晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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お地蔵さんを調べておりますと、子どもの水難事故を聞きます。
渡船場では、子供の事故があって「川守子安地蔵」が祀られたりもしております。
今回は、12月30日に夕日を見る会で立ち寄る地蔵堂をめぐって、
考えたことを記します。

福山通運大阪支店共同住宅(大阪市福島区大開4)の南角スペースに
大開延命地蔵堂があります。
野田阪神から嬉ヶ崎橋に通じる北港通りの交差点の北東角に位置します。

 その扁額「大開延命地蔵尊由来」には、昭和26年5月の13才と9才の兄弟の
水死を記しています。

「それからは魔の水門と呼ばれるようになり幾千人の人々が祈願を込め
延命地蔵尊と名付け、下島水門に建立されたものです。/合掌」

と結ばれております。


 今回、マチ歩きを実施するにあたり、*「ある小さな島(鼠島)の生涯」を再読しました。

*「ある小さな島(鼠島)の生涯」中島陽二『大阪春秋 第88号』1997.9、72~79頁


 この論考から、下島水門に地蔵を建てた人々と、その人たちの暮らしの一端を知りました。

以下、「ある小さな島(鼠島)の生涯」による。

 下島とは「鼠島」(初見は嘉永元(1848)年、HI氏文書)であり、
近世末期から中津運河の埋立工事が完了する昭和47(1972)年まで存在した川中島です。
そこには、戦前、伝染病の消毒隔離所がありました。そのことから、

「ネズミが伝染さすと恐れられたコレラの避病院があったことから、
鼠島の名で呼ばれるようになった」と言い伝えられた島です。

事故の起きた昭和26(1951)年頃、施設は戦災で焼失したまま、用地跡は放置され、
掘っ建て小屋に毛の生えたようなバラック集落が無秩序に建っていました。

大開延命地蔵ついて「大正5年生のAさん」の言葉が記されています。


 ●子どもの水難事故は絶えず、昭和30年頃だったろうか、二人の兄弟が水難にあい、
 鼠島の住人が碑を建てた。島の住人が立ち退きの際、現地(大開3丁目)に移し、
 延命 地蔵として現在も祭られている。

 このお地蔵さんは、戦後の混乱期、、川中島に暮らすことを余儀なくされた人々の
悲しい記憶「魔の水門」を語り伝えるものでした。
地蔵堂は記憶遺産として、地域史を語り継ぐ貴重な施設なのです。

 夕日を見る会(参加費無料)に参加希望の方は至急、ブログのトップページにある
アドレスに氏名と電話番号を明記の上、メールで申し込んでください。


2013年1月19日(土)「第1回 阪俗研セミナー 
大阪のお地蔵さん-地域史研究篇-」は、受付を開始しました。
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11432231553.html


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今回は、1月19日開催のセミナー「大阪の地蔵さん-地域史入門篇-」に向けて、

「地域史研究への視点」を記したいと思います。

そもそも、こんなことをする「ボク」とは、いったい何者なのでしょう。

「ボク」って何?

ボクの「属性」の問題です。

話を簡単にするために、ボクの所属し活動している学会・研究会・団体を、

狭い地域から順に挙げますと、

浦江塾→福島区歴史研究会→大阪都市文化研究会→大阪あそ歩

→『大阪春秋』→近畿民俗学会→日本民俗学会となります。

大阪を中心に活動しているボクにとって、日本民俗学会が「日本」に開かれた窓です。

およそ、こんな「ボク」です。


地域史の「地域」とは?

地域史は、しばしば郷土史、地方史とも称されます。

「郷土」という概念は、「郷土玩具」や「郷土芸能」などに冠されますが、

「郷土愛」と云ったことばにみられますように近代において、

時には偏狭なパトリオティズム(愛国心)を想起させる場合もあります。

ボクが研究対象とする「地域」を指すには少し違和感を感じます。

ボクの「属性」で書きましたように、ボクのフィールドは、大阪市域を中心とした地域です。

歴史的くくりでは、大阪が市街地化する近世以降です。

旧国名で云えば摂津を中心にする地域です。

フィールドは、自分の生まれ育った狭いマチやムラに限らなくても良いと思います。

地域研究は、地縁で結ばれた狭いマチやムラに絞り込まずに、

広く市や都道府県の視野に立って追究してもよいと考えます。


そんなボクの地域史研究の方法は?

地域史研究を可能とする既存の学問領域には、歴史学、民俗学、地理学などが挙げられます。

ボクは「属性」に示しましたように、民俗学から始めました。

したがって、その方法は、フィールドに出て、古老に聞き書きをすることが第一です。

そこで知ったことを文献なり、地図なりで検証します。

そしてまた、フィールドに出ます。このように民俗調査は、地道な方法です。

しかし、手応えは十分あります。

そこで、地蔵信仰を糸口にして、地域史研究に入門しませんかというのが以下の提案です。


第1回 阪俗研セミナー 
大阪のお地蔵さん-地域史研究篇-のお知らせ
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11432231553.html


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今回は、「大阪民俗学研究会」(「阪俗研」)のシラバスを練ってみたいと思います。
「要綱」の趣旨には、次のように記しております。

●研究会は、大阪(大阪市内および周辺地域)を中心に、さまざまな民俗・歴史・文化事象を実地見学、フィールドワークをからめて研究する。一連の活動を通じて、大阪における新しい文化事象、埋もれた民俗事象を発見し、情報発信する。

具体的には、5つのステップを考えております。

第1ステップには、セミナー・講座、

第2ステップには実地見学、

第3ステップには、ワークショップ、

第4ステップには会員によるフィールドワーク、

最終段階は、会員による研究発表です。

ですが、どのステップからでも参加可能ですので、ご検討いただければ幸いです。

これらのステップ1から5は、会員のみなさんへのボクの関わり方の違いにより、分けてみたものです。

以下、ステップのプログラム内容を例示してみましょう。

第1ステップ:セミナー・講座

 この活動においては、ボクが会員のみなさんに向かって、近世から近代にわたる文献資料を配付して
講義するスタイルです。
もちろん、質問などのやりとりで阪俗研的な知識を深め合おうとするものです。
これには次の1~8のプログラム(《 》内はメニュー例)を考えています。

1.大阪の民俗宗教を解説する:
 《「大阪の地蔵信仰」「大阪の波除信仰」「川筋の生業にみえる民俗宗教」など》の講義。

2:大阪の都市空間を解説する:
 《絵地図「改正増補国寶大阪全図」の世界」「大阪ミナト文化」「『女工哀史』の近代大阪」
 「『大阪アースダイバー』の検証」》などの講義。

3:大阪の年中行事を読み解く:
 《「梅田牛の藪入り」「野里住吉一夜官女祭」「正蓮寺川施餓鬼」》などの解説。

4:大阪の伝説を読み解く:
 《餓鬼島伝説、野里住吉人身御供伝説、名松伝説》などの講義。

5:大阪の錦絵を読み解く:
 《初代長谷川貞信『浪花百景』》の絵解き。

6:大阪の地誌を読み解く:
 《『芦分船』『摂陽群談』『摂津名所図会』『神社仏閣願懸重宝記』など『摂津名所図会大成』
 『浪華百事談』『大阪独案内』『大阪繁昌誌』》などの講読。

7:大阪の古典文学を読む:
 《『万葉集』『弱法師』『日本永代蔵』『曾根崎心中』『心中天の網島』》などをテキストにして、
 大阪に関連する記述の講義。

8:大阪の古文書を読む:
 《芝右衛門狸『淡路名高古狸物語』、浪花七墓千日墓所聖・本良著『行基菩薩草創記』、
 『浪花奇談』》など近世版本の講読。


第2ステップ:実地見学


第1ステップでのセミナー・講座に挙げた場所を、配布する古地図・現代の地図に基づき歩きます。

たとえば、「大阪市西区九条の地蔵堂探訪」、「大阪港周辺の生業探訪」「『曾根崎心中』の堂島をめぐる」、
「大坂北郊の名所の探索」、「中之島蔵屋敷ツアー」、
「『神社仏閣願懸重宝記』の世界を歩く」「『大阪アースダイバー』のミナミを歩く」など、
いくらでもコースは設定できます。


第3ステップ:ワークショップ

 これは会員のみなさんにワークショップ(参加体験型学習)をしていただきます。
近現代のことなら、会員ご自身の記憶につながる世界です。写真を見て、ご自身の体験を語るといった
フォトランゲージを実施します。
 たとえば「昭和の暮らしを語る」などのプログラムは、すでに用意できています。
また第1ステップのセミナー・講座に挙げた名作『弱法師』『平家物語』『曾根崎心中』『心中天の網島』
などで盛り上がるようでしたら、群読会を企画したいと思っております。
音声表現による快感を体験していただきたいものです。

第4ステップ:フィールドワーク

第5ステップ:研究発表

これら「フィールドワーク」「研究発表」につきましては、今後、発表して参りたいと思います。


まずは、12月30日の「天保山で夕日を見る会」(無料)にご参加ください。

締め切りは12月22日です。本ブログトップ頁の「阪俗研」までお早めに連絡ください。

また参加できないけど興味のある方は、是非、阪俗研無料メール会員への登録もよろしく。


次回は、1月19日開催のセミナー「大阪の地蔵さん-地域史入門篇-」の記事を載せる予定です。

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今回、*『大阪アースダイバー』を取り上げるのは、阪俗研会員の方からの情報で、
拙著『水都大阪の民俗誌』が資料として挙げられているのを知ったからです。

*『大阪アースダイバー』:中沢新一2012年『大阪アースダイバー』講談社

なるほど本屋で買った『大阪アースダイバー』の「帯」には、拙著に記した「海民」やらも
書かれています。
何より、この本の焦点は《第三部 ミナミ浮上》にあると見ます。


《第三部 ミナミ浮上、131頁》では墓守からお笑い芸人への流れが論じられます。
●ところが、墓守から生まれた聖や非人たちは、人々が自分たちの世界の「外部」に遠ざ
けたものの身近で、仕事をする職人だった。千日前のように、墓地は町はずれのブッシュに
設けられることが多かった。
(中略)上町台地の生玉(生國魂)神社の境内で、最初の 落語と言われる「彦八ばなし」が、
演じられた。この神社は裏が嶮しい崖になっていて、 そこには大きな墓地が広がっている。

そして、漫才はと言えば、ネクロポリスの上に開 かれた千日前を、揺籃の地とする。
墓地から演芸の繁華街へ、聖からお笑いの芸人へ、そ こには一貫した思想が流れている。
芸能の王とは、なにあろう死なのである。

千日前を南東に位置する下寺町の墓地と一連の場所として括り、墓守に「お笑いの芸人」を
重ね合わせる記述されています。「大阪通」を自負する方の度肝を抜きます。

大胆な発想は、「聖からお笑いの芸人へ」と述べられている「聖」、すなわち「墓守」の存在を
縄文後期の環状列石が設けられた時代まで遡るとする見解にも見られます。
《第三部 ミナミ浮上、127頁》
この「墓守縄文後期起説」なんぞ、今夏、大坂近郷の墓地に行基菩薩を「開祖」に仕立て
仰ぎ慕った「三昧聖」自らの近世前期の墓碑をようやく突き止め小躍りしたボクには、
想像も付かない「気宇壮大」なものです。

お笑いの芸人を論じるには、「万歳から漫才へ《第三部 ミナミ浮上、139~141頁》」の記述において、
触れられなかった一連の放浪芸人へのまなざしの歴史が控えていることも、
くれぐれもお忘れなく願いたいものです。
焦点と見た《第三部 ミナミ浮上》をそれまでにして、全編に目を転じてみましょう。

そこで不思議なのは、タイトルを『大阪アースダイバー』と称し、
「環状列石」や「横穴式古墳」《第四部 アースダイバー問題集、195頁》を挙げながら、
《主な文献資料 312~315頁》に埋蔵物発掘調査報告書が挙げられていないことです。
その代わりなんでしょう。「アースダイバー的思考」が随所に駆使されています。

「アースダイバー的思考」は著者伝家の宝刀なのです。

それがプロットの羅列をつなぎ合わせ、うまい具合に狂言回しの役割をみごとに果たしています。

さあ、いよいよ『大阪アースダイバー』をいかに読むべきかという本題にお答えしましょう。
この本は、「現代大阪」のルーツを探る創作なんだ!
そういえば、本の帯に「一大叙事詩」とありました。
「現代作家の語り」と思えばよいのです。
性愛と死が織りなす「中沢神学」を教義とする『アースダイバー』(講談社、2005年)の
大阪版だと思って読めば結構、楽しめる本です。
さまざまな問題が噴出する都市大阪は、沖積層から成る沃野であります。
『大阪アースダイバー』は、このフィールドに人類学者・中沢新一による
斬新な解釈を突きつけた話題作であります。

ところでボクは、年末に安治川開削以前の河港を訪ね歩きます。
古地図片手に道の曲がり具合、勾配などを確かめながら、
かつて廻船問屋のあった場所を体感したいものです。

詳しくは、前回のブログをご覧になってください。
読者の方で、ご意見がございましたらトップの「阪俗研」にお寄せ下さい。お待ちしています。

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12月1日の浦江塾の後の雑談で、阪俗研会員の方から

「なぜ、略称を「大民研」にせずに「阪俗研」にしたのか」とのこと。

はたして「大阪」の略は「大」で、「民俗」の略は「民」なのでしょうか?

そこで改めて文献の世界での「大阪の民俗」を確かめてみることにしました。

前回のブログに上げました「坂俗」という略称です。


この週末、ボクは*『近世風俗志』(一)~(五)を「坂俗」をめぐる言葉をあさりました。

*『近世風俗志』:喜田川守貞著・宇佐見英機校訂『近世風俗志』(一)(岩波文庫1996年)

~(五)(岩波文庫2002年)

著者・喜田川守貞は、冒頭の「概略」(『近世風俗志』(一)9頁)に、

その半生を次のように記しております。

 ●余、文化七(1810)年庚午六月、浪華に生る。本族石原氏なり。
  天保十一(1840)年庚子 九月、東武に来る。時に歳三十一。

 前回、述べましたように守貞は大坂で生まれ育ち、長じて江戸に出た町人です。

 それだから、彼の大坂観は、当時の「三都」の比較文化の体を成すものです。

 そのような生い立ちの守貞にとりまして、殊更「坂俗」として挙げておりますのは、

 存外、目に着きません。

 巻之三(家宅)では、厨の「つぼ」を「坂俗」に挙げています。

 ●大坂の厨には必ず二瓶(ルビ:ふたかめ)を並べ置く。河井の水を別つ故なり。河水
   の瓶には蓋あり、井水の瓶には無蓋なり。瓶、坂俗その形と大小を択ばず、つぼと云ふ。
 (『近世風俗志』(一)100頁)


大坂では井戸水は金気を帯びて飲料水には用いられずに、

川の水と区別する習俗があったようで、

「瓶」のことを「かめ」とは云わずに「つぼ」と云ったというものです。

そういえば、ボクの実家でも、昔、元の通り庭の先の井戸がありましたが、

飲用は水道水を溜めた「つぼ」から取っていた記憶があります。

流し台が普及する以前は、棚元に水を溜め置いてある「つぼ」がありました。

(水瓶(みずがめ)とは云わなんだように思います)

民俗学というのは、身近なところから生活文化を見つめなおす学問です。



巻之二十六(春時)では、小正月の「とんど」を挙げております。

 ●また京坂ともに十五日に、門松・注連縄を取り除くなり。江戸も、昔は今日なり。 
 大 坂は、門松・注連縄の類を諸所川岸等に集め積みて、十六日の暁前にこれを焚きて
 左 義長の義を表す。これを焚くを坂
俗は、とんどと云ふなり。(『近世風俗志』(四)(177 頁)

 正月の橙など、子どもたちは、よく盗ったりしたものですが、

今でも氏神さんでは、1月15日には、トンドを行っています。

『近世風俗志』にいう「諸所川岸等」とは、いったいどこなのでしょう。

池田市の民俗調査の時、

村外れにの土手下に「ドンドバ」があったということを聞きました。

拙著『水都大阪の民俗誌 大阪叢書4』「9 池田チンチン坂から見た都会」207頁には、次のように記してお
ります。



 ●村はずれにドンドバがある。「ドンドバ」とは、潅漑のための舟池からの水が放水され た土手下であっ

て、水の轟音からの名という。このあたりの村はずれにヨーネンコー小  屋が小正月には建てられた。ヨー
ネンコーには「夜寝ん講」の字があてられるという。  小正月に子供たちが行うトンド行事である。年越しのサエノカミ(賽の神)祭りである。

年越しといった境界の時間に、村外れといった異界との境界の空間で、

集落の外からの邪悪なるモノを塞ぐ行事が行われていたのでしょう。


ボクが大阪府立四條畷高校に勤めていた頃、

トンドバが昔、JR四条畷駅の駅舎北の

JR西日本の変電所のある辺りであったとも聞きました。

現在も大東市と四條畷市の境界に当たる所です。


『近世風俗志』にいう「川岸」もまた、水路の巡らされた大坂市中にあっては、

異界との境界です。

もちろんここに挙げた「坂俗」の事例が大坂に限定して行われている民俗とはいえません。

守貞が「坂俗」として記したまでです。

また、阪俗研が追究しようとする「大阪の民俗」の一端でしかありません。

『近世風俗志』では「坂俗」の他、「大坂の俗」が多く記されております。

「大坂の俗」記事から近世大阪の民俗を知ることができます。

また京都に居住することのなかった守貞が「京坂の俗」と記すとき、

多分に「坂俗」を反映しているとみることもできましょう。

追々、「坂俗」と記されていない「坂俗」を紹介しま

しょう。

このブログ記事に関しまして、さまざまなご意見を下記のアドレスにお寄せください。

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