晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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取り上げております*柳田国男「流され王」からは
折口信夫の「貴種流離譚」を想像してください。
  *柳田国男「流され王」:『定本柳田国男集』第五巻、1962年、筑摩書房
初出:大正9(1920)年7月『史林』5巻3号

 

いずれも
気宇壮大にして示唆に富む論考です。

今回のタイトル「神功皇后の碇泊伝説」は
以下の記事から想を得たものです。

 

◇海近い村では神社を岬の山に斎き、
   しからざればいはゆる御旅所を渚に構へた例が最も多い。

 

ボクは日和山に鎮座する神、
浜に設えられたエビスの御旅所・・・などなど
想像しています。
引用を続けます。

 

◇祭の日に浜下りなどゝ称する儀式を行ふ風習は、
  随分奥の方の里まで行はれてゐる。

  

浜下り、神輿洗いは、
すっかり海から遠のいた本社から練り出します。
引用を続けます。

 

◇西部日本には殊にその海岸の一地点を宮の浦と呼び、
  神の最初の影向にも
  これから上陸されたやうに謂ふのが普通である。

 

「神の最初の影向」は
「これから上陸された」ように
語られます。
影向の一つの表現が海からの上陸であって、
天空からの降臨も同じです。

神霊が出現する場所はサキです。
岬の山であったり、渚といった異界に突き出た先端です。

引用を続けます。

 

◇しかも能ふべくは神を歴史上の人と考へたいのが、
  近世一般の傾向であつたから、
  そこで菅公左遷の航路が大迂回であつたり、
  または神功皇后が到るところに碇泊ばかりして
  お出でなされたことになる。

 

柳田に因れば、
福島天満宮の菅公潮待ち伝説も
今回、取り上げている
佃の田蓑神社の神功皇后の碇泊伝説
「近世一般の傾向」だったのですネ。

 

神々が巡遊なさる伝説は、はたして
「近世」の時代相を反映したものなのでしょうか?

柳田は、必ずしも
「近世一般」に拘っているわけではなさそうです。
引用を続けます。

 

◇島国であって天の神を祭つて居れば、
  これは殆と当然の帰結であつて、
  岸から沖を見れば海の末は即ち空だから、
  乃ち鳥船磐船の神話も起り得るのである。

 

この箇所では
論は気宇壮大となり
時間を溯って、
鳥船磐船の登場する
神話的世界にまで飛躍します。

 

この「当然の帰結」として述べる飛躍は
民俗学の魅力でありながら、
実証を要するところでもあります。
天空の彼方、
時空間を超えた思考の世界に入ります。

 

今回は、
調査の対象としている佃の田蓑神社の
神功皇后碇泊伝説を端緒にして
柳田民俗学の世界の一隅を
見てみようと試みました。

 

究会代表 田野 登

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柳田国男を読んでいて、
自分が調べている場所が
違ったモノに見えてくることがあります。

 

調べている時には、
直近のことしか、頭にないボクです。
柳田の文章からは、たとえ茫洋としたものであれ、
大きな示唆が得られることがあります。

 

このところ、難波八十嶋、取り分け
古代伝承の「田蓑島」に執心しているボクですが、
柳田国男「流され王」からも
そういった体験をしています。

 

今回も西淀川区佃の

「田蓑神社」の由緒をとりあげます。

住吉大社の神職で、
雑誌『すみのえ』を編集されていて
晩年、直接、お話を聴きに伺ったことのある川嵜一郎氏に
*「住吉大社と八十島祭」があります。
   *「住吉大社と八十島祭」:川嵜一郎、1998年3月
                  「住吉大社と八十島祭」『大阪春秋』90号

 

この論考には「田蓑神社」がありました。
以下、引用します。
記事中、表現に違和感を感じる箇所がありますが、
《ママ》を付して、原文のとおり載せます。

 

◇西淀川区佃に田蓑神社がある。
  田蓑神社の縁起には次のようにある。
  「創建年代不詳であるが、
  神功皇后が三韓征討《ママ》後、
  船を難波へ着けられたとき、
  海魚を献じたと伝える小社である。
  当地はもと田蓑島と称したが
  社傍に田蓑という池があったという。
  いまもあがめられる御船の鬼板は、
  神功皇后より賜ったといわれる。(以下略)」
             (『全国神社名鑑・下巻』)

『全国神社名鑑・下巻』による
例の神功皇后伝説の箇所です。
今回、「神功皇后碇泊伝説」と称することにします。
今、読み返し実地調査時に手にした
「田蓑神社略由緒」(宗教法人田蓑神社、平成26年9月)と
論考に引用された『全国神社名鑑・下巻』記事とは
多少の異同がありますが、それには拘わらずに
川嵜論考を載せます。

 

◇これによれば、
 神功皇后三韓征討征伐《ママ》以前からの古社で、
 遠征から帰られた神功皇后に

 海魚を献納したというのである。
 現在、田蓑神社は住吉大社と同じく
 住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と
 神功皇后をお祀りしているが、
 住吉大社以前から
 住吉大神を難波津においてお祀りしているのも
 不自然である。

 

この「住吉大社と八十島祭」論考では
現在の西淀川区佃の地において
「住吉大社以前」に
住吉大神を祭祀することの不自然さを指摘しているのです。

 

この不自然さを解説するのが
民俗学の使命なんやとボクは思います。
次回、柳田国男「流され王」の
記事を引用して試みます。

 

究会代表  田野 登

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伝承古代の「田蓑島」や「王仁博士」を追っていて
不図、我に返る時があります。
過去を探究しているのは、ええけれど
根拠として夢中になって収集していた記事なんぞ、
ただの紙屑やないかとの思いに
駆られることがあるのです。

 

そんな時、柳田国男の論考を読み、
伝承の儚さを知ると同時に
史実とされる事柄に向かう
自分のスタンスを再確認することになります。

*柳田国男「流され王」『定本柳田国男集』第五巻、1962年、筑摩書房
(初出:大正9(1920)年7月『史林』5巻3号)の冒頭は、
以下のとおりです。
  *柳田国男「流され王」:
『定本柳田国男集』第五巻、1962年、筑摩書房
(初出:大正9(1920)年7月『史林』5巻3号)

 

◇武州高麗本郷の白鬚社に、
  修験道を以て仕へて来た旧家の当主、
  自分も大いに白い髭あり、
  近来その苗字を高麗氏と名のり、
  さうして古い系図が伝はつてゐて、
  見に行くほどの人はみな感心をする。
  これだけは正しく事実である。

 

高麗氏を名のる旧家の当主の
「正しく事実」を挙げています。
旧家の当主にお目にかかり、
古い系図にまつわる問題を解こうとする場合、
いくら、人々が感心する事実があろうと
それはそれです。
迎合して惑わされることはありません。

 

「流され王」の続きを載せます。
◇次に今より約1200年前に、
  東日本に散在する高麗の帰化人1800人ばかりを、
  武蔵国へ遷したこと、
  及び高麗人中の名族にして、
  或ひは武蔵守になつたこともある高麗氏が、
  本貫をこの郡に有してゐたことは
  正史に出てゐる。

 

旧家の当主の風貌もさることながら、
「約1200年前に、・・・1800人ばかりを、
武蔵国へ遷したこと」など
話が数字で示されるように具体的です。
まさか口承ではあるまい。
さらに「武蔵守」といった官に就く著名な人物が
「本貫をこの郡に有してゐたこと」など
「正史」に出ているというのは、
きっと記録にも残されているのでしょう。
文字で記述されておれば、誰しも疑ることなく信じます。
往々にして、都合良く記録されるものですが・・・・。

 

この間に問題はあります。
旧家の当主と「正史」との隔たりです。

「流され王」の続きを載せます。
◇歴史が如何に想像の自由を基礎とする学問であるにしても、
  かほど顕著なる2箇の証跡は、
  ともにこれを無視して進むことを許されぬであらう。
  しかし右の二史実と今とのあひだには茫漠たる一千年が横はつてゐる。

「茫漠たる一千年」を隔てていて、
旧家の当主と「正史」とを
しかと結びつけることができましょうか?

 

「流され王」の続きを載せます。
◇従つて彼からこれへ糸筋の引くものが、
  あるかと思ふのは
  或ひは野馬陽炎である。
  この関係はもしこれを決定する必要があるとすれば、
  是非とも今後に於いて
  これを証明せねばならぬ。

 

なかなか厳しいですネ。
「野馬陽炎」とは長閑な話ですが、
実体はなくて「かげろう」なんでしょう。
「史実」と「今」との間には
茫漠たる時間の隔たりがあるというのでしょう。

 

だから、ボクは
伝承を史実と混同することなく、
いかなる過程をへて伝承が形成され
継承されているのか、
それを正当に位置づけようとするのです。

 

究会代表 田野 登

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前回、『五畿内志』文苑での表記に「田蓑島」があって
「田蓑の島」ではなく、
「の」抜きの「たみのしま」と訓むべきと指摘しました。


今回、宝暦3(1753)年、森幸安作*「摂津国難波之図」との
照合を試みます。
  *「摂津国難波之図」:秋岡武次郎編著、1971年『日本古地図集成[4]』
                                 鹿島研究所出版会

 

この地図の奥付は、図の左下に漢文で記されてあります。
その末尾に
「宝暦三年癸申三月 森幸安著図」と記されています。
「宝暦三年癸申」は存在しません。
「宝暦三年」なら「癸申」でなく「癸酉」で1753年です。
気になりますが「宝暦三年」作製と判断しておきます。

 

冒頭は次のとおりです。
以下、訓読します。
◇嘗て河州の僧に難波の古図を貯はふる者有り

 

ここに挙げられている「難波の古図」は、
*『大阪古地図集成』目録にある
《第一図 難波往古図 河州雲茎寺什物》かと
推測します。
*『大阪古地図集成』目録:玉置豊次郎、1980年
                                『大阪建設史夜話』附図

 

この奥付は
以下に「難波の古図」における
「高津都跡」「長柄橋」等の比定の難をあげつらいます。
たしかに冒頭の「難波の古図」が
「難波往古図 河州雲茎寺什物」であるならば
然るべきところです。

 

奥付には以下の記述が見られます。
◇・・・故に古記を考ふるに
   此の難波図を作る

 

森幸安によって作製された「摂津国難波之図」が
前轍を踏むことなく
考証を重ねて作製したと読み取られます。

はたして、その地図や如何?
 

以下、「摂津国難波之図」を読図します。
北を上部に
版図は北端は「小曽根」、南端は「百部(?)郷」
西端には「大物」、東端には「放出」「左専堂」などの
表記が読み取られます。

 

懸案の「田蓑島」周辺は、
該図の中央やや北西に描かれています。
南に「福嶌」その北部に「芦間池」、北に「槻本郷」、
西に島が描かれ、島名の表記がなく
「日本武尊厄神ヲ此ノ柏ノ渡リニ殺ス」とあって、
この島の北端の西に「柏ノ渡」の表記が見えます。
南西には「野田」と表記された島が描かれています。
東には東西に大きな島が描かれてますが、
何の表記もありません。

 

「田蓑島」と思しき島の形に

記入されている文字を読みます。
上に右から「田蓑嶌」、
左下、南西に「斉宮ノ跡」「御殿」「神殿」と
中央から左下にかけて殿舎の形が描かれています。
この島の形の中央に右から左に「宅美郷」の表記があります。
これの「宅美」ならぬ「宅実」の漢字の右に「タミ」と小書されています。
これは「宅実」の訓みを示すルビ「タミ」と判読できます。

 

この森幸安作製の「摂津国難波之図」と
並河誠所『五畿内志』とは、たしかに
「宅美」「
宅実」を「タミ」と訓む共通する表記が見られます。
文献作成と地図作製に
共通する意図が働いたのではないかと考えるのです。
その意図とは何か?

 

その前に森幸安と並河誠所の繋がりを
明らかにする必要があります。

 

究会代表  田野 登

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先週末の2016年11月26日(土)
「大阪あそ歩」の浦江・大仁コースで
ちょっとしたハプニングがありました。
何と卒業生のお二人が参加されていたのです。


そのうちのお一方、岡田直子さんからのメールを
許可を得て載せます。

 

◇こんばんは。
 今日はとっても楽しい街歩きのガイド、ありがとうございました。
 盾津高校を卒業してから約12年も経っているけど、
 全然月日を感じさせない田野ちゃんのパワー、
 変わらぬ笑顔にホッとし、今日は智絵といっぱい笑いました。笑
 ここ数年、派遣で大正区や野田で事務の仕事をしてきましたが、
 通勤でしか来てなかったので、
 今日は少しDEEPな福島を見れました(笑)

 

メールを送ってくださった岡田さんありがとう。
君と智恵ちゃんの笑顔に
いつもの凝り性のボクが、
相変わらずウン十枚の写真を駆使して
しんどい長丁場をガイドしました。

 

その上、何の弾みか
解散後、スカイビルの庭園で記念写真まで撮りました。
帰られたお方には申し訳ございません。
写真図1 スカイビルの庭園で記念写真

写真は、いつも撮られるのは照れくさいですね。
そう言いながらも
小さなクリスマスツリーの所で
もうワンショット。


写真図2 クリスマスツリーの所でもうワンショット

髪が伸び放題で恥ずかしい。
今度、彼女たち級友の結婚式のビデオメッセージ撮影のために
今日、理容店に行ってきました。

 

一緒に参加して下さった方々には、
お一人ずつ許可を得て
写真をアップしました。

 

究会代表 田野 登

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