テリー・ギリアム三部作について(下) | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

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or
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(続き)

 

3)バロン:The Adventures of Baron Munchausen

 

これは大予算を掛けたのに大コケした映画とされていますが、私は好きです。ユマ・サーマンのヴィースナはホントに美したったし。音楽も良いし。何よりも、素直に楽しいし。

コケたのはマネージメントの問題が大きかったと聞いています。

 

これは、「ホラ吹き男爵の冒険」ですから、ホラ吹き男爵のホラ話を描いています。

 

舞台はトルコに包囲されて壊滅寸前のドイツの城郭都市で、そこの芝居小屋で「ホラ吹き男爵の冒険」を上演していたら本物のホラ吹き男爵(ミュンヒハウゼン男爵)が現れて、都市を救うためにホラ話を実行に移すのです。

 

そして、原作の「ホラ吹き男爵の冒険」に沿って、月、エトナ山、大魚の腹の中などを豪華メンバーにて巡る冒険の旅に出るのです。

 

そんな色々な経緯を経て、最後は現実世界の敵であるトルコ軍を撃退するのですが、気がつくと舞台は劇場に戻っており、今まで見てきたのは舞台で語られたホラ話であったことが判るのです。

 

でも、ミュンヒハウゼン男爵に促された市民が城郭から外に出てみると、本当にトルコ軍は壊滅しているのでした。

 

つまり、「ファンタジー」が「現実」となってしまう訳です。

 

ラストは愛馬に跨がったミュンヒハウゼン男爵が高台に勇姿を見せてそのまま消えてしまうと言う、これ自体「現実」のはずなんだけどもしかしたら「ファンタジー」なのかも・・・と含みを持たせた余韻を以てジ・エンドとなります。

 

因みに、ミュンヒハウゼン男爵はエモーションにより、見た目の年齢が変化するよう描写されています。例えば、落ち込んでいる時は老人となり、エモーションが上がると壮年になります。意図があったかどうかは定かではありませんが、宮崎駿も「ハウルの動く城」の主人公ソフィーに同様の手法を当てはめています。(両巨匠が意図せず同じ事をしてしまっただけとは思いますが)

 

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この三部作は、

 

①「タイムバンデッツ」で、「ファンタジー」から「現実」に取り残される主人公を描き、


②「ブラジル」で、「現実」から追放され「ファンタジー」に逃避する主人公を描き、


③「バロン」では、遂に「ファンタジー」が「現実」を凌駕する。

 

と言った、「ファンタジー」と「現実」の在り方三態を示しているのです。

 

つまり、三部作を通して観ることで、手強い「現実」に対し、「ファンタジー」が遂には勝利する、という一連の物語を観ることが出来るのです。それこそ三部作が三部作である所以です。

 

なお、上記の作品はそれぞれ独立した物なので、一つずつ観るのでも構わないのですが、「三部作」として捉えると上記のような結論を得ることが出来るのです。だから、観る順番やタイミングは問いませんが、どこかで3本とも観ておくことをお奨めします。

 

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テリー・ギリアムが「現実」より「ファンタジー」に重きを置いているのは明らかです。


以降の所作品、「フィッシャーキング」や「12モンキーズ」や「ローズ イン タイドランド」や「Dr.パルナサス」でも同様のテイストが感じられます。


つまりテリー・ギリアム作品には「現実」と「ファンタジー」の相克関係がテーマとして通底しているのです。

 

テリー・ギリアム作品を見る場合、ソコを意識して観て欲しいと思います。

 

(テリー・ギリアム三部作について 終わり)