反政府運動の主体
ネット世代の若者たち
前回 のつづき)


ムバラク大統領によれば、エジプトの場合には、組織された勢力は二つしかなかった。一つは軍の支配する政府である。もう一つはイスラム世界最大の民間組織であるムスリム同胞団である。サダト暗殺後の混乱を収拾しエジプトを安定させてきたのは、ムバラク体制である。民主主義が導入されれば、勝者となりそうなのはムスリム同胞団である。アメリカに代表される「国際社会」にとっての選択はムバラクの安定か、ムスリム同胞団のイスラム勢力かである。それ以外の選択はない。こうした二項対立的な構図を、ムバラク支持者が世界に押し付けてきた。


だが、今回の状況は、ムバラク派の議論への強力な反論である。なぜならば反政府運動の主体は、同胞団ではなかった。運動を立ち上げたのは、インターネットを操る若者であった。これまで組織化されていなかった群衆である。ネットを使える世代がまず動きだし、ほかの人々がついてきた。新しい展開であり、新しい現象だ。メディアを政府が独占した時代では考えられなかった。この運動をアルジャジーラなどの衛星テレビが二十四時間中継していることも大きい。群集はネットでつながった。そして孤独でなくなった群集が、エジプトの、そしてアラブ世界全体の政治風景を変えつつある。


ところで、エジプトのムバラク体制下で最も潤ってきたのは、ほかでもないエジプト軍である。軍の幹部はカイロの喧騒から隔離された将校クラブの会員である。軍は多くの企業を保有しており、幹部は企業の経営者として天下ることで甘い生活が保障されている。エジプトの議会には軍の予算を審議する権限は与えられていないし、メディアは軍に関しては報道しない。軍はエジプトにおける聖域でありブラック・ボックスである。


反政府運動が予想以上の広がりを見せ、警察によるゴム弾や催涙弾や放水では、デモを抑えきれなくなった。最後には、軍隊が投入された。エジプト政治の影の主役である。この影の主役の動向がムバラク政権の命運を握っていた。軍は政権を守るために民衆に発砲するのか、それともムバラクを見限るのか、決断を迫られた。そして、二月一日に軍は平和的な抗議行動には発砲しないと発表した。これは、ムバラク政権の終わりを意味した。もう何もデモ隊を止めるものは存在しなくなったからだ。ムバラクが辞任する二週間前の事件である。軍の発表から辞任までの間のムバラクは、もう詰んだのに気がつかず将棋を指し続けている下手な将棋打ちのような存在だった。


『潮』(2011年4月号)122~127ページに掲載
*既に発表した論考に加筆したエッセイです。


>>次回 につづく


世界の中の日本 (放送大学教材)
林 敏彦 高橋 和夫
放送大学教育振興会
売り上げランキング: 159585