忘れていた記憶 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

久々に京浜急行に乗りました。
いつぶりか記憶にないほどで、おそらく5年は乗っていなかったように思います。
学生時代は通学に利用していたので、なつかしさを感じるかと思いましたが、特にそういうことはありませんでした。

昔と何となく雰囲気が変わったようなそうでないような印象でした。
自分の中で身近なものという意味づけがなくなって、心理的距離が離れたのかもしれません。
昔は路線によって違いを感じたものですが、今はあまり感じなくなったようでした。

どの路線も電車という大きなくくりでとらえていて、それ以上のものはありません。
以前は、生活の一部にあったためか、それぞれの路線に多くの意味づけをして何かを感じていたのでしょう。
自分や友人の利用の仕方によって自然にそうなっていたのだと思います。

そんなことを思い出しながら、それが今はもうなくなって、良くも悪くもフラットな感覚になった実感と共にドア近くで揺られていました。
すると通過駅に差し掛かりました。
特に意図したわけではありませんが、自分が駅名などを読み取ろうとしていることに気づきました。
そして、これが習慣であったことが思い出されました。

いつだか覚えていませんが、通過駅の看板などを読む癖がついていたのでした。
結構速く通り過ぎるので、それなりの集中力が必要です。
なぜそんなことを始めたのかというと、動体視力のトレーニングのためでした。
これは、完全に記憶の底に追いやられて忘れていたことでした。

何のためにトレーニングしようと思ったのかは分かりませんが、おそらく読んだ本の影響だったのではないかと思います。
移動時間を有効に使おうと、色々なことをやっていたうちの一つで、能力を伸ばそうとしていたのかもしれません。
案外、地道なことをやっていたものだと思いました。

しかし、これが今の運動能力に大きく寄与しているように感じたのでした。

2013.12.22 22:57 谷孝祐