気の行き届かない良さ | 3年前のしこうの楽しみ

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いまいちコミュニケーションの噛み合わないスタッフのおかげで、もう一つ気づいたことがありました。
このスタッフは、察することこそ苦手ですが明確に要望を伝えた場合はちゃんと動いてくれます。

通常考えられうる範囲の指示であれば、言われた通りにできるということで、それはそれで必要な要素でしょう。
結果的に気は行き届いていないけれど、頼んだことはやってくれるというバランスでのサービスとなっていました。

海外ではこういったことは割と普通だし、頼んだことも忘れられてしまうことはあるものです。
帰国してからたった一ヶ月なのに、いつの間にか日本の基準で見るようになっていました。

満足できるかどうかは別にして、どこに行ってもそれなりに気の行き届いたサービスが受けられるのは日本の特徴かと思います。
こちらが欲しないことまでしてくれて噛み合わないことがあっても、それはそれで気を行き渡らせようとしているわけです。

相手をよくとらえて気の行き届いたサービスをするなら素晴らしいホスピタリティになるし、 良かれと思って独りよがりな感じで気の行き届いたサービスをするなら押し付けがましくなることもあるし、 決まりきった形での気の行き届いたサービスをするならちぐはぐさを感じさせてしまうこともあるでしょう。

どれも気の行き届いていることには変わりません。
今まで、これは素晴らしいことだと思っていました。
しかし、今回気づいたのはこのデメリットでした。

気が行き届かないからこそ得られる良さを感じたのでした。
そして、それは海外のホテルで感じることのある居心地の良さに似ています。
気が行き届かないから、こちらも無意識に気を使うことなくその場にいられるのです。

つまり、気の行き届いているところでは、無意識にこちらも気を遣いがちだということです。
結果的に、近くにスタッフがいても気にならず、自分の別荘であるかのようにくつろげました。
別荘にスタッフがいて頼んだことはそれなりにやってくれると考えれば、有難いことでしょう。

結局は、どちらが良いということではなく、その時の自分に合った方を選択できれば良いことでしょう。

2013.12.17 11:10 谷孝祐