今日は術後2日目。もう明日は退院です。

手術前日(6/7)の夜から
「怖いなーやだなー」と話す息子をなだめ
手術当日(6/8)の朝は
朝9時から飲水制限がかかったので
8時59分58秒までお茶を飲んでましたw
それからきっちり11時までの飲水制限を守り
いざ、手術室へという感じでした。
手術室に行くまで私の服の裾を
ギュッと握りしめるので、その小さな手を
上からギュッと握って
「大丈夫だよ、絶対に大丈夫だよ」って
息子に言いながら、自分に言い聞かせてました。
手術室に到着すると息子の好きなHIKAKINさんの
YouTubeをテレビ画面いっぱいに流してくれて
手術台の上にあるテレビ画面にも
でかでかとHIKAKINさんが出ていました。
にも関わらず、テレビ画面を見ることもせず
つぶらな瞳で私をじっと見つめる息子
こっちが泣きそうになる。
でも、彼は泣かずに言われた通りに手術台の上に乗り
私は溢れそうになる涙を堪えながら
息子日手を振って麻酔がかかる直前に
フェードアウトいたしました。
病室に戻ってすぐ、涙が溢れました。
小さな小さな息子が今から6時間頑張るんだ。
この手術が終わると耳が聞こえなくなるんだ。
そんな事が頭の中に浮かんでは消えてを繰り返し
しばらく泣き崩れてました。1人で。
でも6時間泣き続ける事はさすがになくて
図書館で借りていた長編小説を淡々と読みながら
その世界に没頭して、頭を切り替えました。
読み終えて、ハッと時計をみると16時半。
そろそろ終わるか・・・と思うと
また長男と別れた手術台の上の姿が目に浮かんで
涙がポロポロと・・・
11時15分に呼ばれて始まった手術は17時15分という
予定通りの手術時間で呼んでもらえました。
手術室に迎えに行く時も看護師さんが
私を呼んでくれて一緒に迎えに行きました。
もう途中から涙が溢れてきて
我慢しようにも出来ず、長男の姿をみると
もう、堰を切ったように涙が溢れてきて
「○○ちゃん、分かる?ママだよ?」
「よく頑張ったね、偉いよ・・・」と
1人号泣しながら頬をなで、手を握りました。
気持ちが落ち着くのに時間がかかりましたが
まだ麻酔でうつろうつろしている息子のベッドを
麻酔科の医師、看護師と共に押しながら
病室まで戻りました。
病室に帰ってからは大変でした。
まさに麻酔の影響による嘔吐の連続。
それに加え吐き気止めは座薬しかないという看護師
座薬を入れようとすると拒絶する息子。
結果、点滴の横からいける何か指示をもらえませんか?
と、元ナースっぽい意見を出してしまい
側管からプリンペランを小児用の指示に変えて
入れてくださいました。
帰室時刻が17時半だったので
それから1時間ぐらいたってから
吐き気も収まり入眠してくれました。
その後20時半頃に「喉乾いた」と言い始め
ちょうど3時間だったのでナースに見てもらいながら
飲水をさせてみました。すごい勢いで飲みました。
その後「トイレに行きたい」と言い始めましたが
トイレまで歩けるのは5時間後の22時半から。
それまで待たせるのも大変でした。
22時半になったらトイレ行くから起こしてね
と、言われ再び眠りについた彼を
約束通り22時半に起こしてトイレへ(笑)
その後はぐっすり眠ってくれました。
私はと言うと医師の指示で患側を下にしないようにと
言われていたので徹夜で彼の体位を整えてました。
寝返りをうつたびに、体位変換をして
朝までずーっと看病をしていました。

6/9
私の目がもう限界を迎え始めた6時頃に
息子が目覚めてくれました。
私の顔をみて小さな声で「ママ」と言ってくれて
目が覚めたのを覚えています。
「無事に戻ってきてくれてありがとう。」
と、まず伝えました。
その後は点滴が入っているのが嫌で仕方なかったらしく
ほぼ喋ることもせず、動くことも嫌がっていましたが
朝食の前に抜針してくださったので
そこからは少しずつ元気になってきてくれました
ご飯は「お腹空いたー」としっかり食べてくれて
わたしもホッとしました。
その日の午前中と夕方に主治医と担当医が
病室に来てくれました。
聞きたいことを夜中に書き出していたので
それを見せたところミニ講義をしてくださいました。
息子の耳の中の様子はこうでした。
鼓膜の後ろ側に真珠腫があった
ツチ骨とキヌタ骨は溶けている部分があった
それらの骨を使って次回(1年後の夏)の手術で
骨を建設して聴こえるようにする
切断した骨は耳の中に保管している
ツチ骨は1度鼓膜から剥がしているので
また自然に上手くくっついてくれたらいいが
それはどうなるか分からない。
息子の真珠腫は1部皮が破綻していて
そのために真珠腫が巨大化しなかったと思う
破綻している部分から真珠腫の中身が
鼻の方に流れていたと思われる
耳の後ろを切っているが皮下を溶ける糸で縫合し
表面は接着剤でとめてある
水に濡れても大丈夫
日焼け後の皮のように剥がれてくる
無理に剥がそうとせず、自然に剥がれるのを待つ
今回は良いが、次回の手術後は
飛行機はだめ、新幹線のトンネルは△
エレベーターや車のトンネルは○
と言った感じで圧を耳にかけるのはNG
プールは時期がくればいいが
あまり潜って欲しくはない
今回の手術に関わらず大きな音のする所へは行かない
たとえば、パチンコ店なんかは耳栓をする
などなどなどなど、この他にも色んなことを
たくさん教えていただきました。
もう、息子は主治医の先生の大ファンに(笑)
わたしも、主治医の先生が大好きになりました!
先天性真珠腫は今後10年のフォローが必要なそうです。
いつ再発しだすか分からないそうです
それにCTは放射線なので
できるだけ回数を減らしたい。
今後再発すること無く行けたらなあと
思う次第であります

9日は時間が経つごとに元気になりました
夕飯の時間になれば笑顔もみえました
顔面神経が破綻されず本当に本当によかった
もうこの笑顔に会えないかもしれないって
術前は何度も何度も思っていたので
息子の笑顔をみるたびに胸が締め付けられるほど
嬉しい気持ちになりました。

6\10
今日は朝からパワフル元気に(笑)
痛みもなく、吐き気もなく、めまいもなく
もう、すこぶる元気に目覚めました。
元気いっぱいだったので、院内探検をして
院内のカフェでタピって(ू•‧̫•ू⑅)
売店で弟へのお土産を買わされて・・・(笑)
DVDを2本見たり、もうやりたい放題でした
そんな術後2日目は
元気すぎるので勉強もさせました(笑)
明日は予定通りの退院です
息子と話し合って1週間は幼稚園を休むことにしました
それもそれでいいかなと思いました
彼はもう5歳。彼なりに色々考えて
外来受診の後の方がいいという結論に至ったのです。
私もそれでいいと思いました。
これから、プールが始まる時期になって
一緒に入れないのは可哀想ですが
本人も自分の置かれた状況をきちんと理解していて
あー、この子は本当に成長したなあと。
今回の手術でまた一回り大きくなったなあと
見せつけられたような気がします。

先天性真珠腫はまだまだ
知られていない病
息子も今まで1度たりとも
中耳炎になった事がありませんでした
耳鼻科を変えてカメラを入れるまで
全く知りませんでした。
真珠腫が骨の代わりに音を伝達していたので
聴覚検査も異常が出たことはありません
そんな怖い病があるんです
それを知ってもらいたい。
そういう思いで今回記録してみました。
また、通院や次回の手術もあるので、
その都度更新出来たらなぁと思います
長男が先天性真珠腫と診断されました

なにそれ
聞いたことない
なんて病気?

全くの無知な病気でした
新しく変えた耳鼻科に
アレルギーの診察をお願いしに行ったのは去年の冬。
春に大きい病院へと紹介されました。
鼓膜を挟んで前後に見える
真っ白なあやしいかげ。

「間違いないでしょう。先天性真珠腫ですね。」

先生の言葉に分かってはいたものの
動揺しました。

今まで何も無かったのに。
ちゃんと耳だって聞こえてたし
検査で引っかかったこともなかった
中耳炎になったこともなかった
なんで?なんでうちの子なの?

これが正直な感想です。

だけど、かかりつけになったクリニックの先生には
こう言われました。
「これは生まれつきです。胎児の時の話。」
「だから、お母さんが自分を責めることは全くない。」
すごく救われた。

長男はまだ5歳
わたしは不安だらけ。
だけど、もう受け入れるしかなくて
手術以外の方法はなくて
なんなら子どもの時にやった方が良いらしくて
それならと思って気合い入れたの。

で、明後日から入院です。
なので、ちょっとしばらく
そんな話をここにかけたらなぁと思います。
みなさーん!お久しぶりでーす!

なんて、見てる人もいないでしょう(笑)
長男5歳、次男2歳になりました。

色々近況報告します!
まず、夫が昇進しました!
おめでたい事ですが来春から転勤になる予感!
つぎ、わたし!
来春ゴールデンウィーク明けから働く予定です
ブランク9年看護師。あは。大丈夫なんか。
つぎ、長男!
来春から年長さん。もうすぐ小学生です!
つぎ、次男!
来春から満3歳入園します!

と、まあ今年はいろいろな変化の年であります
逆境も多々あるかと思われますが
がんばるぞおおおおおおお!

そ、し、て
次男産後、不妊治療の呪縛と妊娠から
解き放たれたわたしは肥えました。
食べてたんだろうな〜と思う。
毎日、ご飯は美味しいし悩みはないし
いや、無いことはないけど
不妊治療みたいな悩みはないじゃない。
だから、ホント毎日楽しく・・・
・・・・・・・・・・・・え

気づけば73キロ(不妊よ!MAX体重)

・・・・・・・・・・・・え
人生初の70キロ台を目の当たりにしたので
ダイエットを始めてみました。
1月13日から始めております。
なので、ここからはジャンル変更もして
ダイエットブログはじめまーす!!

2022.1.13 68.55キロ
2022.1.14 68.00キロ
2022.1.15 68.50キロ
2022.1.16 67.80キロ
2022.1.17 67.75キロ
2022.1.18 68.60キロ
2022.1.19 68.25キロ
2022.1.20 68.30キロ
2022.1.21 67.10キロ
2022.1.22 67.75キロ

現時点ではこんな感じです!
もともと73キロあった時から68キロになるまでは
ショックのあまり体重計に乗れず
普通な食事(NO暴飲暴食)で痩せてました。
だからスタートは68.55キロからと言うことで!
ゆる〜く始めております!

朝 プロテイン(大豆) お腹空いてれば温泉卵
昼 糖質を抑えた食事(鍋、こんにゃくパスタなど)
夜 糖質を抑えた食事(上同様)

やってることは、糖質をできるだけ減らすこと!
ごはん、パン、お菓子、麺やめてます!
65キロ切ったら1回ラーメン食べようかなって
夫と話しながら一緒に始めてます!

目標は相変わらず55キロを切るです!
高校生の頃の自分の体重が51キロほどだったので
その頃に切実に戻りたーーーーーい!
だけど、一気には無理だって知ってます。
だから頑張りたい!頑張る!
とりあえず55キロ目標で5キロずつ少しずつ
春までに痩せられたらいいなぁ。
そして入園式は細く行きたいなー。なんて。

がんばるぞ!おー!
産んだのは9月末。
でも、私はまだ実家にいます(笑)

実は里帰り出産に期間を決めていないまま
里帰りしちゃったのもあって
それに加えてブラザーズのRS感染
実家の居心地の良さ
何よりも夫が私の実家を気に入りすぎていて

まだ、実家にいます

次男はもう首が座るかもしない(笑)



私の実家、実は新居とそんなに遠くなくて
実家で生活しながら衣替えしたり
布団を入れ替えたりの準備はしています
あとベビーベッドとかも準備したよ!
でも、なかなか抜け出せない(笑)

甘えています・・・かなり

ご飯はたまにしか作りません
洗濯物も回すだけ
干すのは母で畳むのはなぜか父(笑)
掃除はたまにしていますが
本当に家事ほぼやっていません
でも、そのおかげで育児には手が掛けられる
それに、見てくれる人もたくさんいて
ストレスなく過ごせている
それにプラスして「いつまでもいていいよ」
との、優しい声掛け(笑)

もう、離れられない(笑)

ただ、このままじゃだめた
とも、ちゃんと思っていて
ついに年明けから
実家脱出大作戦を挙行予定!
まだ、ブラザーズが風邪気味で
もう少しお世話になろうかなと思っていて
でも、さすがに年内には準備して
新居で、自分たちだけで暮らしてみよう
と、夫に話したところ「え、もう?」と。

あははは・・・もう?じゃねぇよ。

やっとだよ。

とりあえず、年末年始は実家で。
目一杯甘えまくります!\(^^)/

育児奮闘中のアラサー女ひーちゃんです

1/24(長男妊娠反応が出た日)
2/1(次男妊娠反応が出た日)
こういう日って忘れられない。

めっきり寒くなってきて
冬を肌で感じるようになって
わたしの30歳の誕生日も近付いてきて
なんとなく、フワッと
頭の中に過ぎるのは
この時の感情と情景。

長男の時は初めて見た
妊娠反応に驚いて
夫と2人抱き合って喜んで
泣いて泣いて泣いて・・・それはそれは
本当にただ嬉しいだけで

次男の時は体外までやって
やっとの妊娠反応で
これまた、嬉しかったけど
胎嚢や心拍見えるまでは
やっぱりドキドキなままだから
手放しでは喜べなくて
それに出血も続いてたりして
ソワソワしてたなぁ・・・
出先で出血見ては
顔面蒼白して車で寝てたり
なんか、本当に辛い治療だった

そう考えるとさ
やっぱり自然妊娠できてる人って
すごい羨ましいと思ってしまう
不妊以外にもさ
妊娠にまつわる悩みはたくさんあって
悲しいかな、それは病であったり
遺伝子の力不足であったりするわけだけど
そんな人たちは
確実性のない治療に向き合って
毎日戦うわけですよ。
あー今回は上手くいってくれって
祈りながらお腹をさすって・・・
周りからの視線や夫の悪気ない一言や
義両親からの何気ない一言に
耐えながら戦うんですよ
そうするとさ、治療してる自分は
「私だけが子ども欲しいのかな?」
「周りは欲しがってるけど私はどうかな?」
「いつまで治療すればいいのかな?」
「どこまでやれば納得できるのかな?」
なんて、すぐに答えの出ない
無限ループの自問自答を
長い長い診察待ち時間の間に
考えちゃったりしてさ。


こんな悩みを抱える人が
世の中から消えてしまえば
そんな特効薬?が出来ればさ
もっともっと子どもが増えて
経済も安定して日本中が幸せになるのにな。
身も心もボロボロになりながら治療を受けて
授かれるかどうかも分からないのに
期待しては裏切られ
そんなこと繰り返して歳を取り
私が治療に通ってた時もね
20代から50代くらいの人がいたんだよね
子どもを授かりたい気持ちは同じなんだよ
年齢なんて関係ない

誰でもいい、ここで人任せなのも
どうなんかとは思うけど
私には到底出来ないことだから。
ただ、誰でもいいから
こんな悩みを抱えている人達を
誰か救ってあげてください。
経済的に苦しい人もいる。
補助金制度はもう少し金額を上げて欲しい
若い人たちはお金がない人が多い
働きたいけど、働きながらの通院は
本当に本当に本当に大変なんです
お金が無いから治療を受ける時間も限られる
どんどん不妊治療につぎ込んでいって
やっと子どもが出来たら
そこからまた育児にお金がかかる
子どもができなかったら?
年齢で制限を受けるようになる
ある程度お金のある40代からの夫婦達は?
卵の数や精子の状態
授かっても妊娠継続できるか
はたまた高齢出産のリスクが立ちはだかる

人間80年生きられる時代
もっともっと出来ることないのかな

わたしは奇跡的に
2人のブラザーズに囲まれて
今とっても幸せだけれど
この幸せはお金では買えないけどさ
でも、治療していた時の事考えたら
経済的な苦しさは半端なかったよ
その痛手はもちろん今にも響いてる
自然妊娠できた人達は
こんな出費もなく
自分の思うように働く事もできて
育児にお金をかけたり
子どもの成長ための資金だって貯められる



ただ、ただ
いいなって思っちゃう。







こんばんは☆
誰か見てくれている人もいるのかなーなんて
思いながら記録しています。

育児に追われるって言うじゃないですか。

この言葉の意味、
2人目が出来るまで分かりませんでした

我が家の現在の家族構成は
夫、私、長男(3歳)、次男(0歳)です
ちなみに、長男は4月から
幼稚園入園予定なので家にいます。

6時前、朝起きて朝食作り。
夜中乾燥させた洗濯物を畳み収納。
その間に次男が起きればオムツ替え&授乳
そんな事してると長男起きる
長男をトイレに連れていく
(これ自分で早く行って欲しい)
朝食の準備をして、長男に食べさせる
(長男は1人で食べてくれない)
夫を送り出し、時計を見るとすでに8時
次男が起きる前に急いで朝食を済ませ洗い物
次男が目覚めるので
オムツ替えて授乳タイム
でも、飲み残しがあるので搾乳
(わたしの乳リセットは朝です)
長男を着替えさせて、自分も身支度
すると、時計はすでに10時を指します
次男が寝ていれば長男と外遊び(30分)
その間、次男は窓際で
バウンサーにのってもらい
外からいつでも確認出来る状態にしています
家に入って11時。次男が起きるので
授乳して、、すると、もう昼食作りです。
12時半までに作って、長男と食べます
それから、家の中遊びします
(おえかき、絵本読む。)
でも忙しい時はDVDを見てもらってます
amazonプライムとか使ってます(笑)
14時頃にはお昼寝をしてもらいたいので
先に次男の授乳やオムツ替えをします。
が、この時間は
次男の大便タイムによく重なります。
出ればすぐに交換。
結局、長男が寝てくれるのは14時半くらいかな
早い時は1時間で起きますが
寝てる時は2時間なんてすぐに経ちします。
子どもたちが寝ている間に部屋の掃除したり
昼の食器の片付けしたりします。
あと、夕方に向けてお風呂の準備とか
本当は、この間に夕飯作りしたいんですが
まず、長男が起きるまでに
掃除まで終わらない事が多々有ります。
長男が起きてきたら一緒に夕食作り。
途中湯船にお湯はりをしたりして。
それから、また次男のオムツ替えて授乳します
日中こんなことばっかりの連続。
それとは別に次男はミルク吐き戻したり
うんち漏らしたりするし
長男はお茶こぼしたり、コケたりして泣きます
きっとどこの家もこんな感じなんだろうな。

でも、でもね。

毎日幸せを感じているんです。
息子達ありがとう!大好きだよ!



おはようございます!
12月になって
すっかり寒くなってきましたね!
今年は秋があったのかな?ってくらい
夏▶︎冬感を感じています
子どもたちの夜の服もかなり迷いながら
長男は寝始めだけしか布団に入らないので
スリーパーを、次男はずっと布団ですが
手が氷のように冷たくなるのでミトンを
(顔引っ掻き防止も兼ねてさせています)
わたしは、、、
出産▶︎NICU通い▶︎次男の体重チェック通い
▶︎兄弟RSウイルス▶︎痔
という、9月からの怒涛の忙しさを終えて
はい、今朝から喉が痛い感じ。。。

あーーーーー

ってなっています
自分のことは後回しにしがちだけど
やっぱりちゃんとしなくちゃって
気合い入れ直したところです!

そして!
タイトルにもあるように
白斑!
できてしまいましたー。

白斑?
なんだそれ?
ってなる方必見!!
白斑とは、乳口炎のこと!
乳腺が詰まっていたり、水泡ができていたり
白くなって見えていることのようです。

乳口炎・・・え、乳腺炎?
って、私の中でなってたんだけど
それとはまた違うのかな?
乳口炎の間に治せていればOKということかな
と、いう解釈をしています。

あー、一難去ってまた一難
という感じですね。

ストレスや疲れが溜まってんだろなって
でも、育児に休みはないでしょ。
それに年末に向けて
クリスマスや年越し、はたまた
実家でお世話になっている母の誕生日
(すんまさん、まだ実家なんすw)
イベント盛り沢山なんだよねー。

なにか風邪の引き始めに効くものないか
探してみまーす!\(^^)/

午後8時頃

担当助産師の提案で

たくさん写真を撮らさせてもらう。

長男の時は検査で低血糖が分かって

すぐに連れて行かれて

あんまり接する時間のないままに

NICUに入ってしまったので

辛い時間が長かったけど

次男とは長い時間触れ合う時間があった!

まだあんまり実感が湧かない感じがした。

自分の胸の上にきた時に

あー終わったんだ。

あの壮絶すぎる時間には

終わりがあったんだと思った。


ここから、時間の経過は覚えていないけど

後腹と、会陰の痛みでカロナールを2つのむ。

出血もかなりしていたらしく

身体は疲れきってフラフラ。

眠りたいけど

アドレナリンが出過ぎていて眠れない感じ。病室に戻る前にパパと二人で

次男と窓越し面会。

改めて見ると

あの壮絶な戦いを思い出して涙が止まらない。

無事に産まれてきてくれた事に感謝した。

パパともっと話したかったけど

長男が実家で待っているので、バイバイ。


血液検査やその他諸々の検査は

問題なくて順調。母子同室も始まった。

母子同室してから、何となくだけど

哺乳力の弱さを感じていて

夜間も呼吸が辛そうだった。

体が大きいから肩枕してねって

言われていたので、実行。

でも、お互いになかなか眠れない夜。


その翌日にはNICUへ。

「黄疸ですね」なんて簡単にいわれて

長男の時もそうだったしと思って

初めは気楽に考えていた。小児科の担当医師も軽い感じだった。


でも、状況はどんどん悪化。

1面で1日だけのはずだった光線療法も

気づけば3日目の3面へ。

母乳もあげないでと言われて

もう辛い・・・ただ辛くて

転院の文字も頭に浮かんでた。

パンパンに張ってくる乳。

でも、飲ますことも出来ずに搾乳する

周りの部屋から聞こえる

ベビーの泣き声を聞きながら自分は1人搾乳して冷凍バッグに入れる

この時間がすごく辛かったなあ。

搾乳以外の時間はネットで調べまくってた。


息子に当てはまるのは

〇新生児黄疸

〇溶血性黄疸

この2つが考えられた。

新生児黄疸は誰しもなるものだし

長男もなっていたので

(長男は低血糖で基準も厳しかった)

その時の経験から知っていたんだけど溶血性黄疸については、

この時初めて調べることに。

いわゆる、血液型不適合妊娠というもの。

私は血液型B型。夫はAB型。

調べてみると次男はA型。

まだ、こどものうちは

血液型が変わる可能性もあるらしいけど

次男は今の時点でA型だったそう。

母体と、胎児の血液型が違うと

母体の血液が胎児の血液中にある

赤血球を攻撃して溶解するらしい。

分かりやすく言うと

お母さんが、赤ちゃんの血液成分を破壊


破壊って・・・


でも、事実そういうことで・・・。


私の場合はRh()であった為に 

酷い溶血性黄疸には繋がらなかった

と言われたど、次男の血液データ的には

もしかしたら、転院して交換輸血?

なんて話も上がっていたほどだったみたい。単純に体も大きくて

新生児黄疸も一緒に出ていたし

数値が悪くなる事は

予測できていたそうだけど、 

親としては心配だよね。

わたしも母乳禁止って言われた時は

どうしたらいいかわからず

号泣してしまいました。


どうにかビリルビン値が下がって

なんとかNICUからは脱出したものの哺乳力の弱さと、呼吸の安定を指摘され

次男は居残り入院となりました(T_T)


光線療法3日間も小さな体で

ほんとうに良く頑張ったなって思う。

哺乳力が弱いのだって

まだ37週で産まれたんだもん。

呼吸が安定しないのもそう。

きっと、体は大きくても

未熟なの部分があったんだと思う。

そんな風にベテラン助産師に言われてスーッと心が落ち着いたのを

産後2か月経った今でもはっきりおぼえてる。


居残り入院していた次男に

通いながら母乳を届けて

私に遅れて3日目。次男も退院。

そのあと、1週間後に体重チェックしたり

2週間検診があったり

なんか、産後も身体を休める暇なく

病院通いしてたなあ。そして、今。

1127日で2か月を迎えた次男。

しっかり泣いて、飲んで、寝て・・・

さらに大きく成長してくれています。

今は目も見えているようで

私を目で追ったり、メリーを見て笑ったり

音にもしっかり反応出来ているし

わたしも夫も、一安心といったところ。


数日前にRSウイルスに感染して

入院?なんて話もあったけど

熱が出ることも無く、咳だけでなんとか、乗り越えてくれました

(長男は40℃1週間続いてた)


家族4人まだまだ始まったばかり。


私のことが大好きで止まない

夫や息子達に囲まれて私は本当に本当に幸せ。

女の子欲しいなんて考えた事もあったけど

こんなに私を大事にしてくれて

必要としてくれる家族はいないなーって

日々実感しながら過ごしています


もちろん、育児はバタバタ

4月から幼稚園にいく長男。まだまだ甘えん坊で

家の中どこにいても付いてくる始末(笑)

でも、長男は私の事を誰よりも

大切にしてくれている気がする。

いつも私を気遣ってくれる。

これは、本当に夫よりも(笑)(笑)

なんてね(笑)


これからも、

生活に合わせてblog更新するので

よろしくお願いします\(^^)/

誰かの力に少しでもなれますように!

少し前の話になりますが
次男出産記録を書こうかなと。

一応、記録的な感じですが
巨大児はこうやって産もうって
誰かの為になったらなと思って
書いて見ようと思います。

927 午前1時半

なんとなーくお腹痛くて目が覚める。

変なもの食べたかな?なんか痛いけど。

この痛みは何?って感じ。

実は26日に内診があって

ちょっと刺激してもらってたのね。


午前2

陣痛?前駆?どっちなの?

と思うような地味ーな痛みと間隔の始まり

2時から3時まで間隔はかろって思って

陣痛アプリで間隔チェック開始!


午前3時過ぎ

肛門、膣、下腹部の痛みが1015分置きにある。痛みは弱いけどちゃんとあるから

念の為病院に電話してみる。

まあ、相談って感じで行くつもりは無い(笑)


電話の結果▷▶︎▶︎病院きてください


午前3時半

長男が起きちゃう。

長男「ママ、どうしたん?」

私「赤ちゃん産まれるかも。お腹痛いんだ。」

長男「お腹痛いかー。耳鼻科行くかー。」

この会話でちょっと笑えて、落ち着く。

念の為早めに実家に帰っていたので

主人は仕事でいなかったけれど

実の両親は居てくれてた。

ばあばを起こしに行く。

じいじも起きてくれて

結局、じいじが病院に

連れてってくれることになる。


午前4時過ぎ

病院に到着。

母子手帳を忘れてじいじに怒られる(笑)

じいじは実家ま

また母子手帳を取りに行ってくれる。

長男は、ばあばと実家で待機。

寝てくれるかなあって心配してた。


午前4時半

入院してもいいし

陣痛弱いから帰ってもいいよ

とナースに言われる。

帰ったところで、ばあばと長男しかいないし

じいじも今日は、お仕事だし。

帰ったら不安だなーってだけで、

入院したい旨を伝えると

なんと入院させてくれることに!

今日はお産が少なそう(私の他に2人かな?)


午前5

来てもらうつもりはなかったけど

(この時点では今日産まれるとは思っていない)

パパに一応電話で連絡。

「すぐ行くわ!仕事休む!」と言ってくれた。

凄い安心したけど、今日産まなかったら

職場に悪いなーと思った。


午前6時頃

パパが病院に到着。

ここまでの家での様子等を伝える。


午前7時半頃

担当の先生が到着。

診察してもらう。子宮口3センチ。

「まぁ頑張れ、今日中には行けるでしょう。」と、謎の宣言をされる。

私の内心は

「え?今日?まだ37週入ったばっかりなのに?」


午前9時頃

長男、ばあばが到着する。

この頃から陣痛が強くなる。

5分~7分間隔に変わっている。

痛みも徐々に増す。

夜中には思いもしない状況。

でも、まだまだ耐えられる痛み。



午前10時頃

陣痛が3分間隔ぐらいになってくる。

このまま午前中に産みたいねー

なんて話を担当助産師とする。

それくらい、まだ余裕がある感じ。


午前11時頃

いきみ逃しがしんどくなる。

眠気との戦いが始まりそう。

担当助産師から休むように

声をかけてもらって

ウトウト眠ることに。

40分くらい寝たのかな?

寝ている間も陣痛はあったけど

目をつむったまま

いきみ逃しできるほどの弱い陣痛。

そのまま陣痛が遠のく。


正午

担当助産師と話し合う。

オキシトシンを使いたい意思が一致。

先生に伝えてくれるって!

でも、すぐに許可がおりず、、、

ひたすら自分の陣痛と戦う

(内診の刺激で子宮口6センチくらいまで開く)

結構午前中頑張ってたのに6センチ?

先は長いな!っておもった瞬間。


午後2時頃

歩いたり、スクワットしたりしていて

モニターを外しまくっていたからか、

外来中の先生から

オキシトシン使っていいよとの文書が届く。

それと同時くらいから

自分の陣痛も強くなってきていて、

使用に迷ったけど

後押し目的で使用するコトに!

この判断が、ほんと良かったとおもう!


午後2時半頃

オキシトシン(アトニン)入りTz点滴開始。

この時既に自分の陣痛が5分間隔くらいである。何度か内診したりして子宮口は7センチ。

そこからがなかなか進まない。

10ml/hのオキシトシン

最終的に50ml/hまであげていくことに。

このあたりは

だんだん痛みが強くなっていて

話せる→話せなくなるって感じ(笑)



午後4時頃

悪魔の時間へ突入。

もういきみたくて仕方ない。

でも、まだ子宮口が78センチ。

いきみ逃しで精一杯。

3分間隔くらいの痛みがずっと続く。

苦しいし、痛い。ひたすらに息を吐く。



午後6時~6時半頃

担当助産師に破水させてもらう。

500mlくらいの羊水が流れ出る。

ほんの少しお腹と膣が楽になる。

先生が到着して、内診される。

子宮口を開くためにかなり痛い内診。

もう骨が折れるくらい痛い。

肉が裂けるくらい痛い。

いきみたくなったら

いきんで良いと言われたけれど

そこから、さらに魔の時間。

いきむんだけど、何も起きない。

痛みも絶頂。

この時まだ子宮口8センチ。

何度か内診される。

もう覚えてもないけど

信じられない痛み。表現できない。

声も出さずにはいられなくなる。

そんな私の姿を見て長男泣く。


あとで知った事だけど

この時夫がトイレに行ってて

長男は夫の代わりにテニスボールで

私の腰をさすろうとしていたそう。

でも、夫がどうやってさすっていたか

よく分からなくて、

テニスボール持ったまま

私の後ろに立って泣いてしまったらしい。

後日談だけど、感動して泣いたよ。私。


バタバタとお産の準備が始まる。

「もう、お産しよう」と

担当助産師の声で

やっとゴールが見えたんだと気付く。


この時点ではもう

自分の中で間隔のない陣痛

頭がおかしい(笑)


目を閉じて視界を消して

強い陣痛に合わせていきむ、いきむ、いきむ。

なかなか、出てこない赤ちゃん。

「頭見えてるよー」

「いきむの上手だよー。」の声が聞こえて

もう裂けてもいいから思いっきり

いきんでやろうと心を決める(笑)

呼吸を整えながら集中していきむ。


赤ちゃんの頭が見えてきたらしく

周りの笑い声が聞こえるけど

自分はそれどころじゃなくて

続く陣痛に集中する。頭がでる。

「次は肩だよー」と声が聞こえてきて

ゴールテープが見えるのを感じる。

肩が出れば、もう終わる!

そう思って最後の力を出し切っていきんだ

・・・のに

「もう1回!お母さん、もう1回」

と言われて戸惑う。

もう力使い果たしてたけど

そのあとも何度か「軽くいきもう」

と言われてどうにかいきむ(笑)

その後も「はー」と「軽くいきむ」

23回繰り返す。

(この時、軽くじゃなかったらたぶんもういきめてないと思うくらい、力使い果たしてた)

いま思うけど、軽くいきむってなに?(笑)


午後715

音で表現するなら絶対「にゅるーん」

お腹の中にあった大きな大きなヌルヌルの塊。

完全にバカでかいスライムが体外に出る感じ。

忘れられない感覚。

それと同時にお腹はぺったんこ。

その場にいた、みんなが感動に包まれる。

赤ちゃんの泣き声が聴こえる。

パパが臍の緒を切る。

その場で私から見えるもの

聴こえてくるもの全てがわたしを感動させる。

会陰は裂けていたらしく

縫われているのが痛すぎる。

麻酔の注射が効く前からナートを始める先生。

これは長男の時と変わらない(笑)



男子 身長52センチ体重4320

BIGすぎるベビーの誕生だった。


次男出産から2か月経ちました。
おしり事情ですが・・・

治りました!\(^^)/

いやぁ、長かった。
もっと早く行けばよかったです
痔専門の病院。

はい、行ってきました。
もう、排便する度に
殺人?ってほどの出血と痛み。
次第には、トイレにいない時も
痛みを感じるほどになり
手術だけはしたくないと思って
羞恥心をぐーっとおさえて行きましたよ(笑)
診察の結果は痛み程に悪くなくて
1度内痔核というもの。
ただ、診察が痛すぎました。
マタニティや産後の方ウェルカムな病院で
ネットのホームページに書いてあったので
やや対応に期待していたのですが
いやいやいやいやいや。
おじさんや、おばあちゃん達の中に
ポツンな状況で待たされて
恥ずかしさは半端なかったです。
そして、診察は激痛。
もう、出来れば二度と行きたくない\(^^)/
でもね、いってほんと良かったんです!
市販じゃ買えないだろう
「強力ボステリザン」という
恐ろしい名前の薬をもらって
かなーり緩和されました。
2週間であっという間に痛み→痒みくらい
出血も落ち着いてきました。

自分の身体に何か不調があると
育児もイライラしがち。
楽しく育児をするには
自分の体調管理が1番だなって
本当におもいました!

肩こりや背部痛は尋常ではないですが
また、時間を見つけて針灸や整体にも
チャレンジしようと思います!