ビールを美味しく飲むために | 書法家 武田双鳳の「そうほう録」

書法家 武田双鳳の「そうほう録」

「書で人生を豊かにする」をテーマに、日々のオモシロさを探求する書法家・武田双鳳の日記

おはようございます。


以前、「『やるべきこと』より『やりたいこと』を」という記事を掲載しました。
http://ameblo.jp/teshinosuke25/entry-10939715292.html


今でも、この記事で引用したは「1秒もムダに生きない」(岩田健太郎・光文社新書)を枕元おいています。その本の
「シラバスも本来不要」の箇所には、大き目の折り目がつけてあります。


良質な授業とはライブみたいなもので、その内容は、そのときの授業の構成員(つまり学生)と教員とのインタラクション(相互作用)が生んでいくものです。シラバスは『ライブ性』から逸脱したもので、『他者』に対するアカウンタビリティーを満たすためのツールに過ぎません。


10年ほど大学や予備校で講義をしていますが、なかなかシラバス通りにはいきません。同じテーマであっても、学生の反応によって教え方を変えるからでしょう。たとえば、学生が欲しがっている顔をしていればマニアックな具体例を出しますし、おなか一杯そうであればポイントを絞り込んだりします。

これまで、研究のために、様々な講師の「収録講義」(DVD講座等)を観てきましたが、受講生のいないところでの収録の場合、講師がどれだけ優秀であっても、どこか面白みにかけてしまうような気がします。

それは、「目の前のあなた」ではなく「どこかの誰か」に対する講義、リアリティーのない一方通行の講義になってしまっているからかもしれません。


自身も経験したことがあるのですが、聞き手がビデオカメラのみだったら、根の深い疲れに襲われます。もちろん、カメラの向こう側の受講生のことを思いながら話すのですが、話せば話すほど、エネルギーを放出するように感じます。

それに対して、「目の前のあなた」に話すライブ講義は、エネルギーと創意工夫が発生します。もちろん疲れはしますが、ライブ中に訪れる「至福の時」を再び味わいたいと思うだけで、すぐに回復するような「善玉な疲れ」のようです。


「どこかの誰か」に向けた講義と「目の前のあなた」に向けた講義とでは、その後に飲むビールの味が違うような気がします。これからも、できる限り、ビールを美味しく飲めるような講義をやっていきたいなぁと思います。


晴れ書道教室「ふたばの海」

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