南北和合の旅(安倍晴明神社) | この美しき瑞穂の国

南北和合の旅(安倍晴明神社)

2016年12月30日大阪府大阪市阿倍野区の阿倍野神社をお参り後、ここから50メートルほど離れた場所にある安倍晴明神社を訪れた。




安倍晴明神社の鎮座地は陰陽師(おんみょうじ)で有名な安倍晴明(あべのせいめい)の生誕地と伝えられている。



安倍晴明産湯の井



安倍晴明は平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代まで陰陽寮(おんみょうりょう)を統括した土御門(つちみかど)家の祖である。


安倍晴明の生涯は様々な伝説によって語り継がれており、虚実がかなり入り交じっていると思われるが以下に記していく。


伝説によると安倍晴明は摂津国阿倍野の地で父・安倍保名(あべのやすな)と白狐・葛の葉(くずのは)の間に生まれた子であるという。


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晴明の幼少時代は史実には明らかになっていないが、伝説によると地面の虫を捕まえては食べてしまい、クモやゲジゲジ、ムカデやイナゴなども食べてしまうほど悪食だったという。


その晴明の悪食ぶりに晴明の母・葛の葉はこのままでは周囲に自分の正体が狐だとばれてしまい、晴明と共に暮らせなくなると嘆いたため、以後母を悲しませないよう晴明は悪食を止めたという。


余談だが今朝、脳裏になぜかムカデが思い浮かんだ。そしてムカデを食べる天敵はいるのだろうか、キツネはムカデを食べるんだろうかなどと妙なことを考えていた。


そしてその後、晴明の幼少時代の奇妙な伝説の話を読み、なるほど今朝思い浮かんだ事はこういうことかと妙に納得してしまった。


安倍晴明は陰陽師・賀茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)親子から陰陽道を学び、天文道を伝授されて50歳頃に天文博士に任じられたという。


晴明の出世は遅かったものの、天文博士としての才能に恵まれたようで貴族社会に認められていたという。そして師(もしくは兄弟子)である賀茂保憲の死後は陰陽寮内でめきめき頭角を現したという。


そして天元2年(979)晴明59歳の時、師貞(もろさだ)親王(後の花山天皇)の命により、親王の修行を邪魔する熊野那智の滝の天狗を封じたという。その功により花山天皇からの信頼を得た晴明は、以後一条天皇や藤原道長(ふじわらのみちなが)からも絶大な信頼を集めるようになったという。


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そして一条天皇御病気の際には禊をして天皇に奉仕したところ、たちまち病気平癒されため、その功により正五位上に叙任されたという。


史実における晴明は大器晩成型だったようで出世は遅かったがその分長生きし、享年84だったという。


なお伝説だと安倍晴明には芦屋道満(あしやどうまん)という非官ながら凄腕の陰陽師のライバルがいたとする話が有名だ。


安倍晴明が藤原道長のお抱え陰陽師だったのに対し、芦屋道満は道長の政敵・藤原顕光(ふじわらのあきみつ)のお抱え陰陽師だったとされ、顕光の命により藤原道長に呪詛をかけたという。


しかしその呪詛は晴明に見破られ、道満は播磨に配流されたという。この後、晴明に道満討伐の命が下り、播磨の地にて晴明と道満は三日三晩に亘って激しい術合戦を繰り広げ、晴明が勝利したという。だが晴明も力尽きたという。


晴明と道満の伝説は他にもいろいろある。


ある時、帝の前で呪術合戦を行うことになった際に、帝が長持に大柑子(夏みかん)を15個入れて出し、晴明と道満に中身を判じさせたという。


その時、道満は大柑子が15個と正確に言い当てたのだが、晴明は鼠が15匹と答えた。はたして長持の蓋を開けてみると晴明の言った通り15匹の鼠が飛び出したという。これは晴明が式神に命じて中身を変えてしまったからだという。


この呪術合戦に破れた道満は晴明を深く恨み、晴明の父安倍保名を殺してその亡骸を犬や鳥に食べさせてしまったという。


すると晴明は呪術によって死んだ父を一条戻り橋で蘇らせ、親子で道満を討ちとったという。




こんな伝説もある。


宮中で安倍晴明と呪術合戦をして破れた道満は、晴明の弟子となった。そして晴明が遣唐使として中国に渡っていた間に晴明の妻と密通し、陰陽道の秘密の書・金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)を写し取ってしまったという。そして晴明が帰国すると道満は晴明を殺害してしまったという。


この話には更に続きがあるパターンもあり、晴明の死を知った晴明の中国での師・伯道上人が晴明を蘇生させ、蘇生した晴明は道満を討ったという。


このように芦屋道満は悪人に仕立てられているが、道満が配流された播磨には道満の子孫が残って活躍したことから、播磨では慕われていたのかもしれない。




他にも晴明は鳥の会話を理解した、子供の頃に百鬼夜行が見えた、瓜の中に潜む毒蛇を透視した、人の過去未来を見透した、葉っぱを投げて蛙を潰した、式神を自由自在に使いこなした等様々の神秘的な伝説に彩られている。どこまで本当かは分からないが、そこは敢えて深く追究しないことにしよう。





安倍晴明神社拝殿



安倍晴明神社には2016年7月2日に都内の安倍晴明ゆかりの立石熊野神社にお参りした御縁によって今回訪れた旨を心の中で告げた上で、拝殿前にてアワの歌とフトマニの四十八神の御名を唱えてお参りした。すると『カー、カー、カー、カー』とカラスが四回鳴いた。

この示しには何か深い神意がありそうだと思った。何を表しているのか分からないがこの示しにお参りの手応えを感じたのであった。



こうして安倍晴明神社をあとにすると、この日宿泊する宿のある神戸に向かった。


(つづく)