立石熊野神社 | この美しき瑞穂の国

立石熊野神社

本日は東京都葛飾区立石の熊野神社を訪れた。



ここには十数年前に訪れたことがある。その頃の僕は剣にまつわる神社をあちこち探しており、この神社は石の剣を御神体としていることを知って訪れたのである。


そしてこの神社をお参りした時にある観える友人にメールしたところ『なぜ(観えないのに)こんな所を見つけられたの?』と驚かれた。自分には観えないだけになぜそんなに驚かれたのか分からないが、友人にはすごいものが観えていたのだろう。





この神社にはその時に訪れた一回きりですっかり忘れていたのだが、この梅雨に都内の縄文をテーマに神社巡りをしていてふと石の剣を御神体とする神社にお参りしたことがあったなと思い出してネット検索し再発見したのである。




本日は神社へ向かう経路をナビタイムのナビに頼って向かったが、以前お参りした時は住所だけを頼りに辿り着いた。今思えばよくこんな所に辿り着いたものだなとつくづく思う。友人がなぜこんな所を見つけられたの、と驚いた言葉は今の自分から過去の自分に問いたいぐらいである。





熊野神社拝殿



熊野神社神社の御祭神は伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、速玉男大神(はやたまおのおおかみ)、事解雄大神(ことさかのおおかみ)。


当社は長保年間(999~1003)に陰陽師安倍晴明により勧請されたという。


平安時代は熊野信仰が盛んな時代で、花山天皇が熊野に行幸されて那智の滝で一千日の修行をされていた時に邪魔をしにきた天狗を安倍晴明が封じ込めて天皇の修行をお助けしたという。


その後、晴明は熊野大神勧請の旅をして当地を通りかかった際にこの地を清浄なる地として定め、陰陽道の五行説の五行にかたどり境内を三十間五角とし熊野三社権現を奉祀する五方山熊野神社を創建したという。



五方山熊野神社の神紋



神紋は五行を表す五角に囲まれたヤタガラスである。


当社の御神体は石の剣とされている。石の剣は縄文時代末期頃から祭具として作られ始めたようで、当地には太古の昔より人の住む集落があったようである。


そして当社から少し離れた公園には立石の地名の由来となった霊石が祀られている。







立石は古墳の石室を造るために使われたものと推測され、その石材は房総半島の鋸山で採集された房州石だという。そんな石がはるばる当地まで運ばれてきたことに驚きを感じる。立石は一説には石器時代の人の信仰対象であったとも墓標であったとも考えられているようだ。






本日、太古の昔を偲びながら熊野神社拝殿前にて火水埴の清祓いを奏上し、御祭神の御開運を祈ると途端に風が吹いた。それはまるでお待ちくださっていたかのような優しい風であった。




十数年前に一度お参りしただけなので由緒はおろか神社名もすっかり忘れていたのだが、都内にこのような古い由緒ある神社が残っていることはとても有り難いことである。 縄文のテーマをきっかけにこの神社を思い出すことが出来て本当に良かった。



これからもこのような古社が地域の人々に愛され大切に守られていくことを心より願う。