晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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「春は名のみの」は「風の寒さや」ですが、
立春の昨日、2月4日、浦江塾で
「大阪のお正月」を話しました。
参加者の中に、西 保國さんがおられ、
コメントをお願いしました。
早速、メールで送られてきました。

◇大阪のお正月行事の話があった。
改めて伝統が失われつつあることを感じた。
興味を引いたのは
お正月商品の取り扱いについてである。
着物にしろ食べ物にしろ、
はたまた菓子、生花、鮮魚、キワモノにしろ
各業界には取扱いの時季があって、
その時季がどんどん前倒しされているというのだ。
競争激化の中,

付加価値を高める方途らしいが、

季節感喪失にも一役買っている。

しかし、伝統とて不変のものではない。
要は我々がそれにどう付き合っていくかということ、
さらに豊かな文化創造力を身に付けることだと自覚した。

ボクの子どもの頃、
昭和30年代のお正月といえば
三が日は絣の着物を着せられ、
夜には百人一首を家族で取り合ったりしたものです。
読み手は母で、
出入橋の電電公社に勤めていたもので
4日からの出勤やというのに
3日の晩までせがんだものです。

これは、あまりに「伝統」という言葉に惹かれて
美化しすぎた話かも知れません。
しかし、確かに「季節感喪失」を感じる今日です。
「時季がどんどん前倒しされている」という話もしました。

伝統は創られるものですと
話したボクですが、
何か商業主義に流されて
本来の意味を忘れて行くのが
ちょっと悲しい気がします。
今日の町会での餅つきの話のついでに
賃搗き屋の話もしましたら、
発表後の情報交換会では、
正月にやって来た獅子舞のことやらなんやらで
今更ながら、街角から消えていった
生業に気づかせられます。

今回の話のタイトルは
「「正月」の都市民俗―商人による演出―」でした。
むすびは、以下のとおりです。
◇商人による時季の先取りに慣れっこになっているのは、
今や都市住民だけではありません。
それのみならず、
「季節」の商品化は
商品の真正性など問題にされません。
民俗事象もまた文化現象の一端であって
変容され創出される「伝統」に気づくことが
この分野の研究者のとるべき姿勢でしょう。

 

写真図 裏表紙


けっこう、気楽な話をしたつもりでしたが、
今日の日本の社会全般にわたる問題が
民俗学研究から見えてくるのかも知れません。
このところ「田蓑の島」の伝承に泥(なず)んで
歴史付いているようなボクですが、
「現代民俗学」の視点を見失ってはならないことを
西 保國さんのコメントから気づかせられました。

究会代表    田野  登

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今日、妙壽寺から案内のハガキが届きました。
時間がなくてファクシミリで
配付資料を送っただけですので
ハラハラしてハガキを読みました。

写真図 案内のハガキ

文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
一昔前は年中町々の各所で歳時の行事が行われていた。
最近はその風景も少なくなって、季節感が感じられなく
なってきた。今も歳時の風習が残っているのは暮れから
お正月ぐらいだろうか。大阪、特に北区、福島界隈では
かつてどのような行事が行われていたのか考証します。
日時 2月4日(土曜日)午後7時より9時迄
場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
テーマ 「正月の都市民俗―商人による演出」
大阪北区福島界隈版
大阪民俗学研究会代表
文学博士 田野 登 先生

あつかましいボクでありながら
いつもの自分の紹介は恥ずかしい。

そもそも、この題「正月の都市民俗」の
ゆきさつを書きます。
一昨年、歳末に
浦江塾顧問?(浦江塾に組織はありませんが)の
長山雅一先生から急遽、
「新いちょう大学校でお正月の話をやってくれへんか」との
ことばをいただきました。
「船場の話は近江晴子先生に頼んだあるから…」ということで、
それなら副題に「商人による演出」ということならと
引き受けた次第です。

なんのこともありません。
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院の
《30 現代都市の歳時習俗
―暮らしを演出する商人たち》から
正月だけを抜いてきて
PowerPoint版にして連続講座の一回分として
話したものです。
いくら、やっつけ仕事でも
2000年以前の調査データに基づいての
お話では失礼かと思い、
自宅や実家周辺の正月の飾り付けなどを
付け加えました。

伝統がいかに商品化されて出回っていることでしょう。
注連縄、鏡餅、七草粥などいかがでしょうか?
変わっていないようで変化しています。

今回の浦江塾での話も
実は福島区歴史研究会の重鎮の方に
お願いをしたのですが、
あまりに急なこととて承諾を得られず、
ボクは代役です。
タイトルに「大阪北区福島界隈版」とあり
ハガキには「大阪、特に北区、福島界隈では
かつてどのような行事が行われていたのか」とありますが、
そんな事情で十日戎や小正月に
福島区に帰って来て駆けずり回った次第で
この地域の「かつてどのような行事」など
福島区歴史研究会の皆さんの方がよくご存じですので
話せません。

ただ、「暮らしを演出する商人たち」には
神農商工会の方の話を入れてます。
実家のお向かいさんで、
かつて聞き書きをしたデータがありますよってに。
露天商の歳時習俗は、都市民俗の原点を考えさせます。

まぁ、気楽に聞きに来てくださいませ。
お話をします2月4日は立春で、
暦の上ではこの日から春です。
宵のことですから
お風邪など召されませんように。

究会代表  田野 登

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鈴木さんには申し訳ないことですが、
ボクの手違いで
12月3日(土)の浦江塾での「野田村よもやま話」の
報告が10日遅れになりました。

 

当日は地域情報HP「梅田の北っかわ」管理人の
平井裕三さんが来られたもので、
「渡りに船」とはこのことで、
ご多用のところレポートをいただきました。
許可を得て、このブログに載せます。

 

◇去年のだふじが咲くころに町歩きに参加した。
  その時の案内人が鈴木和夫さんで
 その後、個人的にも数回野田の町を案内していただいたことがあります。
 野田という町は昔は東洋一とうたわれた中央市場の御膝元で
 すごい賑わいだったと聞きますが、
 今は環状線の乗降数も福島駅に負け、
 快速系も一部通過するという町になりました。
 そんな野田の町ですが、
 一歩足を踏み入れてみるととても魅力的な町であることがわかります。
 浦江塾ではスライドを使っての町探検ですが、
 多くの是非とも実際の野田の町で鈴木さんの話を聞いてもらいたいです。

 

北区梅田の北側・旧大淀区をフィールドとして
今話題の情報を発信なさる平井裕三氏に
福島区野田のマチ案内の達人・鈴木和夫氏の
お話をレポートしていただけるとは、
一人悦に入ってますが、
いかがでしょう。

 

平井氏が仰るように
「昔は東洋一とうたわれた中央市場の御膝元」でした。
結構、野田の町の「今」にも、その偉光が
読み取れるのです。
鈴木和夫氏の繰り出した町の光景は、
慥かに、かつて中央市場で賑わった
暮らしを偲ばせるものです。

一例を民俗信仰で挙げましょう。
 

中央市場貨物引っ込み線跡の
お狸さんはじめ、

その名にも残る妙見筋の妙見宮。
妙見さんちゅうのは船乗りの信仰?なんぞ
ボクは想像しています。
かつての「新堀」は、芝居小屋もある遊所でした。

 

路地奥の稲荷の祠。
それに鈴木さんたちが立ち上げられた
町づくり組織*「野田まち物語」に紹介される
お地蔵さんの七箇所めぐり「ななとこ」。
今も、この地に根付く地蔵信仰など
けっして、過去の世界ではありません。
   *「野田まち物語」
    ↓ここをクリック
  www.noda-na-noda.net

 

野田の世界を平井氏は、
「一歩足を踏み入れてみるととても魅力的な町である」と
評されます。
まさに鈴木和夫氏によれば、
今まで見過ごしていたような
昭和のレトロが見え始めます。

 

浦江塾でのPowerPoint版だけでは
少々、勿体ない講演でした。

 

究会代表 田野 登

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「野田まち物語」仕掛け人が浦江塾に登場します。
先日、浦江塾会場のお寺である妙壽寺から
案内ハガキが届きました。

写真図 妙壽寺から案内ハガキ

文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
福島区に生まれ育ち、家業(機械部品製造業)を継がれ、
傍ら障がい者関連活動を行いながら、地域の歴史、長屋の
魅力にも取り憑かれ、今は「まち歩き」のガイドとして
活躍されているという、一見変わった経歴の郷土史家の
お話です。野田村の話は初めてですので楽しみです。    
 日時 12月3日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「野田村よもやま話」
        まち案内人(旅程管理主任)
           鈴木和夫先生

 

以下、田野による書き込み。
このブログの読者のみなさんは、
「大阪市福島区野田」という所をご存じでしょうか?
ボクがすぐさま思い起こしますのは
新鮮な魚介、野菜を卸す中央卸売り市場。
その市場への貨物引き込み線跡緑地のお狸さん。
かつての「新堀」と云われた安治川の遊所。
なによりもインパクトが強いのは、
七箇所のお地蔵さんを参ると御利益があるという
「ななとこまいり」の町です。

 

「郷土史家」と称されるのに
多少、違和感を感じておられる照れ屋の鈴木和夫さんは、
実は「野田まち物語」の仕掛け人なのです。
「野田まち物語」って何?
これは
  ↓ここをクリック
www.noda-na-noda.net
「まちに寄り添い、つむぐ物語」とあります。
何のこっちゃ?
「まちに寄り添いながら
 まちの魅力を発信するまちづくり団体」なんです。

 

2015年3月の浦江塾で、
「ルージュの微笑み化粧地蔵って何?」で
お話しされた長尾智子さんは
「野田まち物語」のメンバーです。

 

鈴木和夫さんからは
「当日は、まち歩きをしている感じで話したいと思います。
 今、PCで、写真を貼りあわせています」との
最新情報が届いております。
「まち歩き」ガイドのアングルから捉えられた
郷土・野田とは、どんな町でしょう。

これまでの郷土史家とはひと味違った
都市に住む人たちの暮らしぶりが
表現されることでしょう。

 

今年の浦江塾では
北区大淀(浦江・大仁)、此花区伝法、福島区鷺洲など
地域の生活誌を取り上げました。
今年の締めは福島区野田です。
乞うご期待。

 

浦江塾参加は、いつもどおり
無料で、参加手続き不要。
直接、会場にお越しください。
配付資料は30名程度しか用意されません。
お問い合わせは、ブログトップの「阪俗研」まで。

 

究会代表 田野 登

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先週末11月5日(土)の浦江塾での
「楽しかりし長屋暮らし」のレポートを
西 保國さんよりいただきました。
この文章から、あの楽しかった講座を紹介します。
◇本日の講師はアマチュア落語家天神亭神山さん。
 出囃子に乗って和服姿で登場。
 妙壽寺のホールが寄席に早変わりする。
 「道具屋」の一席で会場を沸かせた後、
 本日のテーマ「楽しかりし長屋暮らし」の話に入った。
 神山さんは当地鷺洲のご出身である。
 昭和30年代の町の様子、長屋の作り、間取りの紹介から始まって、
 子ども時代の生活ぶり、ご近所づきあい、そろばん塾、アルバイトの経験など
 ユーモアを交えてお話しくださった。
 受講者も自分の過去を思い出し、懐かしんだ。
 そこには確かに庶民文化(民俗)があったのだった。
 とにかく楽しい勉強の一時であった。

 

以下、田野による書き込み。
玄人跣「くろうとはだし」とは、このことでしょう。
あれだけ、スラスラ、テンポも歯切れも良く、
「道具屋」の一席を噺すのには感心しました。
枕が「道具屋」の一席でして、
講師のガミさんさんにボクがお願いしたのは
「楽しかりし長屋暮らし」の講演でした。

 

ガミさん??
小中学校の同級生の天神亭神山さんは
本名「山神務」さんで、
「ヤマガミさん」これを約めて「ガミさん」でした。
ガミさんが、えろなって神さん「神山」になりはったんです。

 

写真図1 講演「楽しかりし長屋暮らし」の表紙

背景写真はボクと相撲を取った公園の土俵跡です。
50年以上、昔の昭和30年代のことです。
一時期、小学生の相撲大会が開かれたりもしました。
世話する人が宿替えして、すぐ大会も開催されなくなり
その後、土俵だけしばらく、残ってました。

 

神さんは長屋の世界をありありと再現してくれはりました。
地蔵盆のこと、大掃除のこと。溝掃除のこと。
 路地狭う提灯吊るや地蔵盆
 井戸替えに人の百足が路地を出る

 

同じく長屋暮らしといっても
彼の所のように
町内に共同井戸や地蔵もなかったボクだけに
想像の世界です。
共同井戸は、各戸に水道が完備されていて、
とうに退役でポンプが残っていたとのことです。
地蔵の祠のある場所は、井戸端でした。
まさにお母さん方の情報交換の場所だったのでしょうか?
もっとも、子だくさんで、井戸端会議する閑があったんかなぁ?
西レポートは、この世界に「庶民文化(民俗)」を発見されたようです。

 

古新聞の使い道、
ヘッツイサン(竈)に薪をくべての炊飯、
カンテキ(七輪)の火の熾し方など。
さすが、親を手伝った彼の体験談は
上方落語の世界を地で行ってます。

 

「衣食住」の住まいもまた、高度経済成長期を経て
大きく変貌しました。
写真図2 「鷺洲第二団地」から南西に表長屋跡

道路を挟んで公団住宅(「UR都市機構」)「鷺洲第二団地」は、
ゴム会社「角一ゴム」の跡で
その場所にスポーツ施設「クラレ・リバープール」
冬季はドームを被せてアイススケート場がありました。
鷺洲第二団地はその跡地に建ちました。
*「UR都市機構 関西エリア」によれば
鷺洲第二団地が完成したのは昭和53年(1978年)9月~
昭和54年(1979年)3月とあります。
  *「UR都市機構 関西エリア」:www.ur-net.go.jp/kansai-akiya/osaka_chu/2520.html
ボクたち団塊の世代の尻尾が30歳になる頃です。

 

水が流れるリバープールは、昭和40(1965)年頃、
ボクたちが高校生の頃のことです。

表長屋にはマンションが建ちました。
その奥の、彼の一家が暮らした奥の長屋の跡は?
現在はガレージになってました。
写真図3 長屋の跡

彼が30歳の頃、昭和60(1985)年頃、
長屋の店子たちは、猶予期間を与えられ
宿替えをしたとも聞きます。

「楽しかりし長屋暮らし」の舞台が消え去ったのです。
 

今や忘れかけている長屋の暮らしを
天神亭神山さんたち「素人寄席・天満天神の会」は
出前をしてくれはります。
詳しくは
   ↓ここをクリック
http://tenmatenjin.jp/  「素人寄席・天満天神の会」HP
または、
   ↓ここをクリック
euauw200@ican.zaq.ne.jp;「大阪市市民活動総合ポータルサイト」

こちらの方も、よろしゅうおたのもうします。

 

究会代表 田野 登

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