晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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大阪あそ歩の「浦江・大仁」コースは
2017年春は
「雨合羽着て田蓑島」と洒落て
6月4日に設定しました。
「あま衣」を雨具の「蓑」に掛けました。

今回は、前日の6月3日(土)に
恒例の浦江塾で
ボクが「歌枕・田蓑島と浦江」を話すことになりました。

 

写真図1 チラシ

浦江塾会場の妙壽寺は
大阪あそ歩の「浦江・大仁」コースの
スポットの一つで、
大塩事件を制圧した西町奉行「堀利堅」奉納の
常夜燈が立つ寺です。
浪華の街の乾の方で
武神・毘沙門天を祀る寺でもあります。

 

浦江と言えば、
浪花百景でお馴染みの了徳院・聖天さんです。
写真図2 講演のエピローグ

 

「歌枕・田蓑島」の比定地の一つが
この浦江です。
今回の発表に際して
大阪あそ歩のガイドの写真を繰っていて
見つけたのが、
了徳院の杜若塚の記事です。

 

芭蕉の百二十回忌の後、
蕉風門人である月夜庵三津人が
供養のため建立した句碑が
義仲寺編『諸国翁墳記』に載る
「杜若塚」です。

月夜庵三津人の句集『和麗東倭礼』(われとわれ)には
「田ミのゝ島」より百歩ほど北にある
浦江村の了徳院境内とあります。

 

もちろん田蓑の嶋は、
西淀川区佃に、
慶長年間の文書が残されています。
いったい「田蓑の島」は、どこ?

当日は、田蓑神社の宮司さんから
田蓑神社について

教わった情報などを交えながら
たっぷり100コマのPowerPoint版で
お話しします。

 

文字情報は、配付資料にちゃんと落としています。
興味のある方はお越し下さい。
浦江塾の案内は
  ↓ここをクリック
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12277823228.html
「浦江塾で「歌枕・田蓑島と浦江」を話します」にも
載せています。

 

究会代表 田野 登

 

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田蓑神社宮司の平岡 努氏から
拝見した「摂津国名所大絵図」の表紙です。
写真図1 「摂津国名所大絵図」の表紙

奥付は、これです。
写真図2 「摂津国名所大絵図」の奥付

「寛延元年戊辰十一月吉辰」とあります。
「寛延元年戊辰」は1748年です。
上梓したのは、京都の「木村壽陽堂」です。
右の書き入れは、
この地図の由来が記されているようです。
別の機会に読むことにします。

 

「田蓑島」の探索は、
島の形をした「佃」の左下に
「田ミノシマ」を見出しました。
写真図3 地図の「田ミノシマ」

 「カマシマ」も表記されています。
これらは島の名前でしょう。
「蒲島」は開拓者の家号ともされますが、
地名としての表記です。

 

平岡努宮司にご教示いただいた
国立公文書館のHP「デジタルアーカイブ」「摂津国(元禄)」にも
「田蓑嶋」の北部に「佃村」が表記されています。
  ↓ここをクリック
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0301000000/0000000227/00

 

慥かに、近世にあっては、
田蓑島は佃の島に間違いないと考えます。

そのいっぽう、
写真中央に「西成郡」と大書された下に
右から「浦江」が表記されていますが、
「田蓑島」とは記されていません。

 

ところが、
「名所古跡」の箇所の記事はいかがでしょう。
写真図4 「名所古跡」

「西成」24項目の17番目に
「田簔シマ《半角割注:浦江大仁村ノ地》」とあります。
さらに4番目に「○野之宮」
5番目に「○神殿《半角割注:倶浦江村ニアリ》」とあります。
これら「田簔シマ」「野之宮」「神殿」の半角割注は
享保20(1735)年刊『五畿内志』の記述に沿ったものです。

別の見方をしますと
「浦江村」に「古タミノノ嶋」と表記する
寛政9(1797)年「増修大坂指掌図」に50年程、
先んじることになります。

 

寛延元(1748)年版の「摂津国名所大絵図」を
地図と併せて「名所古跡」を読む限り、
古跡名所に挙げられていない佃の田蓑島は、
当代の地名となり、
地図に表記のない浦江の田蓑島は、
古跡名所となっていることになります。 

古跡名所地と
当時の地名との区別が行われている事例として
見ることができます。
ますます、歌枕をめぐる
場所の問題はおもしろくなってきました。

 

究会代表 田野 登

 

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今日、平成29年5月25日(木)
大阪市西淀川区佃の
田蓑神社に参り、
今度の浦江塾でお話しする
PowerPoint版「歌枕・田蓑島と浦江」を
宮司さんと地元・佃の郷土史研究者の方に
見ていただきました。

その後、古文書および古地図を拝見してきました。

 

一週間前の5月18日に参った際、
拝見しましたところの
「摂津の国田蓑嶋庄
佃村住吉大明神」と冒頭に記されている
「摂州西成郡佃大和田住吉兼帯神主
住吉宮/平岡氏/記録」(「佃神主記録」と略表記)を
再見させていただきました。

 

文書の日付を撮影させていただきました。
以下、宮司の平岡 努氏に許可を得て
ブログアップします。
写真図1  「佃神主記録」の「庄佃村」記事の日付

「摂津の国田蓑嶋庄
佃村住吉大明神」を名乗る文書は
江戸近辺での漁を許可された際の御証文の写しで、
「慶長十八年丑八月十日」とあることを確認しました。
「慶長十八年丑」は1613年です。
 この時以前から、この地を「田蓑嶋」と
村人たち共々、称していた可能性があります。

 

何気なく閲覧させていただいた中に
目にとまりましたのは、社殿の配置図です。
写真図2 「佃神主記録」の社殿配置図

今日と変わらないのでは?
拝殿の奥には住吉四社が鎮座まします。
「元禄弐年巳閏正月廿一日」と記されています。
『摂陽群談』の初版刊行が元禄14年ですので、
それよりも10年以上前です。
社殿を鳥瞰する構図の挿絵を載せる
『摂津名所図会』刊行は寛政年間です。
それよりも80年以上、昔です。

 

サラッと拝見させていただいておりますが、
次に
「摂津国名所大絵図」を拝見しました。
懸案の島の名を見出すことになります。
はたして、いかなる表記でしょうか?

 

究会代表 田野 登

 

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浦江塾も今回の2017年6月で第72回目、
8年目に入ります。
1月、8月(初年度の2010年だけ実施)はお休みですが、
毎月第一土曜を恒例としています。

 

今回は、原点に立ち返って、
ボクが浦江を話すことにしました。
昨日、妙壽寺の住職からハガキが届きました。
写真図 浦江塾の案内のハガキ

文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
 田蓑の島の田蓑の名は現在、神社や橋の名に残るだけで
すが、大変古い地名で、西淀川区佃説、浦江説、或いは
鷺洲の中一公園辺りかも。古地図、往古図、近世絵地図と
古文献等を駆使して所在地を推測。が中近世の文人たちの
「歌枕」的扱いが、今、現風景と重ね合わせられるのか。    
 日時 6月3日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「歌枕・田蓑島と浦江」
        大阪民俗学研究会代表
         文学博士 田野 登 先生

 

以下、田野による書き込み。
ハガキに「「歌枕」的扱いが、
 今、現風景と重ね合わせられるのか」とは
なかなか、微妙な表現をされています。

 

今日5月25日も午前中、
西淀川区佃の田蓑神社の宮司さん、
佃史研究者の方にお目にかかり、
神社保存の貴重な古文書や
古地図を拝見してきました。

今回、浦江塾でお話ししますのは、
その上でのことです。

 

今思えば、近世古地図の「古田蓑島」の「古」を
見落としていたり、
「田蓑島」を「たみのじま」と
誤って読んでいたりしたものです。
それの原因は、
地名と歌枕とを混同していたからに他なりません。

近世の浦江村には、歌枕「田蓑の島」に比定される
名所古跡があったようです。

 

その場所は、未だ判りませんが、
近世後期の文人が訪ねたであろう、
杜若塚、芭蕉句碑にまつわる記事を
再読してみました・・・・。

 

歌枕の世界は、歴史・文学・民俗・地理に跨がるもので、
ボクにとりましては、
7年間の浦江研究の成果が問われるところです。

もちろん、いつものように、
古地図、古文献に現代の風景を重ね合わせて、
ビジュアルなものに仕立て上げています。

 

なお、明くる日の6月4日(日)は
大阪あそ歩で、
「雨合羽着て五月雨の「古田蓑島」を行く
 ~歌枕「田蓑の島」は浦江だった?~」と
銘打って、この浦江・大仁コースをガイドします。
わざわざ、梅雨時を見計らっての企画です。
きっと、聖天さん(了徳院)の紫陽花がみごろでしょう。
あそ歩のお申し込みは
        ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/entry1614/form.html

 

浦江塾への参加は
いつもどおり、参加手続き無用、
参加費無料です。
大阪の歴史・文学・民俗・地理に
関心をお持ちの方々の参加をお待ちしております。

 

究会代表 田野 登

 

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「田蓑の森」を校歌の2番に歌う大阪市立佃小学校と
田蓑神社を本日5月18日に訪ねて来ました。

前回同様、JR御幣島駅下車で
神崎大橋を渡ります。
このところ、上流の三国橋から
北摂の山々を眺めることが多いのですが、
神崎大橋から遙か彼方からの
眺めも気に入っています。
写真図1 神崎大橋からの北摂の山々の眺め

北摂となれば徳川家康公が
多田神社に詣でるのを案内したのが
この地・佃の漁師で
これが縁で江戸の佃の地を与えられたと伝わります。

まずは田蓑神社にご挨拶します。

今回は華表の立つ場所に下がって撮りました。

写真図2 田蓑神社

 

約束の11時ぎりぎりに佃小学校に着き
教務主任の先生に対応していただきました。
校歌の一節を小声で歌っていただきました。
なかなか歌詞の意味の指導までは行かないようです。

この学校は、東京の中央区立佃島小学校と
佃漁民つながりで長年、交流を続けています。
先頃2015年3月に『交流五十周年記念誌』が発行されました。
記念誌ブログアップの許可を得て載せます。
写真図3 『交流五十周年記念誌』表紙

この記念誌に校歌が載っています。
写真図4 大阪市立佃小学校校歌

2番の歌詞に「田蓑の森の 神さびし」とあります。
12時頃、教務主任の先生にはお礼を申して
学校を発ち、再び、田蓑神社に参ることにしました。
写真図5 大阪市立佃小学校正門

田蓑神社に参るのには、訳があります。
『大阪市史史料第65輯』2004年大阪市史編纂所編集に
採集された古文書の冒頭の
「田蓑島」の文字を確認させていただくためです。
平岡努宮司さんに閲覧のお願いをし、その上、
ブログアップの許可を得て載せます。
写真図6 古文書表紙

「摂州西成郡佃大和田住吉兼帯神主
住吉宮/平岡氏/記録」とあります。

 

写真図7 古文書の冒頭の箇所

慥かに
「摂津の国田蓑嶋庄
佃村住吉大明神」とあります。
これ以下に鎮座の由来が記されています。
『大阪市史史料第65輯』によりますと
この結語「神主謹言」の日付が
「慶長十八年丑八月十日」になっています。
慶長十八年、1613年には
田蓑神社の鎮座の場所を「田蓑嶋庄」と
称していたことになります。
近世初頭には
当所が歌枕「田蓑島」を名乗っているのです。
貴重な文書を拝見させていただきました。

 

さらに宮司さんから
『摂津名所図会』版本複写を提供されました。
同書「佃住吉神祠」記事中の
「田簔嶋の古跡にして」に始まり
「田簔の嶋のことハ佃村に相違なし」で結ばれる記述に
改めて着目しました。
ボクの視野に偏りがあったことに気づきました。

 

6月3日(土)の浦江塾で発表予定の
「歌枕・田蓑島と浦江」がおもしろくなりそうです。
田蓑島浦江説にも文献史料がありそうです。

 

究会代表 田野 登

 

 

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