映画,「おくりびと」を観ました。
とにかくすべてが素晴らしいです。
この映画に関わったすべての人の,気持ちの美しさと繊細さを感じます。
映画の中で特別な意味を持つのが「石文(いしぶみ)」
「まだ人間が言葉を獲得する以前,石に思いを託して相手に渡していた」
というものです。
王子たちはどこかにお散歩にいくと,いつも石や枝を拾ってきます。
だから,常に我が家の玄関には石ころや枝が転がっています。
「捨てないでね」と言うので,しばらくの間,とっておきます。
ひとつひとつが大切な「石文」なんでしょうね。
都会なのでコンクリート片のようなものもあります。
歩いていて,子どもはふっと目にとまったものを持ってくるのですが,
それで思い出したことがありました。
宗教に関係なく,石には魂が宿るとされています。
ピラミッドやモアイ像の石運びなどにはじまり,石碑や墓石,宝石など。
石にまつわることやお話はたくさんあります。
やはり昔から気持ちを伝えるために,石を伝達手段として使っていたのでしょう。
子どもの頃,おばあちゃんに
「川原で石を拾ってきてはいけませんよ」と言われました。
特に川原の石は良いものも悪いものもあるので,
安易な気持ちで持ち帰って来てはいけないと,言い聞かせられました。
王子達はいつものお散歩感覚で,神社の敷石も「持って帰りたい」といいます。
つぶつぶ感,ジャリジャリした音,すべてが魅力的なのだと思います。
でも「それは神様の石で,ここにあるべきものだから,
持ち帰ってはいけませんよ」と教えています。
だから,今,玄関先にある石文たちも,少し時間がたって,
子どもの気持ちが落ち着いた頃に一緒に土に返しに行きます。
拾ってきた時のワクワクした気持ちととか,大切な気持ちだけ受け取ったから,
あとは元のところに返そうねと話して聞かせてあります。
「これはもうそろそろ返しても良い」と聞いて,
「うん」という返事が返ってきたものから順番に少しずつ自然に戻っていきます。
次男坊は戻す時にも,いつも通る公園の茂みの中とか,
道路脇の植え込みのすみっことかに置石をしていきます。
そして通るたびに「あるある」と確認するので,
道に迷わないように目印として置いておくと言う役割もしているみたいです。
やはり石は人の気持ちと,何かつながっているのでしょうね。