土曜日。今夜のデートは麻布にある「3ヶ月前から予約しないと入れない」料亭でお食事である。
庭に池があって鯉が泳いでいて…という情景を勝手に想像していたが、意外なことに店はマンションの一室だった。外側には看板ひとつ出ていない。
しかしドアを開けると、そこには外観からは想像できない和のたたずまいが広がっていた。
気難しそうな大将がカウンターの中で新米の料理人を叱りつけながら魚をさばいている。新鮮な魚の背が、店内の明かりに照らされて青光りする。
「カウンターは6席しかないんだ。ここで大将の手さばきを見ながら食事をするのが好きでね」
Wさんは満足そうに目を細めた。
それにしても高そうなお店。客の服装と物腰を見てもそれはわかる。
この店のメニューは基本的に「おまかせ」だ。客の好みや腹具合を大将が自らの経験をもとに見極めて、それぞれに見合った料理を出すという。
刺身、天ぷら、釜めし…見た目も味も文句のつけようのない料理が続く。
そして食事も中盤に入ったころ、運ばれてきたのは「花山椒のしゃぶしゃぶ」。
美しい霜降りの牛肉をさっと湯にくぐらせた上に、花山椒を惜しげもなく、肉が見えないくらいにたっぷりとふりかけてある。
口にしたとたん…牛肉は口の中でとろけてなくなってしまう。
「美味しい…
(T_T)
美味しすぎます…」
食事のあまりの美味しさに涙が出そうになったのは初めてだ
そんな私の様子を見て、大将は顔をほころばせながら何度も何度もおかわりを薦めてくれた。
ああ…幸せ…
(T_T)
Wさんと結婚したら、いつもこんな料理が食べられるのかぁ…
私が思わず胃袋でつられそうになった瞬間、Wさんが耳元で言った。
「きららちゃんもこんな料理、作ってね
(^_^)」
途端に現実に引き戻された
料理を作るのが苦手な私に、いきなりこのレベルはハードル高すぎやしないか…?
食事が終わり、私達はタクシーの後部座席に並んで座った。
「ごちそうさまでした!すごくおいしかったです!
(*^_^*)」
「美味しかったね。きららちゃんが喜んでたから、大将も嬉しそうにしていたね」
Wさんは微笑むと、座る位置を私の方へと近づけてきた。
「今日は○○に泊っているんだ。良かったら部屋で少し飲み直そう」
ほら、やっぱり来た…。
前回のデートと言い、今回と言い、こんなにおごってもらってタダでは済まないと薄々思っていた。
私は彼の目をまっすぐに見て言った。
「Wさん、前回も今回も素敵な所に連れていっていただいてありがとうございます。
でも私はまだWさんの『彼女』じゃありません。だから部屋には入れません」
Wさんは少し困ったように笑った。
「わかった。でも、そんなに身構えなくてもいいじゃない。無理強いはしないよ」
そう言うと、彼は私の右手に自分の左手を重ねた。
私は少し心外に思ったが敢えて振り払うことはせず、かと言って握り返すこともせず、ただ前を見つめていた。
「きららちゃん、今度、俺の職場を見に来てよ」
××県にある病院を見に来いと言っているのだ。
私は少し考えてから言った。
「そうですね。日帰りならいいですよ(^_^)」
Wさんは笑ってうなずいた。
「そうだ、この本をプレゼントするよ。今度会う時までに読んでおいて。それで、感想聞かせてよ」
手渡されたのは、ハードカバーの分厚いビジネス書。
某有名コンサル会社の創始者が書いた、経営指南の本である。
その赤い表紙を見ながら思った。
経営者の奥さんとして、私にも最低限の知識を持っていて欲しいわけか。
私のことを自分色に染めたいわけだ。
「ありがとうございます」
正直、こんな分厚い本、興味もないし読みたくない。
でもいちおう礼を言いハンドバックにしまった。
Wさんのこと、嫌いじゃないけど好きでもない。
××県に行ったら、彼の別の面が見えるかも知れない。そしたら私の心にも変化があるかも知れない。
どんな変化が起きるのかは、まだ全くわからないけれど。
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