プラハ発トゥーソン経由ドミニカ行 | 欧州野球狂の詩

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 野球選手たちは、あちこちに遠征をするという面においては、まるでパイロットのようだと言えるかもしれない。彼らは自身の選手としてのキャリアを積み重ねていく中で、時には新しい街へ、そして時には新しい国へと飛び立っていく。ダニエル・ヴァブルーサは、まさにこうした道のりを歩んでいる1人だ。チェコ・プラハ出身の21歳は、アリゾナ州トゥーソンの高校に1年間通った後、現在はドミニカ共和国・ボカチカで、ヤンキースのドミニカンサマーリーグのチームでプレーしている。


 プラハ・サバットと、コトラーカ・プラハというチェコの2つのチームでプレーしていた彼が、ヤンキースから契約のオファーを受けたのは、2011年7月のことだ。彼はヤンキースと契約する前、アリゾナ州ダグラスにあるコーチャイズ大でプレーする予定だった。今年、初めてドミニカンリーグでフルシーズンプレーしている彼は、ここまで24試合に出場して打率.309、1本塁打、19打点という成績。一方守備面では、捕手として57%という高い盗塁阻止率も記録している。


 ヴァブルーサは「今年は僕にとって2年目のシーズンだけど、自分自身が選手として、物凄く成長しているのを実感しているよ。打席でも、ホームベースの後ろでも、とても気分良くプレーできている。シーズンの残りの期間も、この調子で行けたらと思っているよ」と語っている。ただ、彼がアジャストしなければいけないのは、単にフィールドの上でだけの話ではない。ドミニカでの生活そのものに対してだ。


 「僕にとっての最も大きなチャレンジは、やはり言葉の壁に関してだね。僕はここに来るまで、スペイン語が全く話せなかった。ただ、今は特に不自由もなく、やり取りができていると思うよ」(ヴァブルーサ)


 ヴァブルーサが異文化の中に溶け込む努力をするのは、今回が初めてではない。彼は2008年から2009年まで、トゥーソンのプッシュリッジ高校に通っていた。その年、彼は元大リーガーのダグ・ジョーンズ監督が率いる、プッシュリッジ・ライオンズの正捕手として、26試合全てでマスクをかぶり、打率.494、35打点という成績を残している。彼は2A全米選手権決勝で、サンマニュエル高校と対戦した際、初回の先制適時打を含む4打点をマークしている。


 「プッシュリッジでプレーしたことは、絶対に忘れられない思い出だね」と彼は言う。「1年間、彼らとともにプレーできてとてもうれしかった。僕の人生の中で、間違いなく最高のシーズンの1つだ」


 ヴァブルーサがトゥーソンでの生活に適応するのは、それほど難しいことではなかった。彼は後攻入学前から、何度もその街を訪れていたからだ。12歳の時、彼はヴァブルーサ一家にとっての長年の友人で、アリゾナ・ワイルドキャッツの元監督である、ジェリー・スティットが責任者を務める、バージャ・アリゾナ・ベースボールアカデミーに参加している。また、プッシュリッジでは野球の他、サッカーとアメフトもプレー。ライオンズでのチームメートである、ジョーイ・デグロフの家族とともに、非常に充実した時間を過ごした。


 「プッシュリッジでの生活は、決して野球をプレーするためだけの物じゃなかった。新しい人々と出会い、新しい友人を作るための、とても大事なものだったんだ。僕はその1年間、一緒に時間を過ごすことができる素晴らしい家族に恵まれた。今でも、彼らのことは心の中に残っているよ」


 トゥーソンを離れ、ドミニカに移り住んだ今、彼は自らの選手としてのキャリアの中で、実に8つもの国々で野球をプレーした経験を持つ。その中には、イタリア、ドイツ、ロシアといった国々も含まれている。彼はまた、母国であるチェコの代表チームにも名を連ねているが、自分の母国における野球と、アメリカやドミニカにおけるそれとは、全く違うものだと彼は言う。


 「チェコでの野球は、アメリカやドミニカが持っているような、歴史と伝統をまだ持っていない。チェコでは、野球はまだアマチュアスポーツの1つに過ぎないんだ。でも、アメリカではそうじゃない。プレーのレベルだって、チェコと比べればはるかに上だ。もちろん、チェコの選手たちがハードにプレーしていない、とは断じて言わないよ。ただ、残念ながらプレーのレベルは、まだこっちには追い付いていないんだ」


ソース:http://www.baseballtucson.com/2012/07/27/baseball-career-takes-czech-native-from-tucson-to-domician-republic/