評価される地域関係での立ち位置


3月下旬にオマーンを訪れた。アラビア半島の東南端の国である。この国は、ホルムズ海峡をはさんでイランと向かい合っている。日本が8割以上を依存するペルシア湾岸産の原油は、このホルムズ海峡を通る。日本にとっては、重要な国である。


その首都マスカットで驚かされた。観光客であふれていたのだ。ヨーロッパから客船が次々と入り、街路は訪問客で埋め尽くされていた。ホテルも満室状態であった。この賑わいを、どう理解したら良いのだろうか。


人も風景も素晴らしいオマーンの魅力が、発見されつつあるばかりではない。治安の不安定さゆえに、伝統的に中東で最大の観光国であるトルコとエジプトが、敬遠されている。チュニジアやイスラエル・パレスチナもテロ対策に不安がある。となると安心して休暇を過ごせる国が中東では本当に少なくなっている。治安が良い、テロの心配がないというのが、今オマーンの最大の魅力になっているのだ。


そのオマーンに国際政治の専門家の注目が集まっている。それは観光地としての魅力が理由ではない。この国の中東における立ち位置が評価されているからである。オマーンは地域の外交で「渋い」役割を果たしている。例えば2015年にイランと米国などの主要6カ国が核問題に関する包括的な合意に達した。この交渉のための事前の交渉のお膳立てをしたのはオマーンだった。この国で米国とイランの代表団が、密かに接触した。


なぜオマーンに、こうした役割が果たせたのか。それは、オマーンがイランとの関係を大切に維持してきたからである。上述のようにオマーンはホルムズ海峡をはさんでイランと向かい合ってきた。古くからオマーンとイランは密接に結びついてきた。イランはペルシア民族の国、オマーンはアラブ民族の国である。この両民族は、対立する場面が多々ある。にもかかわらず、オマーンは隣人を選ぶことはできない。であるならば隣人との対話と共存しか現実的な道はない。そうした状況認識で厳しい現実にオマーンは対応してきた。


現在の国王は、スルタン・カブースである。1970年の即位以来、国家の近代化に努めてきた。その君主制のオマーンが、イランの王制を倒して成立したイスラム政権とも友好的な関係を維持してきた。


この点に米国は注目した。オバマ政権はイランとの接触に関してオマーンに仲介を依頼したのである。そのイランのハメネイ最高指導が、オマーンのカブース国王に「名誉ある仲介者」として公的に言及している。オマーンに対する信頼感の厚さをうかがわせる表現である。オマーンで、交渉のための交渉が2011年に始まった。まだ強硬派のアフマドネジャドがイランの大統領の時期である。


そして12年にオバマ大統領が二期目の当選を果たし、13年にイランでは穏健派のローハニ大統領が登場すると、外交が表舞台で行われるようなり、欧州で本格的な交渉が始まり合意が成立した。実際は、合意が可能であるとの感触を双方がオマーンでの接触でつかんでいたことが、本格的な交渉の開始を可能にした。交渉が欧州のひのき舞台に移る前に、オマーンが裏方で果たした役割を記憶しておきたい。


>>次回 につづく


※『経済界』(2016年5月号)、73~4ページに掲載されたものです。


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