鳥肌音楽 Chicken Skin Music

WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.


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半年ほど前からなぜか本を読むスピードが遅くなってしまい、読まなければいけない本が山積み状態になってきています。ビーチ・ボーイズ特集だったレココレ7月号もようやく読み始めたような次第で、選ばれた100枚の記事を読みながら、あぁそうそうとか、ゲッそんな見方あったのかなどと、そのたびに曲を聴きなおしたりしてますますスピードが遅くなっているなんて有様です。そんな中で気になったことをいくつか取り上げてみたいと思います。まずは。

The Beach Boys - Surfer Girl


1963年の㋈に発売されたビーチ・ボーイズの3rdアルバム『サーファー・ガール』のタイトル曲である「サーファー・ガール」です。7月に先行シグルとして発売され全米7位というヒットを記録した曲です。

ビーチ・ボーイズにとって初めてのバラード・シングルとなった「サーファー・ガール」ですが作詞作曲ともにブライアン・ウィルソンの手によるものです。発表は1963年ですが作曲をしたのは1961年、ブライアンが19歳の時の作品です。




1961年、僕は生まれてこのかた1曲も書いたことなどなかった。19歳の時だった、ある日車を試運転してたんだ。ホットドッグ・スタンドまで車を走らせている途中、ピアノで弾いた訳でもないのに、なぜかこのメロディーが突然頭に浮かんできたんだ。僕はひとりで歌ってみた。車の中で声も張り上げず静かにね。家へ帰ってブリッジを書き、ハーモニーをつなげ、そして曲が完成した。僕はそれを「サーファー・ガール」と呼んだ。(ブライアン・ウィルソン、76年のCBSラジオ・インタビュー)

ビーチ・ボーイズ・ファンであれば多くの方がご存知のように、この「サーファー・ガール」は1940年のディズニー映画の「ピノキオ」の中でジミー・クリケット(吹替はクリフ・エドワーズ)が歌う「星に願いを」を下敷きにしていたようです。

When You Wish Upon A Star - sung by Jiminy Cricket (Cliff Edwards)


>「星に願いを」を下敷きにしていたようです。

と、ちょっと曖昧な書き方をしてしまったのは、実はその下敷きにしていたという一文を記事かライナーか何かで読むまでは「サーファー・ガール」のベースが「星に願いを」だったとはまったく気づいていなかったからです。

そう言われて聴くとたしかに似ているなぁとは思うのですが、映画館の闇の中で聴くために作られたクリフ・エドワースのソロ・ボーカルとカリフォルニアの陽光が降り注いだようなビーチ・ボーイズの見事なコーラスではまるっきり印象が違って聴こえてしまうと思うのですが、みなさんはどうだったでしょうか。

ちなみに家にあるビーチ・ボーイズについての書籍やCDのライナーなんかをざっと確認してみたのですが「サーファー・ガール」と「星に願いを」の関連について書かれ出すのはキャピトル時代のアルバムが93年に2in1,ボートラ付きで再発された際に付加されたデヴィッド・リーフによる解説から始まったように思われます。

ここでレココレ7月号のビーチボーイズ・ベスト・ソングス100の話になるのですが、「サーファー・ガール」は第6位とかなりの高位にランクされているのですが、曲目解説で除川哲朗さんはこのように記述しています。

ディオン&ザ・ベルモンツが歌ったディズニー映画「ピノキオ」の挿入歌「星に願いを」を車の中で聞いたとたんに閃いて、直帰して一気にピアノで書き上げたというブライアンのロマンティック・メロディーと得も言われぬコーラス・ワークの美しさ。

うん?ディオン&ザ・ベルモンツが歌っていた?何それ?ということでネットで早速探してみました。

Dion And The Belmonts - When You Wish Upon A Star


ベルモンツ版は1960年の4月に発売され最高位30位というマイナー・ヒットだったようです。上述のようにブライアンが「サーファー・ガール」を書いたのが1961年のおそらくは後半なので時期的にはちょっとズレている気はしますが、1961年という年を考えるとカーラジオから流れるとしたらオリジナルの「星に願いを」よりはベルモンツの「星に願いを」の方がありそうな気はします。米ウィキにも「要出典」の断りはあるもののラジオで聞いたのはベルモンツ版「星に願いを」と書かれています。

ピノキオの「星に願いを」と「サーファー・ガール」という関連にはピンとこなかった僕ですが、間にベルモンツ版をはさんでみると「星に願いを」がベースだったということも腑に落ちる気がいたします。もちろんブライアンはピノキオ版も知っていたはずで、1940年という自分が生まれる前のスタンダード・ナンバーをロッカ・バラードのドウー・ワップにアレンジしたベルモンツ版を聴いて、「閃いた」のは”コレだったら僕の方がうまくやれる”ということではなかったのかなと想像します。

上述のインタビューでは「サーファー・ガール」はブライアンが初期に書いた曲となっているのに実際にシングルとして発売されたのが63年7月とちょっと間が空きすぎています。実は61年11月にインディーズのキャンディックスからシングル「サーフィン」がローカル・ヒットとなる中、次のレコードのためのレコーディングがキャンディックスのオーナーであるモーガン夫妻の下で、翌62年の2月に行われ、そこで「サーファー・ガール」のオリジナルのバージョンが録音されてはいたのですが、その後のキャピトルとの契約などでいったんお蔵に入りそのままになってしまっていたからなのです。

余談ですが、このキャピトル契約前に行われた一連のレコーディングは通称「モーガン・テープ」と呼ばれており、CDの時代となった91年に『ロスト・アンド・ファウンド』というタイトルで発売されて以降、手を変え品を変え様々な会社から発売されてきましたが、きたる8月26日に2枚組60バージョン以上と言う”完全版”が発売になるということなので非常に楽しみにしています。では「サーファー・ガール」のモーガン・テープ版を。

→Becoming The Beach Boys: The Complete Hite & Dorinda Morgan Sessions

The Beach Boys - Surfer Girl Morgan tape


演奏についてはほとんど素人同然だったということもあってか、なんとも粗削りな感じのするバージョンです。これが1年半後の、あの完成度の高いシングルになるかと思うと何と言う進化のスピードよという気がします。しかし、こちらのバージョンを聴くとベルモンツ版がベースで作られたという事もより納得がいくんじゃないでしょうか。デニスのドラムとかひどいなぁと思いますがコーラスに関しては早くもベルモンツ以上に思えるのがすごいところ。

ところでモーガン・テープ版と正式版での一聴して分かる違いは、正式版ではイントロ部分でブライアンによるファルセット・コーラスが大きくフィーチャーされているということです。ビーチ・ボーイズと言えばコーラス、中でもハイトーンで縦横無尽に歌いまくるブライアンのファルセット・ボイスというイメージを持たれる方も多いことと思いますが、実はこの「サーファー・ガール」までブライアンあのファルセットはほとんど封印されているのです。アルバムで言えばデビュー・アルバムの『サーフィン・サファリ』と大ヒットしたタイトル曲を含む『サーフィンUSA』ではあのファルセットはなし。そんなアホな「サーフィンUSA」でファルセットありますやんと思われるかもしれませんが、印象とは違い”エーブリーバディーカンサーフィン”のとこの”カン”のとこだけ声が裏返っているだけで後はハイトーンではありますが、地声で歌っているのです。

後に多くのミュージシャン仲間からも「天才」と呼ばれ、デビュー当時からその才能の片りんを見せつけていたブライアンなのですが、幼いころから父マーリーに押さえつけて育てられたせいか、自分に自信が持てず、自分のハイトーンのボーカルについても女の子の様だということで積極的には歌わなかったようなのです、もったいない。そしてデビュー当時はレコード会社が決めたプロデューサーの指示に従ってのレコーディングを余儀なくされていたこともあり、思うような曲作りが出来なかったのですが、発売したシングルが次々ヒットしてその才能が認められ、次第に発言権を獲得。ついには音作りの部分でブライアン自身が実質的にプロデュースをすることが許されます。




そして、その最初の成果がシングル「サーファー・ガール」であり、直後のアルバム『サーファー・ガール』だったということになります。ブライアンからすれば「自分」に自信を持てたことで、それまで周囲に気がねをして押さえていた「自分」を解放することが出来たんじゃないかと思います。その「自分」が表に出たのが「サーファー・ガール」のイントロのファルセットだったと思います。そして自信がついたからこそ、作曲してから2年間も寝かせていた「サーファーガール」を完成させ、シングルとして持ってきたということだと思います。

そしてアルバム。一曲目に置かれた「サーファー・ガール」のフェイドアウトしていくコーラスに酔いしれている聞き手を叩き起こすようなノックのごときドラムのフィルインに続き、青い空とはじける波しぶきを思わせるハーモニーが飛び出し、その後マイクは目立ちたがり屋の自分を抑えた低音でつづき、そして空に駆け上るような開放感に満ちたブライアンのファルセットが響き渡ります。これぞ「ビーチ・ボーイズ・サウンド」です。

Beach Boys Catch a Wave 1966


「サーファ・ガール」から「キャッチ・ア・ウェイヴ」という2曲の配置はビーチ・ボーイズの独立宣言だと僕は思います。

さらに言えばブライアンのファルセットというのは、この「キャッチ・ア・ウェイヴ」や同じくアルバムB面に収録された「夢のハワイ」のような曲では「開放感」を感じさせるものなのですが、「サーファー・ガール」や「サーファー・ムーン」においては「憂い」や「切なさ」を感じさせるという二面性を持っていて、それが「サーファー・ガール」のような曲をたんなるサーフィン・ミュージックではない普遍性を持った楽曲たらしめている要因となって入る気がします。

そして、勇み足になることは踏まえたうえで言ってしまえば、僕には『ペット・サウンズ』は2分半のマジックである「サーファー・ガール」をアルバムに引き伸ばしただけなんじゃないかと思ったりするのでした。

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アップするのが遅くなってもう昨日のことになってしまいましたが、6月29日はビートルズの来日50周年でした。ということでSNSでビートルズの楽曲をアップされたり自分だけのランキングを書かれている方も多く見かけました。

いちおう私もビートルズ・ファンですのでランキングを作ってみました。来日50周年ということで最初50曲選ぼうかと思いましたが、もう20曲選ぶのでも数時間かかってしまい、無謀なことはやめることにいたしました。では「鳥肌音楽」が選ぶビートルズ・オール・タイム・ベスト・ソング20はこんな感じです。


01 ア・デイ・イン・ザ・ライフ
02 アンド・ユア・バード・キャン・シングアアドバイス
03 ハッピネス・イズ・ウォーム・ガン
04 イン・マイ・ライフ
05 ひとりぼっちのあいつ
06 レット・イット・ビー
07 ヘイ・ジュード
08 恋のアドバイス
09 恋する二人
10 ツイスト・アンド・シャウト
11 ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
12 ペニー・レイン
13 サムシング
14 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
15 テル・ミー・ホワイ
16 ホエン・アイム64
17 ユア・マザー・シュッド・ノウ
18 オール・アイヴ・ガット・トゥ・ドウ
19 ナット・ア・セカンド・タイム
20 ユー・ノウ・マイ・ネーム




以下は選曲の理由なのですが、時間がなかったのでほとんど過去記事からのコピペとなります事をお許しのほど。


01 ア・デイ・イン・ザ・ライフ


ジョンとポールという二つの才能が並び立った「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レイン」のシングルがビートルズ最高の一枚になるのですが、あくまで合わせ技での一本勝ち、では究極の一曲はということになれば、その最高の一枚とほぼ同時期、ふたりの脂が乗りきった時期のコラボである「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」とさせていただきます。

02 アンド・ユア・バード・キャン・シング


いわゆる「赤の時代」の曲ではいちばん大好きな一曲。ジョン自身は軽い気持ちで書いた曲なのか”(この曲)好きじゃない”みたいなことを言っているのですが、ボクなんかは”また照れやがってこの野郎、ホントは違うんでしょ”なんて勝手な深読みをしてしまいます。
ジョージにしてはかっこいいリフが登場するイントロ、前へ前へと曲を押しやるジョンのリズム・ギター、やたら歌っているポールのベース、そしてもちろんジョンの歌。自分の欲しいものをすべて手にしているという女に”でもお前は俺をモノにしていないぜ”という強気なところを見せるかと思うと”俺もお前のものにして”というM的に叫んだりという揺れ動く感情がダブル・トラックのボーカルで歌われています。実験的な「リボルバー」の中ではあまりにもストレートなフォーク・ロックなのであんまり評価されてなかったのですが、JAMのカバーもあってか最近は人気出てきています。好きです。

03 ハッピネス・イズ・ウォーム・ガン


ビートルズ時代のジョンの最高傑作はこの曲だと思います。ということは僕にとってジョン・レノンの最高傑作。

もともと3つの曲であったものを無理矢理に力技でひとつにした曲。最初のパートでは変態カップルの行為をみながらの不快感、哀しみ、嫌悪といった気持ちが、次のパートでは禁断症状で麻薬に頼るしかないといういらだちと諦めの気持ちが、そして最後には鉛の弾で全てを終わらせた(麻薬を注射した、射精したのトリブル・ミーニング)という快楽、喜びの気持ちがジョンの声により表現されています。こうした複雑な感情の世界をを3分弱のポップ・ソングの中に詰め込んでしまえるジョンの歌の表現力は唯一無比。

ジョンの気持ちを補足するリンゴのドラム、ジョージの悲鳴のようなギターも素晴らしい。

04 イン・マイ・ライフ


掛け値なしの名曲。音楽好き100人に聞いたらおそらく97人は名曲というのじゃないでしょうか。そりゃそうですジョンの素晴らしい歌詞と歌声にポールのこれまたシンプルだけど実り豊かなメロディが合体しているのですから名曲にならないはずが無い。

 リンゴのドラムにも注目。ジョンの楽しい思い出や悲しい思い出の詰まった故郷を頭の中で回想していく、そんな山あり谷ありを感情表現するボーカルにリンゴのドラムは並走したり立ち止まったりという感じでビートのニュアンスを変えながら、ぴったりと寄り添っています。けっこうリンゴのドラムがオンになっていますが、普通はこの曲調だったらもうちょっとドラム押さえるだろうと思います。それを自由に叩かせているのはメンバーがリンゴというドラマーが曲のニュアンスを理解してドラムを「歌わせる」人だと知っているからだと思います。ドタバタやってるんだけど歌の邪魔にならないそんなドラムです。

05 ひとりぼっちのあいつ


最初にこの曲を聴いたのは「赤盤」の中だったと思います。その後「ラバーソウル」を聴き名曲ぞろいの「ラバー」の中でも特に心惹かれた曲でした。歌詞の内容がこれまた大好きだったサイモンとガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」と似てなくもない気がいたしますが、ポール・サイモンが”ボクは自分の周りに城壁を築き、そこに閉じこもる”とボクのお話として歌うのに対してビートルズは”あいつはどこにもいくあての無い男”と彼のお話として歌っていてこのあたりの違いが面白く感じます。

 この歌が彼の物語であったために後に「イエローサブマリン」の中で使用されたときにはどこか物悲しいキャラクター”ノーホエア・マン”が生み出されます。映画の中でも最も印象に残るこのシーンを見てからは「ひとりぼっちのあいつ」を聴くたびに”ノーホエア・マン”のこっけいな姿が頭に浮かぶようになってしまいました。これってちょっと迷惑だったりします。

06 レット・イット・ビー


解散後の72年、中学生でビートルズを聴き始めた僕のような世代にとっては、ビートルズっていうバンドがいて人生なすがままに生きなさいと歌ってて、歌謡曲のちゃらちゃらした歌とは違うすごい歌を歌ってるんだ、だからビートルズを聴かなきゃだめなんだ、あそれレリピーレリピーみたいな感じだった一曲。でも40年以上たった今聴いてもぐっと来る、名曲です。

07 ヘイ・ジュード


掛け値なしの名曲でしょう。ジョンの離婚により落ち込んでいる息子ジュリアンを励ますためにポールが作ったナンバーということのようです。小学生の時にいとこの家に遊びに行ったときにいとこがかけてくれたシングルの中にこの曲があったのを何故かよく覚えています。他にはボサリオの「サン・ホセへの道」やゼガーとエバンスの「西暦2525年」なんてのがあったから1969年だったのかな。とにかく小学4年生が聴いても十分に印象に残るメロディでした。特に最後のダーダダ ダダダッダダーのとこはあれだけ繰り返されれば頭に残りますよね。

 中学の時は聞いたままのカタカナ英語で歌っていましたがあらためて歌詞を読むといい歌詞ですね。”Take a sad song and make it better”とか、そう気持ちの持ちよう次第なんだよ人生はな、なんてね。


08 恋のアドバイス


これと次の9位に選んだ「恋する二人」あたりが個人的にはジョンだポールだではなくR&Rバンドとしてのビートルズの魅力をもっとも感じる曲です。このメロディ、このハーモニー、この演奏、どこを切ってもビートルズ印!

イントロなしでジョンが”おまえ彼女にふられるぜ”と忠告し、残りのメンバーが”そう、ふられちゃうよ”とコーラスで追っかける、そしてリンゴがドコドコドンとフィル・イン。イントロなしで始まるビートルズの歌はどれも名曲だと言われますが、この曲は中でも名曲中の名曲です。「恋のアドバイス」という邦題に騙されそうになりますが実はこの歌アドバイスどころか友達に”お前の彼女をボクがもらっちゃうよ”という横恋慕の歌なのだということをかなり遅れて知りました。

 人間とは勝手なものでそれまではやさしい忠告と聞こえていたジョンのボーカルが、内容を知ったとたん喉を鳴らし獲物を狙う猫のような声に聞こえるようになってしまいます。でもこういう具合で単純に甘いラヴ・ソングじゃない、というところがジョンらしくって、いつ聴いても飽きない所以なのでしょうね。

ここで歌われる”that girl"は「She loves you」の”She”なのでしょうね、きっと。

09 恋する二人


リンクはったYOUTUBEの動画は映画「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の中でのこの曲の演奏シーンなのですが、ここでジョージがリッケンバカーの12弦を弾いているのを見て感動したロジャー・マッギンは後に彼のトレード・マークとなるリッケンバカーを手にしたんじゃなかったな、確か。竹内まりやの「マージービートで歌わせて」の間奏で達郎がリッケンバッカーの12弦を使ったソロを弾いているのもすべてはこの映画のこのシーンのおかげじゃないでしょうか。全世界のR&Rバンドをやりたい若者たちがこの映画のこのシーンをお手本とした、そんな一曲。

 この曲もビートルズらしさがいっぱい詰まった曲で、”あったとたんひとめぼれ、君に会うまでは恋なんて知らなかった、もっと僕を愛しておくれ”という内容で、5位の曲とはまったく違う甘々のラヴ・ソングなのですが、これがまたいい。さっき言ったことと矛盾しているって、いいんです(byカビラ)、ジョンが歌えばすべては名曲。ジョンお得意の母音伸ばしが出てくるのですが、所々音程がふらつくような気がするのは二人の世界でメロメロになっていることの表現ということなのでしょうね(笑)、流石はジョン。

10 ツイスト・アンド・シャウト


デビュー・アルバムのラストをかざるR&Rナンバー。意図してかどうかは分からないけど憧れの女の子と踊りたいという「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」で始まったビートルズの初めてのアルバムは”踊ろうよベイビー ツイストしようよ可愛い娘ちゃん 楽しくさ”というジョンが歌う「ツイスト・アンド・シャウト」で幕を閉じます。一曲目からラストまでの30分間にダンスミュージックがいっぱいあったのに結局彼女を踊りに誘えなかったということなのでしょうか?案外おくてな奴等ですね。

まぁベイビー・フェイスのポールの歌では落ちない女の子もジョンの流し目と扇情的なシャウトにかかればイチコロになることでしょう。この曲はアイズレー・ブラザースのヒットが元歌なのですがジョンの手にかかるとアイズレーのバージョンですらお上品な曲に思えてしまうくらいフェロモンだしまくりのボーカルに僕もイチコロでした。


11 ストロベリー・フィールズ・フォーエバー


12 ペニー・レイン


頭にも書いたようにこの2曲を両A面としたシングルはビートルズ最高の一枚ということで。


13 サムシング


これまた掛け値なしの名曲中の名曲。ジョンとポールからお子ちゃま扱いされながら耐え忍んできた、そのすべてが結晶したような名曲です。メロディの素晴らしさはもちろんなんですが恋に落ちたときの盲目感を平易な言葉で歌った歌詞がこの歌に普遍性を与え大御所フランク・シナトラ他数多くのカバーを生み出したのではと思います。”彼女のちょっとした仕草の何かが 今までの女の子とは比べられないほど僕を夢中にさせる”老若男女誰もが経験する気持ちじゃないでしょうか?

 シナトラはこの歌を本当に気にいって歌っていたようなのですが、実はずーっとレノン=マッカートニーの曲だと思っていたらしいのです、やっぱり日陰者ですね、ジョージって。


14 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア


本国イギリスでのデビュー・アルバムの1曲目。

「ラヴ・ミー・ドゥー」と「プリーズ・プリーズ・ミー」という2枚のシングルでやられたビートルズ・ファンが初めてのアルバムをレコード店で買って、わくわくしながら家に帰りポータブル・プレイヤーにLP盤を乗せ針を落とすと軽いスクラッチ・ノイズの後”ワン・トゥ・スリー・フォー”というポールのカウント、そしてドライヴするR&R。さぞかし「かっけぇー」と思ったことでしょうね。

 この曲で初めてビートルズを体験するというのは遅れてきたビートルズ・ファンとしてはもちろん味わえませんでしたが、何百回も聴いた後なのに、いまだに”あの子が立ってるのみたら他の女の子とのダンスなんか出来っこないぜ、ウーッ!”というサビのジョンとポールの”ウーッ!”を聴くたびに「かっけぇー」と思ってしまいます。歌詞も含め他愛も無いR&Rなんですけどね。

15 テル・ミー・ホワイ


実をいうとこの曲の良さを再発見したのは学生の時にビーチボーイズが「パーティ!」で失恋の歌にもかかわらず実に楽しげにカバーしているのを聴いてからでした。頭から3人のコーラスが全開なのですが、途中でジョンが”全部アンタにあげたのに”といらだちながら歌うと”おいてきぼりやもんあなぁ”と慰めるように全員が唄い返す。この繰り替えされるコール・アンド・レスポンスがこの歌のキモだと思います。そして”僕にできることがあるのなら・・・”のところで感極まったジョンの声はひっくり返ってしまい、あわててトーンを戻した後”だってダメなんだよ君を愛しすぎてるから”と恋人にひざまずきます。笑って歌う曲じゃないんだけどなぁ、ビーチボーイズめ!


16 ホエン・アイム・64


思えばこの曲を初めて聴いたころ、自分が64歳になるのって半世紀以上先のことだったのに、気がつけばもう数年先になっちゃってる、30歳の自分ですら想像できなかったのに・・・。

17 ユア・マザー・シュッド・ノウ


これはもうたまらなくポール・マッカートニーなメロディ。こうやって20曲を選んでいるとついついジョンの歌う曲が多くなってしまうのですが、メロディを聴いて「あぁビートルズやなぁ」と思うのはこの曲みたいなポールの作るメロディだったりします。


18 オール・アイヴ・ガット・トゥ・ドウ


19 ナット・ア・セカンド・タイム


上にも書きましたが、ポールは確かに素晴らしいメロディを書くのですが、どうしても声の持つ力でジョンの方に強く惹かれてしまいます。

「オール・アイヴ・ガット・トゥ・ドウ」なんて地味な曲なんですがジョンの声で歌われると魔法がかかったような悲しみを帯びた名曲になってしまう。
 
 「ナット・ア・セカンド・タイム」のほうも頭の”わかってるやろ泣くのはお前のせいやで”というジョンの声を聴いただけで切ない気分になってしまいます。そしてジョンのお得意の母音を伸ばす歌い方”アイ・シー・ノー・ユース・イン・ワンダ~リング・ホワァワァ~イ、ア、ア、ア、ア~イ・クラァ~、ア、アイド、フォー・ユゥ~ウ、ウ、ウゥ、イェ”で完全にジョンに同情してしまい、最後にはジョンと一緒に”ノー・ノー・ノー ナッタ・セカンダ・タイム 嫌だ、嫌だ、嫌だ 二度とゴメンだ”と口にだして歌っている自分に気がつきます。魔法のような声ですホント。
 演奏面ではジョンの沈んだ気持ちを代弁するように低音を強調したピアノを弾くジョージ・マーチンの貢献が大きいですね。それとリンゴのドラムもよく歌っています。

20 ユー・ノウ・マイ・ネーム


友達の家で「レット・イット・ビー」のシングルを聴いているときにB面の曲がアルバムにも入っていない曲と気がつきかけてもらいました。その時の印象は”なんだコレ”、その印象は今聴いても変わりません相変わらず”なんだコレ”。とにかく真面目にロックを聴いていた中学生にこんなふざけた歌を聴かせるなんて。

 完全にジョンのおふざけとしか言えないう歌なのですが、ジョンの”デニス・オーベルに拍手を”と紹介され歌いだすデニス・オーベルはポールで、ジョンのおふざけに”真剣”につきあっている。この辺にジョンとポールの切っても切れない絆のようなものを感じてしまうというのはいい過ぎでしょうか。最後もエヘン虫にやられたようなジョンのうなり声に”オーイェー オーイェー”と応えているし、どこまでやんねんポール。とにかくいつまで経っても変な歌やから何回聴いてもあきない、これって凄いことや思います。

でも中には”なんだこのやろふざけやがってもっと真面目にやれー、責任者でてこい”と怒り心頭の人もいらっしゃるでしょうし、その気持ちをジョンに伝えたいという人もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。それを見越してかジョンはなんども繰り返してるじゃありませんか”僕の名前しってるよね だったら電話番号は自分で調べてね”って。やるね、ジョン。


最後、本文と全く関係はありませんが、個人的にビートルズ・ソングの最高のカバーだと思う一曲をおまけとして。レリピーレリピーです。




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列車に乗る 16両の長いやつ
列車に乗る 16両の長いやつ
黒く長い列車で あの娘はいっちまった

列車 列車が来る カーブを抜けて
列車 列車が来る カーブを抜けて
あの娘が乗っている 二度と行かせやしない
二度と

列車 列車が来る 線路を 線路を下って
列車 列車が来る 線路を 線路を下って
あの娘を連れて だって彼女のすべては俺のもの 
彼女は俺のもの すべては俺のもの

列車 列車が来る カーブを抜けて
カーブを カーブを抜けて
列車 列車が来る カーブを抜けて
カーブを カーブを抜けて
あの娘が乗っている 二度と行かせやしない
二度と


R.I.P. Scot "Scotty" Moore III (December 27, 1931 – June 28, 2016)
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 最近は通勤のBGMとしてYOUTUBEで大瀧詠一さんのラジオ「GO!GO!NIAGARA!」の音源なんかを聴くことが多いのですが、「折り込みソング特集」(織り込みの方が合ってる気もするのですがアップされた音源のタイトルに従います)という歌詞の中に他の曲のタイトルが折り込まれた楽曲の特集を聴いていたらニール・セダカの「恋の片道切符 One Way Ticket (To The Blues ) 」が取り上げられていました。そういえば「恋の片道切符」を聴くときに、いつも”ハートブレイク・ホテル”っていうとこで”あっエルヴィス”と思ってはいたのですが、他にもいっぱい折り込みされてたんですね。

Neil Sedaka - One Way Ticket (To The Blues ) 1959



Choo, choo train, chuggin' down the track
Gotta travel on, never comin' back
Woo, ooh got a one way ticket to the blues

Bye, bye love my baby's leavin' me
Now lonely teardrops are all that I can see
Woo, ooh got a one way ticket to the blues

I'm gonna take a trip to lonesome town
Gonna stay at heartbreak hotel
A fool such as I that never was
I cried a tear so well

シュシュポッポ ガタゴト線路の上を
汽車は往く もう戻らない
僕の手には憂鬱行の片道切符

恋よバイバイ あの娘は往く
孤独の涙しか 僕には見えない
僕の手には憂鬱行の片道切符

僕は目的地の孤独街へまっしぐら
失恋ホテルに宿泊し
僕みたいなバカは世界にひとり
涙も枯れてしまった


原詞で赤字にしているところが他のヒット曲のタイトルの引用です。

「恋の片道切符」は1959年の秋に発売されたセダカ作で高校時代の同級生であったキャロル・キングをモデルに描いたとされるシングル「オー・キャロル」のB面曲として発表されました。



「オー・キャロル」は本国アメリカでは9位という大ヒットとなっていますが、なぜか日本でシングルが発売される際にはA面とB面をひっくり返して「恋の片道切符」として発売されています。

「恋の片道切符」はニール・セダカの作ではなく大瀧詠一さんをして「産湯を浸かった」とまで言わしめたソング・ライター、ジャック・ケラーの作品(作詞はハンク・ハンター)です。ジャック・ケラーとニール・セダカは1958年にアル・ネヴィンスとドン・カーシュナーによって設立されたアルドン・ミュージックのスタッフ・ライターとして働く「同僚」でした。それゆえセダカのシングルのB面曲としてハンター/ケラーの作品が選ばれることになった(小遣い稼ぎみたいな感じか?)のだと思われます。

ただ本人作曲歌唱のA面より目立っちゃいけませんから、ハンター/ケラーはみんなに知られたヒット曲のタイトルを織り込んだお遊びの歌=ノベルティ・ソングとして作っていると思われます。哀愁を帯びたメロディーなのですが、アメリカ人が聴けば、いきなり”シュシュポッポ”とドリス・ディのハネムーンを歌った曲のタイトルが引用されその後もベタな「バイバイ・ラヴ」や「ハートブレイク・ホテル」が次から次と出てくる。悲しい失恋ソングなのですが思わずクスクス笑ってしまうそんな歌なんだろうと思います。

ところが日本では事情が変わります。英語が分かる人が少なくというかほとんど存在せず、また引用元の楽曲もエルヴィスやエヴァリーズ以外は日本盤も出ていたのかあやしく(すみません確認していません)、アメリカのように歌われる歌詞ですぐに「あぁアレアレ」とピンときて、ニヤリとするような人はほとんどいなかったんじゃないかと思われます。なにせ、シングルを発売しようとしたビクターのディレクターでさえB面曲をA面にして「恋の片道切符」という切ない邦題をつけて売り出した=お遊びと思っていなかったということでしょうから。

よしんば、ノベルティのためB面曲だったという事情を分かっていたとしたら、「オー・キャロル」と「恋の片道切符」を聴き比べたときに、より哀愁味のあるメロディの「恋の片道切符」の方が日本人向きであろうという判断をディレクターが下したということになります。その際、歌詞の問題については、たぶん日本人には分かんねーだろうからOKという感じだったのかなぁと思います。

どちらにせよ、「恋の片道切符」は日本のポピュラー・チャートで1位となっているのですから、ディレクター氏の判断は正しかったということになるんだと思います。(日本で1位の件は米ウィキにも特記されているのですが何のチャートなのかの明記がありません、何のチャートなんでしょうね)


では、引用されているヒット曲をお聴きください。

Doris Day Choochoo train


1953年、全米20位のスマッシュ・ヒット。”Choo choo Foo,Choo choo Foo"という日本で言うところのシュシュポッポのところがチャーミングですね。

Gotta Travel On Billy Grammer


1959年、全米5位の大ヒット。カバーの多い曲ですが個人的にはニール・ヤングが『アメリカーナ』でカバーしたやつが記憶に残っています。ディランもカバーととにかくカバーの多い曲。

Everly Brothers - Bye Bye Love


いまさら説明の必要もない1957年のエヴァリー・ブラザースの全米NO.1ヒット。僕らの年代だとエヴァリーズよりサイモンとガーファンクルの歌という印象を持っている人が多いと思うのですが、今は逆にS&Gバージョンは知らずにエヴァリーズの方は知っているという人が多いんじゃないでしょうか?時代は変わるですね。

Jackie Wilson - Lonely Tear Drops


1958年11月発売で全米7位、R&Bで見事に1位を獲得したジャッキー・ウィルソンの大ヒット。ベリー・ゴーディと姉妹のグゥエンドリンとロクエル・ディヴィス作。個人的には映画「デュエット」の中でヒューイ・ルイスがカラオケで歌ったバージョンが印象に残っています。

Ricky Nelson - Lonesome Town


リッキー・ネルソンの1958年8月発売のシングルで全米7位、R&Bチャートでも15位のヒット。

Elvis Presley Heatrbreak Hotel


1956年1月に発売された、これまた説明の必要のないエルヴィス・プレスリーのメジャー・デビュー曲にして全米NO.1の大ヒット。作者はメイ・アクストン、トーマス・ダーデン、エルヴィス・プレスリー。エルヴィスが全米の若者たちを席巻するきっかけとなった一曲です。

Elvis Presley - A Fool Such As I


元々はハンク・スノウが1953年に歌いカントリー・チャートで4位を記録していたカントリー・ヒット、また同じ年にジョー・スタッフォードも歌い全米20位となったものを1959年3月にエルヴィスがカバー。当初は「アイ・ニード・ユア・ラブ・トウナイト」のB面曲であったがA面を超え全米2位となる大ヒットに。後に地下室セッションでディランもカバーしています。

I Cried a Tear Lavern Baker


ラーヴァン・ベイカーか1958年に歌い全米6位、R&Bでは2位となる大ヒット。間奏のサックスはキング・カーチス。

ジャック・ケラーで産湯を浸かった大瀧さんは、この折り込みソングがお得意の人でしたが、とうとう歌詞すべてがエルヴィスの歌のタイトルという「いかすぜこの恋」というノベルティ・ソングを作ります。今日はその曲で締めたいと思います。



「いかすぜこの恋」についてはコチラの過去記事を⇒烏賊酢是!此乃鯉! Elvis! Forever!


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前回のエントリ後、私事でなにかとせわしなかったこともあってすっかり遅くなってしまいましたが大学時代のサークルのOBでいらっしゃるデューク中島先輩からママス・アンド・パパスのデビュー・アルバム『夢のカリフォルニア』のビクターから66年に発売された国内盤の写真を送っていただきましたので、アップさせていただきます。



基本的にはトイレをバナーで隠した米再発盤をもとにしているようです。バナーに書かれているのは「INCLUDES CALIFORNIA DREAMIN'」と一曲だけで前回アップした米再発盤の「INCLUDES CALIFORNIA DREAMIN' MONDAY MONDAY I CALL YOUR NAME」の3曲書かれたものとは違っていますが、米国でも再発盤の1stイシューは「INCLUDES CALIFORNIA DREAMIN'」だけだったようです。

後ビクター盤は当然なのですが右上にビクターのニッパー犬のロゴが印刷されています。あと細かいことですが写真自体が少しだけトリミングされているように見えます(ミッシェルの頭の上の窓の上の方がちょん切られています)。

デューク先輩からのメールにはジャケット裏面の写真も添付されていました。



これを見て面白いなぁと思ったのは「ニュー・フォーク・ソング・シリーズ」というフレーズです。ママス・アンド・パパスっていうのは「フォーク・ロック」のグループというのが現在の一般的な認識だと思います。しかし発売当時のレコード会社(ここではビクター)が名づけたカテゴリーは「ニュー・フォーク」というものだったのが見て取れます。確かにロックン・ロールやロックと比べればマイルドだけどエレクトリックなバンドがバックについていてフォークとも呼べないうーん困った(だからフォーク・ロックだって)、そうだこんな時は便利な言葉「ニュー」をつけて「ニュー・フォーク」としてしまえという感じだったのではと想像します。

じゃぁこの「ニュー・フォーク」というシリーズ他にはどんなの出てたのと調べてみましたが確認できたのは2枚だけでした。

『夢のカリフォルニア』の品番はSHP5557なのですがひとつ前の品番SHP5556はバリー・マクガイアの『フォーク・ロック傑作集』というもの。うん、待てよちゃんと「フォーク・ロック」という言葉が使われてるやんけ。



ジャケット裏面を見るとしっかりと「ニュー・フォーク・ソング・シリーズ」と書かれています。「フォーク・ロック」か「ニュー・フォーク」かどっちやねんと当時のビクターのディレクター氏に聞いてみたいものです。ひょっとして「フォーク・ロック」っていうのは「フォークとロック」っていう意味なのか?



ちなみに収録曲を見るとこのアルバムはダンヒルからの一枚目の『ディス・プレシャス・タイム』と二枚目の『イヴ・オブ・ディストラクション』からいいとこどりの日本編集盤のようですね。ジャケは『ディス・プレシャス・タイム』をトリミングしたもの。

以前取り上げたバリー・マクガイアが歌うオリジナル版「夢のカリフォルニア」も収録されていますね。
こんな寒い冬の日にはカリフォルニアを夢みてしまう


 

さて「ニュー・フォーク・シリーズ」のもう一枚は何か?感のいい方は上のバリー・マクガイアの帯を見てお気づきかと思いますが、ママス&パパスの一つ後の品番SHP5558で発売されているのがバリー・マクガイアの全米NO1ヒット「明日なき世界」を書いたP.F.スローンのアルバム『ニュー・フォークの鬼才』です。



こちらもいちおう確認のためジャケット裏面を。「ニュー・フォーク・シリーズ」確認できますね。



このアルバムも収録曲はダンヒルの一枚目『ソング・オブ・アワ・タイム』と二枚目『トゥエルブ・モア・タイム』からのいいとこどりのようなのですが、なぜか一枚目に収録されていた「明日なき世界」の本人バージョンが入っていないのが不思議です。

  


以上の3枚は品番が連番なのでおそらくは一斉に発売されたものと思われます。帯裏の広告を見る限りこの3枚から「ニュー・フォーク・シリーズ」はじまっているようなのですが、その後の品番で検索しましたがこれ以降の発売は無かったものと思われます。その原因としては発売元のダンヒル・レコードの日本での販売権がビクターから東芝に移ってしまい、ビクターからの販売自体が無くなってしまったことと、おそらくは「フォーク・ロック」という言葉が日本でも一般的になってきたため「ニュー・フォーク」って言い方はおかしいということになっちゃったんじゃないかなと思います。

下の画像は東芝から「孤独な世界」のシングルが再発売された際の解説文ですが、しっかりと「フォーク・ロック」と書かれています。っていうことで日本で「フォーク・ロック」という言葉が一般化したのは66年ということなのかな、でもバーズやディランの事も調べなきゃ断言できませんけどね。





デューク先輩のコメはストーンズのジャケについても貴重な情報が書かれていて、本当はそっちも調べてみたかったのですが、ママス&パパスがらみで力尽きました。ストーンズについてはまたいずれ。デューク先輩ありがとうございました。


P. F. Sloan - From A Distance 1966



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