逆ベクトルの良さ | 3年前のしこうの楽しみ

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気の行き届かない良さを感じて、何が原因となってそのような違いが生まれるのかが気になりました。
微に入り細に入り気が行き届いている方が居心地が良さそうなものですが、そうでない要素があるということでしょう。

もちろん、当たり前のようになされる気が行き届いた状態は居心地良いものですが、別荘のような寛ぎとは異なります。
どちらも心地の良いものですが、ベクトルが違うのでしょう。

気が行き届いている良さは、ちゃんと客人として扱われている感覚であり、もてなされている実感が持てることなのかもしれません。
ここにはちゃんと見てもらえている安心感や心が通う感じが存在します。

逆に、気が行き届かない良さは、放っておいてくれている感覚であり、自由が許されている実感が持てることなのかもしれません。
この逆ともとらえられるベクトルの違いに意識を向けると、あることが分かってきました。

気の行き届いている範疇は、気を行き届かせている者の領域になるということです。
気が行き届いているということは、気を行き届かせている者の意識が届いていることであり、自ずとその意識場が形成されるのです。
その意識場に入ることで結果的にその影響を受けることとなります。

これが、主人ではなく客人として扱われている感じを生み出すのでしょう。
それはとても大切に扱われる感覚でもあります。

逆に、そういった意識場の形成されない気の行き届いていない状況は、 自分が自分としていられるために結果としてとりまく環境が自分の意識場となるのかもしれません。
だから、別荘のような寛ぎが生まれるのでしょう。

それは、自分があるがままで良いという感覚でもあります。
逆ベクトルとはいえ、ちゃんとその良さを感じて受け取れるのであれば、どちらも自己肯定につながりそうです。

ただ、気の行き届いた良さが誰でも受け取りやすいのに比べ、気の行き届かない良さを受け取るには、 ある程度の自己肯定をすでに持っている必要があるかもしれません。

2013.12.17 22:14 谷孝祐