幼少期の性暴力被害のこと。 | ◆おやこひろば桜梅桃李~おうばいとうり~◆

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◆心理カウンセリング・子育て相談 大阪府吹田市

この記事は
2005年12月13日に
mixiで、「友人の友人限定」でUPしたものです。

 

この記事をUPしたころ

カウンセリングの勉強をはじめました。

 

そして、たくさんの心理研修、技法を学び

多くの仲間や

大切な友人に出会い
自分の中で、大きく大きく

いい方向へ変化を遂げていっています。

 

 

 

成長し続けることが
楽しいと思えるまでになりました。

 

 

生きていることが、うれしくて

自分の周りのすべてに

感謝できるようになりました。
 

 

 

約5年経過した今

この記事の中にある

加害者への想いも

「許せない」から

加害者を作らない子育て

加害者を作らない社会つくりをしていきたいという想いに

大きく変貌していきました。

 

 

それについては、また

機会があるときに記事にしたいと思います。

 

2010年6月5日 追記

***********************

以前利用してたblogで1度出した記事っちゃけど
再度、ミクシイで出してみることにしました。

初めて見る人は、ちょっとヘビーやけん
読んでて吐き気とか動悸とかするかもしれん。
ひどいようやったら、読むのをやめてね。

世の中には、こんな話が
ムカつくほど多く転がってて
キレたくなるほど、傷を抱えてる女性が
あまりにも多いということを
ちょっとでも知ってもらいたいので。

以下、コピペです

 



この話を載せることをずっと迷ってて

別に載せなくてもいいやんって思う人もおるかもしれんけど
私の中での心の整理をここでやりたいってだけで
はじめから、自己満足のblogやし
色々と考えて、パパちゃん(夫)とも相談して
あえて、ここに掲載することを決めた。



私は、幼少期に
事件にもならない性犯罪の被害者になった。



5歳くらいんときに、隣に住んでた男からと
7歳んときに、いとこの16歳の男に。



数にしたら、たったそれだけって思うかもしれないけど
私にとっては、そのことがずっと心に重くのしかかってたんね。
例えば、たった一度の大きな交通事故に遭って二度と車に乗れなくなるような。
たった一度の震災が心に深い傷を残すような。



今現在では、有難い数々の出会いのお陰で
心の傷も、すっかりとまではいかないかもしれないけど
癒されて、ご存知の通り、楽しく幸せな毎日を送ってるんやけどね。



それを吹っ切る術を知ったのは・・・



33歳の頃、私をホテルに連れ込もうとした
当時働いていた会社の社長からセクハラを受け、
当時、入団していた劇団つながりで

 

 

知り合いだった女性弁護士さんと話しているうちに
過去の性暴力を受けたことを打ち明けることになって・・・
吐きそうになりながら、オイオイ泣きながら話して・・・
それから、溜め込まないで
吐き出すことは大事なんだよって教えてもらったとです。

 

(最初は、信頼のおける人にね)

 

 



その弁護士の先生は

 

「いいといいと。大丈夫。気にせんでいいよ。
小さい頃のことは、溜めこむのは良くないよ。
告白できるなら告白していけばいい。
誰もあなたを気持ち悪いなんて思わない。
辛かったんやもん。よく頑張ったやん。
あなたが話をすることで、あなたと同じ苦しみを味わった人が
もしかしたら救われるかもしれん。
話すことで、犯罪を防げるかもしれん。

だけん、後ろめたく感じる必要は全くないとよ。
自分を責める必要なんか全くないと」って。

 

 

あたたかく、言葉で抱きしめてくれたったい。



そこに行きつくまでの、それまでの私は

性暴力を受けた自分は、
とにかく、他の子と違って
「汚い」んだって自分を責めてた。

特に、中学くらいになると
「初体験」に興味が出てくるやん。
好きな彼と・・・とか
結婚するまでは絶対しな~いとか。
私は、気持ち悪いクソジジイに汚された。
汚れている。

想像の中で、虐待してきたそいつらを
めちゃくちゃに切り刻んでる事ばっかり考えてた。


ここからは、吐き出すことで私が楽になるんで
読むのが辛いと思う方は、ここで止めたほうがいいです。
リアルで吐き気がすると思います。
体の震えが止まらないかもしれません。
私も、初めて告白したときは、吐いて震えて大変でしたから。



一人は、隣の男で妻子持ちやった。
その男には3人の娘(当時3人とも小学生やったと思う)がいて
その娘と遊ぼうと隣に訪問したところ、
娘は母と出かけてて不在で、帰ろうとしたら
「おじさんと遊ぼう」と言われて
何もわからない、何の疑いもない私は
家に上がりこんでしまった。
そして、お医者さんごっこをしようと
2段ベッドの上に寝かされた。

2段ベッドの上の段やったから、天井が近かったのを
はっきりと今でも覚えている

診察をするからと、全部脱がされ、
あとは、目をつぶっていなさいと。
その頃の「大人」は絶対的存在。

だけん、逆らうとかって考えもせんかったんね。
しばらく体中、あちこち触られたり(特に下腹部)

最後?腹部に水気を感じたわけよ。

後(中学くらい)に、水分の意味を知ったとき
本気で探して殺したいと思ってた。
当時は、枚方に住んでいて
その後、引っ越したのか、
いなくなったんよね。

もう30年も前のことやし
当時の家は、10年前、祖母が亡くなった時に
行ってみたけど、家自体が土地も整備されてなくなってた。



もう一人は、従兄。

 


当時、16歳のそいつは母の地元に住んでて
家出して、保護されて
家に帰りたくなくて、母が小さい頃可愛がっていたのもあって
福岡でしばらく面倒を見るってことで
やってきた。

私はちょうど、その時、とびひで学校を休んでて
その男と留守番をすることになって被害にあった。
(今でも私の右頬骨にとびひの親玉のあとが残っていて
忘れるなって言われてるような気がする)


私は小学校1年生。
当時、両親が魚屋をしていたので

朝8時半ころには出かけていた。

 

 

 

両親がいなくなると

従兄からの性暴力がはじまった。

 

 

 

※ここから、以前、性暴力の詳細をUPしてたんやけど

アメブロから「不適切な表現があるため、表示できません」って出て

記事全部が見れなくなったので、削除しています。

(2012年3月11日追記)

 

 

いわゆるヤンキーだったので恐くて逆らえなかった。
そしてそれは、従兄の両親が迎えに来るまで続いた。
親には言ってはいけないと思い、助けを求めることも出来ず、
親が出かけると、そいつはまた繰り返して・・・
数日後(たぶん1週間~10日くらいやったと思う)
そいつの両親が迎えに来るまで毎日続いた。



従兄は一旦地元に戻ったけど、また家出して
今度は、大阪の母の妹のところを頼って来て
私が被害にあった2年後、
私が小学校3年生の時、
バイクに乗ってて事故って死んだ。
そいつは18歳やった。

朝早く、うちに電話があって、
「○○、バイク乗ってて事故して死んだんやって・・・」って
聞いた時、

私は、複雑な気持ちだった。
死んで当然。当たり前。
でも、私のいろんな気持ちで

殺してしまったのか?とも思って

私が恨んだり憎んだりしてなかったら

死ななかったのかな・・・・・って。

 

 

その従兄の母親は、20数年経った今でも

「18才の息子を亡くした可愛そうな母」オーラを出してるけど・・・・・・



だから、最初に私に危害を及ぼした奴も
死んでいて欲しいと願っている。
だから、めった刺しにすることばかり考えていたわけやし・・・・



両親には相談なんか絶対出来なかった。
とにかく、オヤジが気分屋で、
機嫌のいいときはいいけど
すぐキレる、怒鳴る、物に当る、手を上げる人やったんよね。
そりゃ、悪い事したときは、仕方ないにしても
理不尽な怒られ方もしょっちゅうでさ~
 

 

オヤジのタバコの煙がイヤで
「お父さん、タバコやめてよ~」って言うたら
「親に向かって、なんていう口の聞き方するんや~!!!(激怒)」で
タバコを私に向かって投げつけられたり
算数の宿題わからんで、教えてもらおうと思ったら
「これくらいもわからんのか!!(激怒&頭叩く)」とか
(これは、その後聞きたくなくなって、自分で必死に勉強したけどね)

だから、いつもオヤジの顔色ばっかり伺って
機嫌がいいことを祈ってたし、
機嫌を良くさせるために、ウソもつきまくってた。
あちこち出かけたり、遠出は好きなオヤジやったけん
よく、ドライブとか連れていってもらいよったけど
オヤジの自己満足なだけ。
出かけた先で、ちょっとでも「しんどい」とか言おうものなら
「せっかく連れてきてやってるのに、しんどいとは何や~~~

(激怒&車のキーとか投げる)」やったしね。



だけん、自分の中の傷に、無理やりフタをしてて
誰にも助けを求めることもできなかった。
心に傷があることすらわからなかったと思う。
あるのは、恨み、憎しみ、殺意。
そして、自分への嫌悪感。
いつも「自分」は不要な人間なんやって思ってた。
「汚い女の子」やけん、いらない。
「ウソつき」やけん、不要。
 

 

性的虐待を受けたことがきっかけなのか、
「男」が怖くて、目に入らない。
で、一時、なんの疑いもなく女の子が好きになる時期があった。

ある女の子のことが好きで、ベタベタしてたら
「ちょっと気持ち悪い。おかしいっちゃない?」って言われて
すごいショックで・・・
やっぱり私はおかしいけん不要。

両親からは、
「お前がいてくれて弟の面倒みてくれるから商売が出来るんや。」って
言われても、私の甘えるところはなかったけん
いつもしっかりした自分でおらんといかんで
中学くらいになったら、それがアホらしくなって
オヤジの機嫌取る「いい子」に疲れて
でも「いい子」は続けんとオヤジがキレたら面倒やけん
はけ口を探して夜な夜な家を抜け出して ・・・
 

 

 

「荒れる」

 

 

という言葉を地で行く思春期。

 

 

暴走や深夜徘徊を責められても

「なぜ」そんなことをするのか

ただただ、寄り添ってくれる人は

親はもちろん、

誰もおらんかった。

 

 


 

誰かに、助けて欲しかった気持ちがあったことは

いま振り返っても、「あった」と覚えている。

 

 

ただ、「カッコ悪くて」

「助けて」なんて言えなかった。

 

 

そんな裏腹の心を

誰かに気づいてほしかったんやろな~~~。

 

 


いつも自分は不要やと思うのが慢性化して
どうやって死ぬのが一番楽かをいつも考えてた。

 

 



誰かに愛されてるって実感したことなかったし・・・
親は、「いい子」の私は都合がいいけん好きかもしれんけど
「汚い子」「うそつきな子」って知ったら、
きっと不要と思うはずって。

 

 



実際、ウソがばれるといつも
「そんな子どもに育てたはずじゃないのに」とか
「ウソついてもばれるんや!そんなにお前は頭悪いんか?」
とか、「うそつきの私」は全面否定やったしね。

 

 



なぜ、ウソをつくのか自分でもわからんかったし
親も「なぜ」っていう部分を問題視してなかったけんね。

 

 



母はそんなオヤジの影に隠れて、
弟2人のものって感じやったしね・・・
私は、子供やけど、大人扱い。
甘えは許されんと思ってた。
今思えば、甘えたら甘やかしてくれたんかもしれん。
でも、自分で勝手に、甘えたらいかんって思ってしまってたんよね。
 

 

 

いつも母からは

「ワタシは、産んだだけ。あんたは、お父さんの子」

って言われてたし。

 

 

母親に助けなんか求めようもなかったし。

 

 


なんなら、母親が

父の浮気を中学生のワタシに相談してきてたし(^_^;)

 

 

そんな人に、「頼る」とか「甘える」とかできんかった。

時は、「カウンセリング」なんかもなかったしね。

 

 


そういうの考えると、やっぱ、子供から甘えてくれるのを待ってるんじゃなくて
親側から、抱きしめてあげたり、話しかけてやったりって
地道にコツコツしていかないかんって思うったいね。 そして・・・

18歳で、高校の先輩と付き合ったのはいいけど
つきあいだして半年で、酒乱発覚(笑)
2人で飲みに行って、酔いが回ったころ
いきなり
「なんで、俺の前につきあった男がおるとや~~」って
仕方ないことで、めっちゃ怒り出して
「なんでや~~!!」って言いながらボコボコにされて・・・
で、そのまま私は一緒にいないとって変な義務感に駆られて
 
 
 
次の日、酔いが冷めたそいつは、私の腫れた顔を見て
「俺が殴ったとや?ごめん。でもお前を愛しとうけんぜ」って
泣きながら言うもんやけん、私もそうなんや~って泣いて

あ~~~今思えば、ホントアホやけど
そのときは、それが「愛」やと勘違いしとったったいね。

で、結局飲んでは殴られの繰り返しで、
別れようってとこまで行くけど、結局謝られて
そいつも、私がいなくなったら、可愛そうってしょうもない
ボランティア精神で、ズルズル・・・・

「別れたい・・・でも可愛そうで別れられない・・・」って。

しかも、避妊を嫌がって、当然妊娠。
「お前とは結婚したいけど、まだ金が無いけん、今は堕ろせ」
その後、わずか5ヶ月後にも、避妊をせず
「また金用意せないかんとや?」
避妊を頼めば飲んで殴る。
もちろん、言われることを拒否したら
「俺を愛しとらんとか?」って飲んでまた殴る。
弱い人間やったんよね。そいつ。

 

 


でも渦中におった私はそれすらわからんで
私が悪いけん、怒らせてしまうんやって思ってた。
いつものように、自分に「非」があるって。
堕ろした子のためにも、この人と結婚するのが
子供の供養になる・・・・・って思い込んでた。



そんなときに、近所のお姉さんが訪問してきてくれて
たまたま、殴られて顔が腫れてたけん、
心配してくれて一緒に泣いてくれて話を聞いてくれて
「あなたには使命がある!!だから絶対彼との関係の答えが出る!!
とにかく、結果出そう!!」って
毎日毎日、来てくれたり、電話してくれたり
酒乱男と会わなくていいようにしてくれたり・・・

そのお陰で、ウソのように、別れることが出来た。

堕ろした子供は、きっとわかってくれるはず。
私が幸せになることを願ってくれているはずって思うようにした。
自分勝手な思い込みやけど。
そいつとつきあいだして2年半も経過しとった。



それから、1回目の結婚して、姑の病気の看護も
泣きながら乗り越えたり
離婚の時も、親権取られて、辛かったけど
絶対、長男と一緒に暮らせるようにって祈って
実現した・・・・



そうこうして必死で生きてるうちに、
ずいぶん、「死にたい」とは思わなくなった。



でも憎むべきは、抵抗することもできない子供に
魔の手をかける、犯罪者達。
絶対許すことは出来ない。

いつも私はそういう事件が起こる度に、
死刑なんかしないで、死ぬまで誰とも会話もできない
真っ暗闇の独房に入れてしまえばいいんやって思う。
一人で暗闇で孤独に狂って死んでいけばいいって思う。
精神的に徹底的に参らせればいいんやって思ってる。



そして、子供を育てる立場になった今、
子供達をそんな犯罪から絶対守ってあげんといかんと思う。
女の子だけじゃない。
男の子だってどんな被害にあうかもわからない。
親戚だからって安易に信用しないほうがいい。
だからといって、誰でも疑うっていうのも悲しいけどね・・・

難しいけど・・・

万が一、子供がそんな被害にあったようだったら
私みたいに、「不要」って思わないように
専門的なカウンセリングを受けるなりして
精一杯ケアしてあげて欲しい。

もちろん、被害にあわせた親としての自分を
絶対責めちゃいけない。
悪いのは、全部犯罪者達なんやから。
子供と共に、一緒にカウンセリングをしっかり受けて
希望ある未来に踏み出して行って欲しいと思う。



人にはそれぞれ、色んな悩みやら心の傷を抱えてて
もっと大変な人は、もっとたくさんいるけど
本人にとってみれば、小さいと思われる悩みに
押しつぶされそうになるんよね。

それこそ
「そんなことくらいで悩んで・・・わたしなんか、もっと大変やったよ・・・」とか
言われた日にゃ~もうそれから誰にも相談なんかできなくなってしまうんよね。
だけん、ちょっとでも悩んでそうやったり
会った人の表情が暗かったりしたら
めちゃめちゃ心配になるし
話を聞くだけでも楽になるけんって
聞いてあげたくなるんよね。
「大きなお世話おばちゃん」になったたい(笑)



今は・・・・
真剣に、本気で、全力で愛してくれるパパちゃんがいる。
過去の全てを知りつくした上で、私だけを大事にしてくれるパパちゃんがいる。
長男がいて、次男がいて、絶対死ぬなんか考えません。
(本来それが当たり前なんやけどね、でも時々気持ちが荒れて死にたいって思うクセが出るけど・・・)



下ネタ話すことで、「普通」を演じてたけど
今は、精神的に満たされて、安定して
演じなくても、楽しんで下ネタ話したりできるようになった。



それまでの私は、シラフでエッチができんかったったいね。
いつも酔ってないとできんかった。
マヒさせとかんとできんかった。



今は、パパちゃんが
「私自身」を大好きでいてくれて
「私」じゃないとダメって信頼してくれて
最近更に立派になってきたブヨ腹も全部ひっくるめて愛してくれる
パパちゃんのお陰で私は生まれ変わることができた。



一時的な幸せを求めて、幸せになったような気になって
あちこちに嘘ついたり、色んな人を裏切ったりした私は、遠い過去の廃棄物になった。



廃棄はしても、それがあったから、今がある。
それがなかったら、今は無い。
そういうこと。
人は絶対生まれ変われる。
幸せになりたいって信じて祈って、前進すれば
絶対道は開けてくるって痛感してる。
「私なんか・・・」って思わずに
「私にしかできないこと」が絶対あるけん。
こんな私でも、幸せになれたっちゃもん。
みんな、誰でも幸せになれると。



読んでくれた方、本当にありがとう。
支離滅裂でわかりにくかったかもしれんけど・・・
こうして書き残すことで、自分の心の整理がつくわけで・・・





重たい話はこれくらいにして・・・
また新しい気持ちで、アホネタまじめネタ書いていくので
これからもよかったら覗きに来て
お付き合いしてくださいまし。


ではでは。


*********************

 

 

2010年6月追記

 

 

 

カウンセリングを学んで

抱っこ法を学んで

両親への想いも

全く違うものになりました。

 

 

キレやすい父も

父に愛情を注がれている私に嫉妬していた母も

 

 

結局は

寂しくて

不安で

自分の存在を肯定できなくて・・・・・

 

 

インナーチャイルドに気づいてなくて

自分のモヤモヤを、「怒り」って形で

支配できる自分の子どもに

ぶつけてただけやったんやね・・・って

 

 


子どもの話を傾聴するとか

ひたすら寄り添ってあげるとか

セミナーだの本だので

学ぶ機会も無いまま

無免許で「親」って車を運転してたようなもんやったんやねって。

 

 

 
それがわかったら

「なんで、優しくしてくれんかったん?とか

「なんで、助けてくれんかったん?」とか

「なんで、黙って話を聴いてくれんかったん?」とかって

そんなモヤモヤが、フワ~っと飛んでいった。

 

 


いつか、私に

謝って欲しいって思っとった。


 

 

私がどんなに苦しかったか

知って嘆いて、謝ってほしいって・・・・・

 

 

 

そんな

恨んだり憎んだりって気持ちが

フワ~~~っとなった。


 

無くなったっていうより

フワ~~って飛んでいった感じ。

 

 

消えるんじゃなくて

「有る」っちゃけど

遠くの空に飛んでいって

かすかに見えるけど

そんなモヤモヤも、微笑んで眺められるって感じ。


 

父も母も、「自分を認めて欲しかった」っちゃね~って。

父としての権威や

母としてのプライドとかとか・・・

 

 

そんなんいらんのにね。

 

 


もう、親に向かっていってた意識を

自分の子どもへ向けて行こうって。

 

 

ほんで、自分に関わる人たちが

少しでも

私が学んだことを伝えることで

自分が「これから」歩んでいく人生を

ステキに生きる方向へ

変えていくきっかけになってくれるなら・・・・・


 

誰か一人でも

気づいて、変えて行って

「あのとき、気づいてよかった~」って思ってくれたら

それが、私の最大の癒しになっていくってことにも

気がつきました。


 

一番は、パパちゃん(ダンナ)が

いろいろあるけど

私と出会ったことで

たくさん気づいて

たくさん変えていってくれて

私をたくさん癒してくれています。


 

本当に、本当に

出会ってくれてありがとう。

 

 

私と関わってくださっている皆さんも

出会ってくれてありがとう。


死にたい星人やったけど

死なんで、生きててよかった。


 

今、めちゃめちゃ生きてるってだけで

とってもうれしくて、楽しくて、感謝です。


 

 

みんな、みんな、ありがとう。

 

ぶーぶー--------------------------------ぶーぶー
【2017年8月10日追記】
このブログを公開するにあたって
実は、こんな出来事がありました。


『復讐することは気持ちよくないよ~幸せになっていいとよ~』