中東の大国サウジアラビアとイランの関係が悪化していると聞きます。どうしてこんなことになったのでしょうか。
今年1月、サウジアラビア政府は、同国のシーア派の指導者のニムル師を処刑します。これに対して世界各地のシーア派が反発しました。とくにシーア派の大国イランでは、同国にあるサウジアラビアの大使館が焼き討ちにあいました。これを受けるかたちでサウジアラビアはイランとの外交関係の断絶を発表したのです。サウジアラビアの近隣諸国の一部も大使を召還するなどイランとの外交関係を格下げにしました。
一見するとサウジアラビアの国内問題に過ぎないような問題が、たちまちサウジアラビアによるイランとの国交断絶にまで至りました。なぜでしょうか。
その背景には、それまでの両国間の対立があります。まず、理解しておかねばならないのはイランがペルシア人の国であり、アラブ人ではないという事実です。サウジアラビアは、「アラビア」という名前の通りアラブ人の国家です。両国は宗派ばかりでなく民族も違うのです。しかもサウジアラビアは王制で、イランは1979年の革命以来イスラム共和制です。
サウジアラビアとイランは中東の各地で対立してきました。イラクでもシリアでも、そしてイエメンでも両国の支持を受けた勢力が争っています。こうした幾つもの代理戦争を背景とした今回の国交断絶でした。しかしながら、なぜこの時期にサウジアラビアは処刑を断行したのでしょうか。ニムル師は以前から逮捕されており、死刑判決が出ていた人物です。
これは、1月というのが特別な月だったからです。というのは、昨年夏にイランと欧米など6カ国との間に成立した合意が実施に移されるタイミングが1月だったのです。この合意は、イランの核開発に関するものです。今年1月までにイランは濃縮ウランの国内持ち出しなど一連の措置をとって核兵器開発の意図のないことをあきらかにし、これを受けて国際社会がイランに対する経済制裁を解除するといった内容でした。
じっさい1月中旬には、イランに対する国連の経済制裁が解除されました。サウジアラビアは、このタイミングで騒ぎを起こしたのでした。つまり、シーア派世界が強く反発するのを承知で死刑を執行したのです。
これに対してイラン国内の急進派が、サウジアラビアの思惑通りに動きました。先のように、イランにあった同国の外交施設を襲撃したのです。市民の行動が当局によってきびしく規制されているイランで、市民が勝手に動いたりはできません。サウジアラビアの施設を襲った「群衆」は、イラン国内の急進派が組織したものでした。騒ぎを起こしてローハニ政権が進めている国際社会との協調路線を邪魔しようという勢力がイラン国内には存在しているのです。
>>次回 につづく
※『まなぶ』2016年2月号に掲載された文書です。