鳥肌音楽 Chicken Skin Music

WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.


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ここ数年間というものこのブログで追悼記事ばかり書いている気がします。ロックンロールが生まれて60年以上、歌手たちはもちろんご高齢になっているのでいたし方がないことなのですが・・・。

本日も追悼の記事となります。上の写真の真ん中のメンター・ウィリアムスが16日亡くなったようです。

Mentor Williams, Writer of Dobie Gray's 'Drift Away,' Dies at 70
Submitted by gkaufman on Thu, 2016-11-17 13:22

Country songwriter Mentor Williams, best known for penning Dobie Gray 's 1973 No. 5 smash "Drift Away," has died at age 70. Williams' death was reported by the Taos News , which said that a family member confirmed that the writer of songs by Alabama , Jackie DeShannon and The Ventures passed away from undisclosed causes at 6:15 a.m. on Wednesday (Nov. 16).

The brother of singer/songwriter/actor and ASCAP President Paul Williams] was also known for co-writing such tunes as Randy Travis and George Jones' "A Few Ole Country Boys" in 1990, and Alabama's 1984 hit "When We Make Love." His best-known song by far, however, was Gray's "Drift Away," which has been covered by everyone from Waylon Jennings to Rod Stewart, Michael Bolton, Ray Charles and Roy Orbison -- as well as Uncle Kracker, who returned the song to the top ten on the Billboard Hot 100 in 2003 with his No. 9-peaking, Gray-assisted cover.


ちなみに上の写真のメンターの向かって左はポール・ウィリアムス、右はドビー・グレイです。訃報記事にあるようにメンターはカーペンターズの「愛のプレリュード」「雨の日と月曜日は」やスリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」といったヒット・ソングの作者ポール・ウィリアムス(ASCAPの会長なんですね、知らなかった)の弟であり、ドビー・グレイが歌った「明日なきさすらいDrift Away」の作者として知られています。

とか偉そうに書いていますが、僕はメンターの楽曲って「ドリフト・アウェイ」以外知りませんでした。名誉のために書いておくと(笑)アメリカ人でもメンター・ウィリアムスと言えば「ドリフト・アウェイ」以外頭に浮かばない人はけっこういるんじゃないかと思います。

それは「ドリフト・アウェイ」だけの一発屋みたいな意味合いではなく、逆にその一曲がとにかく多くの歌手に愛され歌い継がれているという意味でメンター・ウィリアムス=「ドリフト・アウェイ」と刻み込まれているということです。

「ドリフト・アウェイ」という歌は実はドビー・グレイがオリジナルではなくジョン・ヘンリー・カーツJohn Henry Kurtzという歌手が72年に歌ったものでした。

John Henry Kurtz/Drift Away



来る日も来る日も 混乱してばかり
雨に打たれ 光を探してる
ゲームに負けたくないんだ
重荷なんだ 最悪だよ

ビートをおくれ 自由になるために
あんたのR&Rと 漂いたいんだ

時間の無駄遣いだよな
自分のことが分かってなかった
周りが冷たくみえて
あんたに頼るしかないんだ

ビートをおくれ 自由になるために
あんたのR&Rと 漂いたいんだ

心が自由なら
メロディがグッとくる
ブルーな時には
ギターが慰めてくれる

喜びをくれてありがとう
あんたの歌を信じている 分かるだろ
リズムとライムとハーモニー
あんたの歌で俺は強くなれる

ビートをおくれ 自由になるために
あんたのR&Rと 漂いたいんだ


おそらくチャートにかすりもしなかったカーツの「ドリフト・アェイ」を最初にカバーしたのはナーヴェル・フェルツNarvel Feltsでした。フェルツはカントリー歌手でしたのでサビの”I wanna get lost in your rock and roll”の部分が「ロックン・ロール」じゃおかしいと思ったのでしょうね、"I wanna get lost in your country song" と歌詞を「カントリー・ソング」に替えて歌いみごとにカントリー・ファンの心をつかみカントリー・チャートで8位となるヒットにします。


Narvel Felts -- Drift Away


フェルツのシングルが発表された3か月後にドビー・グレイの「ドリフト・アウェイ」は発表されます。ドビー・グレイは65年に後にラムゼイ・ルイスがカバーしたことでも有名な「ジ・インクラウド」のシングルが13位とヒットしていましたが、その後は泣かず飛ばずでハリウッドで俳優のバイトをしたり、俳優マックス・ベアJrがマネージメントするバンド=ポリューション Pollutionのボーカリストとして活動していました。おそらくはそういった映画関係のつてで知り合ったポール・ウィリアムスの楽曲のデモ・シンガーになります。この時期メンターもLAに住んでいたようなのでポールを通じてメンターとドビーは知り合いになったと思われます。

どこをどうしたのかは分かりませんでしたがデッカ(MCA)とドビーのアルバム契約をメンターは取り付けてきます。ノーバート・パットナムとデヴィッド・ブリッグスの経営するクアドロフェニックス・サウンド・スタジオでレコーディングを行います。とサラッと書いていますが、元々R&Bの黒人歌手であるドビーが白人カントリーのメッカであるナッシュビルで録音を行うというのはおそらくは異例中の異例だったんじゃないかと思われます。事実デッカはR&Bともカントリーともつかない「ドリフト・アウェイ」をシングルとして出すのを嫌がったようです。

メンターはそれを押し切りシングルを発売。カントリーとR&Bのハイブリッドが逆に新しかったのかドビー・グレイが歌う「ドリフト・アウェイ」は見事全米5位の大ヒットとなります。

Dobie Gray - Drift Away (Original Official Video)


ちなみに、イントロから聞こえる印象的なギターはレジー・ヤング、まさに”ブルーな時には ギターが慰めてくれる”という歌詞にぴったりのトーンです。

そして大ヒットとなった「ドリフト・アウェイ」はファンだけでなく多くの歌手の心にも届き、先にも書いたようにカバーが本当に多く残されることとなります。

米ウィキに書かれたものだけでもアラン・クラーク、ロイ・オービソン、アイク&ティナ・ターナー、ハンブル・パイ、マッド、ロッド・スチュワート、ウェイロン・ジェニングス、レイ・チャールズ、ネヴィル・ブラザース、マイケル・ボルトン、ジム・ホリーズ、クリスチャン・ケイン、ローリング・ストーンズ、ナイロンズ、リンゴ・スター、ブルース・スプリングスティーン、ジャドソン・スペンス、ビリー・ジョー・ロイヤル、スティーヴ・ヤング、ジョン・ケイ、 トム・ラッシュ、ヘプトーンズ、ストリート・コーナー・シンフォニー、ボン・ジョヴィ、ドリー・パートンとアン・マレー、ガース・ブルックス、俳優のテムエラ・モリソン、そして「ロズ・ガーデン」でお馴染みのリン・アンダーソン、彼女はメンターの生涯のパートナーでしたが2015年のゴスペル・アルバム『ドリフト・アウェイ』を発表した後で亡くなっています。

といった数多くの、それもスーパースターと呼べるような歌手たちにカバーされている「ドリフト・アウェイ」ですが2003年にアンクル・クラッカーUncle Krackerが歌ったバージョンは全米9位という2度目のトップ10ヒットとなります。

Uncle Kracker - Drift Away (video)


上の動画を見ていただければお分かりかと思いますが、このカバーには本家ともいうべきドビー・グレイが共演しています。この共演についてアンクル・クラッカーは”この曲はオリジナルよりうまく歌うのはとうてい無理じゃない、だから本人をつかまえて一緒に歌ってもらったってわけ”と語ったとのことですが、分かってますねー。ちなみにポップチャートでは1週のみ9位が最高位でしたがアダルト・コンテンポラリー・チャートでは28週間に渡り1位を記録しており、いかに大人のロック・ファンに愛されている曲だったかが分かるかと思います。

それにしても、なぜこれほど多くの歌手が「ドリフト・アウェイ」をとりあげるのか?もちろんメロディの良さもあるのでしょうが、やはり歌詞ではないかなと思います。音楽好きな人であれば誰でも一度や二度、いやもっとかな、大好きな歌によって悩みから救われたという経験を持っていることでしょう。「ドリフト・アウェイ」はそんな思いを歌った歌であり、大好きな歌手のコンサートなんかでコール・アンド・レスポンス的に大合唱するのにぴったりの歌といえます。

上記の歌手でいえばスプリングスティーンやボブ・シーガー、ボン・ジョヴィなんかのライヴでスタジアムいっぱいの観客がサビの”Oh, give me the beat boys and free my soul I wanna get lost in your rock and roll and drift away”を大合唱している、そんな画が容易に浮かんできます。だってロックンロール讃歌が似合うご三方ですから。

個人的なことをかかせていただくとドビー・グレイの「ドリフト・アウェイ」は僕が中学2年くらいのヒットなのでラジオでも聴いてはいたのですが、その時はあんまりピンと来てなくて2年後に大好きなロッド・スチュワートがアルバム『アトランティック・クロッシング』でカバーしているのを聴いていい曲だなぁと思い、その後さかのぼってドビー・グレイを聴いて、ロッドには悪いけどこっちの方がいいやんと思ったものでした。

Rod Stewart/ Drift Away


とにかく、個人的なオール・タイム・グレイテスト・ソングスみたいなCDを作るとしたら必ず入る1曲です。大好き。


最後に数多いカバーものの中から印象に残ったものを何曲か。

The Rolling Stones-Drift Away (Unreleased Cover Song)


まずは74年に録音されたもののお蔵入りになってしまったストーンズのカバー。たしかにあんまりパッとしない気がします。

Ricki And The Flash Music Featurette - 'Drift Away' (ft. Meryl Streep)


記事を書きながら、そういえばちょっと前に「ドリフト・アウェイ」を誰かが歌ってるのをTVで見たよなぁ・・・と考えていたらジョナサン・デミの映画『リッキ・アンド・ザ・フラッシュ』のDVD見てたら主人公の落ちぶれたロッカー役のメリル・ストリープが劇中で歌っていたのでした。ロックンロールのために家族を捨てたメリルが歌う「ドリフト・アウェイ」は歌の意味を考えるとなかなかに深い選曲だったんだなぁと今頃気づきました。さすがはジョナサン・デミ。メリル自身が吹替えなしで歌い、ギターも弾いてるようなのですがメリルにギター指導をしたのがニール・ヤングと聞いていいのかニールでと思ってしまいました。ちなみにメリルのバンドのイケメンのギタリスト役はあのリック・スプリングフィールドです。

Bruce Springsteen - Drift away & Roll of the dice Hannover 28.5.2013


大合唱です。

The Neville Brothers - Drift Away - 4/29/1987 - unknown (Official)


アーロンにや誰もかなわねぇ。

Dolly Parton,Randy Parton & Anne Murray Sing (Drift Away) '76 on the Dolly Show


ドリー・パートンのTVショウでゲストのアン・マレーと弟ランディと歌っています。カントリー歌手たちなので歌詞はフェルツ版の”カントリー・ソング”で行くはずなのに途中間違って(わざと)いるのがご愛敬。

John Denver & Paul Williams - Drift Away (Live)


弟メンターとドビー・グレイを結び付けた張本人であろうポール・ウィリアムスがジョン・デンバーと歌っています。苦労している二人を間近で見ていただけに「ドリフト・アウェイ」のヒットは我がことのようにうれしかったのではないかと想像します。

Lynn Anderson "Drift Away Gospel" Lyric Video


生涯のパートナーであった(ウィキによれば籍はいれてなかったみたいです)リン・アンダーソンが歌詞を変えて(動画をご確認)ゴスペルとして歌ったバージョンを最後に。2015年6月9日に発表されていますが翌月30日に心臓発作で亡くなっています。スワン・ソングが愛するメンターの曲だったというのが涙を誘います。そして、その1年4か月後リンの後を追うようにメンターも永遠のパートナーの待つ場所へ旅立ちました。

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レーナードLeonard Choen/So Long,Marianne



窓際へおいで 僕の可愛い人
君の手相をみてあげる
時々思い出すんだ
君を家に連れてくるまでの僕は
ある意味ジプシーのようなものだった
じゃまたね マリアンヌ 新しい始まりだよ
笑い泣き 泣き笑う 昔と全く一緒さ

君と暮らしたいという気持ちは分かってるだろ
だけど君は僕とのこと忘れたがっている
僕は天使のために祈るのを忘れ
天使は僕たちのために祈るのを忘れる

じゃまたね マリアンヌ 新しい始まりだよ

出会ったころ僕たちは子供だった
ライラックの緑の中で
僕が磔のキリスト像であるかのようにすがった
そして闇に向かって膝まづいた

じゃまたね マリアンヌ 新しい始まりだよ


ニュー・アルバム『ユー・ウォント・イット・ダーカーYou Want It Darker』についてのニューヨーカー誌のインタビューの中にレナード・コーエンの60年代の恋人(文中ではミューズつまりレナードにインスピレーションを与えた人という意味)マリアンヌが今年の7月に亡くなった時のレナードとマリアンヌのやりとりが書かれているのを読んで思わず目頭が熱くなってしましました。

今年の7月にレナードはマリアンヌの親友のジャン・クリスチャン・モレスタッドからマリアンヌがガンに冒されているというEメールをもらいます。マリアンヌとレナードの最後の連絡はマリアンヌがビーチ・ハウスを手放したという話だけで病気のことには触れていませんでした。Eメールではマリアンヌの余命は数日となっていました。

レナードはすぐにマリアンヌへの返信を送りました。

あぁマリアンヌ
とうとうこんな時がやってきてしまった
僕たちは本当に年老いてしまい
身体もバラバラになってしまうんだ
でもきっと僕もすぐに君を追いかけるよ

僕はきみのそばにいる
もしきみが手を伸ばしたら
きみの手に触れるところにいるよ

そしてきみの美しさとかしこさを
いつだって愛している
だけど それ以上のこという必要はないね
きみはもう十分に知っているんだから

君の旅が素敵なものだといいな

さよなら友よ

終わりのない愛 道の先で合おう





2日後、レナードの元にノルウェーから返信が届きます。

親愛なるレナード

マリアンヌは昨晩ゆっくりと眠るようにこの世を去りました。

友に囲まれ 安らかに

あなたの手紙が届いた時、彼女の意識ははっきりしていました。
我々が手紙を読み上げると マリアンヌはいつもの笑顔をみせました。
「手が届くくらい近くにいる」と言うところでは 手を伸ばしてみせました。
あなたが彼女の状態を知っているということで彼女は安心しました。
そしてあなたからの旅立ちへの祝福は彼女に勇気を与えました・・・

最後の時、私は彼女の手を握り「電線の鳥」をハミングすると
彼女の呼吸はとても安らかになりました。
彼女の魂が窓から飛び出し新しい冒険に旅立ったあと
私たちは彼女の頭に口づけし
あなたの永遠の言葉を彼女にささやき、病室を出ました

じゃまたね マリアンヌ・・・


Leonard Cohen - Bird on the Wire 1979



「僕もきみをすぐに追いかけるよ I think I will follow you very soon」

本当にマリアンヌを追いかけて逝ってしまったレナード・コーエン。
この世からレナードが居なくなるのは寂しいけれど
レナードの道の向こうには 微笑むマリアンヌが待っている
すてきな旅だねレナード

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前回の「カンサス・シティ」のクレジットに関する記事は実は今日書くことのマクラのつもりで書きはじめたのですが、調べていたらいろいろ興味深いことが見えてきてひとつの記事になってしまいました。

クレジットが有る無いでもめたということについて僕にとって最も記憶にあったのは、ビーチボーイズの楽曲についてマイク・ラヴが自分が曲作りに関わったのにクレジットがされていない曲が多数あるということでブライアン・ウィルソンに対して訴えを起こし、最終的に多くの曲に自分の名前をクレジットさせた件です。



以前からこの件について実際にクレジットが追加されたのはどんな曲なのか気にはなっていたのですが、訴訟があったという記事はあっても実際に曲目リストまで載っているものはなくそのままスルーしていたのですが、今回いい機会なのでもう少し深く調べてみることにしました。

まずはその訴訟というものがどんなものだったのか、「ザ・ビーチ・ボーイズ・ダイアリー」から関連する記載をひろってみると。

1992年4月
ブライアンが1969年に起こした”失われた”版権を取り戻す訴訟は、ブライアン側に1000万ドルを支払うことで決着がついた。その直後、今度はマイクがブライアンに対し、自分も貢献した30曲以上の曲の印税とクレジットの明記を求める訴訟を起こす。

1994年12月12日
連邦陪審はマイクが35曲ものビーチ・ボーイズの曲に関してクレジットをはく奪されているとの評決を下す。その8日後、マイクとブライアンの1992年のソングライティングに関する訴訟に判決が下り、マイクは500万ドルおよび関連曲の今後の印税を勝ち取った。




そうか35曲もあったのか。文頭にも書きましたがその35曲あるというクレジット変更の楽曲のリストを探したのですが見つからないので少し汗をかいてみることにします。家にある1994年以前のビーチ・ボーイズのCDのクレジットと米ウィキの作者クレジットを見比べて94年以前にはマイク・ラヴのクレジットが無くてウィキのディスコグラフィーではクレジットがある楽曲をピックアップすると以下のようなものになります。『』は収録アルバム「」は邦題+原題、()は現在の作者クレジット、その次の名前はリード・ボーカリストとなります。


『SURFIN' SAFARI』
「チャガ・ラグChug-A-Lug」 (B. Wilson/Usher/Love) Love
「409409」 (B. Wilson/Usher/Love) Love
『SURFIN' USA』
「ファーマーズ・ドーターFarmer's Daughter」(B. Wilson/Love)B.Wilson
「ノーブル・サーファーNoble Surfer」(B. Wilson/Love)Love
「ファインダーズ・キーパーFinders Keepers」(B. Wilson/Love)Love
『SURFER GIRL』
「キャッチ・ア・ウェイヴCatch a Wave」(B. Wilson/Love)B.Wilson/Love
「ハワイHawaii」(B. Wilson/Love)Love/B.Wilson 
『LITTLE DEUCE COOPE』
「ビ・トゥルー・トゥ・ユア・スクールBe True to Your School」(B. Wilson/Love) Love
「カスタム・マシーンCustom Machine」(B. Wilson/Love) Love
『SHUT DOWN VOL.2』
「キープ・アン・アイ・オン・サマーKeep an Eye on Summer」(B. Wilson/Bob Norberg/Love)B.Wilson
『ALL SUMMER LONG』
「アイ・ゲット・アラウンドI Get Around」(B. Wilson/Love) Love/B.Wilson
「オール・サマー・ロングAll Summer Long」(B. Wilson/Love)Love  
「ウェンディWendy」(B. Wilson/Love) Love/B.Wilson
「覚えているかいDo You Remember?」 (B. Wilson/Love) Love/B.Wilson
「浜辺の乙女Girls on the Beach」(B. Wilson/Love) Group
「ドライヴ・インDrive-In」(B. Wilson/Love)Love
「ドント・バック・ダウンDon't Back Down」(B. Wilson/Love)Love/B.Wilson
『CHRISTMAS ALBUM』
「リトル・セイント・ニックLittle Saint Nick」(B. Wilson/Love)Love
「ザ・マン・ウィズ・オール・ザ・トイThe Man with All the Toys」(B. Wilson/Love)B.Wilson/Love
「サンタのおかげSanta's Beard」(B. Wilson/Love)Love
『TODAY!』
「グッド・トゥ・マイ・ベイビーGood to My Baby"」(B. Wilson/Love)Love
「元気をお出しDon't Hurt My Little Sister」(B. Wilson/Love)Love/B.Wilson
「パンチで行こうWhen I Grow Up (To Be a Man)」 (B. Wilson/Love)Love/B.Wilson
「ヘルプ・ミー・ロンダHelp Me, Ronda」(B. Wilson/Love)Jardine
「ダンス・ダンス・ダンスDance, Dance, Dance」 (B. Wilson/Carl Wilson/Love) Love
「キス・ミー・ベイビーKiss Me, Baby」(B. Wilson/Love)B. Wilson/Love
「知ってるあの娘She Knows Me Too Well」(B. Wilson/Love)B.Wilson
「イン・ザ・バック・オブ・マインドIn the Back of My Mind」 (B. Wilson/Love)D.Wilson
『SUMMER DAYS』
「ニューヨークの娘The Girl from New York City」(B. Wilson/Love)Love
「アミューズメント・パークスUSAAmusement Parks U.S.A.」(B. Wilson/Love) Love
「ソルト・レイク・シティSalt Lake City」(B. Wilson/Love) Love
「カリフォルニア・ガールスCalifornia Girls」 (B. Wilson/Love) Love
「レット・ヒム・ラン・ワイルドLet Him Run Wild」(B. Wilson/Love) B.Wilson
「素敵な君You're So Good to Me」(B. Wilson/Love)B.Wilson
『PET SOUNDS』
「素敵じゃないかWouldn't It Be Nice」 (Brian Wilson/Tony Asher/ Love) B. Wilson/Love
「救いの道I Know There's an Answer」(B. Wilson/Terry Sachen/Love) B. Wilson/Jardine/Love


リスト・アップした後で数えてみると36曲ありました。いちおう見直してみて間違いはないように思われますので94年のタイミングとは別にクレジットの修正があったのかもしれませんが、そこまで調べきれませんでした。申し訳ございません。

見てもらえれば分かるのですがデビューから『ペットサウンズ』までの楽曲となっています。何故『ペットサウンズ』までなのかはなんとなく分かる気がいたします。『ペットサウンズ』およびその後の幻となったアルバム『スマイル』のセッションまでは曲作りをブライアンとバンド外の作詞家、時々マイク・ラヴが行いセッションミュージシャンによるバック・トラックをブライアン主導で作り上げ、ツアーから戻った残りのメンバーが歌・コーラスを録音するというのが基本的なやり方でした。つまりブライアン以外のメンバーが作詞作曲に参加するというのはあまり多くなかったんですね。それはもちろんブライアン・ウィルソンに特に作曲の部分で「天才」と言われるほどの素晴らしい才能があったからです。

それが、様々な外圧、内圧により『スマイル』がとん挫してしまい、精神的なダメージを受けたブライアンは曲作りから一歩引いてしまうことになります。そこで半ば仕方なくというか残りのメンバーたちが積極的、消極的に曲作りを行うようになります。そのため今までは曲作りの比重がブライアン100%とかブライアン90%にマイクが10%といったものだったのが次第にブライアン60%にマイク40%みたいになってきて、「俺も作ってんだぞ」みたいなのが言いやすくなったということなんじゃないかと思います。あとは初期の頃に関しては曲のクレジットとかに関してはウィルソン兄弟の父でマネージャーであったマーリー・ウィルソンが俺に任せろ的にやっていたとも思われ、けっこうマイクあたりには冷たくしてたんじゃないかなとも想像いたします。


(この曲の My girl will be working on her pom-poms now And she'll be yelling tonight
という読みようによってはちょっとエッチな歌詞とかはやっぱマイクかなと思ってしまいます)


ところで日本の場合だとクレジットは作詞:松本隆/作曲:筒美京平のように作詞と作曲のクレジットがはっきりと分かれている場合がほとんどです。基本的に例えば松本隆が書いた歌詞が先にあり、それに合わせて筒美京平が曲を書く、もしくはその逆といったように作詞と作曲が分業で行われることがほとんどです。ところが米国の場合はゴフィン/キングやマン/ワイルといったクレジットの場合基本的には一方が作詞をしもう片方が作曲を主に行いはするのですが、分業ではなくチームとして曲を作っているので、作曲家が作詞に対してそこの言葉は「こっちがいいんじゃない」とか逆に作詞家が作曲家に対して「そこのフレーズは繰り返したらどう?」みたいな感じでアイデアを出し合います。そのため特に作詞、作曲みたいなことがはっきり明記されず二人合わせて「Composed by Gofin/King」みたいな表記になる場合が一般的です。

その意味で言うとビーチ・ボーイズの場合は外から作詞家を招かない場合は基本的にはマイク・ラヴ/ブライアン・ウィルソンというチームが曲を作っています。ただブライアン自身も歌詞を書くため単独でComposed by Brian Wilsonとなる場合もけっこうありました。例えば「イン・マイ・ルーム」なんていう曲は内省的なブライアンならではの歌詞でありメロディなので100%ブライアンが作っている曲だと思われます。

Beach Boys "In My Room" Live 1964 (Reelin' In The Years Archives)


ところが、マイクのクレジットが追加された「アイ・ゲット・アラウンド」のようなビーチ。ボーイズらしい陽気な曲などは、基本はブライアンが歌詞もメロディも考えセッション・ミュージシャンを使いバック・トラックも仕上げていたのでしょうが、最終のメンバーの歌入れの時にリード・ボーカルのマイク・ラヴが「ここんとこは〇〇じゃなくて△△って言葉の方が歌っててぴったりくるぜ」とか「ここの低音パートはこんな風に歌った方が良かないか」とか言って部分的な変更を加えて完成となるパターンが多かったんじゃないかと思われます。とにかく「いっちょかみ」したがる性格の人のようですから。

そして録音当時は、基本はブライアンがすべてやっていたのでクレジットはブライアン一人でOK出していたものの、後から考えれば「「アイ・ゲット・アラウンド」がヒットしたのは俺があの時にアドバイスしたおかげじゃないか、だったらそれ相応のものもらわなきゃね」ということを考えたか誰かから吹き込まれたかみたいなことだったのじゃないかな。先に書いたように日本のようにはっきりとした分業じゃなくチームとして作るという考えがある国です。なので「この2行は俺が書いた」とか「サビのメロディは俺が考えた」みたいなはっきりとした作詞、作曲ではなく、ささいなアドバイスであっても「貢献」と判断されればクレジットが許される、(その辺は弁護士の腕の見せ所)といったことを狙ってのことだったんだと思います。

The Beach Boys - I Get Around



ところで、何故マイク・ラヴは1992年になって訴訟を起こしたのでしょうか?

考えられる要因としては、まずはCDが普及してきたことがあるかと思います。本国アメリカでは87年の『終わりなき夏』のCD化以降CD化はほとんど進まなかったようですが、日本では88年のブライアン・ウィルソンの復活劇とブライアン抜きのビーチ・ボーイズの「ココモ」が20年以上ぶりに全米NO1となったのを受け、12月に『ペット・サウンズ』がCD化されます。この時に山下達郎による気合の入った解説書の影響もあり日本での『ペット・サウンズ』の再評価が進んでいくこととなります。CD先進国であった日本ではカタログの充実のため旧譜のCD化が英米に先駆け進んでおり89年にはキャピトル時代のビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムが一斉にCD化されています。

おそらくはこのタイミングでマイク・ラヴの手許にも少なからぬ印税が入ってきたものと思われ、いずれアメリカでもCD化(94年にCD化)されるであろうし、その時に自分のクレジットがもっとあれば当然実入りはもっと増えるということに気づいたのではないでしょうか。

二番目の要因としてはブライアン・ウィルソンが精神科医ユージン・ランディのの管理下に置かれていてたためにブライアンに直截的に訴えを起こしづらい状況だったのが、ユージンの管理を解くように求めていたビーチボーイズの訴えが認められブライアンに対して様々な要求が通しやすくなったのではないかということ。あとユージン・ランディはブライアンが自分の管理下にあることを利用し88年のソロ・アルバムに置いて自分の名前を共作者としてクレジットさせていたことも目の当たりにしていたわけで、精神科医が共作者になるのなら60年代に曲作りに「貢献」していたマイク・ラヴの名前がクレジットされないのはおかしいという気持ちもあったのではないか。

Brian Wilson - "Love and Mercy"

(自伝映画のタイトルにもなったソロとしてのブライアン・ウィルソンの代名詞とも言える曲であるが、ユージン・ランディの名前が共作者としてクレジットされている)

といったような要因で訴訟が起こされたのではないかと思いますが、90年代以降のビーチ・ボーイズの再評価を見るにつけ、この35曲へのクレジットの追加はマイク・ラヴの経済面に大きな「貢献」をしたのは間違いのないことのように思われます。

まぁマイク・ラヴからすれば当然の権利を回復したということになるのではありましょうが、マイクがリード・ボーカルを担った歌はたしかに何らかの「貢献」をしているだろうことは認めるものの「キープ・アン・アイ・オン・サマー」「知ってるあの娘」「レット・ヒム・ラン・ワイルド」「素敵な君」といったブライアンの切ないボーカル曲までクレジットをねじ込むのは「おいおいマイクさん、そこまでやるかい」と思ったりもします。

The Beach Boys - Let Him Run Wild





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前回のエントリでエリック・クラプトンのカバー曲のクレジット・ミスについて書いたのですが、クレジット・ミスでもっとも有名なものとしてビートルズの「カンサス・シティ」がありますねというコメントをnot a second time先輩からいただきました。



有名な話なのでご存知の方も多いかと思いますが、念のために説明いたします。ビートルズが1964年に発表したアルバム『ビートルズ・フォー・セール』のA面の最後に収録されていた「カンサス・シティKansas City」という曲について発表当初から(僕の記憶では)CDが発売されるまでの20年以上に渡りクレジットは「Kansas City (Leiber/Stoller)」というものでした。作者のLeiber/Stollerというのはあのジェリー・リーバーとマイク・ストラーのことで数多くのヒット曲を放つ彼らの最も初期の作品のひとつです。


(写真は2009年のMONO BOXで再現された発表当時のクレジットです)

1982年にCDが初めて発売されてから5年後の1987年、満を持してビートルズのオリジナル・アルバムが初CD化される運びとなったのですが、『フォー・セール』の裏ジャケットの曲目表示を見てファンはあれっと思いました。そこにはLP時代には無かった曲名が記載されていたのでした。


(写真は87年に初CD化された際の『フォー・セール』裏ジャケの曲目表示)

7曲目、今まで「Kansas City (Leiber/Stoller)」だったものが「 "Medley: (a) KANSAS CITY (Leiber/Stoller) (P)1964 Macmelodies Ltd./KPM; (b) HEY,HEY,HEY,HEY (Penniman) ATV Mus. Ltd. (P)1964."」となっていたのでした。なんやねん「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」って、それに作者のペニマンって誰?と思った人は多かったんじゃないかと思います。後ほど紹介しますがペニマンはリトル・リチャードのことで「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」はリチャードの58年のヒット・シングル「グッド・ゴーリー・ミス・モーリーGood Golly, Miss Molly」のB面に収録されていたナンバーでした。

では、確認のためにビートルズのカバーをお聴きください。

The Beatles - Kansas City/Hey, Hey, Hey [Mono]


そう言われて聴きなおすと今まで「カンサス・シティ」1曲と思っていたものが中間部のジョージのギター・ソロを境に確かに違う曲「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」が歌われていることに気づきます。まぁ歌と言っても「ヘイヘイヘイ」とか「バイバイバイ」とかだけ言ってるようなものなのでかって聴いた時には曲というよりはアドリブの歌の様なものと思っていましたし、そう思っても不思議じゃないと思いませんか。

この曲目表示の変更およびクレジットの追加についてはリトル・リチャードの楽曲を管理している出版社からのクレームがあり追加したというようなことをどこかで読んだことがあるのですが、そういう話ってさもありなんくらいに思いほとんど何の疑問も抱いていませんでした。

疑問を抱かなかった理由としては、ビートルズが「カンサス・シティ」をカバーする際に下敷きにしたのはリトル・リチャードがカバーした「カンサス・シティ」であり、ポールのボーカルもリチャードを真似してるもので、そんなリチャード・ファンのポールであれば「カンサス・シティ」を単純にカバーするのじゃなくてリチャードの他の曲からの引用もくっつけちゃうぐらいのことをやっちゃうだろうなぁと思っていたこともあります。

では「カンサス・シティ」のオリジナルはどんな曲だったのでしょうか?

調べると1952年、西海岸のブルースマン、リトル・ウィリー・リトルフィールドLittle Willie Littlefieldというくどい名前の人がオリジナル録音となるようです。ただし、プロデューサーの意向で「KC・ラヴィンKC.Lovin」タイトルで発売されていたようです。

Little Willie Littlefield Kansas City


I'm going to Kansas City
Kansas City here I come
I'm going to Kansas City
Kansas City here I come
They got some crazy little women there
And I'm gonna get me one

I'm gonna be standing on the corner
Twelfth Street and Vine
I'm gonna be standing on the corner
Twelfth Street and Vine
With my Kansas City baby
And a bottle of Kansas City wine

Well I might take a train
I might take a plane
But if I have to walk
I'm goin' just the same
I'm going to Kansas City
Kansas City here I come
They got some crazy little women there
 ETC

なんともほのぼのとした感じがするバージョンですね。ローカル・ヒットだったこの曲に目をつけたのがリトル・リチャードで1955年にこの曲を2回録音しています。一度目は9月の13日、「トゥッテイ・フルッテイ」など50年代のリチャードのヒット曲の制作に携わったバンプス・ブラックウェルとともに録音されたのがこれです。

Little Richard - Kansas City


テンポが速くなり、歌詞も2番を飛ばし1番から3番へ、その後はかなり歌詞を変えている感じですし、「バイバイバイ」も出てきていますね。ただビートルズのカバーと比べると雰囲気はかなり違う気がします。

この2か月後の11月29日にスペシャルティ・レコードのオーナー、アート・ループの指揮のもと2番目のバージョンが録音されています。それがこちらです。

Little Richard - Kansas City


イントロもビートルズそのまんま、あっ逆ですね、ですし、歌詞も基本的にはビートルズがカバーしたものと同じです。こちらのバージョンではくだんの「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」も登場しています。そう、先にポールのアイデアで「カンサス・シティ」に「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」をくっつけたみたいなことを書きましたが、すでにリチャードがやっていて、ビートルズはこのバージョンをそのまんま下敷きにしているということでした。

この2つのバージョンですが最初の方はお蔵入りしてしまい、1970年の編集盤に収録されるまで陽の目をみませんでした。まぁ2番目のバージョンと比べれば平凡なカバーという気がしますもんね。2番目のバージョンもお蔵入りになっていたようなのですが、おそらくは59年の3月に発売されたウィルバート・ハリソンのおとなしいカバー・バージョンがヒット(最終的にNO.1)ているのを見て、コバンザメ的に便乗したのではないかと思われるのですが、4月になって初めてシングルとして発表されています。結果としてアメリカでは95位とパットしませんでしたがイギリスでは26位とそこそこのヒットになっています。だから若き日のポールの耳にも届いていたということなのでしょうね。

さて、まず52年に「カンサス・シティ」があり、58年に「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」があり、それを融合して59年のシングル「カンサス・シティ」が出来上がっていると発表年だけを見ると時系列になっているのですが、上に書いたようにリチャードのシングル「カンサス・シティ」が録音されたのは55年の11月ですから「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」(ちなみに録音は56年5月、ってことは「カンサス・シティ」の半年後)より先になりますから2曲の融合ではなくて、逆に「カンサス・シティ」録音時にリチャードがアドリブ的に歌った「ヘイヘイヘイヘイ」「バイバイバイ」をひとつの曲として昇格させたのが「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」だったということになるのじゃないでしょうか。

Little Richard - Hey-Hey-Hey-Hey!


この「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」の作者クレジットはリチャード・ペニマン=リトル・リチャードです、これはまぁ当然といえますよね。では、半年前に録音された「カンサス・シティ」なのですが、歌詞も大幅に変更されていて「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」のくだりもあるのでクレジットには当然リーバー/ストーラーに加えペニマンの名があるものだと思うのですが、これがなんと「リーバー/ストーラー」だけのクレジットなのです。

ってことは、「カンサス・シティ」を録音した段階ではやはり「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」の部分は曲と言うよりは「カンサス・シティ」の歌の中のアドリブの歌唱という認識だったということなのでしょうね。なのでクレジットにペニマンを入れなかった。

ですからリチャードのシングルを下敷きにしたビートルズがクレジットを「リーバー/ストーラー」にしていたのはむしろ当然のことだったと言えますよね。実際のリチャードのシングルにそう書かれていたのですから。

そう考えるとCD化の際にビートルズに表記を変更させたリチャードの出版社の要求というのは、CD化によって新たな、それも莫大な需要が生まれる=がっちり印税が入ることを見越したがめつい要求だったと思ってしまいます。でもまぁ確かに「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」はペニマンの曲として管理されているわけですから当然の要求ともいえるのですが・・・・と思って「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」の出版社を見ると。

「ATV」

えっATVなの。ATVという出版社はビートルズの楽曲を管理している「ノーザンソングス」の親会社、ってことは「カンサス・シティ」だけのクレジットではATVには印税がはいらないけれど、自らが管理する「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ」とのメドレーということにすればATVにも印税が入ってくる、そんなからくりがあったのか、ああなんということ。

しかもCD化の87年と言えばATVの出版部門はマイケル・ジャクソンが買い取った後になります。ってことは親玉はマイケル・ジャクソンなのか?それとも、これは単なる僕の深読み、妄想なのか?

どなたか、ご存知ないでしょうか?

追記

記事を書くきっかけとなったnot a second time先輩からFBの方にコメをいただいたのですが、「ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ」(ペニマン)の曲目表記が追加されたのは87年の初CD化の際ではなく80年にイギリス編集のアナログLPを集めた『ビートルズBOX』が発売された際の『フォーセール』ですでにメドレー扱いの表記になっているという情報をいただきました。




これにより、表記変更の親玉がマイケル・ジャクソンという僕の妄想は完全になくなりました。謹んで訂正、削除させていただきます。いずれにせよCDの表記を見る限りATVがからんではいるようですので、クレームがあってのしぶしぶ追加という感じではなく、スムースに表記は変更されたのではないかとは考えます。







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言わずと知れた1992年に発売されたエリック・クラプトンの『アンプラグド』です。元々はMTVの人気番組(ボン・ジョヴィのジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラの提案によって企画された、一流アーティストによるアコースティックを基調とするライブ番組。1989年に放送を開始。ウィキより)での演奏をアルバム化した企画アルバムでしたが、過去のどのアルバムよりも売れに売れ、累計でなんと770万枚の大ヒット作になっています。

そんなアルバムの中の1曲が発売から四半世紀近く経った今頃になって訴訟問題となっています。その曲というのはアルバム10曲目に収録された「アルバータ Alberta」です。米ヤフーの記事をもとに音源も交えて紹介させていただきます。


Eric Clapton Alberta Unplugged


Alberta, Alberta,
Where you been so long?
Alberta, Alberta,
Where you been so long?
Ain't had no loving
Since you've been gone.

Alberta, Alberta,
Where'd you stay last night?
Alberta, Alberta
Where'd you stay last night?
Come home this morning,
Clothes don't fit you right

この「アルバータ」のアルバムに記載された作者のクレジットは「Traditional, arr. by Huddie William Ledbetter」となっています。作者知らずの伝承曲でハウディ・ウィリアムス・レッドベターが編曲したものということです。ハウディ・ウィリアムス・レッドベターっていうのは「おやすみアイリーン」などでお馴染みのアメリカのフォーク、ブルースのレジェンドであるレッドベリーのことですね。

ではレッドベリーの「アルバータ」はどんな感じなのでしょうか?

Lead Belly  Alberta
  

うん?これが元歌、なんか違う気がします。ネットで歌詞を拾ってみると以下のようになっています。

Alberta, Alberta,
Where you been so long?
Alberta, Alberta,
Where you been so long?
Ain't had no loving

これだと確かにクラプトンと同じなのですが、実際の歌を聞けばあきらかに違った歌詞で歌われています。この2曲あきらかに違った曲に思えます。

では、クラプトンがカバーした「アルバータ」の元歌は何なのか?

今回の訴訟と言うのは、この「アルバータ」がボ・カーター作の「コリーナ・コリーナ」で、『アンプラグド』のクレジットが間違っていたために、本来受け取るべきであった印税を受け取れなかったというもののようなのです。

では「コリーナ・コリーナ」を聴いてみましょう。

Bo Carter - Corinne Corrina


歌詞は

Corrine, Corrina, where you been so long?
Corrine, Corrina, where you been so long?
I ain't had no lovin', since you've been gone

アルバータとコリーナという出て行った女性の名前が違いますが、後の歌詞やメロディはクラプトンが歌ったものの元と言われれば、そうですねこっちですねという感じです。

ボ・カーターの管財人の訴えではクラプトンが『アンプラグド』でトラディショナルをレッドベリーが編曲したとクレジットしている「アルバータ」はボ・カーター作の「コリーナ・コリーナ」のタイトル・フレーズだけをアルバータに入れ替えたものであり、クレジットは当然ボ・カーターであると主張されているようです。

そして、ボ・カーターの作であることをクラプトンは知っているはずだとしているのですが、その根拠としては2011年にクラプトンが発表したウィントン・マルサリスとの共演ライヴ・アルバム『プレイ・ザ・ブルースPlay the Blues: Live from Jazz at Lincoln Center』で当の「コリーナ・コリーナ」を取り上げていることを指摘します。

Wynton Marsalis & Eric Clapton - Corrine, Corrina


ということで、クラプトンに対して「アルバータ」のクレジットが本来あるべきの「ボ・カーター」としてクレジットされていれば得たであろう印税などを含め総額500万ドルを支払うように訴えているわけです。凄いですね5億円強ですよ。

ところで、何故クラプトンはクレジットを誤ってしまったのか?

ボ・カーターは「コリーナ・コリーナ」を1928年に録音しています。そして1930年にザ・ミシシッピ・シェイクスThe Mississippi Sheiksというグループが「コリーナ・コリーナ」を「アルバータ・ブルース」(ウィキでは「スウィート・アルバータ」となっています)というタイトルでカバーします。

Mississippi Sheiks- Alberta Blues


これが、おそらくはクラプトンが元歌とした「アルバータ」なのでしょうね。クラプトンはこの歌をアンプラグドで歌いアルバムに収録する段になって作者が思い出せなくって(知らなくって?)、検索をかけたんじゃないでしょうか。ちなみに米ヤフー検索で「Alberta」「Song」というワードで検索をかけて出てくるウィキの頭には「Alberta is the name of more than one traditional blues song.Lead Belly recorded a song "Alberta" in four versions. 」と書かれています。「あぁそうかレッドベリーか、なるほどなぁ」っていうことで疑いもなくクレジットをしちゃったのではないか。なんて軽くはなくてちゃんと調査しているのでしょうが。

ちなみにASCAPのデータベースで「コリーナ・コリーナ」を検索するとしっかりとボ・カーターが権利者であることが分かります。ですから「コリーナ・コリーナ」として検索すれば間違えようはなかったものを「アルバータ」で検索した(無理ないですよねその名前で憶えていれば)ために間違ってしまったということなのでしょうね。行き違いのケアレス・ミスだと思われます。

ただ今回のケースでは「コリーナ・コリーナ」が1928年発表ということと作者であるボ・カーターも1964年に亡くなっているので歌自体がパブリック・ドメインではないかということで、勝訴は難しいのではないかというようなことが書かれてはいます。

Corrina Corrina-Rod Stewart


実は、2013年のロッド・スチュワートのアルバム『タイム』のボートラとしてもこの曲が収録されており、クレジットはトラディショナルとされていました。この時もボ・カーターの管財人は訴訟を起こしましたが敗訴となっているようです。そこで、今度はクラプトンにお鉢が回ってきたみたいなところもあるような感じです。さてさて、どうなりますことやら。


PS.ますます著作権についてシビアな社会になっている気がしますね。こんなん言いだしたらツェッペリンなんか訴訟の嵐になりそうです。せちがらいというかなんというか。





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