金子直吉翁に学ぶ まあ読んでください(1) | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

高知新聞に吉原さんが投稿した記事を紹介します。


金子直吉翁に学ぶ


元高知銀行専務取締役 吉原 強 氏



土佐出身の企業家、砂糖、樟脳、神戸製鋼所、帝人、石川島播磨重工、昭和石油、三井東圧化学、日本製粉、日本冶金、豊年製油、日商岩井、鈴木商店・・・・・といえば、誰の名が浮かぶであろうか?





正解は、

金子直吉

(1866~1944年)である。


金子直吉翁は21歳の時土佐を離れ、神戸の鈴木商店の店員として採用された。以来番頭として、私利私欲無く、生涯主家の安泰のみを念じ事業の拡張に邁進。日本の資本主義の黎明期、天性の商才を発揮し総合商社の源流を築き上げた。


鈴木商店はわずか30年余りの間に、日本は元より世界に羽ばたく大商社となり、全盛期には三井、三菱と並ぶまでに急成長した。世界の商品相場の動きをどこよりも早く入手、内外輸出入取引から三国間貿易を組み込むという多角化を成し遂げていた。


貿易商に留まらない、旺盛な起業家精神の持ち主だったことにも驚く。


商社としての利益を次々と事業に投資。製鉄、造船、海運、ビール、人絹、毛織、製粉、製油、ゴム、鉱工業など、関与した企業数は65社に及んだ。



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その後、第1次世界大戦の不況のあおりを受け、1927年昭和恐慌と共に鈴木商店は破綻した。しかし社業精神を引き継ぐ多くの企業群、有能な人材は、今日も日本経済の重要な地位を占めている。


金子直吉翁は大商人であって大工業家であり、教育者でもあった。見込みのある若者を見つけると、自宅に住まわせ、優秀な者は学費を負担して大学まで進学させた。後々の企業群を支える仕事人が次々と育てられた。


大正5年、渋沢栄一翁が神戸を訪れた時のこと、迎えの席で司会者が「この金子は、あらゆる商品について、何から何まで知らない物はない、まさに天下の生き字引です」という紹介したという話が残っている。藤原銀次郎翁は、「金子直吉は徳の人、智の人、勇の人」だと評している。


金子翁の

商売は虚業ではない、実業だよ

商売人とは物を売る前に、物を評価する人だ

などの言葉が今に残っている。







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つづきはこちら → 金子直吉翁に学ぶ まあ読んでください(2)



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