ボクと宮崎駿について(下) | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

  
How to look everythings essentially
or
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(続き)


アニメージュでは宮崎駿の特集記事が組まれ、マンガ版「風の谷のナウシカ」が連載され、遂には「風の谷のナウシカ」が映画化されます(1984年)。
(映画版はマンガ版の冒頭一寸だけしか描かれていないので正直多少ガッカリしました。また、当時はまだ「一部のマニア向け映画」という感じでもありました)

 

そして1985年にジブリが立ち上げられて86年「ラピュタ」以降の御活躍ぶりは言うまでもありませんが、1978年以来のファンとしては、「やっと世間が追いついてきた」と思ったものでした。
(今となっては8年間の出来事ですが、子供にとってはこの8年は長かった)

 

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そして宮崎駿は「巨匠」として崇拝されるに至るのですが、

 

実は「1978年以来のファン」にとっては、宮崎駿が「巨匠化」されてしまった事には一抹の違和感を感じてしまっています。

 

それは「巨匠化」しちゃったことでホントにやりたい事が出来なくなっちゃたような気がするからです。(もちろんジブリでの宮崎作品はすべて素晴らしいと思いますが)

そのはけ口が「モデルグラフィック」の(趣味の)連載に出てるんだと思う。
が逆に「モデルグラフィックの趣味の連載」がジブリで映画化されてしまう事なんかは、巨匠が故のジレンマだと思う。(「紅の豚」「風立ちぬ」)

 

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同じように「巨匠」が「巨匠」であるが故にジレンマを抱えてしまう状況は黒澤明にも当たると思います。

黒澤明がホントは「巨匠」として「乱」を作りたかったのに、なかなか実現出来ないから、習作として「影武者」を作る。遂に出来上がった「乱」と習作である「影武者」を比べると、正直「影武者」の方が面白かったりする。これも巨匠のジレンマです。(「乱」の井川 比佐志は絶品だったけど)

 

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なので、私にとって宮崎駿は、「1978年以来の大ファンだけど、巨匠と言われると違和感を持ってしまう」と言う、なんかどう言って良いのか判らないけど複雑な存在なのです。

 

(ボクと宮崎駿について 終わり)