チェルノブイリ事故で旧ソ連政府は、放射能汚染の酷い168の村を廃村にし、
住民の為に新しい”希望の街・スラブチチ”を建設しています。

 しかし福島原発事故で日本政府は、放射能の影響は軽微だと国民を騙し?
放射線量の高い地域に今でも住民を住まわせ続け、
事故を起こした東電は、30キロ圏以遠の住民には、未だにまともな補償も行っていません。

 日本政府と、25年前の旧ソ連政府、どちらがまともな政府でしょうか?

 Takaya syakaya様より
【首都キエフ市から約200kmの場所にある、人口わずか24,500人ほどの小さな市ですが、テレビ朝日のニュースで取り上げられたので、その名が知られるようになりました(特集1/2、2/2)。

1986年4月にチェルノブイリ原発事故が発生しましたが、プリピャチ市居住者などの移住先として作られた街です。1986年10月にスラブチチ市を建設する決定がソ連政府によって行われ、11~12月には都市計画が完了し、建設が同時に始まりました。1987年から引っ越しが始まり、1988年3月26日には正式にアパート割り当て命令が出ました。

この街の何がすごいかと言うと、その建設のスピードです。移住先の街を2年以内に作ってしまったわけですから、避難する人たちにとっては頼もしい限りです。社会主義だったソ連時代は個人が土地を所有できなかったために、国が思い通りに街を作れたわけです。日本では土地に関する法律はとても難しいので、こういった素早い移住先建設が困難なのが残念です。ただ、日本では原発建設を強行的にやってこれたのですから、その勢いで後処理もやれるのではないかと思うところもあります。

下の動画はスラブチチの街を映したものです。日本の汚染された地域の方々にも、このような移住先が用意されたら、気持ちも明るくなるのではないでしょうか。】



  asahi.comより
 【1986年4月に大事故を起こしたウクライナ・チェルノブイリ原発の南東十数キロ。放射線モニタリングなどにあたる3千人ほどが働いている町、チェルノブイリ市を訪ねた。

 ウクライナ政府によると、事故の影響で168の村が消えた。市の中央広場には、その名が記された立て札がアルファベット順に並ぶ。事故から25年の今春完成した。

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 市内には、放射線測定や生態系調査などを担う行政機関の拠点がある。市は、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り規制区域の中にあるが、集中的に除染され、職員らは例外的に滞在が認められて月の約半分を市内の寮で暮らす。朝夕には、通勤バスが広場周辺を行き交い、少しだけにぎわう。商店や教会もある。

 市の中心を離れると、ゾーンの現実がわかる。市内の目抜き通りの両脇には木造の廃屋が並び、プリピャチ川沿いにはさびた廃船が係留されたままだ。

 市内を出て原発に向かう。原発の約2キロ手前の「コパチ村」跡。荒野に三つ葉の形の放射能標識と看板が立つ。「住民1114人が1986年5月3日に避難した」とある。

 家々は降り注いだ放射性物質で汚染され、壊されて埋められた。そばの道路で地上1メートルの空間線量を簡易装置で測ると、毎時0.7マイクロシーベルトほどだった。】

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