(続き)
つまり「ロードーシャ」には、「所謂労働者」の枠に当てはまらないヒトビトが大勢居るのです。ところが「所謂労働者」を基に法律や制度を作る事自体にムリが生じてて居るのでは無いかと考えるのです。
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因みに私は某社のシステム部門で働いていましたが、自分は「アルチザン」であると考えていました。
「アルチザン」だから寝食を忘れてシゴトに没頭します。結果として月の残業200時間(そこまでは行かなかったかも)と言った生活を10年以上続けてしまいました。
私の会社は所謂金融系で、入社した時は会社は中小企業だったからアルチザン精神も生きていたですが、その後合併を重ねて気がついたら大企業になってしまい、そこで管理職となると、シゴトは人に任せなくてはなりません。
自分なら徹夜で3日で出来てしまうような仕事も、メーカーに外注すると「一人月です」などと言われてしまう。そんな感覚でスケジュールを引いていると当然スケジュールは遅延し、私はマネージャー失格となり、そこでアルチザンとしての私は破綻してしまったのでした。(でもそのお陰でお金は貯まった)
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また、スタジオジブリなんかでも、宮崎駿や高畑勲といった巨匠がシゴトを始めると現場は地獄と化したと聞いてします(特に高畑勲は酷かったらしい)。スタジオジブリは「クリエーター」の集団だから当然だと思います。そこに「所謂労働者」の概念に基づいて労基署なんか入ったら大変な事になっていただろうと思います。
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で、電通に話を戻しますが、判らないけど、電通も基本的に「クリエーター」の集団なんだろうと思います。「クリエーター」の現場だとすると、一旦何か起こると地獄と化すのが当然だろうと思います。
そんな所に何も知らない新入社員の女性が入社し、地獄に巻き込まれて過労自殺してしまうと言うのは大きな悲劇だったと思います。
でも、電通は過去にも過労自殺事件を起こしており、もともと地獄体質を持った職場だったんだろうと思います。電通は世間に叩かれ、「地獄体質」を改善しようとしていますが、本来「クリエーター」集団であるとするとすると、それが上手くいくかどうかは正直疑問に思っています。
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だったら、電通は逆に開き直るべきでは無いかと思います。
「ウチは月に残業を200時間させて人死にも出す職場だけど、それで良いなら来い、死ぬのが嫌なら来るな」と。
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「所謂労働者」のシゴトは現在、低賃金の非正規労働者によって担われるようになってしまっています。
私は良くこんな事を言います。(ブログでもどっかで書いたかも知れない)
『現在は、「正社員」となって過労死するか、「非正規」で餓死するかの二者択一を迫られている社会である』
もちろん、ワザと大袈裟に言っている訳ですが、
そもそも「ロードーシャ」って何なのか、再定義する必要がまずはあると考えています。
(ロードーシャとは何か 終わり)