仁淀川町の武田勝頼土佐の会では、勝頼没後400年祭イベントの一環で
仁淀川流域の6つの団体を集めた
手踊りサミット!
を実施しました!舞台は2009年10月!
仁淀川流域に伝わる文化と歴史、大切にすべきものを自分たちの手で守っていく。
2009年10月 武田勝頼土佐の会主催「秋の陣」”手踊りサミット”の様子 ↓
さて!
今日は、このときに参加
してくれた仁淀川流域の
団体を紹介します!
今年の武田勝頼土佐の会が仁淀川町大崎地区夕涼み会と連携して行う夏祭りにどこまで集うことができるかは、今後にかかっています。下記コメントは、2009年時にいただいたコメントです(参考)
画像はちょっと悪いけど(汗)
■大崎玄蕃踊り保存会
所在地:仁淀川町大崎
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昭和52年に大崎八幡宮の氏子達で結成した「大崎玄蕃踊り保存会」です。踊りは天正14年6月15日、武田勝頼(変名大崎玄蕃)が大崎八幡宮を建立したとき踊ったとされる踊りで、近世では毎年旧暦の8月28日に行う「玄蕃祭」の時、地域の若者が中心に祭りを行ってきました。昭和58年に「花台」を建てて行ったのが最後で、玄蕃祭の時、境内で有志が細々と踊りを受け継いで行ってきました。今年は26年ぶりに花台を建てての踊りが出来ることを誇りに思います。
■尾川地区活性化協議会
所在地:佐川町本郷耕
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協議会は、尾川地区全体の活性化や地域づくりのために「ふれあいの里・尾川」を拠点として活動しています。現在、会員は61名となっています。
■柳野豊年踊り保存会
所在地;いの町小川柳野
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柳野豊年踊りは800年の歴史があるといわれ、壇の浦の戦いに敗れ落ち延びた安徳天皇を慰めるために始まったものであるとされています。毎年、旧暦の9月8日に青年団を中心に行われていましたが、踊り子も高齢となり、しばらく踊りを休止していましたが、平成9年に24年ぶりに復活させることができました。
■瑞応の盆踊り保存会
所在地:佐川町瑞応
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400年以上も毎年かかさず踊ってきました。戦争の時も踊っていたそうです。今になり、踊り手も若者が少なくなりましたが、黒岩中学校の生徒さんが毎年、運動会で踊ってくれます。この踊りは、瑞応寺にあります薫的和尚と理春尼という尼さんを弔うためものものであり、豊年踊りとしても踊っています。 毎年、8月16日が祭日となっており、この日は遠路からも参拝に詣でてくれ、たくさんの人たちでにぎやかになります。毎年、いろいろな所にも踊りに行っておりますが、今年は佐川中学校の落成に披露させていただきました。
■狩山豊年踊り保存会
所在地:仁淀川町大平
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狩山豊年踊りは、昔、地区の神社でその年の豊作を祝い踊っていたようで、住人も少なくなり踊りも消えていくような時に、途絶えてはいけないと狩山地区住民で平成11年11月に狩山豊年踊り保存会を結成しました。今日は70歳を過ぎているおじいさん、おばあさんが踊ります。笑って観てください。
■紅葉会
所在地:日高村本郷
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この踊りの起源は、今から半世紀余り前に、豊年踊りのすべてが手踊りであったので、何か変わった踊りにしてみてはどうかということで、当時の先輩が考え、振りを付け、姿を工夫し練りに練った末に出来たのがこの泥鰌(どじょう)すくいでした。衣装もこの踊りにマッチした小意気で粋な構え、どこか土の匂がする中に清純さを感じる踊り姿は見る人の心を奪って大変な人気でありました。 「紅葉会」と名付けて一世を風靡したものであったが、その後、古いものより新しいものを求める風潮の中で消え去ろうとしていた時に、郷土芸能の掘り起こしの機運が高まり、この平成の世に甦らせ、後世に残そうとメンバーが集い、子供の頃に踊った記憶を呼び戻しながら、やっと復活(平成4年1月)をすることができ、今日に至っています。
仁淀川流域の宝です!
もしかしたら、あなたの地区でもあったのでは??
次代に引く次ぐのはその、あなたです!
さあ、2011年も集いあいましょう!
SEE YOU!