前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -374ページ目

書評 浅野史郎『疾走 12年 アサノ知事の改革白書』(岩波書店)

埼玉県知事選が近づき、知事というものについて改めて考えています。

県庁は中2階と言われ、存在感の希薄な組織です。(特に、和光市の場合、市民で県庁を意識する機会はほとんどありません。)

ただし、強力な権限を持つものの施策の種類ごとに権力が割れている霞ヶ関と比較して、権限が集中し、しかも大統領制で選ばれる知事というものの権力は強力です。

知事には自分を律する、強い意志と、合理的な機能する仕組みづくりへの絶え間ない努力が求められています。


さて、本書は例の浅野前宮城県知事が退任直後に自らつづった自己評価の書です。

第1章、最初に書かれているのは知事という椅子に関する思いというか感想です。特に印象に残ったのは知事という椅子の特権を意識し、このまま続けているとやめられなくなる、と感じたというくだり、そして、知事は12年もやれば陳腐化する、という辺りです。


第2章は組織スキャンダル、要するに県警裏金の話。宮城県警とのバトルが知事の目線でつづられています。

本書と新聞報道から感じるのは警察組織にはまだまだ治外法権的なところがあるんだな、ということです。そして、県警本部長と浅野氏のバトル。この辺りが「左」系の市民に評価されているんだろうな、と思ってました。しかし、正直、個人的には浅野氏の姿勢が及び腰に見えました。

議場で県警本部長とバトルするのは非常にいいのですが、結局進展しない。

市民オンブズマンの指摘により内部で調査を行い、誠実に対処しようとするものの、県警が協力しない理不尽さ。そして、完全に膿を出そうと頑張るのですが、県警は頑なに組織の論理の中に閉じこもります。

警察、教育この辺りは政治との距離感が大切なのですが、組織運営の合理化などはやはり政治が仕事をするしかなく、私には消化不良に見えました。もちろん、あれだけバトルを繰り広げて行ったという行動は評価に値するのですが・・・。


第3章は選挙の話。しがらみを作らないために組織の応援を断り、自発的な市民の応援で戦ってきた浅野氏の選挙の様子が生き生きと描かれています。

個人的に、都知事選で浅野さんが敗北したのは自らの意思ではなく、政党や一部の団体に担がれる形で出馬したから、と思っています。もちろん、石原さんとの知名度の差や、その他の政策的に要因もあったでしょうが・・・。(財政面での業績が評価できないのも要因でしょうね。)

とにかく、宮城での浅野さんは自らの意思、思いで動き、いろいろな勝手連がそれを支援するという形で戦っていたということをあらためて痛感しました。

選挙の方法としては理想に近いです。


第4章は議会との関係。「私には与党はありません」という名言を彼は吐いていますが、浅野氏はまさに、是々非々の議論を展開していきます。

私が納得したのは、議会は知事の批判が仕事。新聞は知事の悪口が仕事。どっちも知事をほめるようになったら彼らの存在意義がなくなる、というのが浅野氏の考え方。

悪口を嫌うどこかの誰かとは大違いです。

また、浅野氏は過去に策定され議会の議決を経た計画を白紙撤回したり、議会が修正したものについて再修正を提案するという再議権を行使したり・・・と言論の府である議会で活発な議論をしてきた経緯を生き生きと語っています。

議会人が本書を読むなら、ここは一番参考になる部分です。


第5章は楽天が仙台に来たときの話。話としては面白いのですが、ここは省きます。


第6章は「施設解体みやぎ宣言」。これは障碍者施設は永久に住む場ではないので障碍者には地域で暮らす訓練をしてもらい、いずれ地域で暮らせるようにしたい、という趣旨の、全国に大きな衝撃を与えた宣言だったのですが、それに至る経緯、宣言の真意などが語られます。

私はノーマライゼーションは目指すべき目標ではあると思いますが、それでもやはり、この宣言には衝撃を受けました。多分、施設にお子さんを預ける親御さんが最も驚愕したと思います。

「不可能だ」という反応が多かった中、この宣言は浅野知事の退任とともに見直されました。

本書を読むに、浅野氏の考え方は「ノーマライゼーションを目指す」という緩やかなものだったようなのですが、それにしては過激な内容で、だからこそ宣言は見直されてしまったのだと思います。

これは私は浅野氏の大きな目算違いだったと見ています。


第7章は分権についての意見。

国庫補助金の問題点、知事会会長選挙の裏話などが中心です。


第8章は再び県警とのやりとりの話。未解明になっている部分と論点がよく分かります。


浅野氏は改革は知事の代表格の1人であり、情報は公開する、表で話をする、現場を知る、など、方向性としてはあるべき姿を追求した人物だったと思います。

ただし、彼がいなくなると、宮城県はまた振り出し近くまで戻ってしまった気がします。

本書を読んでそれを再認識させられました。やはり、退任後も簡単には時価の針を戻せないしくみ、仕掛けを作ってから去って欲しかったですね。

首長は任期中に責任を持つべきなのは当然ですが、終わった後も容易に覆されない制度インフラを構築すべきである、そう私は思っています。

また、原則を曲げない強い意思というものが他の多くの知事よりはあったものの、不十分だったのかもしれません。

(ちなみに、本書とは関係ありませんか浅野氏の財政的な手腕については私はマイナス評価です。教育についても見るべきものは特に見当たりません。)

本書は地方自治に関係する政治家にぜひ、お読みいただきたいと思います。私も得るものがたくさんありました。


さてさて、翻って埼玉県の上田知事はどうか、少なくとも1期目は大きかった期待に十分には応えていません。

2期目、議会と裏取引をせず、表で話し合い、情報公開を徹底する、その他、大切なことを表で決める、そして、財政面、借金を増やさないこと。さらには、県南の自治体を富裕団体と決め付けてターゲットにするのをやめること、こんなことを期待したいと思います。


『疾走 12年 アサノ知事の改革白書』

ツバキ・サザンカの木にご用心~チャドクガの幼虫が発生中!

チャドクガという蛾の幼虫が市内で発生しています。
ツバキやサザンカなどに小さな毛虫の群れがいたらそれです。
毒針は虫が死んでからも残るので厄介な生き物です。虫が死んだ数ヵ月後でも毛に毒があり、かぶれることがあります
とにかく見つけたら触らぬよう、枝ごと上手に取って踏み潰すと良いそうです。

市内の公園にいたら、市役所まで。
http://www.afftis.or.jp/konchu/kemushi/chadokuga.html

不透明な運営をする議会がある自治体はダメな自治体

駅頭で議会報告を配布した後、都内で某自治体議員らと情報交換。

ある議員の地元議会では、交渉会派(議会の運営上会派と認めることに決めている人数を超える会派)未満の議員の集団や個人の議員について、重要な議会運営の会議の一部を傍聴すらさせない、という話でした。これ、よくある話です。


基本的に、交渉会派を下回る人数の会派の代表や1人会派の議員は傍聴させるか、オブザーバーとして参加させるのか最近の地方議会では一般的です。

これは、各会派の議員に情報を一度に伝達し、議会運営の方向性について情報共有をするという意味で採用されている方法です。(交渉会派を便宜上決めるのは話し合いが成立しうる人数で議会運営の方向性を議論するためです。)

この1人会派などに傍聴すらさせないと、情報伝達のために議会事務局が動くか、あるいは情報は伝えられないか、という状況になり、事務局が余計な仕事を抱えるケースが多いです。(さらに、このような場合は当然のことながら一般人の傍聴なども排除されます。)

不透明な運営をする、典型的なダメな議会です。


なぜこういうことをやるのかというと、既得権を守るためです。(子どものいじめと同じ、いじめの快感を得るためにやっているように見えるケースもあります。議会では子どもじみたいじめもあります。)

少人数の会派を閉め出すと、弱小会派から人を引き抜きやすくなります。また、一人会派を認めないことで、異端児を議論のテーブルから排除します。さらに、ムリにでも多くの議員を会派に引き込む交渉材料にもなっています。


こういう不透明な議会のある自治体では隠し事が横行します。よって、公正かつ透明な自治体運営の障害もなります。隠し事というのは「誰にはどのことを隠すか、ということを緻密に組み立てる作業」を伴うため、非常に大変です。そして、その負担は職員にのしかかります。


ちなみに、地方議員は基本的に一人ひとりの名前を投票用紙に書いてもらって議会に送っていただいています。会派に投票をするというのは一部の政党議員を除いてはありえないわけです。

これに会派の論理が必要以上に絡んでくることで、地方議会における少数派の活動は不当に制約されています。

こんなことを実感する一日でした。

著者との打ち合わせは大切な情報源

著者との打ち合わせ。

先般、本が出た大学教授、私、編集担当者、もう1人の著者と語らった。

次の本の企画を中心にいろいろと話が弾みます。

私は基本的に議員の仕事と関係のある本を作っており、こんな会話の一つ一つが議員としての仕事にも生きています。


今日は企画に関する内容を除くと、自治体や国の借金というものの本質についての話題で盛り上がりました。

まず、60年払いの借金についてはまだ生まれてもいない次世代に背負わせる税なのだから論外、また、そもそも選挙権が20歳以上、というのもおかしいという話。

やはり、均衡財政が理想だし、本当に公平な判断をするためには、ゼロ歳から選挙権がなければならない(技術的には親に投票権を与えるなどいろいろな方法がある)し、本来、次世代にツケを回して福祉などを先食いした分はその人が生きている間に何かをカットして、先食いのない状態にすることが望ましいわけです。

これは環境問題も同じです。環境負荷を余計に掛けた分は次世代に回すツケであり、ツケの分の落とし前は本人がつけなければならない部分です。こんなことを話しつつ、次の企画についてもある程度打ち合わせをして、先ほど帰宅しました。

引きこもりの親殺しを予見していた服部雄一氏

以前からこのブログで時々ご紹介してきた、引きこもり研究者、セラピストの服部雄一先生は、親に調子を合わせる、親にいろいろ強制される、という幼少時代を経験した子どもは人格障害を起こし、人間関係の構築が下手になり、引きこもりなどになりがちだということ、そして親を深く恨み、殺意を抱いているケースが非常に多いことなどを服部先生の著書や研修などで学ばせていただきました。

先般の親殺しの案件などを見るにつけ、このような現象を予防する施策を考えていかなければなないと痛感しています。

ぜひ、過去のエントリーをご覧ください。


服部雄一『引きこもりと家族トラウマ』(NHK出版)紹介

引きこもり、いじめ、少子化の講演会紹介①