再掲載 山下達郎SSB エリー・グリーニッチ特集その1 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.

まったくなんてこったいという思いです。エリー・グリーニッチが亡くなってしまうとは。いろいろ書きたいこともありますがここは僕なんかが語るより日本で最も彼女のことを理解している山下達郎のSunday Song Bookのグリーニッチ特集を文字起ししたものを再掲載しておきます。いつもの怠慢さで”その1”を文字起ししただけで終わっていますが頑張って続きもやりたいと思います。

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先週、中野のサンプラザでございましたが10日で6本というファイナル、けっこう詰まったスケジュールなのでここを待っていて特集をやろう。ソングライター特集をやろうと思っていたのですが、とりあげる相手が大きすぎましてですね、音源は揃っているんですけど、資料がなかなか読みきれない。たくさんありますので、それでも頑張ってはじめてみたいと思います。念願でございましたエリー・グリニッチ(Ellie Greenwich)ジェフ・バリー(Jeff Barry)/エリー・グリニッチ、60年代を代表するアメリカのソングライターでございます。特にアイドル歌謡、ガール・ポップ、ロックン・ロールそうした分野では本当に五指に入る有名なソングライターでございます。

今回の特集は女性の方、奥さんの方、エリー・グリニッチに焦点を絞って、そうしないともう曲が多すぎてジェフ・バリーまでフォローしますと大変なことになってしまいますので、とりあえずエリー・グリニッチ。2週の予定と申し上げたいところですが当然延びるでしょう。それぐらいヒット曲も名曲も多い人なのでじっくりいってみたいと思っております。山下達郎がお贈りいたしますサンデイ・ソング・ブック、サンソン恒例のソング・ライター特集、今回はエリー・グリニッチ特集PART1、今日はもう有名曲勢ぞろい来週はもっと有名曲勢ぞろいでございます。そのくらいヒット・ソングの多い人でございます。お楽しみいただきたいと思います。

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山下達郎がお送りいたしておりますジャックス・カード・サンデイ・ソング・ブック、本日から多分3週間オア・モアの予定で連休を飛び越えてお贈りいたしますのはソング・ライターの特集。今までソング・ライター特集はたくさんやってまいりました。バリー・マン/シンシア・ワイルキャロル・キング/ゲーリー・ゴフィンジェリー・リーバー/マイク・ストーラーヘレン・ミラー。この人たちはNYの作曲家でございます。今回の人もNYの作曲家でございますが、今回も超大物でございます。

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エリー・グリニッチ、旦那さんのジェフ・バリーと組みましてバリー/グリニッチという夫婦のソング・ライター・コンビで幾多のヒット曲を生み出してまいりました。今回はそちらの女性側から見てみたいと思います。エリー・グリニッチ、特に60年代の中盤にですね八面六腑の活躍をした人でございます。エリー・グリニッチ、1940年の10月の23日生れですから当年とって68歳になります。ブルックリン生れの人で10歳でロング・アイランドに移ってきました。お父さんはロシア系カソリック、お母さんはユダヤ系だそうでございます。お父さんは画家で、音楽は歌とギターとバラライカそれからマンドリンすこしだけだそうです。音楽の家系ではないという、エリー・グリニッチ以外にはミュージシャンの人は親戚にはいないそうであります。ちっちゃい頃からロックン・ロールが好きでですね、普通の白人の子供はですねもうちょっと柔らかい音楽を好んでいたんですけど、彼女はそうした黒人のロックンロールがすごく好きでそれをラジオで夢中になって聞いていて、自分もそういうのやりたいと歌手を目指しましてですね、大学へ入る頃になるといろんなとこのオーディションを受けるようになりまして。

まぁ当時のそうしたティーンエイジャーがですね、音楽を目指すティーンエイジャーが必ず通る道でいろんな所へ歌いにいって歌手を目指す、そういう一人でありまして、それが実って1958年にですねソロ・シングルをだします。エリー・ゲイ(Ellie Gaye)という芸名でですねRCAからソロ・シングルを出します。A面が「シリー・イズント・イット(Silly Isn't It)」という曲のカップリングでB面だと言う具合にものの本には書かれておりますが、実際にはこっちの方がA面のきれいなメロディになっております。「チャ-チャ・チャーミング(Cha-Cha Charming)」という一曲で、これは日本ではですね大滝詠一さんがシリア・ポールさんのアルバムでカバーをいたしましてですね、そっちの方で有名でございます。当然もうメガ・レアなシングルでございますが最近はこういうのもCDで聴けるようになりました。

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夢で逢えたら

エリー・グリニッチといいますと旦那さんのジェフ・バリー、この人もキャリアの古い人なんですが、この人はまぁあらためてという感じですが、60年前後に知り合ってですね、ステディとして仲良くやっておりました。ジェフ・バリーはその時点でもう音楽業界で仕事をしていた人なので、ジェフ・バリーの所にですね、NYのマンハッタンのジェフ・バリーの仕事場まで行ってですね彼のデモ・テープの歌などを手伝っておりました。それを聴いたですね、レコードのプロデューサーが気に入りましてエリー・ジー&ザ・ジェッツ(Ellie Gee & The Jets)というまぁ幽霊グループでありますが、そういう名義で「レッド・コルベット」というこれはジェフ・バリーの作品ですが、これのB面にエリー・グリニッチの作品を収録してくれました。もちろん歌っているのはエリー・グリニッチその人でございますが、この初期のエリー・グリニッチのシンガーとしてのですね、結局芽は出なかったのですけども、シンガーとしての仕事を2曲続けてお聴きをいただきましょう。1958年RCAレーベルからのエリー・ゲイ「チャ-チャ・チャーミング」そして1960年のエリー・ジー&ザ・ジェッツ「アイ・ゴー・ユー・ゴー(I go,You go)」2曲続けてどうぞ。

M-1 エリー・ゲイ「チャ-チャ・チャーミング」


M-2 エリー・ジー&ザ・ジェッツ「アイ・ゴー・ユー・ゴー」


エリー・ゲイ、1958年RCAレーベルからの「チャ-チャ・チャーミング」そしてエリー・ジー&ザ・ジェッツ1960年のマジソン・レーベルからの「アイ・ゴー・ユー・ゴー」という、いい声してるんですよエリー・グリニッチって。ですからチャンスがあったら、ひょっとしたら歌手で成功してたかもしれないんですが、まぁチャンスに恵まれずに歌手としては全く泣かず飛ばずでありました。そうこうしてるうちに大学へ入りましてですね、でも音楽の夢棄て切れなかったんですが、ひょんなことでソング・ライターとしての道を歩むことになります。ジェリー・リーバー/マイク・ストーラー、このサンデイ・ソング・ブックでも特集しましたが当時の大御所ソング・ライター/プロデューサー・チーム。このリーバー/ストーラーにですね、目に留まりましてエリー・グリニッチは彼らのトリオ・ミュージックという出版社と契約することになります。で曲を書き始めるわけですが、ちょうどその頃にですねジェフ・バリーもですね、やはりソング・ライターとして同じように曲書いていたんですが、二人は62年に婚約/結婚をするのを機会にですねジェフ・バリーもこのリーバー/ストーラーの事務所に入ってきまして、このバリー/グリニッチというコンビで曲を作るようになりまして、それがだんだん、だんだん採用されてきます。

当時はですねこうしたソング・ライターというのは必ずデモ・テープというのを作って、まぁ要するに出版社なのでいろんな人にそれで売り込む、でもそのデモ・テープの出来がすごくいいのでですね、リーバー/ストーラーはそれをそのまま出したらどうかと、こうしてエリー・グリニッチが歌ったデモ・テープを発売したところそこそこのヒットになります。1963年の話なのですが、なのでもう一作出してみる、そしたらその曲よりまた更にヒットが出てしまってですね、これはグループとしてまとまったアルバムにしろということになりましてレインドロップス(The Raindrops)という名前がつきます。もちろんこれは幽霊グループでございましてバリー/グリニッチの歌にですね、フォト・セッションに入っておりますのはエリー・グリニッチの妹さんでございまして。レインドロップス最初のヒットが1963年の「ホワット・ア・ガイ(What a guy)」という、これはセンセーションズというボーカル・グループのために書いた曲ですが、これが全米41位。セカンド・ヒットの「ザ・カインド・オブ・ボーイ・ユー・キャント・フォーゲット(The Kind Of Boy You Can't Forget)」というこの曲はさらにチャートが上がって17位というそこそこのヒットになります。今日はこちらのセカンド・ヒットをお聴きをいただきましょう。ザ・レインドロップス、1963年の「ザ・カインド・オブ・ガール・ユー・キャント・フォーゲット」

M-3 ザ・レインドロップス「ザ・カインド・オブ・ボーイ・ユー・キャント・フォーゲット」
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The Raindrops

ザ・レインドロップス、1963年のヒット・ソング「ザ・カインド・オブ・ボーイ・ユー・キャント・フォーゲット」。これがデモ・テープだっていうんですから、ずいぶんきっちりしたデモ・テープを作りますが、ベースはこれロニー・ブライト(Ronnie Bright)でしょうね、この間の「ミスター・ベースマン」の人ですが。最近はエリー・グリニッチのインタビューなんかもたくさん出ておりますが、67年(61年の間違い?)にそうした具合にリーバー/ストーラーのトリオ・ミュージックにですね業界入りしました。その時にはですね女性というのはコーラス・シンガーか作詞家だったそうです。ほんの一握りがピアノ・プレイヤーや作曲家としてスタジオで働いていた。したがってですねエリー・グリニッチは、そうしたコーラスをやっている人たちはアフター・シンガーっていうそうなんですが、ようするに譜面、読譜を学んでですね、3時間で17曲コーラスをこなす、そういうようなアフター・シンガーではなく自分でコーラス・パートを考えて自分で歌うとそしてダビングも学ぶと、そういうことをやり始めたんだそうです。その結果エリー・グリニッチはデモ・クィーンと呼ばれてまして、いろんな音楽出版社からですね他の作家のデモ・テープにですね雇われて歌うということをずいぶんやったということが本人のインタビューでアレしております。来週あたりにまたそれをフォローしたいと思いますが、その結果例えばコニー・フランシスとかダスティ・スプリングフィールドが非常にエリー・グリニッチの歌を評価した、そういうようなことも残っておりますが・・・

さて作家としてのバリー/グリニッチを一躍売れっ子に、超売れっ子にのし上げたのは他ならぬフィル・スペクター(Phil Spector)であります。フィル・スペクターのですねフィレス・レーベル(Pilles) というのが立ち上がりましてフィル・スペクターはですねプロデューサーとしてどんどん頭角をあらわしてくるのですが、それが1963年の話で。バリー/グリニッチにとってのフィレスの一番最初の当たり作はボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ(Bob B. Soxx & the Blue Jeans)、男性シンガーのボビー・シーン(Bobby Sheen)と女性シンガーのダーレン・ラヴ(Darlene Love)、このコンビがおりなす、まぁ半分デッチ上げなんですが、このボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズの1963年春のヒット・ソング、全米38位まで上がりました「ホワイ・ドゥ・ラヴァーズ・ブレイク・イーチ・アザーズ・ハーツ(Why Do Lovers Break Each Other's Hearts)」、長いタイトルでございますが”恋人はどうしてお互いに傷つけあうのだろう?”とそういう歌でございます。ボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ「ホワイ・ドゥ・ラヴァーズ・ブレイク・イーチ・アザーズ・ハーツ」。

M-4 ボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ「ホワイ・ドゥ・ラヴァーズ・ブレイク・イーチ・アザーズ・ハーツ」

(こんなカバーがありました→コチラから

ボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ、1963年のヒット・ソング「ホワイ・ドゥ・ラヴァーズ・ブレイク・イーチ・アザーズ・ハーツ」という曲でございました。これの二月後にやはりフィルス・スペクターのフィレス・レーベルから待望のバリー/グリニッチにとっての初めてのベスト10ヒットが生まれます。ザ・クリスタルズ(The Crystals)「ダ・ドゥ・ロン・ロン(Da Doo Ron Ron)」。

M-5 ザ・クリスタルズ「ダ・ドゥ・ロン・ロン」

(あっと驚く人もカバーしています→コチラから

1963年のちょうど今頃のヒット・ソング、全米3位という大ヒット曲でございます。ザ・クリスタルズ「ダ・ドゥ・ロン・ロン」。作曲はジェフ・バリー、エリー・グリニッチそしてフィル・スペクター、三者クレジットになっておりますがフィル・スペクターはたぶん印税稼ぎなのでアイデア出すとかそういうレベルの参加だと思われますが、いずれにせよ大ヒット・ソングであることは間違いありません。当時の60年代の初期はですね、こうしたいわゆるアイドル歌謡といいましょうか、こういうものはですね歌手、作曲それから出版社、プロデュース、レコードのレーベルそういうものが全部別々に取り仕切られておりまして、いわゆる分業の時代だったんですが、それなのでまぁ大量生産が容易にできていたわけですが、フィル・スペクターはそこにいきなり出てきましてですね、そうしたガール・ポップとかアイドル歌謡をワーグナー的に展開するというとてつもない構想で出てきまして、そういうことを全て一人でですね掌握しようと出てきたわけです。それが非常なインパクトを持って迎え入れられまして、それがヒット・ソングにつながるわけですが、それの皮切りでございます「ダ・ドゥ・ロン・ロン」でございました。

今日の後半はもうほとんどフィル・スペクター、フィレスの特集と同義でございます。フィル・スペクター数あるヒット曲がありますが傑作と呼ばれているほどんどがですねジェフ・バリー/エリー・グリニッチのペンになる代表作でございます。先ほどの「ダ・ドゥ・ロン・ロン」のヒットの後、今度はダーレン・ラヴのソロ名義のシングル、これは全米26位というスマッシュ・ヒットですが、僕、これフィル・スペクターの全作品のなかでもとりわけ大好きな一曲「ウェイト・ティル・マイ・ボビー・ゲッツ・ホーム(Wait 'til My Bobby Gets Home)」。

M-6 ダーレン・ラヴ「ウェイト・ティル・マイ・ボビー・ゲッツ・ホーム」

(この歌を聴くと松田聖子のあの歌を思い出します→コチラから

ダーレン・ラヴ、1963年の「ウェイト・ティル・マイ・ボビー・ゲッツ・ホーム」、アレンジはジャック・ニッチェ(Jack Nitzsche)、完全にこの頃になりますとスペクター・サウンドが型になってきてまいります。続きましてはこのダーレン・ラヴの一月後にヒットしました、またクリスタルズの登場でございます。全米6位、これも大ヒット・ソングでございます。後にビーチ・ボーイズもカバーして日本でも大変有名な一作、ザ・クリスタルズ「ゼン・ヒー・キッスト・ミー(Then He Kissed Me)」。

M-7 ザ・クリスタルズ「ゼン・ヒー・キッスト・ミー」

(ビーチ・ボーイズとレイチェル・スウィートの素晴らしいカバーを→コチラから

ザ・クリスタルズ、1963年の夏の大ヒット・ソング「ゼン・ヒー・キッスト・ミー」。これと同時期にヒットしましたエリー・グリニッチの中でも最も知名度の高い、そしてロックン・ロール史に燦然と輝く一曲、ロネッツ(The Ronettes)「ビー・マイ・ベイビー(Be My Baby)」

M-8 ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」

(ブライアンの涙なしでは聞けないカバーを→コチラから

というわけでロネッツのあまりにも有名な63年のヒット・ソング「ビー・マイ・ベイビー」、全米2位という文字通り大ヒットソングでございます。今日お聴きいただきましたグリニッチ/バリーのですね、一連の作品群、歌ってるの全部女性です。それで最初の2曲、エリー・グリニッチの無名時代の2曲を除きますと全部1963年の作品であります。ほとんど全部フィル・スペクターのフィレス・レーベルのスペクター・プロデュースによる作品でございます。いわゆるそのアイドル歌謡というものでございますね、日本で言うところの。十代の女の子の恋愛を歌った、全て歌でございます。アメリカの第二次大戦後のですね経済的な反映を背景としまして十代が文化の影響力を持つ、十代の購買力というのがですね文化に影響力を与えてきましてロックン・ロールというものが出てきますが、それがだんだん成熟しましてですね60年代にこうしたアイドル歌謡の一大ブームが前半に起こります。これが60年代の中ごろにですねイギリスからブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるイギリスのロック・グループが大挙してアメリカに襲来しまして、ビートルズを代表とします、その時期までずっと続いていくわけでございますが、文字通りその全盛のといいますか、最後の輝きといいますのがこのフィル・スペクターの一連の作品でございます。

えー来週は男の歌手が出てきますが基本的にでもエリー・グリニッチのですね全盛期の作品はほとんどガール・グループの名曲で占められております。63年これだけの曲が並んでおり、すごいなぁと思いますがでも40曲前後しか書いてないんです。だから驚くべき打率なわけでございましてですね。えーぐずぐず言ってないでフィレスの作品もうちょっと。この「ビー・マイ・ベイビー」に続くロネッツのヒット・ソング、63年の暮れに発売されましたこの一曲、これもジェフ・バリー/エリー・グリニッチの名曲として謳われ、たくさんのカバー・バージョンがあります。全米24位というスマッシュ・ヒットでしたが、今やロックン・ロールのスタンダード・ナンバーです。ザ・ロネッツ「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー(Baby I Love you)」。

M-9 ザ・ロネッツ「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」

(これまた素晴らしいカバーあり→コチラから

ロネッツ「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」、63年暮れのヒット・ソングでございます。もう一曲かかりますね。この際だからフィレスなるべく今日かけておくと、後でレアなやつかける時に楽なんで(笑)。ちょっと時系列は戻りますが、ボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズもう一回登場でございます。63年の夏の、7月頃のヒット・ソングでございます。全米63位というスマッシュ・ヒットでございますが、これもアップ・テンポでたいへん人気の高い曲でございます。「ノット・トゥー・ヤング・トゥ・ゲット・マリード(
Not Too Young To Get Married)」。

M-10 ボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ「ノット・トゥー・ヤング・トゥ・ゲット・マリード」


ボブB・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ、「ノット・トゥー・ヤング・トゥ・ゲット・マリード」という”母さんは私達にまだあなた達は本当の愛なんて分かってないと、あなた達が結婚するなんてまだ3年早いと、そういうこと言うけれど私達はすぐ結婚したいのよ、もう全然歳に不足はないのよ、そういうような主張する歌でございます。当時の世相でございますがですね。

今日は本当にフィル・スペクターの特集と言っていいようなものでございますが。バリー/グリニッチ=フィル・スペクターのプロダクションといっても過言ではありません。この63年のこうしたヒット曲群、実は日本ではですね契約の関係で、キング・レコードだったかな本当にプロモーションもろくすっぽ有りませんでしたしですね、リリースされるものがすごく限られておりしたので「ビー・マイ・ベイビー」と「ダ・ドゥ・ロン・ロン」以外はですね、ほとんど知られないで60年代が終わってしまいましたが、さすがにでも名曲の数々で、アメリカ、イギリスでは非常に認知度が高いのでですね、70年代に中期から日本でも知られるようになりました。今ではこうしたフィル・スペクターの作品群ってのは広く聴かれるようになっおります。

えー今日はこの辺で。今日で63年が終わりまして、来週は64年以降の作品。バリー/グリニッチの作曲の重点がこのフィレスからですね、リーバー/ストーラーが主催するレッド・バード(Red Bird)レーベルというレコード会社にですね、だんだん移っていって、そこからまた更に大きなヒット曲が出てくると言うそういうようなものをフォローしながら、後は特にイギリスのそうしたロック・グループがこのバリー/グリニッチの作品をたくさんカバーし始めます。そこから思いかけないヒットが出ましたりですね、他のアメリカのロック・グループもそうしたものに追随するという、そうした64年の快進撃を中心にソング・ライター、エリー・グリニッチ、旦那さんのジェフ・バリーと組みましたバリー/グリニッチ作品集のPART2、来週お贈りいたします。お楽しみに。

それでは今日の最後はもう一回ダーレン・ラヴに登場してもらいましょう。1963年の暮れに発売されましたフィル・スペクター・プロデュースのクリスマス・アルバム、『クリスマス・ギフト・フォー・ユー〝あまりにも有名な、今日は、アルバムとなっておりましたが、当時はですね売れませんでしたが。この63年のフィル・スペクター・オール・スターズのアルバムに収められております。ダーレン・ラヴの歌唱によりますこの一曲はですね、お若い方々にはマライア・キャリーのカバーの方がむしろ馴染み深いと思います
ダーレン・ラヴの1963年フィル・スペクターの『クリスマス・ギフト・フォー・ユー』のアルバムから『クリスマス、ベイビー・プリーズ・カム・ホーム(Christmas,Baby Pease Come Home)』

M-11 ダーレン・ラヴ「クリスマス(ベイビー・プリーズ・カム・ホーム)」
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A Christmas Gift for You from Phil Spector

(上記以外のスペクターとの主なお仕事→コチラから。