世の中に、ただのものはない。 | たまき雄一郎ブログ

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衆議院議員玉木雄一郎のオフィシャルブログです。

あけましておめでとうございます。



年末年始、先の衆議院選挙で議席をいただいた意味を考えながら、連日あいさつ回りを続けています。



大変厳しい選挙ではありましたが、私は、選挙期間中、何かの給付を増やそうとか、あるいは、増税しませんといったことは、一言も言いませんでした。




私が訴えたことは二つです。



まず、「今さえ良ければいい、自分さえよければいい政治」からの脱却。

そして、増税前の行政改革、政治改革の徹底と継続です。




選挙のたびに、給付を増やす、負担は減らしますと、都合のいいことを言い続けた結果が、現在の1000兆円を超える借金体質と政治不信を招いたのではないか。



だからこそ、少なくとも我々世代の政治家は同じことを決して繰り返えしてはならない、現在とともに、将来に責任をとれる政治を実現したい、そう主張しました。




そして、「社会保障と税の一体改革」をまとめ、関連法案に賛成した責任として、消費税増税と社会保障給付の効率化の必要性もあわせて訴えました。特に、年金の特例水準の見直しについては、選挙期間中、実際、厳しい批判も受けましたが、粘り強く必要性を説いてまわりました。



加えて、増税前の徹底した行財政改革の必要性、とりわけ、議員定数の削減の必要性については、力を込めて訴えました。身を切る改革なくして増税はあり得ません。そもそも、今年の通常国会での定数削減の実現を条件に、野田元総理は、衆議院を解散したはずです。




しかし、これまでのところ、安倍政権からは、行財政改革への熱意はあまり伝わってきません。それどころか、新聞紙上は、歳出拡大の威勢の良い話ばかり。その多くが、予算獲得をもくろむ役所からのリークによるものだと思われます。もちろん、景気回復は全ての国民の願いです。しかし、借金をして歳出を拡大するだけでは、根本的な問題解決になるとは思えません。




「世の中に、ただのものはない。」


政治に携わるものは、常に、この当たり前の感覚を決して失ってはならないと思います。「誰かが」「どこかで」「いつか」負担するからこそ、今の支出・給付が成り立つのです。しかし、10兆円などの総額ありきの補正予算の編成などを見ていると、まるで、1990年代の経済対策のようです。あれから20年、日本経済は平均で0.9%しか成長していません。




特に、私が問題だと思うのは、消費税増税との関係です。来年度から引き上げられる消費税増税5%分のうち、約3%分は、2015年に、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字を半減するためのものだったはずです。それにもかかわらず、中期財政フレームで定めた71兆円の歳出の枠を取り払い、また、財務大臣からは、プライマリーバランス達成目標を無視するような発言が出ていることは驚くべきことです。


財政健全化目標をたがえるとするなら、一体、何のための5%増税だったのか、課税の根拠、法律を通した大前提さえ崩れかねない大問題です。しかも、行財政改革の議論は置き去り。しかしながら、マスコミもほとんど問題視しません。今や、集団でふわふわとした幸福感に浸っているとしか思えません。



しかし、こうしたユーフォーリアは、いつか必ず覚めます。安倍政権には、現実を直視した、王道の政策、政治に堂々と取り組んでいただき、本物の改革を前に進めてもらいと思います。




政治家が税金をどんどん使おうとする立場、つまり、タックス・イーターの立場に立つことは簡単にできます。しかし、厳しい財政事情の下、増税を国民にお願いしようとする時期だからこそ、納税者(タックス・ペイヤー)の立場で、お金の使われたかをチェックしていかなくてはなりません。




今月末から始まる国会で、私は、あくまで、タックス・ペイヤーの立場に立って、安倍政権の政策、とりわけ、行財政改革の方向性について厳しく監視していきたいと思っています。


それが、財政規律の必要性を訴えて当選した私の果たすべき責務だと考えています。