シリア


エジプトの政変、トルコ・イスラエル関係の悪化、対パキスタン関係の悪化、いずれを見てもアメリカの陣営にとってはマイナスの展開であった。


それではアメリカと対立するイランは、アラブの春をどのように見つめてきたのだろうか。イランの体制にとっては、これは1979年にイランで成就したイスラム革命の影響の波及であった。イランに端を発した「イスラムの目覚め」という現象の伝播である。イスラムの目覚めとは、この宗教の持つ革命性にイスラム教徒が気づき立ち上がる現象を意味している。1979年から2011 年までの32年間を要したものの、ようやくアラブ世界のイスラム教徒も覚醒しつつある。つまり、この解釈によればイラン発のイスラム革命が周辺に広がる過程がアラブの春である。


逆にイランの反体制派にとっては、アラブの春は 2009年のイランの大統領選挙の後に発生した大規模な抗議活動の伝播である。アフマドネジャド大統領が再選された2009年の大統領選挙で不正があったとして、改革派の人々が大規模な抗議活動を展開した。「グリーン(緑の)運動」と呼ばれた改革派の動きであった。この動き自体は、体制側に押さえ込まれた。だが、その影響がアラブ世界に広がった。こちらは約2年のタイムラグしかなかった。つまり、この解釈によればアラブの春の源泉はイランの緑の運動に発していた。事実、イランにおける改革派の動きは1997年のハタミ大統領の当選以来アルジャジーラを筆頭とするメディアによって広くアラブ世界でも報道されてきた。1996年に開局したアルジャジーラを通じてアラブ世界はイランの政治に強い興味を示してきた。イランの改革派の動向は、アラブ世界に少なからぬ影響を及ぼしてきた。


>>次回 につづく


※『石油・天然ガスレビュー』2012年1月号に掲載されたものです。


一瞬でわかる日本と世界の領土問題
高橋 和夫 川嶋 淳司
日本文芸社
売り上げランキング: 327963