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チャクラの浄化とバランスを整える
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そういうわけでパート2 ^ ^;
【過去ログ罪と罰パート1は昨晩のこちら】
今だからお薦めしたい「宇宙が味方する経営」 伊藤忠彦 著(2015.11.21記事リライト)
占いが「当たって」よろこんでたらダメですよな話
ナイスエイジなあなたに(私もだな)申し上げております。
若い人は……ほどほどに。
今でこそ日本の神様カード+お名前の言霊鑑定にご好評頂いている私でありますが、これの元記事はなんと、同鑑定の開始の直前にアップしました。
読み進んで頂くと、なんという売り出し直前に買うなと受け取られそうな記事ネタで、「こいつビジネス音痴にも程があるだろう!?馬鹿なの?」と思われるかもしれませんが、決してうっかりしていたわけではありません。あくまで意図的でした。
私は占い師を名乗りません。昨年(2016)から今年(2017)にかけて数回、アメーバ関係も含め数回占い師スカウトのメッセージやお申込みフォームからのお声がけを頂戴しているくらいには占い師と思って頂いているようで、そう見えるのはまったく構わないのですが、
私のかつての先師、そして20数年師事した師も「占い・当てものに依存するのは神様信じてない証拠」という方でしたから、その影響は強く受けています。
その一方で、数千年来の占術・観相学というものは、天地と人の連動の相の膨大な観測・統計の成果であることは確か。それは師も認めておられ、実際人に語ることもあり、
私もまた言霊以外に暦など数霊(かぞたま・かずたま)を扱うものも、当てもの屋にならないよう、占ってる感、当ててる感をひた隠しにしつつ、人様のご指導の為の裏ツールとして数十年用いてきました。
正確な数値や座標(も数値ですね)データが充分に揃えば揃うほど、未来は決まっているとまでは言えませんが、かなりのところまで出せます。
ただ、この辺りは私はしたくないので他所の目立たない達人を見つけてください。見つけられれば、あなたにご縁があればですが。
知らないほうがいいこと…ありますけどね。
占術は統計学ということですが、以下のことを知っておくと、あなたの人生は違う色彩を帯びてくると思います。
こうした統計学的占術が、あなたがまだ若いなら別ですが(楽しんじゃっていいんじゃないですか? )
と思っておられますなら、
そして、何かの数霊・データ系の占術で鑑定してもらって「当たってる当たってる!」と思えるようなら、
(言霊はちゃんと観ればどうしても当たりますので別だと申し上げます。なぜかといえば時と場所においての運気を観るものではなく、その人や物事の〝本質〟が表れているのが言霊だからです。)
辛辣極まりないですが、
あなたの今回の人生は、ナイスエイジに至って、未だその幕を上げてもいないのかもしれません。
と、申しますのは、
神事に長年携わっている(27年程奉職していました)と分かるのです。経験則と、同輩や諸先輩方から伺った話にもいえることでしたが、
当ブログで、特に記事テーマが法則・基本や本気で開運・封印解除で書いているような事どもを意識的に生活、仕事に3年、5年…と顕現し続けていくことが出来たとしますと(言うだけ番長ではダメですが、私自身も奉職前から退職後の今日まで30年以上実践してきたつもりです。)
ある日気が付くと、良くも悪くもデータ系の占術が当てはまらなくなる、ズレが生じるということが起こってくる。
やがて自分についての占いは当たらなくなる、如何に数千年の膨大な統計でも、それを超えることは不可能ではない、と私は申し上げます。
統計は統計であり、絶対ではない。数値に生きた人を当てはめようとするより、それを超えて、より善く人を生かしてこその占術ではないのか? という考え方です。
この生き方でいくと、やがて過去の意味付けも変わってくるので、結果、過去の占いも当たってない感を強く感じるようになるかもしれません。
データ系の占いの結果にズレがない、ピッタリ当たっているということは、
つまり
あなたは生まれてきた時点での基本プログラムのまま、せいぜいメモ帳や電卓、ソリティアくらいしか立ち上げたことのないウィンドウズ。
未だ今生の経験からの新規インストールしたアプリの少ないこと、書類フォルダに保存ファイルが少ないことを「まだワタシ、デフラグかけたことがないの」とドヤ顔で白状しているのと同じことです。
占い師を名乗らない元神職の私よりも説得力のある先人、和な占い師の教科書「南北相法」の著者、水野南北、
基本です。和な観相家の人で
ちゃんとした人は誰でも読んでいる一書。
毎年10月あたりになると書店に平積みベストセラーな「高島易断」のオリジン(平積みのアレとは関係ないのですけどね。流派ってだけで) “易聖” 高島嘉右衛門らも
実は同じようなことを仰っていますよ。
その人の心や身体の生活(まずは食とか)が改まれば何でも良くなっていって、占いが当たらなくなる
という意味のことを一流のさらに上をいく先人達は教えています。
詳しく知りたい人は高額な本を入手して、旧カナ使いに耐えながら読んでください。その方面のタネ本の一つだからWeb情報は限られてるようですので…
そう、この記事は
本部先生、お久しぶりです。
は大袈裟としても、ちょっと嫌がられる類いですよね。
また減りますかね?読者とかいいねとか色々w
私もこれらはたしなみとして一応は読んでいまして、前述の師の影響もあり、何より祭祀に携わる者は神への信が最もであったわけで、
今、セラピーの一部として鑑定に取り組んでいますが、ただの当て物にしてはならない(特に言霊は当てて当然の思いでいることは間違いありませんが…)と考え、またデータ系占術=統計学であり、それはそれで意義はあるわけですが、私の願いは
統計学を超えていけ
なので、私は表立ってはそれを使わない、お引き受けしないのです。
データ系・非データ系に関わらず、前述の水野南北、高島嘉右衛門……一流に教えたような観相家の方は皆そうですね。
相手を観て、時にはあえてハズし気味にもっていったりもされる……
当方の鑑定も、このような考え方を基底にしていますので、当てものにしようとは考えていません。
ただ言霊の場合は、前述の繰り返しですが、
カナ 即 神名 で、その言霊で呼ばれるものの本質があらわれてしまうものであり、また言霊だけに、本当に古い文献や口伝で学んだ方なら、その文献もスジも本物は「限られてます」から(大笑 書名や大家の名前はここでは控えますが…)、
ちゃんと言霊学の幾つかを学んで修めていれば ハズすのは難しいくらいじゃないかな? と思っています。
ただーーし!
これだって事物は固定されていますが、人の場合は魂が学びを深めて、生まれた時につけられた名前のそれから外れていくように見えることはあります。
正確には本質は変わらなくても、経験から、元々持っているものをより高め、深みを増して、また多くの要素を取り込んでいて違うもののようになっていく。魂の修行として理想的な姿。
あなたの幕をあげるために、真新しいエピソードに進むために占いを使えるとよいですね。
◆ ◆ ◆
もちこの塔、健在なり
(仕事の合間に)
私がくつろぐためには
そうにャ♪
これも運命
(っていうか少しは遊んであげて…>家内)
(今日も)
私もゆっくりくつろぐことにしよう
と、毎日一定時間は
気合いれて
遊んであげているのです。^ ^;
すみません ^ ^;