科学者、技術者が考えていた最大想定事故の概念を上回る未曽有の大惨事から30年。

 廃炉の道は果てしなく・・30年間で進んだ?廃炉への成果は、
初代「石棺」の建設と、老朽化した「石棺」を封印する二代目「金属製シェルター」の建設だけ。
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 未だ、放射能汚染水との格闘が続く福島原発事故。初代「石棺」の建設に漕ぎ着けるには、
さらに何年の歳月が・・廃炉への道は、その先の先、百年後か千年後か?

最長40年??<福島廃炉への道> チェルノブイリの廃炉は絶望的だが・・
 廃炉の先進国?イギリスでも、何の問題も無く、1989年に運転停止し廃炉作業に入ったバークレー原発でさえ、原子炉解体は 線量の下がる60年後、2075年から・・

バークレー原発の入り口には、「CLOSED UNTIL 2074」の文字が・・
NHK・ドキュメンタリーWAVE「原子力“バックエンド”最前線 ~イギリスから福島へ~
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 岩手日報より
チェルノブイリ30年 廃炉の道は果てしなく
【 旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故からあす26日で30年になる。科学者、技術者が考えていた最大想定事故の概念を上回る未曽有の大惨事は、世界に衝撃を与えた。

 「安全神話」の崩壊。原発を持つ各国は深刻に受け止めなければならなかった。しかし、日本は「わが国では起こり得ない」と神話を守る。安全対策にスキを見せ、悲惨な事態を招くことになった。

 チェルノブイリ周辺は、いまだに立ち入り制限区域が敷かれている。傷痕は消えない。そんな中でいつ終わるか分からない廃炉作業が続く。

 30年たった現在を見つめることは、東京電力福島第1原発廃炉の今後を探り、日本の原発の行方を考える上で欠かせない。

 チェルノブイリの事故機は試験運転中に爆発した。旧ソ連や欧州など広い範囲を放射能で汚染。放射性物質は本県を含む日本列島各地でも検出され、原発事故の恐怖を実感させた。

 現場で消火に当たるなどした数十人が急性放射線障害で死亡。約33万人が移住させられた。周辺では甲状腺がん増加も指摘され、がんなどによる死者は4千~9千人と推定されている。

 今、放射能漏れを防ぐため、コンクリート製シェルター「石棺」が事故機を覆う。しかし老朽化が著しく、さらに金属製シェルターで石棺ごと封印する予定だ。だが、それは、本格的な廃炉作業の始まりにすぎない。

 封印後、クレーンやアームを使った遠隔操作で数十年かけて解体する。難しい作業だ。核燃料を取り出して安全に保管する技術の開発も課題。事故処理完了には100年以上かかる見通しだ。福島の今後の苦難が重なって見えてしまう。

 今思えば、チェルノブイリ事故は、原発の在り方と真正面から向き合う機会になったはずだった。しかし、日本の原子力関係者は「社会主義の特殊な炉ゆえの事故」「日本の炉では起こりえない」と不安を打ち消した。

 それが虚構であることを露呈したのが福島の事故だった。津波の高さが想定を上回る可能性を示すデータもあったのに無視。電源を喪失するとなすすべもなかった。システム設計や備えの甘さが過酷事故を招いた。

 あれから5年。壊れた原子炉建屋に地下水が流れ込み、高濃度汚染水は増え続ける一方だ。事態は収束などしていない。ましてや溶け出した核燃料の回収など極めて難しい課題が待ち受ける。

 チェルノブイリは結果的にソ連の崩壊をもたらした。原発は国家の命運を左右する。その重みを認識し、原発政策を考える必要がある】