Ben's Prayer a/k/a the Kill Mike Love Song | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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Rio Grande - Brian Wilson


1988年、ワーナー/サイアー・レコードのレニー・ワロンカーとシーモア・スタインの後押しもあり、ブライアンは『スマイル』を思い起こさせる大作「リオ・グランテ」を完成させた。続いて発表された初のソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』は各誌で高く評価され、その夏、ビルボードのアルバム・チャートの40位近くまで上がった。ローリングストーン誌の年末の読者投票で、ブライアン抜きのビーチ・ボーイズによる「ココモ」の大ヒットがマイケル・ジャクソンと並んで[今年最も喜ばしくないカムバック]に選ばれた一方で、『ブライアン・ウィルソン』は評論家が選ぶ[今年一番のカムバック]に選ばれた。
<中略>
ビーチボーイズ側としても、ブライアンがソロとして好意的に受け止められていることはおもしろくない。そこで、『ブライアン・ウィルソン』のレコーディングと同時期、すでにリマスタリング作業を終えていた『ペット・サウンズ』のCDリリースをやめさせ、ブライアンのソロとの相乗プロモーションを食い止めようとした。
ブライアンが何かやろうとする時、ビーチ・ボーイズ側から横槍が入る、という図式は決してこれが最後ではなかった。


上の一文は遅ればせながら読んだドミニク・プライア著の「スマイル」からの引用です(P268-269)。

スマイル/ドミニク プライア


読みながら思い出したのが、ビーチ・ボーイズ(BB5)により本国では発売中止となったと書かれている『ペット・サウンズ』がこの時日本ではCDとして発売されていたことです。発売日は1988年12月21日、東芝EMIの廉価リイシュー・シリーズ”GREEN LINE 2800”の一枚としてでした。

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『ペット・サウンズ』が20世紀最高のアルバムとして評価されるようになった現在では想像できないかもしれませんが、実はこの日本盤CDが『ペット・サウンズ』の世界初CD化だったのです。東芝EMIはビートルズでも『アビー・ロード』をフライング発売したことがありましたが、この『ペット・サウンズ』もフライングだったようで発売後すぐに生産中止/回収が行われ早々と市場から姿を消しています。

この時に、何故日本で世界初CD化だったの?と思ったものでした。確かに世界に先駆けマニアックなCDを初CD化(確かスモール・サークル・オブ・フレンズも世界初は日本でした)することが多い国ではありますが、『ペット・サウンズ』といえばビーチ・ボーイズのいちおうは代表作の1枚ですからね。実はBB5がブライアンを妬んで発売を阻止していたからだったとは。確かにソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』という”天才未だ健在”を感じさせるアルバムとその天才がかって作り上げた最高傑作がレコード店の店頭に並んで飾られれば、相乗効果が生まれブライアンの評価およびビーチ・ボーイズの再評価が高まることは必至でした。確かに『ペット・サウンズ』の評価はその全ての楽曲(一曲除く)を生み出したブライアンの評価ということになってしまうのでしょうけど、あくまでビーチ・ボーイズのアルバムですから、他のビーチ・ボーイズにとっても結果的にはいろいろと恩恵が生まれるはずなのですが、そうは思ってもらえなかったようです。

というか、基本的にこの時期はまだまだ『ペット・サウンズ』なんてCDにしても大して売れないんじゃないかという評価がビーチ・ボーイズやキャピトルにはあったのかも知れませんね、だから簡単に発売を見送れた。ビーチ・ボーイズからすればライヴで演奏できる曲の少ないアルバムだし、こんなん出すよりは『終わりなき夏』のようなサーフィン/ホットロッドのヒットは満載のベスト盤の方がCDにする価値があるってなもんだったんじゃないかと想像します。

実際ビーチ・ボーイズのアルバムのCD化の状況を見てみると86年にLP2枚組のベスト『メイド・イン・USA』が発売されたときにCDも同時に発売されていて、このアルバムがビーチ・ボーイズの初CDじゃないかと思います。そして翌87年にはLP時代の楽曲に「グッド・ヴァイブレーション」を加えた『終わりなき夏』が発売されています。ではオリジナル・アルバムは、となるのですが88年1月5日発売の前述のグリーン・ライン・シリーズの第一回発売の中に『サマー・デイズ』の名があり、これが記念すべきビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムの初CD化ということになります。



レコード・コレクターズの88年2月号に森勉さんによるアルバム・ガイドがあり、それによれば”「アミューズメント・パークスUSA」「アイム・バックド・アット・マイ・オール・マン」がカットされたアメリカ盤の救いの道はなし。ここは迷わず国内盤を。”ということだったみたいです。収録時間の制限が有るわけでもなし、何故にアメリカ盤は2曲をカットしてCDにしているのでしょうか?まったく理解できません。まぁ当時のキャピトルにとってみればビーチ・ボーイズのカタログ特にオリジナル・アルバムなんて勝手に改変したって売上には関係ないと思えるほど評価の低いものだったということだったのでしょう、トホホ。

The beach boys - I'm bugged at my ol'man (studio)


ただキャピトルやビーチ・ボーイズの味方をする訳ではありませんが、当時のアメリカではまだまだCDのシェアは低くアナログ盤がメインであったのでCD化が遅れていたというのはあるかと思います。対して日本の場合は88年には若干アナログの生産枚数がCDを上回っていましたが翌89年になると完全にCDが主流となり世界で見ても異例な位にCDの再発も進んでいました。なにせ『サマー・デイズ』のCD評が載ったレココレ88年2月号はトッド・ラングレンのベアズヴィル時代のアルバムが全てCD化(もちろん世界初)されたのを受けてのトッド・ラングレン特集ですからね、今思えばすごい。

『ペット・サウンズ』ではフライングをしてしまった東芝EMIですが米キャピトルがなかなか重い腰を上げないのに業を煮やしたか89年7月にキャピトル時代の全てのオリジナル・アルバム(『クリスマス』除く)を全てCD化してしまうという快挙を行います。実をいうとこの時の発売で僕はビーチ・ボーイズの楽曲をベストではなくオリジナル・アルバムの形で初めてちゃんと聴くことになり、一気にファンとなりました。なんだビーチ・ボーイズについてあれやかれや書いてるくせに随分遅いなと思われるかもしれませんが、おそらくキャピトル時代のカタログが国内盤できちんとレコード店の店頭に並んだのは10年ぶり位だったんじゃないかなと思われ、とにかく80年代ってビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムってほとんどレコード店にはなく、聴きたくても聴けなかったんですから。

キャピトルがついに重い腰を上げたのが翌90年夏でオリジナル・アルバムを2イン1、あぁでもやっぱそんな扱いかい、という形で再発をスタートします。ただこの再発には貴重なボーナス・トラックが追加されていたのと収録曲についての詳細な解説が載ったブックレットが付いていてこれがファンにとっては勉強になるものでした。

そしてこのCD化によりビーチ・ボーイズのシングル以外の素晴らしい楽曲が手軽に聴けるようになったのが契機になったのか、ビーチボーイズ・チルドレンとも言うべきミュージシャンも生まれてきます。そんな中の一人が今回のビーチ・ボーイズのツアーでもバンマスとしてサウンド面を仕切るダリアン・サハナジャでした。

DARIAN- Do You Have Any Regrets


上の動画は未発表に終わった『スウィート・インサニティ』に薄っぺらいラテン・サウンドで収められていた「ドゥ・ユー・ハヴ・エニィ・リグレッツ」を”俺ならこういう風にアレンジするぜ、こっちの方がすっとアンタらしいぜ”とブライアンに伝えたかったんじゃないかと思えるビーチボーイズ愛に満ちたダリアン・サハナジャのカバー・シングルです。アーチスト名をダリアン・サハナジャじゃなくて「ダリアン」としてるのもDARIANとBRIANがパッと見似てるからじゃないかと。こういう若い世代からのリスペクトがブライアンに自信をとりもどさせステージに再び立ち、プライア著「スマイル」によればマイクを中心とするビーチ・ボーイズによって幻とされてしまった『スマイル』を復活させることとなります。

ふと思ったのですがレコードからCDへとメディアが変化する際の音楽の聴き方の変化により評価が大きく変わったアーチストやアルバムがたくさんありますがビーチ・ボーイズも大きく評価が変わった、再評価されたひとつかと思います。もしメディアがレコードのままだったら、ブライアンはここまで長生きできなかったかも知れないし、訃報を伝えるニュースには60年代ヒットを飛ばすがドラッグなどにより70年代以降はすっかり人気がなくなりロスの自宅で寂しく亡くなったみたいに書かれていたかもしれませんね・・・。歴史にもしは無いのですが、そんなもしじゃなくて良かったと思います。

Ben Vaughn Quintet - Ben's Prayer a/k/a The Prayer (the Kill Mike Love song)