山下達郎SSB エリー・グリーニッチ特集その2 前半 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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追悼の意味もこめ重い腰をあげてSSBのエリー・グリニッチ特集の文字起しの続きを行いたいと思います。しかし、あらためて番組を録音したMDを聴きながらどれを劣らぬ名曲ぞろなのに感服。凄い人でした。

鳥肌音楽 Chicken Skin Music-えっぇ

先週からやり始めましたエリー・グリニッチ。60年代を代表するロックン・ロール・ソング・ライターでございますが、旦那のジェフ・バリーと組みましてバリー/グリニッチというコンビで幾多の名曲を生み出しました。今日はそれのパート2でございます。パート1は63年だけで終わってしまいました。フィル・スペクターのプロデュース作品で幾多のヒット曲を出しましたが年が明けまして1964年、彼らの所属しておりました音楽出版社の経営者でありましたジェリー・リーバー/マイク・ストーラー彼らもソング・ライター、プロデューサーでありますが、リバー/ストーラーがレコード会社を設立しました。鳥肌音楽 Chicken Skin Music-rbレッド・バードというレコード会社、ここでまたバリー/グリニッチは沢山のヒット曲を出していきます。今日はそこを中心に64年から後のバリー/グリニッチの名曲の数々を色々とお届けしたいと思います。今日もエリー・グリニッチ、ソングライター特集でございます。パート2、山下達郎ジャックス・カード・サンデイ・ソング・ブックの得意技のソング・ライター特集でございます。

というわけでレッド・バード・レコード設立第一弾シングルは見事全米NO.1となりました。バリー/グリニッチにとってもはじめてのNO.1となりました。1964年のザ・デキシー・カップス「チャペル・オブ・ラヴ」

The Dixie Cups / Chapel Of Love
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music-DC

1曲目にお聴きをいただきましたのがデキシー・カップス、ニュー・オリンズ出身のガール・グループでございますが「チャペル・オブ・ラヴ」、アメリカン・ポップスのスタンダード・ナンバーでございます。これから今日はスタートをいたしました。これでレッド・バード・レーベルは好調にスタートをいたしました。実はこの「チャペル・オブ・ラヴ」という曲はですね元々フィル・スペクターに提供した曲でロネッツのレコーディングもあります、ダーレン・ラヴでもレコーディングがありますがフィル・スペクター自身はほとんどこれをシングル・カットしないでなかばボツみたいにしてしまったので、こちらのデキシー・カップスに取り上げさせたところNO.1になったと。これをフィル・スペクターが嫉妬しましてですね、そこから仲がこじれてしばらくの間スペクターの仕事をしなくなるというようなことがあったそうでございます。
( ロネッツ、ダーレン・ラヴの「チャペル・オブ・ラヴ」→●コチラでお聴きください

まぁそれはともかくこのレッド・バード・レーベルでたくさんバリー/グリニッチ、ヒット曲を出していくわけでございますが、時系列にそって順にいってみたいと思います。お次はジェリー・ビーンズ、ニュージャージーの女3人男1人の黒人ボーカル・グループ、これも当時のポップス・ヒストリーでは大変によく知られている曲でございます。64年の初夏の全米9位というベスト10ヒットでございます。ザ・ジェリー・ビーンズ「アイ・ウォナ・ラヴ・ヒム・ソー・バッド」

The Jelly Beans / I Wanna Love Him So Bad
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music-jb
(2分26秒あたりからの”エイエイエイエイー・イェーイ”を聴くとコレを思い出します→コチラから

ジェリー・ビーンズ「アイ・ウォナ・ラヴ・ヒム・ソー・バッド」という曲でございましたが。バリー/グリニッチの作品といいますのはですね非常に単純明快、メロディもコードも歌詞もですね非常に単純明快。だけど何故か心を惹きこまれる、単純なんですけどそういうメロディが多いんですが特にですねコーラスのバック・リフがとてもユニークであります。”ダ・ドゥ・デ・ランランラン・ラ・ドゥ・ランラン”とか今でも”ダァン・ダァン・ダン”とかこれはドゥーワップの影響がありますがそれでも60年代的な非常に斬新なですねコーラスのバック・リフ。これにですね、例えばビーチボーイズなんかは非常うに大きな影響を受けております。ブライアン・ウィルソンはフィル・スペクターの影響を受けていると言われますがバリー/グリニッチのコーラスのバック・リフはビーチ・ボーイズはそれ(の影響)無しには語れないのじゃないかなと思っていたりいたします。この後にもですねそういうようなコーラスのバック・リフに特徴のある曲沢山出て参ります。

フィル・スペクターの仕事もですねまったくやっていないわけではなくて継続はいたしますが大分63年に比べますと量は減っております。ロネッツのアルバム、1964年に発売されましたですねロネッツのアルバムに入っております。この曲はですね元々はクリスタルズがやっておりましたが圧倒的にロネッツのバージョンの方が優れております。私はこれはロネッツのワン・オブ・ザ・ベスト・テイクだと思っております、「アイ・ワンダー」。

The Ronettes / I Wonder

(クリスタルズのバージョン→コチラです

ロネッツ、1964年のアルバムに収められております「アイ・ワンダー」でございました。コーラスの作り方がとってもバリー/グリニッチは上手いと申し上げましたが、エリー・グリニッチがそうしたいわゆるデモ・クィーンといわれるくらいのデモ・テープ(作り)でならしております。そうしたコーラスのバック・リフで人をひきつけるテクニックというのはそういうときに学んだんだと思いますが。エリー・グリニッチはピアノがちゃんと習った人でございましてある程度の音楽的素養が、バック・グラウンドがある人でございます。最初にリーバー・ストーラーの出版社と契約した時にこの曲はデモを書くときに譜面がいると言われたので譜面は書いていたと。譜面は読むことができるしどう書くかも知っているけどそれを利用するとか応用したことはない、つまりロックン・ロールではそういう譜面はいらないんだというようなことをインタビューで言っております。またソング・ライターはみんなある種怠惰であって作曲が主たる職業だったら他の事に頓着ができないので自分の場合はアレンジャーを雇ってアレンジをするという。こりゃまぁようするにソング・ライターとして量産をしたいという意思ですね。ですからまぁ筒美京平さんなんかが最初のうちは自分でアレンジなさってたのですが、それだと追っかないので他のアレンジャーに頼んで自分は作曲に専念したようなそういうような流れだと思います。いわゆるファクトリー形式の量産ですとそうなります。アイドル歌謡は特に沢山書かなきゃいけないのでそういうことになりますが。

さて、そうしたコーラス・ガールとしてエリー・グリニッチはいろんな仕事をしております。レスリー・ゴーアのバックでコーラスで入っているレコードがずいぶんあるそうで。なので自分がソング・ライターとして成功したときにですねレスリー・ゴーアに曲を書きたいと、で自分で曲を、まぁだんなさんと書いてですね売り込みにいったら見事それが採用されてそしてヒット曲になった。1964年の夏のこれも彼女にとってレスリー・ゴーアの代表曲のひとつですが全米14位の「メイビー・アイ・ノウ」

Lesley Gore / Maybe I Know


レスリー・ゴーア「メイビー・アイ・ノウ」でございました。なんかグリニッチのですねデモ・テープの歌唱法が彷彿とさせるようなレスリー・ゴーアのシンギング・スタイルでございました。

この頃になりますとイギリスのロックン・ロール・グループにかなりこうしたニューヨークのソング・ライターたち、アメリカのソング・ライターの影響を受けるようになります。あとはそうしたスクリ-ン・ジェムスとかリーバー/ストーラーの出版社が積極的にイギリスに曲の売り込みに行きます。そしてカバーの作品というのが出てきてそこからヒット作が出るようになります。それのエリー・グリニッチにとっては皮切りとなる曲がありまして「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」という曲でございますが。ロンドンで結成されましたマンフレッド・マン。このグループが1964年の10月に全米NO.1にしますが、実はこの曲にはオリジナル・バージョンがありまして、エキサイターズ、ニューヨーク出身の黒人4人組女性3人男1人というボーカル・グループが64年の初頭にですね放ったヒット曲でこれはエリー・グリニッチかなり気に入ったテイクだったんですが全米78位というですねあまりふるわないチャート・アクションだったんですが。これがマンフレッド・マンのカバーによってですねいきなり全米NO.1になってしまうとういうある意味でラッキーなヒット・ソングとなりました。エキサイターズのオリジナル・バージョンそしてマンフレッド・マンのバージョン、2曲続けてお聴きいただきます、「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」。

The Exciters / Do Wah Diddy
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music-exciters

Manfred mann / Do wah diddy
-鳥肌音楽 Chicken Skin Music-mm

エキサイターズ1964年初頭のスマッシュ・ヒット「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」。このエキサイターズで素晴らしいボーカルをとっておいますのがブレンダ・リードという人でこの人の息子さんはですね80年代にディールというグループから後にベイビー・フェイスのパートナーになりしたLAリードでございますが、そのおかあさんでございますが、素晴らしい歌でございます。それでもイギリスのマンフレッド・マン、リード・ボーカルのポール・ジョーンズ少しも負けておりません。1964年の10月にこれで全米NO.1になりました。2バージョンお聴きいただきました。しかしこの「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」というバック・リフどうやって思いつくのかですね。僕らは当然マンフレッド・マンのバージョンでしか知りませんでしたけれども、なんだこのドゥ・ワ・ディディ・ディディというのは?まぁ彼氏か彼女、女の人だったら彼氏男の人だったら彼女、が見てですねその彼しか彼女がドゥ・ワ・ディディ・ディディと歌いながら歩いてくる。その彼氏にいってしまってでですね、まぁ彼女にやられてしまって、で一気に行くんですね2分半で結婚まで行くというすごい気の早い歌でございましてですね。まぁポップ・ソングのアイドル歌謡の典型みたいな1曲でございます。いかにもバリ-/グリニッチという感じでございます。今聴くといいんです(笑)

お知らせの前にもう一曲。今度は64年の9月に発売されましたザ・バタフライズというグループの「グッド・ナイト・ベイビー」という曲ですが。全米51位というスマッシュ・ヒットですが資料にはこれはエリー・グリニッチが自分で歌っているという風に書かれていますがどうもなんか僕の耳で聴くと黒人女性が歌っているように聴こえますが、みなさんはいかがでしょうか。いずれにせよバリー/グリニッチらしい、またコーラスのバック・リフが素敵な曲です。ザ・バタフライズ「グッド・ナイト・ベイビー」。

The Butterflys / Good Night Baby


今、曲がかかっているうちに色々調べましたらやっぱり違いますねバタフライズ。昔はこれはエリー・グリニッチが歌っているといわれていましたがバタフライズというちゃんとした黒人の女性ボーカル・グループがいるそうです。最近出たコンピレーションにちゃんと書いてありました。ザ・バタフライズ1964年の「グッド・ナイト・ベイビー」でございました。

山下達郎がお送りいたしておりますサンデイ・ソング・ブック、エリー・グリーニッチ、ジェフ・バリー、ソング・ライター特集パート2、前半終了でございます。

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とりあえずはパート2の前半、後半は後ほど。


鳥肌音楽 Chicken Skin Music-rbRed Bird Story