写真で見る鼠島跡地の16年 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

鼠島が消えて久しく歳月が経っております。
中島陽二氏による「ある小さな島(鼠島)の生涯」が 『大阪春秋 第88号』が
発表されましたのは、1997年9月です。
それから16年を経ております。
人の人生に換算しますと、半世代を経たことになります。

1997年9月当時の、旧鼠島の写真が載せられています。
写真図1 中島陽二「ある小さな島(鼠島)の生涯」の閘門の入口付近
(『大阪春秋 第88号』1997年9月)より複写。筆者掲載許可


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「わずかに閘門の入口だけが往時の面影を留めている」の説明文が付けられています。
1997年9月当時の閘門の入口は、現在、埋め立てられておりますが、
地図を片手に注意して歩きますと、およその場所の見当が付きます。
2013-06-03にアップしました「鼠島・野田新家マチ歩き」の
《写真4 此花区との境界域》が、およその場所です。

写真図2 此花区との境界域
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「鼠島・野田新家マチ歩き」の説明を以下に引用します。
●写真は、南からの撮影ですので、
 左手は此花区側で此花厚生年金住宅第1棟で
 右手福島区側に見えるのが、大開厚生年金住宅です。
この説明文は、今回の写真図1の閘門の入口付近の対応する場所を求めて撮ったものです。

それにしても閘門の跡は、見当たらないものでしょうか?
せめて、護岸壁でも見当たらないものでしょうか?
マチを歩いていますと、ここかしこに地図が掲示されています。
そんな中で、防災地図があります。
写真図3  防災地図


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北港通りに面して嬉ヶ崎橋にさしかかる地点の防災地図です。

写真図4 防災地図に見える旧鼠島南岸の護岸壁


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地図上では、旧鼠島南岸の護岸壁とおぼしきものが曲線で描かれております。

凹みが見えます。

閘門でしょう。
はたして、護岸壁が今日、何らかの形で残されているのでしょうか?
見つけたのです!
事情があって、ブログアップできないのが残念です。

「鼠島・野田新家いまむかし」は、7月6日に
浦江塾では、ふんだんに写真をまじえて
PowerPointで発表します。参加費無料。
ご案内は、

2013-06-23 18:26:03

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