道は草に覆われ、しばらく人が入った形跡もなさそう。
 
私は入り口に車を止めて歩いて中に入っていった。
 
どこかでホトトギスが縄張りを誇示するように大きな声で鳴いている。
 
空は真っ青の快晴だけれど、木陰に覆われた参道はひんやりとすら感じた。
 
ここでクマに襲われたら戦う以外にないだろうなと考える。
 
こんな昼間にいるわけがないだろう、どこかで夜になるまで寝ているに違いない。
 
そんな寝ぐらが、このような社なのかもしれない。
京都府や兵庫県では、クマ(ツキノワグマ)は条例で規制されている保護動物の為、約900頭を超えるまでは、捕まえて処分することが出来ない。
しかし、京都も兵庫もすでにクマの生息数は1000頭を超えているらしい。
それでも、子持ちのクマは処分できないことになっている。
 
人間の高齢化⇒田舎の過疎化⇒田畑を維持できなく荒れ地となる⇒野生動物が人里に現れる⇒人の生活圏に野生動物が出現する⇒トラブルが増える
 
という構図になっている。
 
互いに傷つけあわないようにするにはどうすべきか・・・この問題はなかなか難しい。
 
ふと足元を見ると、ムカデがこちらに歩いてきた。
靴の下まで来たので、あっちへ行けとばかりに蹴り飛ばした。
驚いたムカデは頭を上下に振りながら、再び私の足元へと向かってきた。

私はまた蹴り飛ばした。
そのまま草の中に隠れてしまえばいいのに、なぜかこちらに向かってきた。
頭が赤いムカデは毒を持っている。
噛まれると死にはしないが相当腫れる。
 
しかし踏みつぶして殺すつもりはなかった。

家の中で見つければ、それは住居侵入罪で「死刑」にする。

しかし、ここは森の中。

殺したくはなかったので、枝切れでムカデをすくう様にして草むらに飛ばした。
 
さすがにもう出てはこなかった。
 
私は、この古い社を調べるのが目的ではない。野生のフジバカマが生えていないかを探すのが目的なので、奥まで入らずに途中で引き返した。
もし、社にクマがいたら・・・、
逃げられないはずなので戦うしかないと思う。
 
山の中、池のほとり、川沿いなど、半日かけて野生のフジバカマを探したが見当たらなかった。
いままで山野草なんて見向きもしなかったからわからなかったけれど、何でも生えていそうで生えていないのが人里近くの山野草であることがわかった。
 
もっと人が入らない山中でないと見つけられないのかなぁ。
 
そう思いながら、家に帰った。
 
明日は葬式や家の用事で大変。

また、時間があったら探しに行こう。
 
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茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで起きた作業員5人の被ばく事故。(2017年6月6日AM11:15)
今年2月から80個ある貯蔵容器の保管状態を順に点検し、32個目の容器を開封したときに今回の事故が起きた。
この容器はそれまで点検した容器とは違った種類の核燃料物質が入っていた容器で、その1個目だったそうです。
最初は最も多い被ばくを受けた50代の男性で22000ベクレルだったと発表されました。
汚染された部屋は約80平米でほぼ全域からプルトニウムによる汚染が検出されたそうです。

最も汚染レベルが高かった場所は貯蔵容器に最も近い所で、1平方センチ55ベクレルで、管理基準の千倍を超えていたそうですね。
「命にかかわることはないが軽微ではない」という発表でしたが、重度の部類だと感じました。
 
しかし、二日後の9日の発表では、7日に改めて調べたところ、5人の肺からプルトニウムは検出されなかったという事でした。

もうここで、なにやら怪しい発表の仕方になっている気がしています。

5人は容器内のビニールが破裂してプルトニウムは飛散した部屋に、3時間も待機させられており、その後も洗浄作業や検査を考えると6,7時間の体外被曝を受けており、体内には細かいプルトニウム239やアメリシウム241を吸引している可能性はとても大きいと感じます。
 
22000ベクレルとは1年間で1.2シーベルトという事ですが、このまま1年間被ばくし続けると、白血病になり血液をすべて入れ替えても助かるかどうかという事になります。
容器のふたが開いて被ばくした時間だけを考えるのではありませんから。

体内に入ったプルトニウムを何か月で出し切るか。

出し切らない限り体内で放射線が放出されて被ばくし続けるわけですから、これは大変ですよ。
 
現在は化学薬品を霧状にして吸入させたり、点滴したりして排出させる処置が行われているそうですが、はっきり言って完全にプルトニウムをすべて体外に排出することなんてできるわけがないと感じるのです。
80%ほどは排出できても、それ以上は何年も体内にとどまるとしたら、この人は何年かのうちに1シーベルトを超えることになり、結局体調の異常に苦しみ続ける気がしています。

1シーベルトという事は白血病になり血液をすべて入れ替えて治療しても常に命の危険にさらされながら生きるという事だと思います。
4シーベルトの被曝になると助からないことがわかっています
 
これはどうしてわかるかと言えば、茨城県東海村の事故で被害にあった3人のその後の様子から考えることが出来るわけです。
(東海村JCO臨界事故 : 1999年9月30日)
 
この事故は、3人の作業員がホウ酸を手に抱えて炉心に入り、ホウ酸を注入したことによって日本の一大事を救ったという事件です。この時の勇敢な3人によって、人の命と被ばく量の限界がわかりました。
 
 35歳の作業員は16~20シーベルトも被ばくして、染色体破壊が激しく血液をすべて交換しましたがそれでも症状が再発して、とうとう事故から3か月弱で多臓器不全で亡くなりました。
 40歳の作業員は6.0~10シーベルトの被ばくで、同じく染色体破壊がひどくつまりは白血病の状態で、血液をすべて交換しました。その後人と話せるようになりましたが7カ月を過ぎて多臓器不全で亡くなりました。
(二人目の人も助からなかった)
 1~4.5シーベルトの被ばくを受けた54歳の作業員は一時白血球がゼロになり骨髄移植を行いました。その後回復して死ぬことは免れました。
 
 つまり、人間が生きていられる被ばく量の限界は1~4.5シーベルトということがわかったのです。
勿論、1時間での被ばくの話ですよ。
だから今回は22000ベクレルが1年間で1.2シーベルトということで、東海村の事故より軽微ではありますが、なんで体内被曝にこだわっているかと言うと、体内にプルトニウムがある限り、その人は被ばくし続けるからです。
実際は体内被曝はおそらく1000~2000ベクレルくらいかもしれませんがそれでも除去できなければ10年で1シーベルトです。

ここで私が言いたいのは、体の症状によって今まではすぐに被ばくとは関係ないと胡麻化してきたことをやめて、どれだけお金がかかっても5人の被ばく者に対してはいつまでも真摯な対応をお願いしたいということです
 
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-----------2017/5/24--------------
 
連続児童殺傷事件から20年が経ちました
 
酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)は、絶歌出版後どうやって生活しているのだろうか。
さらに、この本の印税をどのようにして使おうとしているのか。
この二つのことについては、私だけではなく多くの人が考えていると思います。
どこに住んでいるのかについては、担当の弁護士が知っていればいいと思っています。
国が定めた少年法によって生かされた以上、彼が再び犯罪に走らない以上、このまま生かせるしかないと私は思っています。
MSNニュースで2017/5/24に酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)が書いた絶歌について、被害者の父である守さんが述べていました。
それによると、絶歌出版の約1年後である2015年に、弁護士を通じて本の印税収入の半分を賠償金として被害者家族に支払おうとしたようですね。

当然被害者の父である守さんは拒絶。

被害者の気持ちはもちろんわかっているつもりです。

酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)が生きていることすら許せないうえに、許諾の有無など論外で、事件をネタに本を書き、それで陰で生きてゆく自分のストレスを発散させ、自分の考えを伝え、利益を得て、一部を賠償金にした行為すべてが許せないでしょう。

つまり自分の意志をもって、目標や夢を抱いて生きることが許せない

そりゃそうでしょう、自分の娘は夢すら持てなくなったわけですから。
 
被害者に対しての気持ちはわかりますしそうだと思います。
 
しかしこの事件はそれだけではなく、大きな課題があります。
 
少年法はこれで本当に良いのか
という問題は大きい問題だと思います。
 
そして、少年法によって犯人が生かされた以上
 
①人として生かせるべきなのか
②一生罪を背負って暗く苦しみながら生かせるべきなのか
 
ということです。
 
私は少年法でも残虐な殺戮を犯した人間は薬物死や無期懲役がしかるべきとの考えです。
 
しかし法律で生かされた以上、その人は①をもって生きるのか②で生きるのか・・・。
②ならば、刑務所で無期懲役で良いではありませんか・・・違いますかね。
法律は遺族の意志とは逆の判決を下して社会に戻した以上、戻された人はどのように生きてゆけばいいのですか?
 
皆さんはどう思いますか?
 
私は、生かされる以上人として幸せを求めて生きてゆくべきではないかと思いますが、これは遺族の意志とは反比例して遺族をどんどん苦しめてゆくでしょう。
 
それなら少年法を変えるべきではないのでしょうかね。

せめて無期懲役。
私は酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)を生んだのはその周りにいた一部の人々だと思っています。
 
モンスターは一人では育たないという事。
 
しかし、モンスターになってしまった人間は、人を殺めた人間は、もはや元の人間には戻れない。戻れないのです。
狂犬病になってしまった犬や、人の血の匂いをおぼえてしまったクマなどのように、人を殺めた経験をしてしまった人は絶対に元の人間には戻れない。と確信しています。
 
私はこんな考えです。
 
だから、法律によって人として生かされようとしている酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)が書いた「絶歌」も読みました。
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過去に書いてきた記事も参考に。
 
 
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-----------2017/5/24--------------
連続児童殺傷事件から20年が経ちました。
 

------------------2015/9/15-------

 

 

私が元少年A(以降「彼」と書きます)の出版した本を読み、サイトを見て感じた事を書いてみたいと思います。

 

【今の彼とその後の事】

 

まず、彼の本「絶歌」について言えば、執筆以前から自分自身の本音を抑えながらも、過去をなんとか冷静に描き纏めて、社会に戻ってから仕事をしてゆくうえで、自分が「生きる」ということがどういうことかが徐々にわかってくる反面、彼自身が他人の「生きる」を消し去ってしまったジレンマに気づき、それによって自分は「どれだけ取り返しのつかないことをしたのか」と言うことを認識し、遺族にも申し訳ない気持ちを持ったということが書かれていました。(文面通りなら)


(遺族から見れば黙って本を出すこと自体許せないことではありますが、その点を横に置いておいてです)


つまり、過去を見て、現在を見て、自分の過ちの度合いが認識できて、罪の重さを思い知り、被害者や遺族に申し訳ないと思ったと、少なくとも本人は思っていた(と信じたい)。


しかし、この本の中にも彼が潜在的に持っている(一般の人から見れば引いてしまうような)印象や意識がところどころに現れていたし、出版社への提出原稿にはとてもではないが書けないような部分がカットされていたという。

 

私が感じたことですが、彼が出したこの本の内容でキーワードになる部分は「生きる」という言葉だったと思うのです。

 


彼の脳裏には生きる意識が芽生え、それによって新たに様々な悩みや欲望・葛藤が湧きあがってきていることは事実ではないかと思います。


しかし世間一般から見れば、これは当たり前のことで、彼にとっては衝撃的な事でも、世間では当たり前の事を何も評価はしない訳です。


それどころか、おまえは殺人者で世の中に存在すべき人間では無いという声を浴びせて来るでしょう(既に浴びせられているでしょう)


彼はそのうちに、世間と自分の認識の違いが大きすぎることと、自分には未来が持てないのだという絶望感を味わうときが来ると思います。


私が心配しているのは、その時に彼がどういう精神状態になり、再び人を殺めるという挙動に走らないだろうかということなのです。

 

【サイトを立ち上げた心境は】

 

 

私は、絶歌を出版した後、彼がどうなっているのだろうと思っていました。

 

その矢先、彼は私の知らぬ間に自身のサイトを立ち上げて、そこには今の彼の本音ともとれる心境を書いている(描いている)ように感じました。


1

(サイトの表紙)

私はそのサイトを最初から最後まで見終わって、「彼は自分に負けている」と感じました。

 

その要素となるものを列記しますと

①なめくじのイラスト、ナメクジの画像、ナメクジの作品
②自分自身の肉体の披露
③佐川一成に対する意識
④すべてに置いて視野が狭い思考範囲
⑤回帰的な印象
⑥世間に認められたいと言う悲鳴

というものです。

 

彼の今の心境は一言でいえば⑥でしょう。


彼は身の回りに友達を作れる環境があるわけではありません。


名前を伏せ、本音を言えず、人とは親しくなれない環境で生きているわけです。


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(サイトより引用)

まともな人であれ殺人者であれ、気を許せる仲間や本音を話し合える友がいなければ耐えられなくなってくるはずです。


もともと彼は世間に対してアピールしたがる部分がありました。


しかし名前や顔がばれると死活問題であることくらいは、勿論本人はわかっているはずです。

それで自分自身のブログを立ち上げた。

 

ブログを立ち上げて自分の気持ちを世間に知らせる。

SNSを使って、緩い友達を作ることもできる。

 

これらは、昔と違って現在ならではの癒しの方法なのでしょう。

 

①のナメクジは彼が小学校の頃から興味を持っている生き物です。今に始まったことではありません。
ただ、心配な要素は④で政治経済娯楽に関心を持てずナメクジを見つめ、狭い範囲で自分の存在について強く意識していることや過去と同じ生き物を意識し始めるなど⑤の回帰的な精神状態になってきてはいなかと言うことです。

ひょっとすると「もうだめだ」と思いかけているのではないかと言うことです。

彼は③の佐川一成について強く意識しており、佐川氏を嫉妬したり同調したりしています。

パリ人肉事件の佐川氏が人殺しをしても世間で堂々と?生きていることが気になるようで、同じような境遇にもかかわらず佐川氏が本名を公開出来てエッセイを出版しテレビにも出たことがあるのに、彼の場合は名前を公表できず本を出版しても世間から佐川氏の様には相手にされなく偽名で生きる身でもあり表に出られないことが非常に不満のようです。

 

彼は「絶歌」の印税が入る事により、今までの苦しい生活から抜け出て、つかの間の自由を味わっていることでしょう。しかしこのままではいけないとも感じており、自身のサイトを開設したり、その中で「本を買え」とまで書いています。

生きることと自由をいつまでも続けたいと焦っている部分もあるわけです。

そんなことで自分が生きることに必死になっている彼の現在の状態では、遺族に気を遣う暇などないのでしょう。

 

要するに彼は束縛されない自由と、名前を公表しても生きて行ける生活が欲しいわけです。

 

【彼の運命を想像】

 

これから先の運命は見えるように感じます。


彼は今の状態をどう頑張っても維持できなくなる。


名前は偽名のままだし、世間は絶対に彼を認めない、次に出す本は売れない事間違いないし、やがて印税で入った収入も無くなってしまう。


その時になってようやく現実は甘くなく夢や希望をもって生きることを許されないと悟り(いや、今もわかっているから必死にもがいている)、そして絶望に中で打ちひしがれることでしょう。

 

何か月先か、何年先かはわかりませんが、問題はその後です。

 


彼が再び日雇いのような仕事につけるとは思えず、世間に顔を出しても認めてくれない訳だから、「その後」の彼は家に籠って憂鬱で無気力な毎日を送るのでしょうか。

 

私が心配なのは、そんな時になって昔のスイッチが入るようなことが無いだろうかと言うことです。

 

 

私は、彼が自分の本が売れなくなり生活に窮しても、ふたたび以前のような苦しい仕事には戻れないと思っています。


かと言って殺人までは仕出かさないだろうとも思っています。

今では自分の人生をこんなにしてしまった汚点だから避けようとするはずです。


追い詰められた時、彼はどうするでしょうか。


私の想像では、彼は自ら自分の名前を公表するという暴挙に出る気がします。

 

佐川一成のように、世の中に認められずとも、世間のなかで生きて行く。

つまり世間からコソコソ隠れて生きたくないという思いが強いからです。

 

それが事実となった時、果たして世間はどうするでしょうか・・・。

 

彼が出版社から見放された時の選択肢は三つでしょう

 

・生活保護で静かに生きるか
・再犯をして監獄で生きるか
・自殺するか

 

勿論彼のことを心配しているのではなく、再犯を心配して、あれこれ想像しているのです。

 

 

 

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