鳥肌音楽 Chicken Skin Music

WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.


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FACEBOOKのタイムラインに海外の音楽ニュースをアップすることが多いのですが、今までその内容を理解するのに、Yahoo翻訳を使って日本語に訳し、意味が通じない部分を改めて辞書などで調べてとやっていました。ただ元々の翻訳文がほとんど日本語になっていない場合が多くて、ほとんどマニュアルで訳してっていう感じでした。

ちょっと前にGoogleの翻訳機能がAIを使って飛躍的に進化したという記事を見て早速ためしてみました。確かにこれは今までのフリー翻訳機能と比べるとかなりの優れものの気がします。

例として本日サイト「udiscover music」にアップされていた英国のプロデューサー、ジョン・シュローダーの訃報記事で試してみますね。



記事の前半はこんな感じです。

>British record producer, songwriter and executive John Schroeder passed away on 31 January at the age of 82, after a long fight with cancer. In a long and varied career stretching back to the late 1950s, he played significant roles in the early development of UK artists ranging from Helen Shapiro to Status Quo, and in the formative story of the Motown label in the British market.

Schroeder, born in London in 1935, joined EMI Records in 1957 as an assistant to Norrie Paramor, the A&R manager of the Columbia label. There, he worked on records by such artists as Cliff Richard and the Shadows, Frank Ifield, Tommy Bruce and Helen Shapiro. She was just 15 when she raced to No. 1 in the UK with 'Walkin' Back To Happiness,' co-written by Schroeder and Mike Hawker. He co-wrote several more singles for Shapiro including the further hits 'Don't Treat Me Like A Child,' 'You Don't Know' and 'Little Miss Lonely.'

これをまずはYahoo翻訳で訳してみます。




ガンにかかった長い戦いの後、イギリスの記録生産者、ソングライターと重役にふさわしいジョン・シュローダーは82才で1月31日に他界しました。 1950年代後半へ戻って続いている長くて様々な職歴には、彼は、現状に、そして、英国の市場のモータウン・レーベルの形成的な物語でヘレン・シャピロから変動している英国アーティストの初期の成長で、重要な役割を演じました。
シュローダー(1935年にロンドンに持って行かれる)は、Norrie Paramor(コロンビア・ラベルのA&Rマネージャ)のアシスタントとして、1957年にEMI Recordsに加わりました。 そこでは、彼はクリフ・リチャードと影(フランクIfield、トミー・ブルースとヘレン・シャピロ)のようなアーティストによって、記録に取り組みました。 シュローダーとマイク・ホーカーによって共同書かれて、幸せへ『Walkin』で英国でNo.1に競争したとき、彼女は15だけでした』。 彼は、『私を子供のように扱わないでください』という更なるヒットを含むシャピロのために、もう数人のシングルに共同手紙を書きました、『あなたは、知りません』、そして、『孤独なほとんど失敗でない』。


次にGoogle翻訳。





英国のレコード・プロデューサー、ソングライター、エグゼクティブ・ジョン・シュローダーは、癌との長い戦いの末、82歳で1月31日に亡くなりました。 1950年代後半にかけて長きにわたり様々なキャリアを持ち、ヘレン・シャピロからステイタス・クオに至る英国のアーティストの早期育成、英国市場でのMotownレーベルの創造的なストーリーで重要な役割を果たしました。

1935年にロンドンで生まれたSchroederは、1957年にコロンビアレーベルのA&RマネージャーNorrie Paramorの助手としてEMI Recordsに入社しました。 そこでは、クリフ・リチャードとシャドウ、フランク・イップフィールド、トミー・ブルース、ヘレン・シャピロなどのアーティストによるレコードを手掛けました。 彼女はシュロダーとマイク・ホーカーの共著「ウォーキング・バック・トゥ・ハピネス」で英国で1位にレースしたばかりの15歳だった。 彼は、「子供のようにはやめてはいけない」、「あなたは知らない」、そして「リトル・ミス・ロンリー」といったヒット曲を含め、Shapiroのシングルをさらに数曲も作った。



いかがでしょうか?冒頭からして全然違いますよね。

Yahoo翻訳は「ガンにかかった長い戦いの後、イギリスの記録生産者、ソングライターと重役にふさわしいジョン・シュローダーは82才で1月31日に他界しました。」

Google翻訳では「英国のレコード・プロデューサー、ソングライター、エグゼクティブ・ジョン・シュローダーは、癌との長い戦いの末、82歳で1月31日に亡くなりました。」

レコード・プロデュサーがYahooでは記録生産者となっていて何のことか分からないし、文章として圧倒的にGoogleの方がこなれている気がします。

個人名や曲名がヘンなのは致し方ないことなのですが、それを除くとGoogleの方はほぼ意味が通じる訳になっている気がします。気になるといえば「彼女はシュロダーとマイク・ホーカーの共著「ウォーキング・バック・トゥ・ハピネス」で英国で1位にレースしたばかりの15歳だった。」ってとこで音楽なので「共作」となるところが「共著」となっていることと、「「ウォーキン・バック・トゥ・ハピネス」で1位争いをしたとき彼女はほんの15歳だった」というのがうまく訳しきれていないことくらいじゃないでしょうか。

まぁ、それすらYahooでは「シュローダーとマイク・ホーカーによって共同書かれて、幸せへ『Walkin』で英国でNo.1に競争したとき、彼女は15だけでした』。」ってほとんど意味の分からないものですから、それに比べればかなりましですよね。

Googleの方は誤っていると思われる部分を修正して送信できる機能がついているので、おそらくはそれをもとにAIが学習しよりこなれた翻訳になっていくということなのでしょうね、いやはやAI恐るべし、おっさんにはついていけない世界です。





ということでGoogle翻訳の紹介はここまでで、例文として使ってしまったのですが、ジョン・シュローダーがガンで亡くなりました82歳。訳文にもあったようにEMIのプロデューサーとしてヘレン・シャピロのヒットを生み出したり、スティタス・クォーのデビュー・シングルをしたりと英国では有名なプロデューサーなのです。しかし英国ロックに対する一番の貢献はひょっとしたら61年にインディーズのオリーオール・レコードのA&Rに就任した時にモータウン・レコードと契約してシングルを中心にモータウンの楽曲を英国に紹介したことじゃないでしょうか。シュローダーの目利きがなければモッズの音楽趣味は違ってたかも知れず、ザ・フーやジャムが「ヒート・ウェイヴ」演ることも無かったかもしれません・・・っていうのは神のみぞ知るですが。




ジョン・シュロダーへ追悼の意をこめて。







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一月最後の日曜日、僕はホンダのシートに座っていた。黄色のコンパクトなホンダはガソリン・スタンドやコンビニが並ぶなんのへんてつもない街を走り抜けて、公民館と兼用の小さな図書館へと向かうところだった。一月の重い雲が空を覆い、街をいく人たちは片手に雨傘を持ち時々不安げに空を見上げながら速足で歩いていた。やれやれ、また雨か、と僕は思った。

 ホンダが図書館の駐車場につきベルトを外しイグニッション・キーを戻そうとしたとき、カーラジオのスピーカーからDJの紹介とともに小さな音でオールデーイズが流れはじめた。それはギルバート・オサリバンの歌う「アローン・アゲイン」だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。



僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。やがて助手席の妻がこちらを向き、気分がわるいのかと訊いた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた。

「本当に大丈夫?」

「大丈夫だ、ありがとう」と僕は言った。妻はにっこりと笑うと図書館の本の入ったバッグをつかむとドアを開けた、音楽は「イエスタデイ・ワンス・モア」に変った。

って、すみません、村上春樹の「ノルウェーの森」の冒頭を改変してしまいました。

 フィクションの部分もありますが、おおむね先週の日曜の午後におこった事です。「アローン・アゲイン」が流れてくるというのが分かってはいてもイントロが聴こえてきた瞬間に切なさに心がギュッとなる。この気持ちって、例えば手持ちのベストCDをトレイにのせスピーカーから聴こえてきた時にも感じることは感じるのですがラジオの時ほどではない。不思議です、「ラジオの魔法」とでも言うべきか。ラジオの前にいるのは自分独りだけど、同じ時間に同じようにラジオの前で同じ曲を聴いている人たちがたくさんいて同じように胸キュン(byYMO)しているという思いが意識下にあるからなのか・・・「君は独りじゃない」元春がいいそうなセリフですが(笑)。

 余談ですが、僕は「アローン・アゲイン」がヒットした72年の秋、中学1年生でした。「アローン・アゲイン」の信じていたことに裏切られまたいつものように独りぼっちになるという歌詞はそれまで聞いていた歌謡曲にはないものでした。上のジャケットに写るオサリバンの姿を見れば、これだと周りから浮いて独りぼっちになるわなぁなんて今は思いますが、中学生だった僕は「孤独」というものをこの歌やS&Gの「早く家に帰りたい」や「ボクサー」、カーペンターズの「雨の日と月曜日」なんかから学んでいました。最近のTV番組になぞらえれば「人生で大事なことは「音楽」から学んだ」なんてね。

 閑話休題。前述の「ラジオの魔法」は僕だけじゃなくていろんな人が感じていて、素敵な歌にもなっています。

たとえばRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」




内ポケットにいつもトランジスタ・ラジオ
彼女教科書ひろげている時
ホットなナンバー 空に溶けていった
Ahこんな気持ち Ahうまく言えたことがないNaiAiAi


たとえばエルヴィス・コステロの「レディオ・レディオ」



I was tuning in the shine on the light night dial
Doing anything my radio advised
With every one of those late night stations
Playing songs bringing tears to my eyes

コステロの場合この後、選曲をラジオ局側が決定する(ようは検閲をかける)という世の流れに対して、僕の大好きなラジオはそんなんじゃないと続く単純なラジオ讃歌じゃないことがらしいですけど、

でも、「ラジオの魔法」を歌った歌で一番親しまれているのは冒頭の文章で「アローン・アゲイン」の次にカーラジオから流れてきたカーペンターズ(この部分はフィクションですが)の「イエスタデイ・ワンス・モア」じゃないでしょうか。



The Carpenters - Yesterday Once More


子供の頃 大好きな歌が聴きたくて
ラジオの前にいた 待ちかねた歌がかかると
思わず笑いがこぼれた

楽しかったあの頃 たいした昔のことじゃないのに
そんな気持ちをいつしか忘れてた
だけど 思い出したの ずっと 会っていなかった友達のような
大好きだった 歌の一曲一曲を

”シャ・ラ・ラー”や”ウォー ウォー”という歌声は
今も輝いているし
”シング-ア-リング-ア-リング”って唄い始めるあの歌も
とっても素敵

彼女が失恋してしまう そんな歌詞のところでは
本当に泣きたい気持ちになる
そう昨日のことのように
想い出がよみがえる

過ぎ去ってしまった日々が どんな風だったか
振り返っていたら
懐かしい想い出が 今の私を悲しくさせる
なんて 変わってしまったのだろうと

あの頃に唄っていた 愛の歌がある
歌詞のひとつひとつも覚えていた
その旧いメロディは今も私の心に響く
過ぎ去った時を消し去るかのように

”シャ・ラ・ラー”や”ウォー ウォー”という歌声は
今も輝いているし
”シング-ア-リング-ア-リング”って唄い始めるあの歌も
とっても素敵

私にとっての最高の想い出が
目の前に浮かんできて
泣きそうな気持ちになってします

そう昨日のことのように
想い出がよみがえるから


「イエスタデイ・ワンス・モア」が収録されたアルバム『ナウ・アンド・ゼン』ではこの曲の後にまさにリチャードやカレンがラジオの前で胸キュンになったオールデイズのカーペンターズ自身による素晴らしいカバー・メドレーが続いていきます(上にアップした動画では3分50秒あたりから)。

念のためにメドレーで歌われるオールデイズは以下のナンバーです。

ビーチ・ボーイズ「ファン・ファン・ファンFun, Fun, Fun」
スキーター・ディヴィス「この世の果てまでThe End of the World」
クリスタルズ「ハイ・ロン・ロンDa Doo Ron Ron」
ジャンとディーン「デッド・マンズ・カーブDead Man's Curve」
シェリー・フェブレー「ジョニー・エンジェルJohnny Angel」
ボビー・ヴィー「燃ゆる瞳The Night Has a Thousand Eyes」
ルビー・アンド・ザ・ロマンティックス「アワ・デイ・ウィル・カムOur Day Will Come」
シフォンズ「素敵な或る日One Fine Day」

どの曲も今でも時々聞き直したくなる名曲ばかりなのですが、正直すべてカーペンターズのこのメドレーで初めて知った曲ばかりでした。現在の僕が普段聴いている音楽は60年代から70年代のポップスが多いのですが、そのベースは何だったのかと探っていくと(子供時代のヒッパレーヒッパレーというのもありましたが)このメドレーに行きつく気がします。

今日2月4日(米時間)はカレン・カーペンターの命日のようです。カレンが亡くなったのは1983年33歳でした。カレンが亡くなってから34年、カレンの生きた年を超えました。

”シャ・ラ・ラー”や”ウォー ウォー”という歌声は
今も輝いているし

”シング-ア-リング-ア-リング”って唄い始めるあの歌も
とっても素敵


今やこのフレーズはカレンが聴いていたオールデイズだけではなく「イエスタデイ・ワンス・モア」を初めとして、カレンが、否、カーペンターズが歌ってきた歌の多くのためのフレーズにもなっている、そんな気がします。



今回「イエスタデイ・ワンス・モア」を聴いたのは、僕のような日本のファンのリクエストをもとにリチャードが選曲、結成40周年にちなんで40曲が収録されたベスト盤からでした。

2枚組のCDのディスク1の1曲目はもちろん「イエスタデイ・ワンス・モア」。この曲順は上記のような理由から大正解だと思います。




PS.高校時代の僕に「ラジオの魔法」を感じさせてくれた番組がYOUTUBEにあったのでおまけでアップしときます。懐かしい~

こずえの深夜営業 1978年2月19日 前編


いきなりの「ショート・ピープル」のイントロ、心臓にワルっ。
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この間の日曜日の「山下達郎のSUNDAY SONG BOOK」を聴いていて「あぁ、そういうことだったのか」と溜飲を下げたお話です。大滝詠一師匠の『ナイアガラ・カレンダー』がらみです。



番組の方は前週に引き続き、今年が酉年ということで「CHICKEN」しばりの特集でした。その8曲目にかかったゴーゴーズGO GO’Sの「チキン・オブ・ザ・シー」についての達郎さんの解説を文字起こししてみました。

お次は歌ものでございますが、歌っているのはゴー・ゴーズ。あのべリンダ・カーライルのいたGO GO’Sじゃありません。あの80年代のグループじゃありません、60年代中期にですね何枚かシングルを出しましたグループですが男性3人組のウェストコーストのグループです、日本ではこれ割と有名な曲であります。ビクターがけっこうプッシュしました。タイトルが「Chicken Of The Sea」という、日本題が「チキン・オブ・ザ・シー ~スイム」B面が「悲しきロンリー・ガール ~スイム」、ようするに「スイム」のブームだったんですね「スイム」というダンスがありまして、ですからまぁオリジナルのタイトルに「スイム」ってつけりゃいい。しかもこれ多分、こっちのB面の、日本のB面のこの「ロンリー・ガール」って曲がたぶんA面として扱われたんだと思いますが日本ではこの「Chicken Of The Sea」というのは比較的あのその当時ラジオでよくかかった曲であります。



えぇ「Chicken Of The Sea」というのは「カナヅチ」、泳げない人のことだそうです。臆病者のチキンのニュアンスが反映された、Chicken Of The Driveというと何だっけな、車が怖くて運転できない人とかそういうことだそうでございますが、まぁどうでもいいです・・・。要するにカナヅチで、浜辺で俺は馬鹿にされているというそういうような歌でございます。

達郎さんも触れているように65年に日本では「スイム」というリズムが流行します、というかビクターが流行させようとしたみたいで、一番有名な曲としては大瀧さん監修でCD化もされていた「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」で65年の6月に発売されています。同じく6月にはジャニーズによる「チキン・オブ・ザ・シー」のカバーもB面曲ではありますがシングルとして発売されていて、リアル・タイム世代はこちらのカバーでご記憶の方も多いのではないかと思います。




橋もジャニーズもビクター所属であり、ウィキによれば”ビクターはこの年、スイムリズムに力を入れ、対象楽曲を7枚購入で、(東レの)ピチ水着が当たるキャンペーンを行っている”となっていますので、ゴーゴーズの「チキン・オブ・ザ・シー~スイム」もおそらくはキャンペーン対象商品として6月に日本発売されているのではないでしょうか。それにしても6月発売で水着があたるキャンペーンって7月末くらいまでにシングル7枚買わないとシーズンに間に合わないわけでわずか2か月で7枚のシングル買うというのはかなりきつかったんじゃないかと想像いたします。

閑話休題

達郎さんの解説でひっかかったのが次の一文。

>「Chicken Of The Sea」というのは「カナヅチ」、泳げない人のことだそうです。

「カナヅチ」と聞いて思い出すといえば、そう大滝さんの『ナイアガラ・カレンダー』の7月の歌「泳げカナヅチ君」のことです。カナヅチ君の歌とはいえテーマとしてはビーチ・ソングということでビーチ・ボーイズを思わせるJack Tones=大滝さんの一人多重コーラスが印象に残るナンバーです。そのコーラスの合間に入るギター(村松邦男)がアストロノウツやヴェンチャーズ、ディック・デイルなどのサーフィン・ヒットのフレーズを弾いているのも洒落ているのですが、最後のほうで何故かチキン・ピッキングのフレーズが出てきて「これだけサーフィンと関係ないのは何故?」とずっと思っていました。

ちなみにチキン・ピッキングというのは番組の4曲目で紹介されていたドン・リッチーの「チキン・ピッキン」というそのものスバリの曲を聴いていただければ分かる、ニワトリのコケーッみたいな音を出す弾き方のことです。




なんでこのチキン・ピッキングが出てくるのかと言えばカナヅチ=チキン・オブ・ザ・シーだからだったというわけですね、なるほど。サーフィン・サウンドにのってスイムしたいと思っても結局はカナヅチで沈んじゃうってことをギターのフレーズで表していたということだと思います。さすがは大瀧師匠と思いクレジットを見ると・・・。



アストロノウツやヴェンチャーズ、ディック・デイル、デュアン・エディという名前の後にゴーゴーズの名前がしっかりと書かれていました。ちゃんとネタばらししてあったんですね。気づかなかった自分が恥ずかしい。

お釈迦様の鼻を明かそうと筋斗雲に乗って何千里も空を飛び、そこにあった大きな柱に自分の名前を書いて鼻高々で戻った孫悟空が、その柱は自分の指だとお釈迦様に明かされぎゃふんと言わさせられたように、僕たちはいつだって大瀧さんの手の平の中。すごいお人です、まったく。



大瀧詠一「泳げカナヅチ君〜真夏の昼の夢」Moment String Quartet(Strings Cover)
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あけましておめでとうございます。今年もブログ鳥肌音楽をごひいきによろしくお願いいたします。





例年、1月1日に干支に絡んだ内容の記事をアップしてきていました。今年2017年は酉年ということで、「ブルー・バード」や「ブラック・バード」「電線の鳥」といった鳥がタイトルの歌やザ・バーズやイーグルスといった歌手名が鳥のものなどけっこう沢山浮かんできて何にしようかおとそを呑みながら考えているうちに意識を失ってしまい、気が付くと日付が変わっていました。

と言うわけで気勢をそがれてしまったこともあり、今年の一発目は少しテーマを変えてみました。やっぱり1月1日はすべての仕事(ブログが仕事かという疑問はありますが)はお休みすべきですよね。

ところが、世の中には元旦からお仕事、それもハード・ワーキングをされているお方がいるようで全く頭が下がる思いです。その一番有名なものはビートルズのデッカ・オーディションです。

Besame Mucho - The Beatles



このセッションに至る物語はトミー・バーロウ (Tommy Barrow)という人物から始まります。バーロウはリバプール出身の文筆家でディスカー (Disker)という名前でリヴァプール・イブニング・エコー紙にレコード評のコラムを持っていました。同じリバプールの名士であるブライアン・エプスタインはビートルズを何とか有名にしようとバーロウのコラムでビートルズのことを取り上げてくれるように頼み込みこみます。しかし、バーロウはレコードを出していないバンドのことを記事にはできないと申し出を断わりますが、かわりに自分がライナー・ノーツを書いている関係でコネクションのあるデッカ・レコードのA&R部局を紹介してくれます。

ビートルズの名もエプスタインの名もデッカで知る人はいませんでしたが、エプスタインが経営するレコード・チェーンの名前NEMSのことはデッカでももちろん有名でした。そのためデッカのA&Rのトップであるディック・ロウは部下のマイク・スミス (Mike Smith) にリバプール出張を命じます。1961年の12月13日、リバープールに赴いたスミスはエプスタインと共にキャバーン・クラブで行われているビートルズのセカンド・ステージを体験します。

ビートルズの演奏やお客の反応に好印象を得たスミスですが、その場での即断はせずロンドンのデッカ・スタジオであたらめてオーディションを行うことを約束します。




そして行われたのが1962年1月1日のデッカ・オーディションだったわけです。それにしても何故1月1日という日本で言えば「元旦」の基本的には誰もがお休みの日にオーディションは行われたのでしょうか?

気になって、欧米では年末年始のお休みはどうなっているのか調べてみました。よく耳にするホリデー・シーズンという言葉がありますがだいたいクリスマス・イヴあたりから実質的なお休みが始まりクリスマス・デイ、ニュー・イヤーズ・イヴそしてニュー・イヤーズ・デイまで休んで1月2日が仕事始めという感じのようです。仕事始めが4日ごろからという日本からすると「おとそ気分」の抜けていないのにという気がしますが、長期休暇のピークが元旦の日本と違い欧米はクリスマス辺りがピークということなのでしょうね。

とはいえ、欧米も1月1日は祝日でお休みではあるようですので、何故そんな日にオーディションというのはまだ解決されていないですね。

これって12月13日にオーディションの約束をしたという日付が関係しているんじゃないかと推測いたします。もちろんエプスタインからしたらすぐにでもという気持ちが強かったのでしょうが、デッカのスタジオのスケジュールは埋まっていたでしょうし、エプスタインにしても本業のレコード店の最大の稼ぎ時であるホリデイ・シーズンはビートルズにばっかり関わっている訳にもいかない。じゃぁ本来は祝日ということでスタジオが空いている1月1日が設定されたのではないでしょうか。後で出てきますがエプスタインがNEMSのオーナーであったという事実はデッカにとってはかなりのプライオリティであったと思われ、エプスタインがもし「ホリデイ・シーズンはデッカのレコードをガンガン売るからオーディションを年明け早々にお願いします」みたいなことを言われていたとしたら、ディック・ロウも「スミス君悪いが休日出勤してくれ」くらいのことはあったんじゃないかと思います。

こうしてローディのニール・アスピノールが運転するバンに乗り込んだジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ピート・ベストの4人は吹雪にたたられ約束の11時ぎりぎりにスタジオに滑り込みます。

初めてのオーディションということで緊張する中、約一時間で、キャバーンでいつも演奏していたお得意のナンバーがテープに収められることとなります。テープに残っているのは次の15曲でした。

The Beatles - The Decca Audition (1962)



"Like Dreamers Do" (John Lennon/Paul McCartney)
"Money (That's What I Want)" (Gordy/Bradford)
"Till There Was You" (Meredith Willson)
"The Sheik of Araby" (Smith/Wheeler/Snyder)
"To Know Her Is to Love Her" (Phil Spector)
"Take Good Care of My Baby" (King/Goffin)
"Memphis, Tennessee" (Chuck Berry)
"Sure to Fall (In Love with You)" (Cantrell/Claunch/Perkins)
"Hello Little Girl" (Lennon/McCartney)
"Three Cool Cats" (Leiber/Stoller)
"Crying, Waiting, Hoping" (Buddy Holly)
"Love of the Loved" (Lennon/McCartney)
"September in the Rain" (Warren/Dubin)
"Bésame Mucho" (Consuelo Velázquez)
"Searchin'" (Leiber/Stoller)


この日、実はもう一組のバンドがオーディションを受けていました。ビートルズが11時からでスミスは二日酔いのため遅刻したという記述もみかけますので、たぶん午後からの時間でセッティングされていたバンドはトレメローズというロンドンのバンドでした。

ロンドンのバンドが午後で遠方のリバプールのバンドが午前中にという予定の組み方から憶測するとひょっとしたら先に午後のトレメローズのオーディションが決まっていて、そこに無理矢理午前中にビートルズをねじ込んだという考えもできるのではないかなどと妄想。




ビートルズのように当日の音源が残っていない(すみません確認しきってません)のでどんな演奏であったのかは知る由もありませんが、地元ロンドンのバンドということでデッカのスタッフもトレメローズのことは少なからず知っていたのではないかと思われます。

こうして、同じ日にオーディションを受けた二つのバンドのテープを聴いたロウはスミスに対し二つは契約できないからどちらがいいかお前が選べと指示を出します。それに対しスミスは「どっちもいいのですが、違いがあるとすればトレメローズはロンドンでビートルズはリバプールのバンドということでしょうか」と暗にトレメローズの方が使い勝手(!?)がいいという返事をします。

ただし、公式には「ギター・コンボはもう時代遅れだからね」ということがエプスタインには落選の理由として伝えられていたようです。その事を正当化するためではないのでしょうがトレメローズもギター・バンドじゃなくて歌手とバック・バンドということで売るためにブライアン・プールとトレメローズという名前に改名させられています。

Brian Poole And The Tremeloes - Twist Little Sister



とにかく、これによりディック・ロウはビートルズを蹴ってトレメローズと契約したことについて、死ぬまで「ビートルズを蹴った(馬鹿な)男」という汚名を着せられてしまうことになるのです。

あきらめきれないエプスタインはデッカと再交渉を行います。もしデッカがビートルズと契約してくれたら、シングルが発売されるたびにNEMSが必ず3000枚仕入れるという条件を切り札として提示します。この3000枚買い取りという数字は、それだけで録音やプレスの費用がペイできる数字だったようでまさに破格の申し出だったようなのですが、残念ながらロウのところにはその話は伝わらなかったようでロウは後年、以下のように述懐しています。

私はそれを聞いていなかった。当時のレコード業界の常識から言えば、3000枚の売上げが確実であれば、たとえそれが誰であっても、そのレコードを出さざるを得なかっただろう。

まぁ、全ては後の祭りだったのですが・・・・。


とは言え、もしデッカと契約していてビートルズがジョージ・マーティンというプロデューサーと出会っていなかったら、どうなっていたか。ピート・ベストを首にしてリンゴ・スターが代わりのドラマーになることも無かったでしょうし、ロイ・オービソンの曲のようなスローなテンポであった「プリーズ・プリーズ・ミー」がアップ・テンポの楽曲に生まれ変わることも無かったでしょう。それを思うとディック・ロウがアホで良かったなぁといます(笑)。

The Beatles - Please Please Me


この話には後日談があります。それは「ノーザン・ソングス」というビートルズ楽曲を管理する出版社について書かれた同じタイトルの書籍「ノーザン・ソングス」(ブライアン・サルソール著)の中に書かれています。

ノーザン・ソングスはATVという放送局が買収していたのですがATVの経営状態が悪くなり売りに出された時にポール・マッカートニーから著作権の重要さを教えられていたマイケル・ジャクソンによって買われていました。ポールからすれば裏切りとも言える行為によってビートルズの楽曲の権利はマイケル・ジャクソンの手に渡ります。しかし、マイケルもご存知のようにいろいろな事件を起こしノーザン・ソングスを所有し続けるのが困難になっていきます。その時にノーザン・ソングスを買おうとしていたのがソニーで、その交渉の中心人物だったのがリチャード・ロウと言うソニーの重役でした。

>「他のソニーの重役たちもニューヨークに行って彼と対面したがっていたと思うが、彼の宿泊先のホテルのスイートに夜の十一時半にいたのは私だけだった。マイケル・ジャクソンと彼の弁護士に対して、私がひとりきりで膝を交えるというのは、人生の中での栄光の瞬間だったよ。
 ビートルズの楽曲を持っているというのは彼にとってとても大切なことだった。私は身の引き締まる思いで座っていた。」とロウはいう。
 「その晩は彼の歌に対する思い、出版ビジネスにかける意気込みを聞かせてもらった。EMIより大きくなりたい。それがあの晩、彼が口にした最終目標だったよ。『僕はEMIよりビッグになりたいんだ。音楽出版でナンバー・ワンになりたい。』と言っていた。

 ジャクソンが歌とポピュラー音楽の歴史について語ってるうちに、ロウの父親の話題になり、ビートルズを却下しブライアン・プールと契約した話になった。

 「どうやら例のエピソードを知ってたみたいなんだ、ブライアン・プールの初ヒット「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」のことを話してるうちに彼はあの曲を歌い始めた。
 私はもう腰がぬけそうになった。一介の会社員に過ぎない私がいるホテルの一室で、マイケル・ジャクソンが「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」を唄っている。それがまた素晴らしい歌いっぷりで。」




僕は 今 踊りだしたい気分さ


そうなんですこのリチャード・ロウは、あのディック・ロウの息子だったのです。全ては結果論でしかないのですが(だって「ラヴ・ミー・ドゥー」よりは「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」でしょ)、1962年にビートルズをものにできなかった男の息子が33年後にニューヨークでビートルズ楽曲をものにしている、まさに「江戸の仇を長崎でうつ」っていう浪花節的エピソード。泣けてきます(笑)ディック・ロウは86年に亡くなっていますので、亡くなる直前になると思われ、心置きなく天国へ向かったのではないでしょうか。



以上、やっぱりみんなが休んでいる元旦に働くくらいじゃないと世界的な人気者にはなれないってことなんでしょうね。実はビートルズ以外にも元旦に働いて大ヒットをだしたバンドがあります。それはビートルズの2年後の1964年の1月1日のことです。

The Beach Boys - Fun,Fun,Fun


1964年1月1日 12:30-7:00pm
年が明けてまだ数時間だというのに、ビーチ・ボーイズはさっそきスタジオに入り精力的なレコーディングを開始した。彼らの5枚目となるアルバム『シャット・ダウンVol.2』に向けて、この日まず「ファン・ファン・ファン」と「太陽あびて」からレコーディングが行われた。(ザ・ビーチ・ボーイズ・ダイアリーより)

Al Jardine – harmony and backing vocal, electric bass guitar
Mike Love – lead and bass vocal
Brian Wilson – harmony and backing vocal, producer, piano, Hammond B3 organ
Carl Wilson – harmony and backing vocal, electric lead and rhythm guitars
Dennis Wilson – harmony and backing vocal, drums
Hal Blaine – tambourine, drums
Steve Douglas – tenor saxophones
Jay Migliori – baritone saxophones
Ray Pohlman – 6-string electric bass guitar

結局「ファン・ファン・ファン」はこの日はオルタネイト・テイクが録音されただけで聞きなれたテイクは7日、8日のセッションで完成されています。そしてそこで録音された「恋はくせものの」のカバーをB面にして2月の3日にシングルとして発売されています。これだけだと余裕があるスケジュールのように思われるのですが、1月13日~2月1日はロイ・オービソンらとオーストラリアでツアーがあったため、ブライアンは1日のBB5から始まり2日にはポール・ピーターセンの「シー・ライズ・ウィズ・ミー」を録音。そして7,8日のBB5を挟み10日にはキャステルズの「アイ・ドゥ」のボーカル・セッションを終えてオーストラリアへとまさに休む暇なく働いています。

Paul Petersen - She Rides With Me


誰もがチャートのNO.1は間違いないと思った「ファン・ファン・ファン」ですが、フォー・シーズンズの「悲しき朝焼け」と「ファン・ファン・ファン」を録音した時にはまだチャートにも入っていなかったもうひとつのハード・ワーキング・バンド=ビートルズの3曲(「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」「プリーズ・プリーズ・ミー」)にはばまれて5位が最高位でした。この結果によりブライアン・ウィルソンはイギリスからやって来たモップ頭のバンド以上の曲を作るためにさらにハード・ワーキンを続け最終的にはダウンしてしまうのですが、それはまた別のお話ということで。


PS.ビートルズの最初のマネジャー、アラン・ウィリアムスに捧げます。RIP



ザ・ロスト・デッカ・テープス/ザ・ビートルズ

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シャット・ダウン(2)/ザ・ビーチ・ボーイズ

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冬の大瀧詠一週間 その4です。



すでにヤフーのニュースなどでお知りの方も多いでしょうが米女優デビー・レイノルズDebbie Reynoldsがお亡くなりになりました。享年84歳。R.I.P.

そのニュースで初めて知ったのですがデビー・レイノルズってキャリー・フィッシャーのお母さんだったんですね。当り前ですが父親であるエディ・フィッシャーの苗字ということもあり全然気づいていませんでした、お恥ずかしい。

オールデイズ・ファンには57年の映画「タミーと独身者Tammy and the Bachelor」(日本未公開)の主題歌で全米NO.1となった「タミーTammy」を歌った歌手としてお馴染みかと思います。映画では17歳の役でしたが、実際は25歳ですでにキャリー・フィッシャーを産んだ後だったというのはちょっとびっくりでした。


Debbie Reynolds - Tammy



「タミー」の作者はジェイ・リヴィングストンJay Livingstonとレイ・エヴァンスRay Evansのコンビで、この二人ナット・キング・コールでお馴染みの「モナ・リサ」やクリスマス・ソングの「シルヴァー・ベルズ」、ドリス・デイの「ケ・セラセラ」など印象に残る名曲を書いています。あとモータウンを作ったベリー・ゴーディJrは自分のレコード会社を作るに際し名前を当時ヒットしていた「タミー」からとってタミー・レコードにしたのですが、版権の問題でクレームが入り「タムラ」にしたのだそうです。

閑話休題。


歌手としては「タミー」が一番有名ですが、女優としては何と言っても20歳の時に大抜擢された「雨に唄えば Singin' In The Rain」のキャシー役につきると思われます。ということでFACEBOOKの方で追悼のコメをアップした際に「雨に唄えば」でジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナーの3人が歌う楽しいナンバー「グッド・モーニング」を一緒にアップしました。

"Good Morning" ~ Singin' in the Rain



Debbie:おはよう
Donald:おはよう
Gene:夜通しおしゃべりしちゃったな
Debbie:おはよう
Debbie,Donald,&Gene:君に おはよう おはよう おはよう
          夜更かしは素敵だね 
          おはよう 君に おはよう 


Donald:バンドが演奏を始めた時 太陽は輝いていた
Gene:牛乳配達がやって来る おやすみ言うには遅すぎる
Debbie,Donald,&Gene:そうさ おはよう おはよう
          お日様も微笑むよ
          おはよう 君に おはよう 
Debbie:あなたにも あなたにも そして私にも! 


三人で新しいミュージカルについてあれやこれやと楽しくおしゃべりをしている間に夜更かしをしてしまい陽が昇る時間になってしまったことを歌っています。

現在は「グッド・モーニング」と邦題も英題そのままにクレジットされていますが、公開当時はこの歌「夜更かしは楽しいよ」という邦題で知られていたようです。

うん? 夜更かしは楽しいよ、どこかで聞いたことあるような?

早速、検索してみると大瀧さんの次のような言葉がヒットいたしました。


ドナルド・オコーナーとジーン・ケリーとデビー・レイノルズが<夜更かしは楽しいよ>というのを歌ってますよね、今、DVDだと曲名が違ってんだけど。その3人とワタシ、山下、銀次の3人との夜更かしをダブらせたのよ。


そうだったんですね、名盤『ナイアガラ・ムーン』の中の「たのしい夜更かし」というタイトルおよびテーマは「グッド・モーニング」にあったんですね。ホントいろんなとこからネタを拾ってくるお方です、大瀧師匠。

ネタ元といえば、「たのしい夜更かし」に中の”午前0時は宵の口 楽しいよ””午前三時は宵の喉 楽しいよ”の元ネタについて話している音源がありました。

追悼 大瀧詠一さんの言葉2008年「楽しい夜更かしのモチーフ」


午前0時は宵の口だから、午前3時は宵の喉というね。ありゃ「雑排」なんだよねネタは。あのー〈春風亭〉柳昇のー、柳昇さんだよね。「えー口なしや鼻から下はすぐにアゴ」ってんで落ちていく。「アゴなしや・・・」ってだんだん落ちていって「ヘソなしや・・・」で止まるという。あれからちょっといただいた。 

「雑排」だったんですね、落語も好きな師匠らしいネタ元です。柳昇というひょうひょうとしたとぼけた咄家の落語からというのも、個人的に関東だと柳昇は好きな咄家だったので、なんだか分かる、分かると思ってしまいます。


春風亭柳昇(五代目) 雑俳(ざっぱい)


枕の決め台詞「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが、今や春風 亭柳昇と言えば、我が国では…、わたし一人でございます…」っていうのも懐かしいですね(笑)。

最後に曲の方の元ネタですが、これはもう大瀧さん本人がアルバム『ナイアガラ・ムーン』のライナー・ノーツでネタ明かししていますから有名ですよね。

ニューオリンズが生んだシンガー、アーニー・ケー・ドゥ(ERNIE K-DOE)の名作”いじわるママさん”をもじった曲。尚、この曲のもじりは、ニール・セダカとバリー・マンのコンビで61年にやっています。(スウィート・リトル・ユー)、僕のは二番もじりです。


ERNIE K-DOE - ''MOTHER IN LAW'' (1961)



ポップ・チャート、R&Bチャート両方で全米1位という大ヒットとなった「いじわるママさん」(「ままはは」という身もふたもない邦題もあったようです)の作者はニューオリンズの顔役、故アラン・トゥーサンです。とうさんがママの歌を作ったという分けです。

「いじわるママさん」で印象的な♪マザー・イン・ロウ♪を歌っているのはベニー・スペルマンBenny Spellmanという歌手で、この歌が大ヒットした時に”あれは俺のベース・ボーカルがあったからヒットしたんだ”と言いだして、ちょっとしたもめ事になったようなのです。で、ごねたベニーをなだめるためにアラン・トゥーサンはベニーのために「リップスティック・トレイセズLipstick Traces (on a Cigarette)」という歌を録音し、さらにはアーニー・ケイ・ドゥまでがバック・コーラスで参加してる(異説あり)というのですから、どんだけーという感じがします(笑)。

Benny Spellman - Lipstick Traces (On A Cigarette)



くりかえされる”Don't leave me no more”のところが”Mother-In-Low”そのまんまというのが、この2曲の関係性を物語っている気がしますが、流石に二匹目のドジョウはそうそう居ないようで、こちらはR&B28位、ポップ80位というマイナー・ヒットに終わっています。

ところで、この曲ニューオリンズ好きのリンゴ・スターによって78年カバーされています。




ヴィニー・ポンシアのプロデュース、いい感じなんですけど、パンク/ニュー・ウェイヴの時代にはあって無いですよね。

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