トルコ・イスラエル関係の危機前回 のつづき)


トルコは1949年、イスラム教徒が多数派の国としては初めてイスラエルを承認した。それ以来、両国は緊密な戦略関係を構築してきた。イスラエルは、トルコ軍の兵器の近代化に協力してきたし、トルコは自国領土をイスラエル空軍の訓練のために開放してきた。ちなみに国土の狭いイスラエルにとっては、陸地の上空を長距離にわたって飛行する訓練の場所の確保が困難である。奇襲攻撃の際にレーダーをかいくぐるためには、地上すれすれの低空飛行が求められる。これには高度の技術が要求される。トルコでの訓練飛行はイスラエルのパイロットにとっては有り難い経験である。1967年の第三次中東戦争の際にはイスラエル空軍機が低空飛行でエジプトの空軍基地に接近し地上で同国の空軍を壊滅させた。1981年には、やはり低空飛行でイラク上空に侵入したイスラエル空軍が、バグダッド郊外のオシラクの原子炉を爆撃した。将来イランの核関連施設を爆撃するような際にも、イスラエル空軍は低空飛行でレーダーをかいくぐろうとするだろう。


またイスラエルとトルコの両国は、長年にわたりシリアを共通の敵として挟み撃ちにする姿勢を取ってきた。現在のバシャール・アサド大統領の父親の故ハーフェズ・アサド大統領の時代には、シリアがPKK(クルディスターン労働党)を支援しているのに業を煮やしたトルコは、シリアの国境地帯に兵力を展開して侵攻の構えを見せた。1998年のことであった。この時にはトルコとイ 2012.1Vol.46No.16 KYMC アナリシススラエルの同盟関係が、シリアに対する大きな圧力となった。シリアは、圧力に負け、かくまっていたPKK のオジャラン党首をレバノンから追放した。当時シリアは、レバノンに軍隊を展開しており、同国を実質的に支配していた。オジャランは、世界を逃げ回ったが、結局 1999年ケニアでトルコの諜報機関によって捕らえられた。この拘束についても背後でイスラエルの諜報機関の支援があったと信じられている。


>>次回 につづく


※『石油・天然ガスレビュー』2012年1月号に掲載されたものです。


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