2009年11月19日
posted by sugarmountain
大瀧詠一の日本POPS伝Ⅱ 第一夜その1
テーマ:ナイアガラ関連
さて以前からやるやるといいながら先延ばしにしていた「大瀧詠一の日本POPS伝Ⅱ」の文字おこしに挑戦したいと思います。今から10年前の99年のお正月に5夜(各95分)に渡りオンエアーされたものなので一気にと言うわけには行きません。細切れになって全体像が見えづらくなるかもしれませんが、10分~15分ずつ位を文字にしてアップしていきたいと思います。
そんなの音源自体をアップすりゃいいやんと思われるむきもあるかと思います。でもこれは般若心経の写経のようなもので文字おこしをすることで大瀧師匠のありがたーい言葉(思想)を心に刻んでいくということが僕個人にとって意味があるのです。お勉強ですよ勉強。ではでは。
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ささのみちる(以下ささの) どうも。
大瀧詠一(以下大瀧) また、聴いてもらいます。(京都弁のイントネーションで)
ささの えーよろしくお願いします。
大瀧 ひとつよろしくお願いします。
ささの 大瀧さん、あたし全く緊張してドキドキしてるんですけど。
大瀧 いえ誰でもしっかり分る様にという風に出来ておりますのでひとつお任せをいただきたいと思います。
ささの これはどういう番組なんでしょうか?
大瀧 聴いていただけると分るようになっております。
ささの なるほど。
大瀧 また、聴いてもらいます。(京都弁のイントネーションで)
維新マーチ(註:番組ではインストが流れました)
大瀧 前回の放送もですね、このように明治維新の頃から始めました。日本の近代音楽の始まりというのが明治からですから、それの一番最初に官軍のマーチですね、官軍マーチは「トンヤレ節」といわれてましてですね。このピーヒャララの後には”宮さん宮さん”というそういう歌が入るんですが、これが官軍によって進軍されて。行進されて、東海道をずっと行進してきたということでずいぶんいろんな人に広まったというか皆さんがこの歌を歌ったという。「宮さん宮さん」という歌ですけど、まずはですね当時どういう風に歌われていたかという、今のはね新録でしたからこういう風になってましたけど、当時「トンヤレ節」がどのように歌われていたかという録音がね、珍しいものが見つかりましたのでそれをちょっと聴いてみましょう。
トンヤレ節
大瀧 ええご丁寧な方で”これでお仕舞いでございます”まで入っていましたけれど。
ささの 入ってましたね
大瀧 こういう風に「トンヤレ節」で官軍を讃歌したというかね、そういう歌なんだと思います。それで日本中が官軍の天下になってですね、徳川の幕府軍は会津から北海道へと追いやられた、えーだんだんアレですね追い込まれていくというそういう歴史がありましたけど。さて今のようなマーチですね、行進曲。これは日本人が最初から持っていたものではなくてこの時に軍隊の方式とかいろんなものを近代の方式を持ち込むわけですが、音楽の方式というか音楽も洋楽を持ち込んだわけですね。で教師を連れてきましてというか呼んでですねやったんですけど。当初いちばん最初にはイギリスのフェントンという人が呼ばれましてですね,この人が軍隊の儀礼やその他には必ず国歌というものがいちばん最初に必用だということで、なんと国歌がなかったんですね。国旗も無かった。
ささの そうか、それまで無かったんですね。
大瀧 ありませんでしたね。だいたい日本なんて自分達を呼んでませんでしたからね。
ささの あっそうなんですか、知りませんでした。
大瀧 えー だからね名前も一人でもしいるんだったら、名前も必要ないんでしょうね。
ささの あぁなるほどね。
大瀧 相手がいた時にはじめて自分の名前が必要になるということで、ここで初めて国歌なり国旗を制定するわけなんですけれども、そういう軍隊の儀礼の時の国歌とかそういうのはまだ作曲する人が(日本には)いなかった。
ささの そうかぁ-。
大瀧 それでイギリス人のフェントンという人に国歌を作ってもらいました。それが「君が代」の第一バージョンで今のものとはちょっと違います。
ささの あぁそうなんですか?
大瀧 そうです。それから例えば軍隊の士気を鼓舞するためっていう意味合いがありまして、今度は「抜刀隊」というマーチを聴いてもらうんですけど、刀を抜く隊です。これは今だと六大学(野球)の応援なんかにありますよ。
ささの あぁそうなんですか。
シャルル・ルルー Charles Edouard Gabriel Leroux,
大瀧 ブラスバンドが演奏します。これが作曲者がフランスから来たルルーという人が作曲をしたんですね。で、それに歌詞がのっております。でこれは当時の録音ではなくて新録ですけれども、どんなものだったのか、明治(時代)のマーチを聴いていただきます。
抜刀隊 シャルル・ルルー作曲
大瀧 途中からメジャーになって。
ささの 急に明るくなりますね。
大瀧 明るくなったでしょ。でね最初の哀調を帯びたメロディはみんな覚えたらしいんですよ進軍の時に。ところがメジャーなところになるとみんな音がとれなくてね。
ささの メジャーが入ってなかったんですか日本人には?
大瀧 あまりああいうメロディーってなかったんですよね、それまでに。
ささの そっかー。
大瀧 作ったルルーにしてみればこの辺で明るくテンポを変えてみようというっていうようなアレだったんですけどね。
ささの ええ。
大瀧 日本の人は行進も初めてだし。
ささの メジャーも初めて。
大瀧 武士の人なんてのはアレですよね、刀が当たらないように右手と右足一緒に出したりするような歩き方してたような人が
ささの 大変ですね。
大瀧 右左を歩くって言う、行進さえ勉強しなくちゃいけないところへあの突然の転調で驚いたんじゃないかなと思いますけどね。
ささの 面白いですね。
大瀧 ですからこの曲はそういう意味では前半の方だけは割合有名になったんですけどね。イギリスからフェントン、フランスからルルーといろんな人を呼びましたけれどドイツからもまた呼びました。もう各国から・・・
ささの 世界中。
大瀧 そうです。オリンピックの時に万国旗って並ぶでしょ。とにかくああいう風に列強に伍するためにいろんな国からいろんなものを一挙に明治の時に持ってきたわけですよね。でドイツのエッケルトという人が来るんですけど、この人は今の「君が代」をアレンジした人です。
ささの そうなんですか。
大瀧 ええそうなんです。だから多少ドイツ的な重厚な感じのサウンドになっていると思います。
ささの なるほど。
瀬戸口藤吉
大瀧 エッケルトに師事を受けた日本人の人が出てくるんですね。でこの人が瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち)でこの人は日本の×××(聞き取り不能)と呼ばれましたけど、ここでその外国人ばかり作っているものではなくて自前のものを作ろうと。だいたい輸入のパターンとは外国の人から教わってそれをこなしているうちにだんだん自分達で独自のものを作っていくという、こういうスタイルっていうのは芸事に限らず必ずありますよね。
ささの うぅん。
大瀧 そういうことで自前のマーチを作るんです。
ささの ほ~ぅ
大瀧 これがまぁ非常に名高い自前のマーチです。
軍艦マーチ 作曲:瀬戸口藤吉
ささの わーこれが自前だったんですか。
大瀧 自前ですね。
ささの 「軍艦マーチ」!
大瀧 「軍艦マーチ」。 これで1945年の8月まで勇壮に明治から戦っていたんですよ。
ささの なるほど。
大瀧 この瀬戸口藤吉って人は軍楽隊の隊長をしてたんですけど、鹿児島の方ですけど、作曲をした初の自前のマーチということです。その人の弟子のまたさらに弟子、孫弟子ですけれども古関裕而(こせきゆうじ)という方がいらっしゃいまして、この人は東京オリンピックのマーチを作った人ですけれども。古関裕而さんという人は瀬戸口藤吉の孫弟子にあたるということなんですね。

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本日はここまで、明日に続く。
<日本>の音楽というのは維新の後、列強に伍する近代国家を作ろうとした明治政府が英仏独(ここでは出てきていませんが米も)の音楽家を招いて作られていきます。大瀧師匠の分母分子論で言えば新しい分母として欧米という世界史を日本に招き入れたということです。フェントンが来日したのが1868年、メジャーな旋律が歌えなかった日本人が「軍艦マーチ」を産み出すのが1897年。この間30年。30年っていうのは今の感覚からするとえらくゆっくり変わったものだと思いますが、当時としては恐るべき速さでの変化という感じだったのではないでしょうか。
それにしても「君が代」が実は外国人の手によるものだというのが興味深いですね。憲法はGHQの押し付けだから日本人の手による憲法をと言うナショナリストたちがいますが、国歌を日本人の手で作り直そうと言い出さないのが不思議に思えます。それはむしろサヨクの方が言ってることですよね、なんか転倒してる気がしますが日本人は曲より詞を問題にするということでしょうか。和魂洋才なんて言葉もありましたしね、形はどうあれ魂が日本的であれば良いのかな?いわゆるJ-HIPHOPなんかも音楽的にはRAPの形をしてますが歌われている内容はどうしようもなくヤンキー的な演歌なんかとも大差ない日本人の世界ですもんね。
そんなの音源自体をアップすりゃいいやんと思われるむきもあるかと思います。でもこれは般若心経の写経のようなもので文字おこしをすることで大瀧師匠のありがたーい言葉(思想)を心に刻んでいくということが僕個人にとって意味があるのです。お勉強ですよ勉強。ではでは。
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ささのみちる(以下ささの) どうも。
大瀧詠一(以下大瀧) また、聴いてもらいます。(京都弁のイントネーションで)
ささの えーよろしくお願いします。
大瀧 ひとつよろしくお願いします。
ささの 大瀧さん、あたし全く緊張してドキドキしてるんですけど。
大瀧 いえ誰でもしっかり分る様にという風に出来ておりますのでひとつお任せをいただきたいと思います。
ささの これはどういう番組なんでしょうか?
大瀧 聴いていただけると分るようになっております。
ささの なるほど。
大瀧 また、聴いてもらいます。(京都弁のイントネーションで)
維新マーチ(註:番組ではインストが流れました)
大瀧 前回の放送もですね、このように明治維新の頃から始めました。日本の近代音楽の始まりというのが明治からですから、それの一番最初に官軍のマーチですね、官軍マーチは「トンヤレ節」といわれてましてですね。このピーヒャララの後には”宮さん宮さん”というそういう歌が入るんですが、これが官軍によって進軍されて。行進されて、東海道をずっと行進してきたということでずいぶんいろんな人に広まったというか皆さんがこの歌を歌ったという。「宮さん宮さん」という歌ですけど、まずはですね当時どういう風に歌われていたかという、今のはね新録でしたからこういう風になってましたけど、当時「トンヤレ節」がどのように歌われていたかという録音がね、珍しいものが見つかりましたのでそれをちょっと聴いてみましょう。
トンヤレ節
大瀧 ええご丁寧な方で”これでお仕舞いでございます”まで入っていましたけれど。
ささの 入ってましたね
大瀧 こういう風に「トンヤレ節」で官軍を讃歌したというかね、そういう歌なんだと思います。それで日本中が官軍の天下になってですね、徳川の幕府軍は会津から北海道へと追いやられた、えーだんだんアレですね追い込まれていくというそういう歴史がありましたけど。さて今のようなマーチですね、行進曲。これは日本人が最初から持っていたものではなくてこの時に軍隊の方式とかいろんなものを近代の方式を持ち込むわけですが、音楽の方式というか音楽も洋楽を持ち込んだわけですね。で教師を連れてきましてというか呼んでですねやったんですけど。当初いちばん最初にはイギリスのフェントンという人が呼ばれましてですね,この人が軍隊の儀礼やその他には必ず国歌というものがいちばん最初に必用だということで、なんと国歌がなかったんですね。国旗も無かった。
ささの そうか、それまで無かったんですね。
大瀧 ありませんでしたね。だいたい日本なんて自分達を呼んでませんでしたからね。
ささの あっそうなんですか、知りませんでした。
大瀧 えー だからね名前も一人でもしいるんだったら、名前も必要ないんでしょうね。
ささの あぁなるほどね。
大瀧 相手がいた時にはじめて自分の名前が必要になるということで、ここで初めて国歌なり国旗を制定するわけなんですけれども、そういう軍隊の儀礼の時の国歌とかそういうのはまだ作曲する人が(日本には)いなかった。
ささの そうかぁ-。
大瀧 それでイギリス人のフェントンという人に国歌を作ってもらいました。それが「君が代」の第一バージョンで今のものとはちょっと違います。
ささの あぁそうなんですか?
大瀧 そうです。それから例えば軍隊の士気を鼓舞するためっていう意味合いがありまして、今度は「抜刀隊」というマーチを聴いてもらうんですけど、刀を抜く隊です。これは今だと六大学(野球)の応援なんかにありますよ。
ささの あぁそうなんですか。
シャルル・ルルー Charles Edouard Gabriel Leroux,大瀧 ブラスバンドが演奏します。これが作曲者がフランスから来たルルーという人が作曲をしたんですね。で、それに歌詞がのっております。でこれは当時の録音ではなくて新録ですけれども、どんなものだったのか、明治(時代)のマーチを聴いていただきます。
抜刀隊 シャルル・ルルー作曲
大瀧 途中からメジャーになって。
ささの 急に明るくなりますね。
大瀧 明るくなったでしょ。でね最初の哀調を帯びたメロディはみんな覚えたらしいんですよ進軍の時に。ところがメジャーなところになるとみんな音がとれなくてね。
ささの メジャーが入ってなかったんですか日本人には?
大瀧 あまりああいうメロディーってなかったんですよね、それまでに。
ささの そっかー。
大瀧 作ったルルーにしてみればこの辺で明るくテンポを変えてみようというっていうようなアレだったんですけどね。
ささの ええ。
大瀧 日本の人は行進も初めてだし。
ささの メジャーも初めて。
大瀧 武士の人なんてのはアレですよね、刀が当たらないように右手と右足一緒に出したりするような歩き方してたような人が
ささの 大変ですね。
大瀧 右左を歩くって言う、行進さえ勉強しなくちゃいけないところへあの突然の転調で驚いたんじゃないかなと思いますけどね。
ささの 面白いですね。
大瀧 ですからこの曲はそういう意味では前半の方だけは割合有名になったんですけどね。イギリスからフェントン、フランスからルルーといろんな人を呼びましたけれどドイツからもまた呼びました。もう各国から・・・
ささの 世界中。
大瀧 そうです。オリンピックの時に万国旗って並ぶでしょ。とにかくああいう風に列強に伍するためにいろんな国からいろんなものを一挙に明治の時に持ってきたわけですよね。でドイツのエッケルトという人が来るんですけど、この人は今の「君が代」をアレンジした人です。
ささの そうなんですか。
大瀧 ええそうなんです。だから多少ドイツ的な重厚な感じのサウンドになっていると思います。
ささの なるほど。
瀬戸口藤吉大瀧 エッケルトに師事を受けた日本人の人が出てくるんですね。でこの人が瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち)でこの人は日本の×××(聞き取り不能)と呼ばれましたけど、ここでその外国人ばかり作っているものではなくて自前のものを作ろうと。だいたい輸入のパターンとは外国の人から教わってそれをこなしているうちにだんだん自分達で独自のものを作っていくという、こういうスタイルっていうのは芸事に限らず必ずありますよね。
ささの うぅん。
大瀧 そういうことで自前のマーチを作るんです。
ささの ほ~ぅ
大瀧 これがまぁ非常に名高い自前のマーチです。
軍艦マーチ 作曲:瀬戸口藤吉
ささの わーこれが自前だったんですか。
大瀧 自前ですね。
ささの 「軍艦マーチ」!
大瀧 「軍艦マーチ」。 これで1945年の8月まで勇壮に明治から戦っていたんですよ。
ささの なるほど。
大瀧 この瀬戸口藤吉って人は軍楽隊の隊長をしてたんですけど、鹿児島の方ですけど、作曲をした初の自前のマーチということです。その人の弟子のまたさらに弟子、孫弟子ですけれども古関裕而(こせきゆうじ)という方がいらっしゃいまして、この人は東京オリンピックのマーチを作った人ですけれども。古関裕而さんという人は瀬戸口藤吉の孫弟子にあたるということなんですね。

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本日はここまで、明日に続く。
<日本>の音楽というのは維新の後、列強に伍する近代国家を作ろうとした明治政府が英仏独(ここでは出てきていませんが米も)の音楽家を招いて作られていきます。大瀧師匠の分母分子論で言えば新しい分母として欧米という世界史を日本に招き入れたということです。フェントンが来日したのが1868年、メジャーな旋律が歌えなかった日本人が「軍艦マーチ」を産み出すのが1897年。この間30年。30年っていうのは今の感覚からするとえらくゆっくり変わったものだと思いますが、当時としては恐るべき速さでの変化という感じだったのではないでしょうか。
それにしても「君が代」が実は外国人の手によるものだというのが興味深いですね。憲法はGHQの押し付けだから日本人の手による憲法をと言うナショナリストたちがいますが、国歌を日本人の手で作り直そうと言い出さないのが不思議に思えます。それはむしろサヨクの方が言ってることですよね、なんか転倒してる気がしますが日本人は曲より詞を問題にするということでしょうか。和魂洋才なんて言葉もありましたしね、形はどうあれ魂が日本的であれば良いのかな?いわゆるJ-HIPHOPなんかも音楽的にはRAPの形をしてますが歌われている内容はどうしようもなくヤンキー的な演歌なんかとも大差ない日本人の世界ですもんね。













