明智町と岩村町へ | 水野たけおのブログで 「TAKEOff」

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各務原市議会議員 水野岳男(水野たけお)のブログです。

年が明け、2日と3日は恒例の街頭辻立ち。
4日は作業がいろいろと。


5日
義理の母から頂いたランチ券を持って妻と一緒に恵那市の「銀の森」へ。
イタリアンビュッフェのお店で、拾い敷地があり、スイーツもたくさん。
おいしかったです。

銀の森

せっかく恵那市まで来たのでちょっと足をのばして明智町と岩村町へ。
明智は日本大正村が有名で、大正時代を思わせる建物や資料がたくさん残っていました。
ちょっと町を散策していると神社があったので参拝。
八王子神社と書いてありました。この八王子とは、天照大神 (あまてらすおおみかみ) が素戔嗚尊 (すさのおのみこと) と誓約をしたときに出現した五男三女神の事だそうです。

八王子神社

社殿に向かって左に、明智光秀による手植の楓と光秀建立と伝えられる柿本人麻呂社があります。
明智光秀というと本能寺の変での「主殺し」や、「三日天下」などあまり良いイメージを持ってない方もいますが、人心掌握が上手く善政を行ったとして京都の亀岡市や福知山市では非常に人気のある武将です。なぜ光秀が柿本人麻呂社を建立したのか分かりませんが、光秀が文武両道であったとも言われているので聖歌と称される柿本人麻呂の歌に学んでいたのだろうと思います。

柿本人麻呂の格式高い歌をご紹介。
「しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ」
日本の国は言霊(ことだま)が幸いをもたらす国です。どうか私が言葉で「ご無事でいて下さい」と申し上げることによって、どうぞ無事でいて下さい。 (海路の旅に上る人に餞した歌)

言葉が幸いをもたらすなんて素敵すぎる国ですよね。

明智光秀手植えの楓


町をさらに散策すると、かやぶき屋根の古民家「三宅邸」も保存されていました。地域のボランティアのような方がいろいろ話してくれました。
三宅邸

ぐるっと一回りして今度は岩村町へ。
2年前には私の寺子屋事業で訪れています。
まだ行っていない所もたくさんあります。目についた看板をたよりに進むと天瀑山の入り口につきました。岩村藩出身の幕末の大儒学者「佐藤一斎」は50歳のときに岩村へ来て、8月18日に天瀑山へ登ったと記録があるそうです。天瀑山は標高621m。やや急な階段が続いているように見えましたが、十分登れる距離です。妻の靴が山登りにふさわしくなかったのでこの日は断念し、今度行ったときの楽しみとしました。


佐藤一斎001

佐藤一斎002

佐藤一斎003


佐藤一斎先生から「志」を確立する事の重要さ、リーダーの在り方など、多くを学ぶ事ができます。言志四録を何度も読み返し、自分の血肉にしていこう。



本日の偉人の言霊
佐藤一斎「言志録」その46

「土地人民は天物(てんぶつ)なり。承(う)けて之(これ)を養(やしな)い、物(もの)をして各(おのおの)其(そ)の所を得(え)しむ。是れ君(きみ)の職(しょく)なり。人君(じんくん)或は謬(あやま)りて土地人民は皆我が物なりと謂(おも)うて之(これ)を暴(あら)す。此(これ)を之(こ)れ君(きみ)、天物(てんぶつ)を偸(ぬす)むと謂(い)う。」

土地も人民も天の賜物である。これを受けて、これを養い、一人一人にその適当な地位や仕事を得せしめるのが、指導者の仕事である。ところが、指導者が誤って、土地、人民は皆、自分のものだと考えて、乱暴に取り扱うならば、この行為は、指導者が天物を盗むものというべきだ。

まさに政治を行う者が陥ってはいけない事ですね。
政治家や組織のリーダーでなくとも、全てが天の賜りものだと思えば、全てを大切にできる。
振り返ると、もっと大切に思わなければならない人やモノがたくさんありました。

参考図書:講談社学術文庫 佐藤一斎著/川上正光全訳注 「言志四録(一)言志録」