中沢新一『大阪アースダイバー』の読み方 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今回、*『大阪アースダイバー』を取り上げるのは、阪俗研会員の方からの情報で、
拙著『水都大阪の民俗誌』が資料として挙げられているのを知ったからです。

*『大阪アースダイバー』:中沢新一2012年『大阪アースダイバー』講談社

なるほど本屋で買った『大阪アースダイバー』の「帯」には、拙著に記した「海民」やらも
書かれています。
何より、この本の焦点は《第三部 ミナミ浮上》にあると見ます。


《第三部 ミナミ浮上、131頁》では墓守からお笑い芸人への流れが論じられます。
●ところが、墓守から生まれた聖や非人たちは、人々が自分たちの世界の「外部」に遠ざ
けたものの身近で、仕事をする職人だった。千日前のように、墓地は町はずれのブッシュに
設けられることが多かった。
(中略)上町台地の生玉(生國魂)神社の境内で、最初の 落語と言われる「彦八ばなし」が、
演じられた。この神社は裏が嶮しい崖になっていて、 そこには大きな墓地が広がっている。

そして、漫才はと言えば、ネクロポリスの上に開 かれた千日前を、揺籃の地とする。
墓地から演芸の繁華街へ、聖からお笑いの芸人へ、そ こには一貫した思想が流れている。
芸能の王とは、なにあろう死なのである。

千日前を南東に位置する下寺町の墓地と一連の場所として括り、墓守に「お笑いの芸人」を
重ね合わせる記述されています。「大阪通」を自負する方の度肝を抜きます。

大胆な発想は、「聖からお笑いの芸人へ」と述べられている「聖」、すなわち「墓守」の存在を
縄文後期の環状列石が設けられた時代まで遡るとする見解にも見られます。
《第三部 ミナミ浮上、127頁》
この「墓守縄文後期起説」なんぞ、今夏、大坂近郷の墓地に行基菩薩を「開祖」に仕立て
仰ぎ慕った「三昧聖」自らの近世前期の墓碑をようやく突き止め小躍りしたボクには、
想像も付かない「気宇壮大」なものです。

お笑いの芸人を論じるには、「万歳から漫才へ《第三部 ミナミ浮上、139~141頁》」の記述において、
触れられなかった一連の放浪芸人へのまなざしの歴史が控えていることも、
くれぐれもお忘れなく願いたいものです。
焦点と見た《第三部 ミナミ浮上》をそれまでにして、全編に目を転じてみましょう。

そこで不思議なのは、タイトルを『大阪アースダイバー』と称し、
「環状列石」や「横穴式古墳」《第四部 アースダイバー問題集、195頁》を挙げながら、
《主な文献資料 312~315頁》に埋蔵物発掘調査報告書が挙げられていないことです。
その代わりなんでしょう。「アースダイバー的思考」が随所に駆使されています。

「アースダイバー的思考」は著者伝家の宝刀なのです。

それがプロットの羅列をつなぎ合わせ、うまい具合に狂言回しの役割をみごとに果たしています。

さあ、いよいよ『大阪アースダイバー』をいかに読むべきかという本題にお答えしましょう。
この本は、「現代大阪」のルーツを探る創作なんだ!
そういえば、本の帯に「一大叙事詩」とありました。
「現代作家の語り」と思えばよいのです。
性愛と死が織りなす「中沢神学」を教義とする『アースダイバー』(講談社、2005年)の
大阪版だと思って読めば結構、楽しめる本です。
さまざまな問題が噴出する都市大阪は、沖積層から成る沃野であります。
『大阪アースダイバー』は、このフィールドに人類学者・中沢新一による
斬新な解釈を突きつけた話題作であります。

ところでボクは、年末に安治川開削以前の河港を訪ね歩きます。
古地図片手に道の曲がり具合、勾配などを確かめながら、
かつて廻船問屋のあった場所を体感したいものです。

詳しくは、前回のブログをご覧になってください。
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