山田町の過疎化について考える | 岡市尚士からクソ野郎どもへ愛を込めて

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整体業、復興活動、音楽活動、ブラジリアン柔術を軸に、日々を赤裸々に綴っていきます

今年のお盆はいかがでしたでしょうか。

俺は山田に帰ったり、試合に出たりとバタバタな盆期間でした。

震災後に上京してからの帰省も今回で6回目

昨年8月。10月。12月~1月。
今年4月。7月。そして今回。

震災直後は…

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だった風景も1年5ヶ月も経つと…

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まるで草原みたいです。


岡市家跡地…

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しかしながらも復興は着実に進んでおります。

瓦礫が集められていた場所には処理プラントが設けられ、山は徐々に減ってきています。
photo:04




しかし他の自治体に比べて歩みが遅いと言われている山田町なんですが…

こんな嬉しいニュースが


今月頭に我が船越地区に新しいホテル

【ビジネスインやまだ】
http://inn-yamada.jp/index.html

オープンしました!


さて前置きが長くなりましたが、こっから本題に入ります。

はっきり言って長文ですよ。でも読んで下さい。


今回はこのホテルに泊まってきたんですが、寝ながら考えました。


それは山田町の過疎化です。


過疎化は震災後に始まったわけではなく、昔からなんですね。

【ここ9年間の山田町の人口増減】
●2003年3月1日・21389人
●2004年3月1日・21180人(209人減)
●2005年3月1日・20850人(330人減)
●2006年3月1日・20606人(244人減)
●2007年3月1日・20286人(320人減)
●2008年3月1日・19963人(323人減)
●2009年3月1日・19684人(279人減)
●2010年3月1日・19533人(151人減)
●2011年3月1日・19306人(227人減)


…ものすごい減りっぷり


そして震災によって亡くなった山田町民
●死者・行方不明者780人(死者629人・行方不明者151人)


そして現在…


●2012年8月1日・17308人(1998人減)


この9年間でなんと

4089人も!!

人口が減ってるんですよ


…ただ、これはあくまでも実際に届けがあっただけなので

(※山田町ホームページ参照)
http://www.town.yamada.iwate.jp/


実際にはもっと多いと言われています。


話を本題に戻しますが…

何故、人が離れていくのか

何故、人が寄り付かないのか


要因を考えたらキリがありませんが、俺が思うに…


【ニーズが手の届く範囲に無い】


これに尽きると思います。

その根元には

【産業(雇用含む)】【交通】【距離】

この3点があります。


中でも山田町の交通事情は極めて悪いです。

【そんな山田町の交通手段】

●電車(震災後なくなりました。復旧の予定なし!)
→1時間半~2時間に一本くらい。終電は21時頃。

●岩手県北バス
→1時間前後で一本くらい

●タクシー
→高いからいつも使えない

●自転車
→実家があった場所から山田町内まで20分~30分くらい

●徒歩
→実家があった場所から山田町内まで1時間30分以上



↑のような感じなので、高校卒業後ほとんどの人が免許取って車持ってます。

だから山田町は完全に車社会。


それでも子供の頃は良かったんです。何故ならニーズが割と手の届く範囲にあったから

【子供の頃のニーズとその範囲】
●通学
→母校船越小学校まで徒歩15分
●友達に会う
→徒歩圏内の学校のため徒歩か自転車
●ビックリマンチョコ
→近所の「山の内屋」で買えた
●ジャンプ
→近所の「小国屋」で買えた
●ミニ四駆
→船越には売ってなかったから日曜日に親に車に乗せられて山田町内まで行った
●レスリング
→バスで行くか、親の車
●週刊ゴング
→レスリングの帰りに買ってた

以上の事から【ミニ四駆】と【レスリングおよび週刊ゴング】以外は自分でどうにか出来た。という事になります。


それが中学にあがるとどうでしょう

嗜好も変わります。よって、こっから少しワガママになっていきます。

【小学校時代から変わった点】

●通学
→山田中学校までスクールバスで10分くらい
●友達に会う
→学校がスクールバス圏内になったため基本的に移動は自転車
●服が欲しい!お洒落に目覚めるお年頃(笑)しかし山田町内ではニーズに合う服が売ってない。隣町・宮古市の古着屋「Miss Tee」まで
→電車で40分


↑ここで初めて交通手段として電車を使うよう覚えます。


【それが高校入ると】

●通学
→宮古商業高校まで電車で40分。7時5分発。乗り遅れたら後発は8時20分(遅刻確定)朝5時50分起き。
●友達に会う
→電車で40分。終電は21時。乗り遅れたら泊まり確定(笑)


↑段々、時間がなくなり、距離も遠くなっていくんですよ。


【それが社会人になると】

●通勤
→車
●買い物
→車
●LAWSON
→車
●ATM
→車
●柔術の練習
→車で2時間半


…何をするにも、車で行かないとシンドイ距離なんです!2時間かけて歩いてLAWSON行きますか?

それが二十歳で東京に来てから思いました

すげー便利だ!って

電車だって数分待てば来る

歩いてすぐそこにコンビニがある

安いスーパーだって近くにある

すべてが、すぐ手の届く範囲内にある!!

贅沢だ。と言われればそこまでですが同じ日本なのに、どうしてここまで差があるのか

そりゃ岩手県内でも主要部の人達はいいですけど

山田町は不便です!中でも町内以外の地区は不便の極み。

ましてや震災で何も無くなりました。

今回泊まったホテルは確かに素晴らしい設備だった。しかし周りに店が全く無いんです!

土地はたくさん余ってますよ。


【山田町には産業が極めて少ない】


まずはこういう所から変えていかないと、復興したあともまた過疎化の一途を辿ると思います。

来年の3月、山田町の発展を願って【第一回山田町音楽祭】を計画しております。

それで山田町が少しでもたくさんの人に注目されて、少しでもたくさんの先行投資を!少しでもたくさんのお金が山田に落ちて欲しい!

いずれは

【ニーズがすぐそこに】の山田町になってもらいたい。

結局、金にたどりつく論理はあんまり好きではないんですけれども、人々の思考回路を変えるのは不可能に近く。結局、人は便利で楽しい方に流れていってしまいます。

なので、この素晴らしい自然はそのまま活かしつつ、

●人が集まるような産業は山田町内の各地区に作る!

●もしくは交通機関の超充実化!

この2点!!

日々そんな事を考えてます。

まー、そのために先ずは

【防波堤施工着工】

からですけどね。

自分達としては、第一回の山田町音楽祭を絶対成功させる事です。みなさん、どうか力をかして下さい。よろしくお願いします!




【最後に。バンドマンの方々に朗報です!】

かくゆう俺自身も二十歳で山田町を

「こんな村いやだ」って飛び出したクチだったもので…

俺が二十歳の頃山田町を離れた理由

バンドでメジャーデビューしたかった
→山田町じゃ駄目だったのか?
→ライブハウスもなければツテもない
→カセットテープ(当時はテープが主流)を送るという方法は?
→試みたがちゃんとした機材が無くてどうやれば綺麗に録れるかわからない
→とにかく東京に行けば何とかなると思って
→ビームワン(夜行バス)のチケット購入

…みたいな感じで東京に出てきた訳なんですが

そんな二十歳の頃の俺みたいな若者が聞いたら飛び上がって喜ぶような朗報が。

隣町・宮古市にライブハウス【カウンターアクション】が今月オープンしました!
http://counter-action-miyako.com/KLUB_COUNTER_ACTION_MIYAKO/Top.html

出演バンドめちゃくちゃ豪華ですよ!
バンドマンには最高の環境。カウンターアクションに幸あれ。


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