3.11『東日本大震災』から3年 !! | “ Ackee ” の ブログ !! (b^-゜)

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昨日、3月11日はあの『東日本大震災』から3年が経過した日である。

今、Blogをご覧に成られている諸氏の方々は、

発生当時の出来事をどの様に思われただろうか?

小生自身大きな地震を経験したのは、これで三度目である。

3年前の今回の地震。昭和53(1978)年6月12日の『宮城県沖地震』。

昭和43(1968)年5月16日の十勝沖地震(三陸沖北部地震)

過去に二度の地震を経験しているからだ。

親は、1968年に発生した十勝沖地震の恐怖は余り覚えてなかった様だが、

自身はあの当時の揺れの凄さをハッキリと覚えている。

当時、小学2年生だった頃の授業中、突然の大きな揺れに皆「きゃあ~」

と言う叫び声と共に、パニック状態に陥った事を思い出す。

担任の先生が「直ぐに机の下に隠れなさい」と言った事を思い出す。

当時は、鉄筋校舎ではなく木造校舎であったが故に、

柱が左右に揺れながら、波を打った様に校舎全体がしなっていた光景を

今だに思い出す事がある。

(宮城県南部(仙台市-山元町)で建設が進む総延長31.8km、

海抜7.2mの防潮堤。被災地は深い悲しみを抱えつつ復興へ歩む。

『岩沼市上空から名取市方面』)


昭和53(1978)年の宮城県沖地震では、

十勝沖地震より規模が大きかった。

当時、高校3年生の頃である。

本震が来る前に大きな前震があった事は記憶している。

しかも夕方の時間帯に発生し、

ブロック塀は倒壊して死傷者も多数出た。

今回の地震の様にライフラインが寸断され、

1ヶ月近く不自由を強いられた事がある。

しかし3年前の『東日本大震災』は、

自身にとって一生忘れる事の出来ない出来事となった。

大きな揺れが3分以上は続いた。しかも1回でなく2回も続けてである。

その後の大津波による戦慄の恐怖…。正に地獄絵図そのままであった…。


あの恐怖から、既に3年が経過した。

復興も徐々に動き出してはいる。

然し地域によって復興自体に格差が生まれてきている

現実を皆さんに知って戴きたい。

特に津波の被害を受けた沿岸部の小集落に於いては、

そのままの地域も存在している。

特に沿岸部は高齢者の占める人口比率が極めて高い。

復興計画を立てている沿岸の自治体でさえ、

内陸部や都市圏に居住地を移す人も後を絶たず、

復興計画自体そのものを見直す所もあり、

遅々として進まないのが実情である。

(東日本大震災発生から早3年が経過。

町は徐々に復興が進み、今では震災前と変わらない

街の様子を伺わせる地域もあり、ホッと胸をなでおろす一方、

3年間経過しても未だに当時のままの場所があったりと

復興の格差が見え始めているのも現実。)


仮設住宅で不自由な生活を余儀なくされている世帯では、

体調不良を訴えている人も多い。

それが原因で亡くなっている方も後を絶たないのが現実である。

震災を経験された事のない地域の方達からみれば、

「ぴん」と来ないかも知れない。

しかし、ここ最近、東海、東南海、南海沖地震が起きる事も想定した、

様々な防災対策が議論を呼んでいる。


当 Blog Siteをいつもお越しの方達には、プロフィールサイトにある

震災関連の標語を敢えてたくさん出している。

しかしこれは、全国の皆さん方に震災への風化を避けるための

被災地からの『切実な悲痛な叫び声』であると云う事を是非ご理解して戴きたい。


当然の事ながら、『復興宣言』が出来るのは果たして何年後になるのか?

これは正直、小生とて分らない…。10年先か20年先になるのか…。

次の時代を担う世代が引き継いで行くのかも知れない。

震災前の『本来のあるべき姿に取り戻す』まで、苦難に満ちた茨の道が続く。


【Blog読者の皆様へ】
いつも当 Blog Siteへお越しを戴きまして、ありがとうございます。

震災から昨日(3月11日)で、『1,096』日が経過しました。

この日を境に新しく生まれた子供達は、

この震災の恐ろしさを経験してない世代にあたります。

この日以降に生まれてきた子供達のために、

我々は今何をなすべきなのか?

未曽有の大震災を経験した私達に課せられた、

大きな責任でもあります。

次世代のニッポンを担う可愛い子供達の未来のために…。

この出来事を次世代に未来永劫に伝えて行く事が我々の

使命ではないでしょうか?60代半ばから下の世代が

戦争を経験してない戦後生まれが過半数以上を大きく占めた

この国の全ての世代が大震災という恐ろしさを経験しました。

平成23(2011)年3月11日、午後2時46分。この日以降に生まれた

子供達のために今、このBlogをご覧に成られた

皆様方、語り継いでいって下さい。

それが私くし達、被災地・東北からのメッセージであります。


【追伸】下記のステッカーを本日より当 Blog Siteのプロフィール・サイトの

左側に復興宣言が来る日まで、無期限で掲示させて戴きます。

震災前よりもっと素晴らしい『美しい国 ニッポン』を取り戻すために…。

JG7MER / Ackee