維新の黒幕トーマス・グラバー
スコットランドで、フリーメイソンの町として名高いのが、
アバディーン
アバディーンは古くから、ヨーロッパの石油採掘の都として知られ、
スコットランド北部に位置する港町。
さらに、フリーメイソンロッジNo.1が存在し、
古くからフリーメイソンが根づいていたことを物語っている。
そのアバディーンは、日本の歴史に深く関わる、
フリーメイソンメンバーの出身地でもあるのです。
その人物こそ、明治維新の黒幕
トーマス・ブレーク・グラバー
グラバーは1859年、21歳の若さで長崎に来航した
幕末屈指の武器商人。
坂本龍馬という仲介人を立て、薩長同盟を実現し、
倒幕という革命を影で操る黒幕となった。
そして、長崎にあるグラバー邸内には
堂々とフリーメイソンのマークが掲げられている。
屋根裏部屋も存在し、そこで倒幕に向けての密談が行われていたのだ。
そして、スコットランド・アバディーンには、
フリーメイソンメンバーであるグラバーの生家が
現在も残されている。
このグラバー邸の寝室の奥には、隠し部屋が存在し、
幕末の志士たちの写真が飾られています。
ここアバディーンにある、グラバー邸を
長州ファイブをはじめ、幕末の志士たちが多数訪れていたのです。
明治維新後も、トーマス・グラバーは引き続き明治政府との
関係を深め、自分の息のかかった4人を
日本の造幣局長に任命した。
そして、旧日本紙幣に幕末時代のメッセージ が
刷り込まれたのである。
一方、土佐出身の岩崎弥太郎 との親交は師弟関係に近いものがあり、
岩崎の土佐商会(のちの三菱)と組んで商売を拡大させ、
グラバーは巨額の富を手に入れた。
三菱造船所の前身となるドックを作ったのもグラバーである。
岩崎弥太郎
岩崎のブレインとして数々の事業に携わり、
1885年以降は三菱財閥の相談役に就任、
麒麟ビールの立ち上げにも参加した。
プライベートでは日本人女性と結婚し、
一男一女をもうけ、晩年は東京で生活、1911年に死去した。
グララバーの死後、彼の長崎の邸宅は三菱が買い取るが、
後に長崎市に寄付されて今にいたる。
グラバー関連の資料は、三菱が封印してしまったために
事実は想像するよりないが、明治維新の岩崎との関係の中で、
グラバーのフリーメイソン人脈は三菱に受け継がれたという
見方が有力だ。
一介の志士だった岩崎が、瞬く間に安田や三井などの名家に
肩を並べるまでに成長したのが、その何よりの証拠であろう。
信じるか信じないかはあなた次第です!
参照元
『やりすぎコージー都市伝説』
『フリーメイソン 近現代史を動かし続ける友愛団体の真実』
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