晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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2016年6月18日(土)

「なにわの海の時空館」近辺を
歩いていた時、

「立入禁止」の囲いの場所に
かつて立っていたものは、
大阪港開港140年記念モニュメント
「みおつくし」でした。

写真図 2008年春撮影の「みおつくし」




先達て大阪市港湾局に
問い合わせていた件につき
本日、訊ねましたところ、
港湾局開発調整課から
電話で次のような回答がありました。


●平成19(2007)年10月に、
 大阪市港湾局が
 大阪港開港140年記念に
 「みおつくし」モニュメントを作成した。
 その後、平成27(2015)年2月の強風によって倒れ、
 根元が腐ったので撤去し、立入禁止とした。


平成19(2007)年7月が

大阪港開港140年とのことです。
やっぱり記念にモノが作られ
そのモノの由来が語られたのでした。


《市章「みおつくし」の謎 》に
「みおつくし」説明板の記事を
次のように記しました。
●みおつくし(澪標)は、
 古代難波津の時代から
 大阪の港に立てられていた航路標識です。
 大阪の繁栄は、
 昔から水運と出船入船に負うところが多く、
 人々に親しまれ、

 港にもゆかりの深い「みおつくし」が、
 明治27年(1894)4月大阪市の市章となりました。


「みおつくし(澪標)は」から始まる文は
記念のモノの提示です。
「大阪の繁栄は」から始まる文は
そのモノのの由来です。
この航路標識のモニュメントによって
「大阪の繁栄」が語られているのです。


電話回答によれば
そのモニュメントが撤去されたのは、
「強風」といった自然災害だったのです。
海浜といった場所柄、
木製のモニュメントは風雨に耐えられなかった。
わずか7年余りの記念のモノでした。


何やかやと風当たりの強い埋立島での
ささいな出来事であったようです。

ボクの市章「みおつくし」をめぐる謎の顛末は
どこの海浜にも起こり得る
あっけない結末を迎えました。


究会代表 田野 登

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2013年3月に閉館された
「なにわの海の時空館」の展示品といえば
あの実物大の菱垣廻船ですが、
それは後に回して
今回は 櫓(ろ)・櫂(かい)を取り上げます。


写真図 「なにわの海の時空館」展示の櫓・櫂

奥のが櫓で、手前が櫂です。
櫓というのは、舳先にあって取っ手で
水をこねながら前に進める道具です。
櫂というのは、水を掻く、
水を掻きながら前に進める道具です。


有名な滝廉太郎の「春のうららの・・・」という
作詞者 武島羽衣による*唱歌「花」があります。
 *唱歌「花」:
http://j-lyric.net/artist/a00126c/l013293.html
● 春のうららの 隅田川
 のぼりくだりの 船人が
 櫂のしずくも 花と散る
 ながめを何に たとうべき


これは櫂の滴の一瞬を
墨田の流れの
麗らかな情景に捉えたものです。


ボクの生業の調査では
大阪市港区南市岡の

櫓櫂製造職人を記録しています。
以下、拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院の
《第三章 川筋の生業世界》の一部を抜きます。
●尻無川左岸の櫓櫂製造(港区南市岡)は、
 おもな製品に、櫓・櫂(練り櫂、挿し櫂)・オールがある。
 櫓・櫂は宮崎県産の樫の原木を原料とし、
 オールはボルネオ産のアピトンの原木を原料とする。
 いずれも住之江区平林の製材所から仕入れる。
 製品の買い手は、船具店である。
 天満天神(北区天神橋)の祭礼に漕ぎ出す
 ドンドコ船の櫂の注文が来ている。
 櫓・櫂は毎月二、三丁程度生産する。
 現在では殆どがオールの生産である。以
 前は毎日五、六丁生産していたが、
 現在では三丁程度である。


この職人さんも
2002年の年の暮れ、
10年ぶりにこの川筋のマチを歩いた時には、
「櫓櫂オール」の看板がなくなっていました。

《「海の時空館」は何時代の廃墟?》に
水運に栄えた、なにわの矜恃を挙げましたが、
「海の時空館」開館の時代、
川筋の職人は、高齢化・後継者難により、
近代化の中で消えつつありました。
そういった状況下、『水都大阪の民俗誌』には
いささかの技術伝承を書きとどめました。
またいずれ、本ブログでもとりあげます。


究会代表 田野 登

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2013年3月に閉館された
「なにわの海の時空館」の
往時の写真を整理していました。

半球体ドームからの眺めです。
写真図  半球体ドームからの眺め




グーグルマップで確認しました。
時空館の真西には明石海峡大橋が位置します。
右(北)に見えるのは、和田岬から須磨、垂水で
左(南)に見えるのは、淡路島山です。
陸地が切れている所が明石海峡です。


源氏物語の澪標(みおつくし)の巻で
明石の上と光源氏のニアミスのあったのは、
どこでしょう?
あまりの光源氏の権勢に
沖合の船で
住吉詣でを控えてしまった明石の上と
住吉の浜に牛車を駐車する光源氏との想定です。


それにしましても
「なにわ」の海に出ますと
すぐのところに明石が臨めます。
船では、まさに一衣帯水の間にあります。
船を操る生業の人たちにとりましては
須磨も明石も淡路も
すぐそこの世界だったのでしょう。


「なにわの海の時空館」のドームが残っているのに
この佳景が
臨めないのは切ないですネ。


究会代表 田野 登

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浦江塾で此花区伝法の造船所の今昔が聴けます。
昨日、住職から今度の浦江塾のハガキが届きました。
写真図  浦江塾ご案内ののハガキ




文面は、以下のとおりです。


郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
かつて正蓮寺川には明石島があって紡績業が盛んで
した。また造船所があったりして一帯は活気のある
街だったようです。その後阪神高速が出来て様変わりし、
いずれ正蓮寺川公園となるようです。これだけ歴史に
振り回された地域は珍しいのではないでしょうか。
    
 日時 7月2日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「此花区と明石島の造船所の今昔」
       このはな地域史研究会
   村尾清一郎先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
村尾清一郎さんには、先週の阪俗研の研究発表では、
「正蓮寺川の明石島と産業の変遷」を
発表していただきました。
ボクが予想していたとおり、
「15分では短すぎ、もう少し聴きたい」との
反響がありました。


今回は90分かけて
たっぷり村尾清一郎さんの世界を話していただきます。
ハガキの冒頭には次のように誌されています。
●かつて正蓮寺川には
 明石島があって
 紡績業が盛んでした。
 また造船所があったりして
 一帯は活気のある街だったようです。


正蓮寺川の中州に紡績会社の寄宿舎があったのは、
『女工哀史』にも載るところの
近代大阪の一つの側面です。


今回、村尾氏が徹底的に調べ上げましたのは、
ボクが元砂利船船長への聞き書きの折、
入手した明石島周辺のメンタルマップです。
そのメンタルマップには
紡績会社一帯には、
造船所を中心に製材所や鉄工所もある
活気のある街でした。


村尾氏は、今日、伝法港に場所を変え
造船業を営むU造船に赴き
現在に至るまでの幾多の災害や

それに伴う土地の変遷に
生き延びた経営の苦労を聞き書きしました。


U造船の現在の社長さんの
ナマのお話が聴けるのも楽しみですが、
何よりも今回の一連の調査で評価されるのは、
とりわけ市街地図によって
メンタルマップを丹念に検証している点だと思います。


案内ハガキは次のように結んでいます。
●これだけ歴史に振り回された
 地域は珍しいのではないでしょうか


はたして珍しいでしょうか?
誰も明らかにしていないだけで、
大阪が近代化、都市化してゆく中で
見られた光景ではないでしょうか?
あるいは戦前・戦中に生きた人たちの
記憶の片隅で
忘れかけていた光景が語られるやも知れません。


村尾氏には
当日、視覚資料を駆使して
ご自身が知り得た情報を
参加者みんなに分け与えていただけることを
期待しております。


浦江塾は、いつもどおりで
参加手続き不要、参加費無料です。
配付資料は30名程度しか用意しません。
お早めに会場にお越しください。


究会代表 田野 登

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2013年3月に閉館された
「なにわの海の時空館」の現況を
確かめに2016年6月18日(土)歩きました。


廃墟となった「なにわの海の時空館」、
古代船の展示を確認したところで、
往路、見つけることができなかった
大阪市の市章「みおつくし」の場所を突き止めたくなり、
復路は浜道でなく丘道を探索することにしました。

往きの道では
虫採りにやってきた小学生たちに

一枚の写真を見せて訊ねました。
写真図1 小学生たちに見せた「みおつくし」の写真



2008年春の写真です。
子どもたちは
こんなのを見たこともないと言います。
往路、しばらく一緒に探しても見つからず、
松の木が傍らに生えていることだけ
子どもの一人から指摘されました。
なるほど浜道の上、丘道の下には松が植わってます。


復路の丘道から探すことにしました。
ふと「なにわの海の時空館」を振り返りました。
写真図2 丘道で振り返り見た「なにわの海の時空館」



あまり整備もされていないのか、
草が生い茂ってます。


浜道との分かれ道まで行き着いたところ、
散歩中の老夫婦と出会いました。
80才に手が届くと仰る方ならご存じであろう。
このあたりに確かにありましたなぁということで
御主人と二人で背景の夢洲の燈台の位置を手がかりに
写真の場所を特定しにかかりました。  


どうやら「立入禁止」の囲いの場所が
市章「みおつくし」の立っていた場所のようです。
今は囲いには「みおつくし」の棒杭がありません。
丘道をみやりますと
「みおつくし」の説明板が見つかりました。
写真図3 「みおつくし」の説明板のある丘道




「みおつくし」説明板には
次のように記されています。
●みおつくし(澪標)は、
 古代難波津の時代から
 大阪の港に立てられていた航路標識です。
 大阪の繁栄は、昔から水運と出船入船に負うところが多く、
 人々に親しまれ、港にもゆかりの深い「みおつくし」が、
 明治27年(1894)4月大阪市の市章となりました。
 設置者 大阪市/大阪市市章「みおつくし」


推定「みおつくし」設置場所をカメラに収めました。
写真図4 推定「みおつくし」設置場所



確かに往路、小学生が指摘してくれた
松の木が植わっています。


この件につき、
ボクの推定が正しければ
そもそも、どうして大阪市市章「みおつくし」が
こんな場所に立てられたのでしょう?
顕彰の意味があるのなら
何の記念なのでしょう?
あるいは「なにわの海の時空館」という
市制100周年記念事業との関係や如何?


そういった顕彰物が
現在、引き抜かれているのには
何らかの事情があったのでしょうか?
まさか海事博物館をめぐる
一連の存廃の騒動が控えている?
というようなことはあるまい。
依然、浜に立てられていた
復元「みおつくし」は謎だらけです。


近々、所管の部署からの
回答が得られそうです。
今回は、ここまでにしておきます。


究会代表 田野 登

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