鳥肌音楽 Chicken Skin Music

WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.


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4月11日(現地時間)、J・ガイルズ・バンドを創設したギタリストで、J・ガイルズの名で知られる本名ジョン・ウォーレン・ガイルズ・Jrが、マサチューセッツ州グロトンの自宅で死去しているのが発見されたと、グロトン市警察が発表した。71歳だった。

J・ガイルズ・バンドのJ・ガイルズが71歳で死去 ガジェット通信




2,1,2,3,4・・・

Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Oh 僕は心からきみを愛してるだろうか
もちろん 今ももちろん 愛してる

きみにそばにいて欲しいかって
そうさ もちろん そのとおり

きみをいつも僕のものにしておきたいかって
そうさ もちろん そのとおり

きみを愛してるよ ベイビー もちろんさ
きみが欲しいんだ ベイビー
そうさ 今ももちろん

Oh きみにずっといてほしいかって
そうさ もちろん そのとおり

きみをいつも僕のものにしておきたいかって
そうさ もちろん そのとおり

Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Do, do, do, do, do, do, do, do, do, do
Yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, yeah
きみを愛してるよ ベイビー もちろんさ
きみが必要なんだ ベイビー  もちろんさ

yeah, yeah, yeah baby, yeah, yeah, yeah, baby
Do, do, do, do, do, do, do, do,
Do, do, do, do, wah




70年代最高の愛すべきロック・バンドでした。R.I.P.




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1980年 Jet Lag というパンク・ファンジンがチャック・ベリーに当時のパンク・バンドの曲を聴かせて感想を語らせるという、なんとも大胆な企画を敢行しています。

the Sex Pistols/ God Save The Queen,


この男(ジョニー・ロットン)はなにか怒ってるのか?
ギター・ワークと曲の進行は俺のに似てるな。
いいバックビートだ。
ヴォーカルはほとんど分からんがな。
もし怒ってんだったら少なくとも何に怒ってんのかはみんなに分からせるべきだな。





Wire/I Am the Fly'


Joy Division album Unknown Pleasures


こういうのを新しいっていうんだろうな。
いままで聴いたことがないよ。
BB(キング)とマディ(ウォーターズ)がシカゴのアンフィシアターの楽屋でやってた旧いブルースのジャムみたいに聞こえる。
楽器なんかは違うけど実験精神は同じだよ。




The Clash - Complete Control


最初の(ピストルズ)と似てるな。
リズムとコードが一緒に聞こえる。
ボーカルの男(ジョー・ストラマー)は喉が痛いのか?




Ramones - Sheena Is a Punk Rocker


いかしたジャンプ・ナンバーだな。
こいつらは俺が音楽を始めたころを思い出させるよ、俺もコードを3つしか知らなかったんだ。




Talking Heads -Psycho Killer


ファンキーなナンバーだ、確かだよ。
ベースが好きだな。
ミックスがいいし流れもいい。
歌手(デヴィッド・バーン)はひどいあがり症みたいに聞こえるな。



コチラの記事から引用させていただきました→The Punk & The Godfather: Chuck Berry On Ramones, Sex Pistols


ラモンーズが一番のお気に入りのようですが、何となく分かる気がします。チャックと同じでパンクのわりには歌詞をきちんと歌ってますからね。基本的にちゃんと歌わないのは嫌いなのかもしれないですね、ピストルズに対してはちゃんと伝わるように歌わなきゃと言っていますもんね。

「ジョニーBグッド」のカバーなんて聞かせたら怒りだすんじゃないでしょうか。







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1958年の3月31日、ロックン・ロール史上最も有名な歌、チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」が発売されました。ロックがお好きでいろいろ聴きこんだ方であれば「ロックン・ロール史上最も有名な歌」ということに異議はないかと思われます。

念のために書いておくと「ジョニー・B・グッド」は発売当時はビルボードR&Bチャートで2位、全米チャートで8位とヒットはしたものの1位は獲れませんでした。しかし、米ローリングストーン誌選出の「500グレイスト・ソングス・オブ・オール・タイム」で第7位(1位は「ライク・ア・ローリングストーン」、8位は「ヘイ・ジュード」)、そして2008年の「100グレイスト・ギター・ソングス・オブ・オール・タイム」では当然のごとく1位を獲得しています。半世紀にわたるロック史の中でNO.1のギター・ソングということです、拍手。

参考 ギター・ソングのベスト10
1位 チャック・ベリー「ジョニー・B・グッド」
2位 ジミ・ヘンドリックス「紫の煙」
3位 クリーム「クロスロード」
4位 ザ・キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」
5位 ローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」
6位 ヴァン・ヘイレン「暗闇の爆撃Eruption」
7位 ザ・ビートルズ「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」
8位 レッド・ツェッペリン「天国への階段」
9位 ジ・オールマン・ブラザース・バンド「ステツボロ・ブルース」
10位 ニルヴァーナ「スメルス・ライク・ア・ティーン・スピリット」





ルイジアナのはるか南 ニューオリンズの近く
常緑の森に入り込むと
土と木で作られた丸太小屋が建っていた
ジョニー・B・グッドという名の田舎っぺの少年が住んでいた
読み書きもろくにできないが
鐘を鳴らすようにギターを弾いた

行け 行け 行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
ジョニー・B・グッド

いつも麻袋にギターを入れてでかけると
線路わきの木の下に座り込む
鉄道員が木陰に座る少年を見ると
列車のリズムにあわせてギターをかき鳴らしていた
通行人は足をとめ話しかける
「おやおや 田舎っぺのおちびさん やるじゃないか」

行け 行け 行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
ジョニー・B・グッド

かあちゃんは言った
いつかお前はいっちょまえの男になって
名の知れたバンドのリーダーになるのさ
遠い町からみんながやって来て
日が暮れるまでお前の演奏を聴くのさ
お前の名前にライトが当てられ
こう呼ばれるんだ
今宵 ジョニー・B・グッドのおでましだ

行け 行け 行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
行け ジョニー 行け 行け
ジョニー 良い子になるんだよ


チャック・ベリーがデビューしたのは1955年、29歳の時でした。デビュー・シングルの「メイベリーン」がヒットし、その後順調にヒットを飛ばしていて58年に発売された「ジョニー・B・グッド」の田舎のギター少年がスポット・ライトを浴びるロックン・ロール・スターになるという歌詞はチャックの自伝的内容であるとされています。

細かい事を言えば出身はニューオリンズの近くではなくミズリー州セントルイスで、家についても森の中の丸太小屋ではなくセントルイス北部の中流階級の人々が住む地域にありました。父親はバプテスト教会の執事も務める建設請負業者、母親は教師で幼い時から音楽教育を受けてという当時の黒人としては恵まれた環境で育ったようです。前回取り上げた「ベートヴェンをぶっとばせ」も部屋のピアノでいつもベートヴェンなどのクラシックを弾いている妹をからかって作ったというのがありましたが、部屋にピアノが置いてある典型的な中産階級の家だったのでしょうね。もちろん読み書きもばっちりでした、じゃなきゃ若者の心にぴったりくる歌詞は書けなかったでしょう。

そんな黒人(colored)でありながらええとこの子であったチャックですが高校の時にワルの仲間に入り、強盗を働き18歳の時に感化院送りとなっています。おそらくはグレていったチャックは教師である(教師じゃなくてもですが)母親から口うるさく「チャック、いい子になって Chuck be good」と言われていたのではないでしょうか。そしてこの”Chuck Be Good”が曲のタイトル”Johnny B Goode”に繋がったんじゃないかなと想像します。

3番の歌詞の「名の知れたバンドのリーダーになってyou will be the leader of a big ol' band」の部分は、50年代に入りセントルイスのクラブなどでギターを弾くようになっていたチャックがジョニー・ジョンソン率いるサー・ジョン・トリオに加わり、最終的にそのバンドのリーダーとなりチャック・ベリーとしてデビューしたことを歌っているように思われます。

チャックがサー・ジョン・トリオに参加するきっかけというのが、トリオのサックス奏者であるアルヴィン・ベネットが発作を起こし演奏が出来なくなったため急きょ代役としてステージにたったのがきっかけだったようです。リードの楽器がサックスからギターに代っているのもロックンロールの未来を暗示していた気もしますね。

この代役でステージにという話、何かを思い出しませんか?そうです映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で「ジョニー・B・グッド」が歌われるあのシーンです。



クライマックスの高校のダンス・パーティーのシーンで、主人公のマーティがステージに立つことになったのは、ダンパで演奏する予定のバンド「マーヴィン・ベリーとスターライターズ」のリーダーでギタリストのマーヴィンが車のトランクに指をはさみ怪我してしまいギターが弾けなくなったために、急きょ代役としてマーティがギターを弾くことになるというものでした。そして、そこでマーティが歌い演奏する未来の歌「ジョニー・B・グッド」を聴いたマーヴィン・ベリーがいとこのチャック・ベリーに電話して、「チャック、こいつがお前の求めていたサウンドだ」とアドバイスする・・・。

このシーンの監修をしたのが名プロデューサー、ボーンズ・ハウのようなのですが、ボーンズさん絶対にサー・ジョン・トリオにチャックが代役として参加したエピソードを知っていて下敷きとしていますよね。

ちなみにチャック・ベリーが母親の言う「Chuck Be Good」を「Jonny B Goode」に変えた、ジョニーという名前を使ったのはジョニー・ジョーンズへの「敬意」(!?)からだろうとされています。

PS."Oh my, but that little country boy could play"、田舎っぺのちびのくせにやるじゃねぇかという歌詞のCountry Boyは元々はColored Boy(クロンボ)と書かれていたようなのですが、ラジオDJの自主規制でオンエアされないことを考慮してCountry Boyに変更されたようです。


おまけ、数多い「ジョニー・B・グッド」のカバーの中で個人的に大好きなのはグレイトフル・デッドによるもの。


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スタンダード30曲を3枚のディスクに収めた新譜『トリプリケート』の発売を控え、ボブ・ディランのオフィシャル・サイトに最新のインタヴューがアップされています。その中でディランのロック観についてのちょっと気になるやりとりがあったので抄訳してみました。




ビル・フラナガンBill Flanagan(INTERVIEWER)
「ブラッギン」は1938年デューク・エリントンによって演奏されましたね。ロックン・ロールにダイレクトにつながる一種のビッグ・バンドのスウィング・ブルースでした。子供時代、あなたにとってロックン・ロールは新しい「何か」だと感じたのか、それともすでに起こっていたことの延長だと感じていたのでしょうか?




ボブ・ディランBob Dylan
ロックン・ロールは、実際に起こっていたことのまさに延長線にあるものだった。

偉大なスウィング・バンド-レイ・ノーブルRay Noble(註1)やウィル・ブラッドリWill Bradley(註2)やグレン・ミラー Glenn Miller(註3)-私はエルヴィス・プレスリーElvis Presley(註4)を聴く前にそういう音楽を聴いていた。しかし、ロックン・ロールには爆発的に強いエネルギーがあってぶっとばされた。骨格だけの音楽、暗闇から現れた原子爆弾に乗ってるそんな音楽で、アーチストは神のごとく神秘さをもったスターだった。

リズム・アンド・ブルース、カントリー・アンド・ウェスタン、ブルーグラスそしてゴスペルはいつもそこにあったよ、でも管理されていたんだ、偉大なんだけど危険じゃなかった。

ロックン・ロールは危険な武器だった、そして光の速さで拡がっていた、時代を映していて、特に数年前に現れた原子爆弾の存在を反映していた。人々は終末を恐れていたんだ。資本主義と共産主義の決着の時が差し迫ってたんだ(註5)。

ロックン・ロールはその恐怖を忘れさせた、人種や宗教やイデオロギーによる障壁を打ち砕いたんだよ。

我々は死の雲の下で暮らしていた、大気は放射能で汚染されていた。明日は見えず、終わりはすぐそこで、命の価値なんてなかった。それが当時の気持ちだった、大げさじゃなくて。

ドゥーワップはロックン・ロールの片割れだった。「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイトIn the Still of the Night」(註6)や「アース・エンジェルEarth Angel」(註7)「 サウザンド・マイルズ・アウェイThousand Miles Away 」(註8)といった曲は心を持たない世界をメランコリーにしバランスをとる歌だった。

ドウー・ワップ・グループもまたインク・スポッツInk Spots(註9)やゴスペル・ミュージックの延長線だったかもしれない、だけどそれは問題じゃなかった。まったく新しいものだったんだ。

ファイヴ・サテンズFive SatinsやメドウラークスMeadowlarks(註10)のようなグループは空想のストリートコーナーで歌われているように思えた。ジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewis(註11)は遠い銀河からの流れ星のようにやってきた。

ロックン・ロールは拡がり続ける運命の原子のパワーだった。それは何かの延長線だとは思えなかっただろう、しかし、そうだったんだよ。




ロックン・ロールが革新的であったことを認めつつも、自分が少年時代から聞いていたR&BやC&W、ゴスペルのみならずビッグ・バンド・ジャズからの延長線上にあったと考えていると語っています。インタビューの中では20代30代のころには分からなかったものが今は分かるみたいな発言もあるのですが、このロックン・ロール(ロック)に対するディランの考えと言うのも昔から思っていたわけではなく、後年、特に例のラジオ番組をやりだしてはっきりと意識するようになったんじゃないかと思います。

Bob Dylan - Tweedle Dee & Tweedle Dum (Dumb & Dumber)


そういった思いが形になったような曲が2000年代に入ってから出されたアルバムに散見されていましたが、ついには『シャドウ・イン・ザ・ダーク』でシナトラまで行きついてしまう。今のディランの中では自作詞のロックを歌うのもシナトラのスタンダードを歌うのも等価値であるということのインタビューかとも思えます。

インタビューの最後の方では『トリプリケート』でスタンダード路線には一応の決着をつけ、オリジナルに戻るというディランに、スタンダードを歌ったことからの影響はあらわれるかという問いに対し「それはない」と応えていて、次の新作が楽しみになりました。今週新譜が出るというのに、申し訳ないなぁとは思いつつ、早く出してね、お願い。





註1)レイ・ノーブル:イギリス出身のレイ・ノーブルは1924年から34年まで英グラモフォンのスタジオ・バンドの音楽監督を務め、その後渡米し自分の楽団を結成します。代表曲は「グッドナイト・スウィートハート」「チェロキー」などですが、ナイアガラ・ファンにお馴染みのこの曲を。
The Very Thought Of You ~ Ray Noble & his Orchestra (1934)



註2)ウィル・ブラッドリー:米国のトロンボーン奏者。高校時代からバンドで演奏活動を始め、1928年ニューヨークに進出し、35〜36年レイ・レープルのニュー・アメリカン・オーケストラで活動、グレン・ミラーと僚友になる。’39〜42年レイ・マッキンレイと双頭コンボで活動。「ビート・ミー・ダディ・エイト・トゥ・ザ・バー」を編曲しヒットさせる。その後スタジオ・ワークに従事。70年代は「トゥナイト・ショー」のレギュラー・ミュージシャンとして活躍。(コトバンクより)
Will BRADLEY & His Orchestra "Basin Street Boogie" !!!


註3)グレン・ミラー:カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンドの代表的存在。「ムーンライト・セレナーデ」「イン・ザ・ムード」「茶色の小瓶」「真珠の首飾り」など誰もが知るメロディ多数あり。
Glenn Miller - Chattanooga Choo Choo - Sun Valley Serenade (1941)


註4)今更説明の必要もない、白人のロックン・ロール・オリジネイター。
Elvis Presley - Hound Dog (1956)


註5)50年代のアメリカはソビエト、中国など共産主義の国々の台頭により核戦争が勃発することを恐れており。もし核戦争が起きたらどのように行動するかという映画が多く作られ教育現場などでもさかんに流されていた。また核シェルターなども多く作られていた。まさに終末が近いという気分を誰もが持っていたと思われる。
Warning Red - 1956 Surviving An Atomic Bomb Attack Educational Film - S88TV1


註6、註7、註8)「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」はファイヴ・サテンズの56年24位のヒット、「アース・エンジェル」はペンギンズの54年のヒット、「ア・サウザンド・マイルズ・アウェイ」はハートビーツの57年52位のヒット。ドゥー・ワップの代表曲を10曲選べと言われたら必ず入ってくるような超有名曲。
The Five Satins - In The Still of the Night


Earth Angel - The Penguins


A Thousand Miles Away - Heartbeats


註9)ジ・インク・スポッツはR&Bやドゥー・ワップのルーツとされる黒人ヴォーカル・グループで30~1940年代に人気があった。バラード・スタイルで人種を問わず愛された。ロックの殿堂の「アーリー・インフルエンス部門」に選ばれている。
Ink Spots - If I Didn't Care


註10)映画音楽作家としても知られるR&B、ファンク歌手ドン・ジュリアンが50年代に結成していたコーラス・グループでドゥー・ワップの先駆けとされる。後にラークスLarksと改名。
Meadow Larks - Love Only You


註11)ジェリー・リー・ルイス:白人ロックン・ロール・オリジネイターの一人。56年サン・レコードからデビュー、派手なアクションでピアノを弾きながら歌う「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」や「火の玉ロック」が大ヒットするが親戚の中学生の少女と結婚していることが発覚し失速。50年代末に米国でロックン・ロールが廃れる一因となった。
Jerry Lee Lewis - Great Balls of Fire


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Electric Light Orchestra - Roll Over Beethoven


ロックごころのついた中学時代に最初に聴いた「ベートーヴェンをぶっとばせ」がエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のカバー・バージョンだったのが影響しているんだと思いますが、ずっとこの歌は”ベートーヴェンなんてくそくらえ、やっぱロックは最高だぜぇ”っていう単純なロック(ン・ロール)讃歌と思っていました。

最初にあまりにも有名なベートーヴェンの「運命」の冒頭部分がストリングスで奏でられますが、それを引き裂くように(これまたロック・ファンにはあまりにも有名なチャック節の)けれん味のきいたギターが切り込んできて一大ロックン・ロール大会になる。思春期で権威に対する反抗心みたいなものが生まれてきていた中坊には、”カッケーやっぱロックやで、ベートヴェンやクラシックなんて古くさくてつまらんやん”と思わせるに十分のヒットでした。古くさいとかいうほどというか全くクラシックを聞いていませんでしたけど。

「ベートヴェンをぶっとばせ」をチャック・ベリーが書いたのは1956年、30歳の時でした。きっかけはチャックの妹ルーシーが家にあるピアノでいつもクラシックを弾いていることをからかって作ったということみたいなので、やはりクラシックやなくてこれからはロックン・ロールの時代なんだという思いで作られているようです。

ただ、チャックの歌詞の面白いところは演奏者の視線で”俺のロックンロールは最高だぜ、ベートヴェンなんてくそくらえ”と歌うのではなく、「ベートーヴェンをぶっとばせ」という最高にいかした曲が大好きになり、ラジオ局にリクエストを出したり、ジュークボックスにコインを入れて何度も聴いたり、彼女も呼んで一緒に踊ったりと、ロックンロールに夢中になる若者たちの気持ちと同期して歌っていることです。

Roll Over Beethoven - Chuck Berry LIVE


ちょっくらリクエストを書こう
地元局のDJあてに送るんだ
DJさんかけてくれ 
いかしたレコードなんだ
「ベートヴェンをぶっとばせ」 
今日もう一回聞かなきゃな

体温があがり
ジュークボックスのフューズもとんじまう
心臓がリズムをきざみ 
心はブルーズを歌いつづける
「ベートヴェンをぶっとばせ」
チャイコフスキーにも教えよう

ロッキン肺炎にやられちまった
リズム&ブルースを注射してくれ
リズム隊のそばに座ってたから 
ロ-リン関節炎にもかかったみたい
「ベートヴェンをぶっとばせ」 
二人でロックするのさ

あんたも気に入ったなら 
彼女を連れてきて
くるくる回り 腰をふり ひっくり返る
動き回って ジャンプして
くるくる回り 腰をふり ひっくり返る
「ベートヴェンをぶっとばせ」 
二人でロックするのさ

まだ 朝も早いけど
ひとつ言っとくぜ
おれのブルースウェード・シューズを踏むんじゃねぇ
腰をふりふり フィドルを弾かせてもらうぜ
問題ないだろ
「ベートヴェンをぶっとばせ」
チャイコフスキーにも教えよう

あのこはホタルみたいにウィンクして
コマみたいに踊る
いかれたお相手もいるし
くるくる回ったり 腰をふったり 見ものだぜ
音楽がストップしないよう
彼女の硬貨が続けばいいんだけどな
「ベートヴェンをぶっとばせ」
「ベートヴェンをぶっとばせ」
「ベートヴェンをぶっとばせ」
「ベートヴェンをぶっとばせ」
リズム&ブルース 最高だろ

「Roll Over Beethoven」という歌詞が曲名であるという解釈には異論はあるかとは思いますし、普通に”ベートヴェンなんてぶっとばせ”という一行の歌詞として訳されているものの方が多いようにも思います。僕が「Roll Over Beethoven」は曲名でこの歌自体が入れ子ソングになっていると思うのは、歌詞の中にチャック以外のR&RやR&Bの曲名がいくつか埋め込まれているからです。

”Well early in the mornin' I'm a givin' you the warnin' ”の「Early In The Morning」はR&Bのルーツ的存在であるルイ・ジョーダンの1947年のヒット曲です。

Louis Jordan Early In The Morning


ちなみにチャックの代表曲「ジョニーBグッド」のあのあまりにも有名すぎるイントロはジョーダンの「Ain't That Just Like A Woman」のイントロからの引用といわれています。

Louis Jordan Ain't That Just Like A Woman


続く”Don't you step on my blue suede shoes ”という歌詞は、これはもうすぐに分かりますねカール・パーキンスの1955年のヒット曲「ブルー・スウェード・シューズ」です。

Carl Perkins - Blue Suede Shoes


"hey diddle diddle Gonna play my fiddle "はもともとは子供歌の"The Cat and the Fiddle"からの引用ですが、この歌がボ・ディドリーがカバーしているようです。

あと、”I got a rockin' pneumonia ”はこれはもうヒューイ”ピアノ”スミスの"Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu"じゃないかとも思ったのですが、ヒューイがレコードにしたのは1957年ということで「ベートヴェンをぶっとばせ」の方が先でした。ということはヒューイがチャックの曲を聴いて「ロックン肺炎 ブギウギ風邪」を思いついたということなのでしょうね。「ロックン肺炎」なんて言葉そうそう出てこないでしょうから。

"Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu" (Part 1) 1957年8月


同じようにアーサー・アレキサンダーは”I need a shot of rhythm and blues”という歌詞から「shot of rhythm and blues」という曲を作っています。ジョンがアーサー大好きなのでビートルズもカバーしていますね。

Arther Alexander/shot of rhythm and blues


閑話休題。ということで歌詞の中に曲名を入れ込んでいるというのは「ベートヴェンをぶっとばせ」が曲名であるということのヒントなんじゃないかと思います。

そして、前述した歌手目線ではなくファン目線の歌詞であったことが、おっさんにかかったチャックが若者たちの共感を得て「ロックンロールの父」と呼ばれる所以ではないかと思う次第です。





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