晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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今回も引き続き
*青空文庫版の柳田國男「祭のさまざま」を
引用します。
 *青空文庫版「祭のさまざま」:
 
http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54830_49770.html
 底本の親本:「祭日考」小山書店
    1946(昭和21)年12月


前回引用の次節の次の記述に
ボクは

「神事から祭礼へ」の道筋を
読み取ります。
●神の降臨はたゞの人の眼には見えず、
 殊に其夜中の暗闇のうちに、
 御出でになるといふ祭も少なくは無い。
 それを日中の照り輝く路を、
 渡御なされるやうにしたのは
 中古からの変化で、
 その為に特に
 道中を花やかにするやうな、
 動く舞台といふものが
 考へ出されたのだつた。


発明された「動く舞台」が
祭りを華やかにする仕掛けのように
柳田は考えたのでしょう。
この仕掛けが祭礼を成立させる
要因だったのではないでしょうか?


折口信夫「髯籠(ひげこ)の話」に
つい手を延ばしたくなるのを
今回は堪えることにします。


はたして、
今回の10月15日(土)pm7:00~
濱田時実氏(佛教大学研究員)による
「「まつり」再考」では
どのような提案がなされるのでしょうか?
興味津々です。


だんじりに蘊蓄のある方々、
ただただ、お祭りが好きな方々、
地域史に飽き足りず
民俗学の発想に興味をお持ちの方々の
セミナーへの参加者を募ります。


問い合わせ、申込みは
ブログトップの阪俗研
tano@folklore-osaka.org まで。


究会代表 田野 登

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*青空文庫版
柳田國男「祭のさまざま」に

次の記述があります。
 *青空文庫版「祭のさまざま」:
 
http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54830_49770.html

柳田の故郷播州の鎮守の
秋の大祭の近い時季の記事です。
●秋は農家の最も心楽しい季節である。
 凶作でも無い限りは、
 早くから用意をして、
 家々では鯖の鮓をしこみ、
 甘酒の香が到る処にたゞよひ、
 子供は飽きるほど物を食べて、
 静かに大織の秋風にはためく音を聴いた。


「鯖の鮓をしこみ」は
食欲をそそります。
「甘酒の香」、

「大織の秋風にはためく音」など
柳田の回想は
嗅覚、聴覚で以て
祭りの近きを記述しているのです。

柳田の民俗学には
忘れかけた感性を
気づかせるところがあります。


引用文の続きを載せます。
●当日になると各部落から屋台が出る。
 又だんじりといふ車を
 曳いて出る小村もあつた。


「だんじり」の記事です。
今日の泉州
「岸和田だんじり祭り」と
どのように繋がり
どのように切れているのでしょう。
そもそも動く楽車「だんじり」という
代物はいったい何なのでしょう?
「神輿」と、どう異なるのでしょう。

引用文の続きを載せます。
●神の御幸とも
 御出とも謂つて、
 神輿が里中を巡つて行かれる時刻には、
 老人でも家の中にゐる者は無かつた。
 小さい者などは一日中、
 太鼓の音に附いてまはつてゐた。


「老人でも
 家の中にゐる者は無かつた」とあります。
都会だけではありません。
柳田の故郷の村でも
祭りの見物人はいるのですから、
村でも祭礼が
繰り広げられていたことになります。

明らかなことは
柳田は
神事と祭礼を分かち
祭りの時代による変化を
見てとったことです。

次回に
柳田の記述から
「神事から祭礼へ」の道筋を
ボクなりに辿ることにします。


阪俗研2016秋セミナー第2講
10月15日(土)pm7:00~
濱田時実氏(佛教大学研究員)による
「「まつり」再考」が
待ち遠しいことです。


究会代表 田野 登

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次回の阪俗研セミナーは
10月15日(土)pm7:00~
福島区民センターです。
濱田時実氏(佛教大学研究員)「「まつり」再考」
参加費は500円です。

先日、講師の濱田時実氏から
熱いメッセージが届きました。

●この時季、
 秋祭りが各地で行なわれていますが、
 だんじりが出る祭りになると
 大勢の人で賑わいます。
 中には祭りファンや
 だんじりファンと言った人々もいます。
 過日行われた岸和田だんじり祭りになると、
 毎年何十万人という人が集まるそうです。
 なぜ、日本人はここまで
 祭り好きなのでしょうか。
 そして、現代のこのような祭りを
 どう理解したらいいのでしょうか。
 これは私自身にとって大きな疑問です。


以下、田野による書き込み。
「まつり」とは何なのでしょう。
*『広辞苑』の《まつり【祭り】》に次の記述があります。
   *『広辞苑』:新村出編2008年『広辞苑第六版』岩波書店
①まつること。祭祀。祭礼。(中略)
②特に、京都賀茂神社の祭の称。(中略)
③近世、江戸の二大祭。(中略)
④記念・祝賀・宣伝などのために催す集団的行事。
   祭典。「梅―」「港―」


講師の濱田氏は
どの辺の「祭り」をターゲットに
話されるのでしょう。
「だんじり祭り」となると
①の「祭礼」かな?


「祭礼」となると
例の*『日本民俗学概論』の「祭礼」に
次の記事があります。
●神社のまつりのことであるが、厳密には
 はなやかでにぎやかな、
 見物の集まる祭りをいう。
 都市の夏祭りに

  その典型的な姿が示される。
 *『日本民俗学概論』
 福田アジオ・宮田登編、
 1983年 『日本民俗学概論』吉川弘文館


前回のセミナーで
「神事から祭礼へ」の話をしました。
民俗学の古典は、何と言っても
柳田国男の記述に求められます。

柳田の故郷播州の鎮守の
秋の大祭に
「だんじり」が曳かれている記事を
見つけました。
次回に取り上げます。


だんじりに蘊蓄のある方々、
ただただ、お祭りが好きな方々の
セミナーへの参加を募ります。
問い合わせ、申込みは
ブログトップの阪俗研
tano@folklore-osaka.org まで。


究会代表 田野 登

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再来月11月5日の浦江塾は
ボクの鷺洲小学校時代からの友達で
素人寄席で天神亭神山こと山神務君に
「道具屋」一席の後、
「楽しかりし長屋暮らし」という題で
鷺洲の長屋住まいの思い出を
話していただきます。


今いちど、変貌著しい
衣食住のうちの住まいに
焦点を絞って
昭和の暮らしを振り返ってみるのも
一興です。


浪花のお祭り女、中西一美さんは
大の落語ファンで
きっと、この企画に乗っていただけるでしょう。
「長屋住まい」ということなれば、
今回は、浪花のお祭り女さんからの
次々届く?投稿のうち、
「新興住宅の人びと」を
取り上げました。


●私たち家族が
 枚方の府営住宅に当選したのは
 昭和36年のことです。
 駅からは遠くお風呂もありませんでしたが、
 父と母がそれまでの長屋や
 間借り生活から抜け出せた日とて
 とても幸せそうだったことを思い出します。
 精出して掃除し、
 同じ様な家が並んでいるので
 私が帰る家がわかりやすい様にと
 1mくらいの檜葉の木を1本植えてくれました。


まるで天六(大阪市北区)の「大阪すまいの今昔館」の
戦後の住宅の一コマのようです。
住まいの今昔館では
八千草薫さんのまったりとした大阪弁の
語りがすばらしいところです。


昭和36年といえば
団塊の世代が中学生から小学六年生の時代です。
ボクのところは
長屋で2階は貸していました。
家に風呂があったもので、
山神君たちと
風呂屋に行った時など
恥ずかしいやら戸惑うやらで
今でも彼と話せば笑いぐさにされています。


当時は単身生活の人は
アパート住まいの人が多く、
近くの工場に通ってました。
「やりくりアパート」といった
コメディがABCで放送されてもいました。
佐々やん、昆ちゃんなど
毎回、アパート住民が
くりひろげる珍事が
笑いのネタになっていました。


昭和の住まいを振り返りませんか?
再来月11月5日の浦江塾での
天神亭神山さんとの
「楽しかりし長屋暮らし」に
ご参集ください。


究会代表 田野 登

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10月1日の浦江塾では
大阪文学振興会総務委員で
『大阪春秋』編集委員でもいらっしゃる
高橋俊郎氏から「福島区の近代文学
        ―田辺聖子・島本久恵など」の
お話をしていただきます。


「島本久恵」とは
恥ずかしながら知りませんでした。
*小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) によりますと、
島本久恵(1893―1985)の
「長流」は
自伝的大長編小説とあります。
  *小学館 日本大百科全書:
  kotobank.jp/word/島本久恵-1081069
 
この小説には
どのような「福島」が表現されているのだろうか?
じっとしておれずに
図書館に行って*『長流』にあたりました。
第一巻「だいがらふみ」から
「福島」の記事を引用します。
 *『長流』:島本久恵、1961年『長流 一』みすず書房


●さて堂島の北は福島、
 福島は、東につづく梅田、曾根崎などと共に、
 蜆川をはさんで堂島の北廓をなし、
 わけて汐津橋浄正橋から堂島三丁目につながる
 上福島は蔵屋敷関係の渡世をする人々が
 最も多く住むところでした。


南から中之島、堂島と並びます。
蔵屋敷が建ち並んでいました。
上福島に
「蔵屋敷関係の渡世をする人々が
 最も多く住む」とは、
小説のこの場面は、
いつの時代でしょう。
「だいがらふみ」を10頁程、読み進みますと
登場人物の会話の中に
「宝暦八年、

 今からざっと八十八年前」とありますので
話題の時は、宝暦八年から88年後の
弘化3(1846)年、幕末の頃です。


幕末の福島を
この小説はどのように表現しているのでしょう。
次の記述によって当時の福島の場所柄が
表現されています。

●この辺は場末のごちゃごちゃした家並みも
 疾うに切れてさびしく、
 玉垣の外の井路には
 河太郎(がたろ)がいて

 子供を奪る(とる)といいい、
 夜さりは狐が鳴き、
 さなくとも岡松寺、光智院、五百羅漢、
 その辺ずっと荒れ寺つづきで、
 北へは

 田圃の間をひとすじの細い大仁道、
 東には

 梅田の火葬場(やきば)のけむりが黒く、
 ましてこの夕暮、我家へ帰る道なればこそ、
 一人でここを通れたものでございます。


前回、「福島」をアーバン・エッジと書きました。
都市の農村部に突き出た刃先です。
「夜さりに狐が鳴く」と表現されているのは、
町の境界域を越えた場所を意味するのでしょう。
「荒れ寺」に加えて
「火葬場(やきば)のけむり」の表徴です。

都市住民にとって欠かせない施設が
「福島」に近接した場所に存在した事実が
読者に知らされます。
切り取り方しだいで
梅田の火葬場を
捨象することもできるはずです。


*ウィキペディアによりますと
「1940年より
自伝的長編『長流』の刊行を始めた」とあります。
   *ウィキペディア:ja.wikipedia.org/wiki/島本久恵
1940(昭和15)年当時、
47歳だった島本久恵にとって
幕末期「福島」の記述は
いったい何を意味するのでしょう。

当日の小説の読み方を話される講座で
ぜひ聞き漏らさずに
臨むことにします。


10月1日の浦江塾のご案内は

    ↓ここをクリック

http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12203096370.html



究会代表 田野 登

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