1.イラク石油の歴史


(2)フセイン体制化での石油開発(前回 のつづき)


イラクにとっては石油輸出の続行は大砲のためにもバターのためにも死活問題であった。イラクという国の海岸線は非常に短い。ペルシア湾岸にわずかに面しているに過ぎない。戦争が始まると、すぐにペルシア湾岸からの石油の輸出が止まった。イラク原油はシリア経由のパイプ・ラインでも輸出されていたが、シリアがイランと同盟関係を深めると、このパイプ・ラインは閉鎖されてしまった。イラクは北のトルコへ抜けるパイプ・ラインで輸出を続けた。また能率は悪かったが、タンク・ローリーでヨルダン経由での輸出が行なわれた。イラクからヨルダンの首都アンマンを結ぶハイウエィ、通称バグダッド街道がイラクの命綱であった。首都アンマンから南のアカバの間も一直線のハイウェイが結んでいた。アカバは紅海に抜けるヨルダンの唯一の港である。イラクからアカバへとタンク・ローリーが走り、逆にアカバからバクダッドへとイラク支援の物資が走った。


1988年イランが停戦を受諾して戦争が終わると、イラクにとっては復興と発展の機会が訪れた。しかし平和は長く続かなかった。停戦から2年後の1990年8月イラク軍がクウェートに侵攻して湾岸危機が始まった。アメリカが主導する国際社会はイラク軍の撤退を要求した。また国連安保理は直ちにイラクに対する経済制裁決議を可決し、イラクは石油を輸出できなくなってしまった。わずかに隣国ヨルダンへの輸出が、そして制裁の網をかいくぐる形で行われたに過ぎない。イラクの石油産業は大きな打撃を受けた。輸出が止まり、しかも石油関連施設を維持管理するための交換部品などの輸入も止まったからである。


>>次回 につづく