鼠島が消えて久しく歳月が経っております。
中島陽二氏による「ある小さな島(鼠島)の生涯」が 『大阪春秋 第88号』が
発表されましたのは、1997年9月です。
それから16年を経ております。
人の人生に換算しますと、半世代を経たことになります。
1997年9月当時の、旧鼠島の写真が載せられています。
写真図1 中島陽二「ある小さな島(鼠島)の生涯」の閘門の入口付近
(『大阪春秋 第88号』1997年9月)より複写。筆者掲載許可
「わずかに閘門の入口だけが往時の面影を留めている」の説明文が付けられています。
1997年9月当時の閘門の入口は、現在、埋め立てられておりますが、
地図を片手に注意して歩きますと、およその場所の見当が付きます。
2013-06-03にアップしました「鼠島・野田新家マチ歩き」の
《写真4 此花区との境界域》が、およその場所です。
「鼠島・野田新家マチ歩き」の説明を以下に引用します。
●写真は、南からの撮影ですので、
左手は此花区側で此花厚生年金住宅第1棟で
右手福島区側に見えるのが、大開厚生年金住宅です。
この説明文は、今回の写真図1の閘門の入口付近の対応する場所を求めて撮ったものです。
それにしても閘門の跡は、見当たらないものでしょうか?
せめて、護岸壁でも見当たらないものでしょうか?
マチを歩いていますと、ここかしこに地図が掲示されています。
そんな中で、防災地図があります。
写真図3 防災地図
北港通りに面して嬉ヶ崎橋にさしかかる地点の防災地図です。
写真図4 防災地図に見える旧鼠島南岸の護岸壁
地図上では、旧鼠島南岸の護岸壁とおぼしきものが曲線で描かれております。
凹みが見えます。
閘門でしょう。
はたして、護岸壁が今日、何らかの形で残されているのでしょうか?
見つけたのです!
事情があって、ブログアップできないのが残念です。
「鼠島・野田新家いまむかし」は、7月6日に
浦江塾では、ふんだんに写真をまじえて
PowerPointで発表します。参加費無料。
ご案内は、
2013-06-23 18:26:03
テーマ: □浦江塾
にアップしております。
ご覧下さい。