先日気づかされた、かなり重大なカミングアウト | 欧州野球狂の詩

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日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

 ちょっと、今日は俺自身についての、かなり重い話をしたいと思う。最近就活がなかなかうまくいかず、両親にも勧められて、カウンセリングを受けに行ったことがある。そこで気づいたのが(まだ正式に診断を受けたわけじゃないけど)、「どうやら俺は、アスペルガー症候群の持ち主らしい」ということだ。


 アスペルガー症候群(障害)とは、自閉症やADHD(注意欠陥多動性障害)などと同じ連続体に属する、生まれつきの精神障害だ。相手の表情やしぐさなどから、言外のメッセージを読み取ることができない、特定の人物や事象に対するこだわりが強い、2つのことを同時並行的に行うことができないなどの症状がある。精神障害と言っても、言葉や知能に遅れがあるわけではないので(むしろ、知能的には高い人が多いと言われている)、子供の時には「変わった子だな」と思われるだけで、特段気づかれないままに成人してしまうパターンも多いそうだ。


 俺の場合、言われたことを字義通りに受け取ってしまったり、趣味に没頭するあまりに、頼まれた家事を忘れてしまったり、部屋の整理整頓が極端に苦手だったりという側面が、以前からあった。しかも何度も同じことを繰り返してしまうので、人としてのスペックは低いんだろうな、と薄々感じていた面もある。


 そういえば、多くのアスペルガー患者と同様、俺も小さい頃から「自分は人とは何か違う」というような感覚を、不思議と持っていた。自分に対する他者の目線が、他の人とは何故か違っていて、どこか浮いてしまっているような自覚もあったんだ。ただ、それが何故なのかは、つい最近までわかっていなかったけど。アスペルガー症候群を抱えている人たちは、どうしても社会性に難があるため、交友関係がなかなか築けず、仮にできても狭いことが少なくないらしい。あぁ、まさに俺のことだな、と本を読んで納得した。


 最近両親と一緒に、成人のアスペルガー症候群に関するワークショップに参加した。そこでは小グループに分かれて、当事者の方々と実際に話をする機会にも恵まれたんだけど、やはり皆、自分と似たような悩みを抱えているらしい。当事者たちのケースも、本で何度か紹介されていたのを読んだことがあったけど「あぁ、これで悩んでいるのは俺だけじゃなかったんだ」と、実際に生の声を聴いて、改めて実感することができた。


 アスペルガー患者たちが一番悩むのが、やはり就職だ。現代企業において求められているのは、一番にはコミュニケーション能力。また仕事量も多く、一度にいくつもの仕事をこなさねばならないので、黙々と、1つの仕事を規則的にこなすことしかできないアスペルガー患者にとっては、最も不向きとさえ言えるかもしれない。また最近では、いわゆる「標準装備」という言葉に象徴されるように、人事の立場から見た社員の最低限のスペックがある程度決まっており、そこに達しない部分も少なくないアスペルガー患者は、たぶん真っ先に切られる存在じゃないだろうか。ワークショップで見たVTRでも、登場した当事者の女性が「就職活動中、「お前はこの社会にはいらない、死ね」と言われているような気すらした」と、涙ながらに語っていたのを思い出す。


 アスペルガーの場合、名称に「症候群」とか「障害」といった接尾語がつくので、どうしても人より劣っている印象が強く、自分がそれと知っていても受け入れられない場合も多いそうだ。俺自身も以前はそうだったけど、最近はむしろ受け入れる風に、気持ちが変わってきている。、というのも、アスペルガー当事者には劣っている部分もあるが、逆に優れた部分もあるからだ。「特定の人物や事象に対するこだわりが強い」「興味の対象が狭く、深い」といった側面は、裏を返せば「自分の興味関心のある分野には滅法強い」という長所になる。


 俺自身は趣味を楽しんでいるだけで、全くそんな自覚がないが、よくネット界隈では「なんでそんなにヨーロッパ野球に詳しいんだ」「お前凄いな」と言ってもらえることがよくある。それは凄くありがたいことなんだけど、よくよく考えたら、そう評価してもらえるくらい精通している(もちろん、まだ知らない分野も多数あるけど)というのは、このアスペルガーの特性に起因する部分なのかもしれない。


 俺に限らず、アスペルガーの持ち主は大抵、人並み外れた知識や技能を持っているので、「天才肌」と呼ばれることも多いらしい。事実アインシュタインをはじめ、文化や化学の面で、歴史に名を残す功績を遺した人々は、その多くがアスペルガー持ちだったことも分かっている。つまり、アスペルガー当事者には、一般的な人々(定型発達者と呼ばれる)が最低限備えている能力が欠落している一方で、同時に定型発達者には決してなしえないような、物凄い可能性を秘めているとも言えるんだ。


 アスペルガーには現段階で治療法がなく、改善することはできても、完治することは一生ないらしい。つまり、俺がもし本当にアスペルガーであれば、一生それと付き合っていかなければならないということだ。でも、それならそれで別にいい。アスペルガー当事者だけが持つ特性の良い部分を徹底的に利用して、でかいことを成し遂げればいいだけだからだ。


 そして俺はこれからも、読者の皆さんと今までと同じように付き合っていきたいと思っている。言葉も話せる、知能の遅れもない、思考だってきちんとできるし、喜怒哀楽の感情もちゃんとある。そして文章に書かれていれば、相手のジョークやユーモア、言外の意味などもちゃんと理解できるんだ。なので、この記事を読んだ後も、俺のことを色眼鏡で見るようなことはしないでほしい。俺だけじゃない、周りにいる「アスペルガー的な兆候を持つ人々」に対しても、蔑視するようなことをせず、きちんと接してあげてください。一番苦しんでいるのは彼ら自身だし(周囲の心無い言葉がもとで鬱病になったり、自殺してしまうケースもあるらしい)、彼らにも等しく命の価値はあるわけだからね。どうか、よろしくお願いします。