松原靖樹さんの強み発掘を受けて
別の切り口で人生を振り返ってみています。
人間の感情や感覚について体験してきた期間
そして人間の言語の本質について体験してきた期間が続きます。
日本語教師として、日本語を「外国語として」教えながら
他の言語を「母語のように」習得する実験を始めた私。
家にいる時も、通勤途中も、複数の言語のストーリー(ラジオドラマのようなもの)と歌を聞き続けました。
聞くというより流す、耳に入れるという感じです。
ただ流すだけではなく、ドラマのセリフも歌を歌うように同時に声にも出し
(通勤中は無理ですが)
1分から数分まとまって言えるようになりました。
ちょうど流行りの歌が、なんとなく頭に残り、そのうち歌えるようになる感覚です。
そこで、日本語のクラスに来ていた韓国や中国の学生に聞いてもらうと
発音がいいですね!
ソウルの発音です!
北京の人みたいです!
と褒めてくれるのですが
私は何をしゃべっているのか、意味はわかっていませんでした(笑)
もちろん大まかなストーリーはわかっているのですけれど、1つ1つの単語やフレーズが何を指しているのかはわからないのです。
でも、聞いている人たちには、ちゃんと韓国語や中国語として通じている。
ただ、これは真似をしているだけであって
その言葉が喋れているわけではありません。
英語の歌を、歌詞の意味もわからず歌っているのと同じです。
言葉が話せるようになるってどういうこと?
意味がわかるってどういうこと?
謎は深まる一方でした。
その頃、ホームステイに1〜2週間行って来た人達が話せるようになるのを見て
そのブラックボックス(ホームステイ)に入って確かめてみよう!と
離婚して数ヶ月。
4歳の子どもを抱えたシングルマザーの私は
ボーナスをつぎ込んで、韓国へホームステイに行ったのです。
その時のことは、ここに詳しく書いてありますが
まぁ、当たり前ですけれど
現地に行ったからって、突然話せるようになるワケはありませんでした
心を開くということは、なんとなくわかりました。
コミュニケーションには、言語より前に大切なことがある、というのにも気づきました。
でも心を開いてゼスチャーでやりとりしていれば済むのなら
人間は、何故こうも複雑に言語を発達させていったのか?
言葉が話せるプロセスもわからないし
言語の存在理由もわかりませんでした。
桑田和子のやりすぎ人生
1 プロローグ
2 感情から始まる
3 観察する
4 空気も石も私も同じ
5 外国語としての言語習得
7 ブラックボックスに入ってみる(この記事)