晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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あまり内向きなことを書きたくないのですが、
『大阪春秋』の「特集:夕陽のまち おおさか」に
小さな記事を書くことになり
仕方なく記録を繰りました。

 

天保山で夕陽を見るようになったのは
いつのことでしょう。
明らかなことは
『大阪春秋』2003年3月、第98号の
拙稿「.冠辞「水都」考 ―大都会のパラダイム変換を読む―」の
≪七 〈水―自然―癒し〉の「水都」≫の挿絵写真に
「天保山の落日」を載せていることです。
本文だけなら
    ↓ここをクリック
http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/tano1-10.htm
HP「なにわ大阪民俗資料館」

 

写真図 1999年12月30日撮影の

     サンセット広場からの夕陽


これは1999年12月30日撮影の写真であって、
それ以前に

歳末に天保山の落日を撮った写真が

見当たりませんので、
1999(平成11)年が
歳末に天保山まで夕陽を見に出かけた最初と推定します。 

 

この時はまだ会を組織して取り組んでませんでした。

市岡高校に勤務していた時の同僚のK教諭と
二人で歩いてました。
写真をたどる限り、天保山への行程は、
JR弁天町、安治川大橋、弁天埠頭跡、弁天東の威張り地蔵、
八幡屋漁港、海岸通り倉庫街をめぐっていたようです。
いわば天保山を結願の聖地として
夕陽を拝す行脚のようなものでした。

その後も彼と二人で行脚のようなことを行っていました。

 

ボクは安治川沿いに行き、
彼とはクラブ付き添いの会場である

八幡屋公園の大阪市中央体育館で
落ち合って一緒したこともありました。

 

2002(平成14)年、彼を誘ったところ、
体調が悪いといって断ってきました。
彼が他界したのは翌年2003年6月です。
 
相方の友をなくした私でしたが、
毎年、行脚のようなことを続け、
「大阪のマチを歩く会」を企画し、
市岡の卒業生たちにも呼びかけ
夕陽を見る会を恒例行事に定着させました。

 

歳末、天保山に夕陽を見にゆくようになったのは
今から15年以上前のことです。
今、思えば、一世代を30年とすれば、
早くも半世代を越えていることになります。

 

わずか3回でお仕舞いになりましたが、
お互い意地を張り合った
頑固なK君がいてくれて
今に続いていることに気づきました。
K君の冥福を祈ります。

 

究会代表 田野 登

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1月15日(日)、大阪市福島区鷺洲の実家で
朝を迎えました。
門口、神棚、三宝荒神、仏壇、
水道、便所など水廻りに
正月の間、吊り下げてあった注連縄を外しました。
取り外した注連縄を
氏神である浦江八坂神社(素戔嗚尊神社:北区大淀南)での
トンドで焚き上げに参りました。

 

大阪市内・近辺のどこでも
トンドの日は、曜日に関係なく
今日でも1月15日に変わりがありません。
9時からトンドが始められました。
神職が祝詞を奏上し
火が点けられました。
写真図1 浦江八坂神社のトンド

氏子による玉串の奉奠があって、
持ち寄られた注連縄が火にくべられました。
くべられる注連縄は、橙やプラスティックは
世話方によって取り除かれています。
貼り紙によればトンドは午前中、行われるようです。

 

ガードを潜り鷺洲に戻りました。
大きな太鼓の音が響いています。
天理教教会からの太鼓の音にしては
外にまで響きわたりすぎです。
何のこともありません。

浦江の聖天さん(福島聖天・了徳院:福島区鷺洲)での
とんど焚です。
写真図2 聖天さんでのとんど焚き


境内は参拝客でぎっしりです。
住職がゆったりとした調子で般若心経をあげ
若住職が太鼓を打ってます。
ボクは賽銭を上げて商店街に向けて出ました。

何やらポスターが貼られています。
写真図3 聖天川柳のポスター

「第一回 聖天川柳」とあります。
聖天通商店街の新企画なのでしょう。
「ふくしまの 商店街には 福がある」
ああ、めでたいなぁ。めでたいなぁ。
福島区長賞です。
これまた「福島区」とはめでたいことで
昭和18(1943)年以来、「浦江」は見えなくなってます。

 

商店街を西に
鷺洲中公園での中一町会のお餅つきに
顔を出すことにしました。
写真図4 中一町会のお餅つき

杵で搗いているのは同級生のゼンチャンです。
ヤッチャンはエプロンかけて餅を丸めてます。
餅つきは
今や町会の行事です。
実家に不在のボクは
毎年、モトコチャンに預かってもらってます。

 

この町会では、
毎年、年末でなくて
寒に搗いてます。
子どもの頃、男手の多いお隣さんは
家で搗いてはりました。
ボクとこは賃搗き屋に搗いてもらってました。
せやのでボクは餅を搗いたことがありません。

 

家の注連縄のことが気にかかり、
早々、何のお役にも立たないボクは
いとまごいをして
東大阪の家に帰ることにしました。

 

究会代表   田野 登

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普段なら天満から福島や野田までは
歩くところですが、
1月10日はJR東西線で「海老江」まで出ました。

 

野田恵比須神社(福島区玉川4)で
アッと目を惹きますのは
賽銭樽です。
思わず反応してチャリンと擲ちます。
写真図1 野田恵比須神社の賽銭樽

 

それに、この神社のエベッサンの鯛は
木彫りの鯛鉾です。
写真図2 野田恵比須神社の鯛鉾

「平成23年修復」と掲示されてあります。
この鯛鉾は夏祭りには
かつての漁村であった野田新家まで繰り出されます。

 

夕方になってきたのか、
参拝客に勤め人の姿が目立ちます。

写真図3 野田恵比須神社の参拝風景

 

地元に中央卸売市場を控え
やっぱり野田はエベッサンの街です。

慥かに子どもの頃、
エベッサンと云えば野田でした。

「オタヤンこけても鼻打たん」の
福飴の店を
ここでも鳥居の外に出てました。
写真図4 福飴の店

地下鉄千日前線「玉川」に連なる参道は
露天が並び
地元の子どもたちで賑わってました。

 

今回、大阪の十日戎を
駆け足で四社めぐりました。
商売繁昌の信仰の深層に見え隠れする
市の神、さらに漁業の神の片鱗を
ようやく野田に来て
見つけることができました。

 

究会代表   田野 登

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天満で道草と云えば
お叱りを受けるかも知れませんが、
これまた「大阪のお正月」を話すのに
天満の天神さんの初詣を外したもので
十日でも間に合わないかと思い
ふらふらと天神橋筋商店街を歩いていました。

 

天一にさしかかったところで
なんと「天満天神えびす祭」の
高張り提灯を見つけました。
写真図1 「天満天神えびす祭」の高張り提灯

商店街を左(東)に折れ、
正門の手前に「蛭子門」がありました。
きっとエビス社に通じる門なのでしょう。

写真図2 天満天神蛭子門

傍らに、まだ真新しい、
これまたエベッサンの石像が鎮座まします。
その名は「御神酒笑姿」とあります。
「おみきえびす」とルビが振られています。
写真図3 御神酒笑姿

こちらさまは
くだんの鯛に酒樽を据え
右手に盃を持っておられます。
どうりでご機嫌さんです。
まさにえびす顔です。

 

境内は、堀川戎同様、あの今宮で聞いた
ここでもお神楽が舞われても
レゲエ風の囃し立てはありません。
写真図4  えびす社

福餅を撒くとかやで
櫓では噺家が「えびす祭」復興十周年の由を
説いてました。
どうやら上方落語協会の意向もあって復興したようです。

 

北門を出てすぐ左手(東)に

天満天神繁昌亭があります。
写真図5 天満天神繁昌亭

2006年9月15日に
上方落語の定席が復活した旨、
石碑に刻まれています。
「えびす祭」復興は
天満天神繁昌亭が、この地に建立されたことと
連動する動きであったのでしょう。

 

究会代表   田野 登

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堀川戎には
地下鉄堺筋線「南森町」から
北西に歩きました。

今宮と比べて賑わいは
いかがなものでしょう。
この辺りはビジネス街です。

駅を出ますとポスターを見つけました。
写真図1 堀川戎のポスター

ここでも「福笹授与」とあり
7日、8日「福神巡行」とあります。
今宮とどちらが前など
訊ねることはしませんでした。

 

写真図2 福興戎

まるで「撫でエビス」です。
お参りの皆さんは撫でまくってます。
撫でれば幸が授かるのでしょう。
通天閣のビリケンさんも
聖天さんのビンズルさんも
四天王寺の撫で布袋も
みんな一緒の願かけ作法です。

 

*堀川戎HPには次のようにあります。
 *堀川戎HP:http://www.horikawa-ebisu.or.jp/yuisyo.htm
◇福興戎像(ふくこう・ふくおこしえびす)
 平成7年1年17日の「阪神淡路大震災」で破断した
 表門石造鳥居(昭和2年奉納)の柱に彫刻されております。
 平成10年の十日戎に奉納され、
 平成12年、「幸いを与える」の「福」と、
 「生ずる・起きる・盛んになる」の「興」を付けた
 「福興戎像(ふくこう・ふくおこしえびす)」の
 応募名称を採用し命名されました。

 

震災復興のシンボルとして刻まれたエベッサンだったのです。
天変地異があって
神への祈りが盛んになるものです。

 

鳥居の外に「福飴」の店が立ってました。

写真図3 堀川戎の「福飴」の店


実は、堀川戎の「福飴」の店を求めて歩いていたのです。
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院に
福島区の露天商に聞いた口上を記しています。
◇露天商は、1月10日の十日戎の時、
 堀川戎(堀川神社:北区西天満)において
 タカマチ・高市を打ち、福飴などを売る。
 その時の口上は、
 「福の本家はこちらです。
 オタヤン(お多福)こけても(転げても)鼻打たん。
 切っても割っても顔が出る。エベッサンの福飴どうですか。
 験(ゲン)のモン、験のモン」と

 

この日は残念ながら口上は聞けませんでしたが、
新いちょう大学校での「大阪のお正月」で
話せるタネを見つけることができました。
次なるエビスは
福島区の野田恵比須と思いきや
天満で寄り道をする羽目になります。
天満天神です。

 

究会代表 田野 登

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