夢をあきらめて、等身大の人生を生きるということ | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

夢を叶えるということが、

美談としてよくよく語られますけれど、

ほとんどの人は、夢なんて叶わないですよね。

 

だから、夢はさっさと諦めた方がよいというのが、僕の意見です。

夢なんて、忘れてしまって、等身大の現実を、生きた方がよい。

その方が、よっぽど幸せになれるんじゃないかなーと思います。

 

身の丈にあった世界で、自分のコンフォートゾーンを生きる。

挑戦なんてしなくて良いし、難しいことをする必要もない。
自分にとって簡単な方、楽な方へ舵を切る。

 

自分を変えようとか、向上しようとか、成長しようとか、

そういう誘惑がやってきたら、youtubeかグノシーを見て、

さっさと忘れてしまうこと!

 

そして、今日も生きててラッキー、夜露をしのげる自分たちの家があるなんて

なんて幸運なんだ!と、満足していた方がいい。

(家がなかった頃も、楽しかったですけれど)

 

さて、実際に、僕は、そうやって生きてきましたので、

何が起こったか書いていきますね。

 

まず、「夢」や「目標」がないので、自分の生きている時間は、

「何かを実現するための過程=ゴールがあるから完結するもの」ではなく、

今、その瞬間に完結しているものへと変わります。

すると、「今、自分の目の前にあるモノ、自分がしている体験を、

ただ、思う存分体験すること」以外に、することは、ありません。

それは「その瞬間に、満足している」ということです。

 

例えば、画家になる!という夢を叶えるために、毎日絵を描いている場合、

その夢への最短距離(と自分が”決めた”ルート)以外の出来事は、

自分にとって、邪魔なモノ、できればやりたくないことになります。

子育てとか、生活費を稼ぐための仕事とかね。

 

けれど、画家になるという夢がないのなら、

子育ても、生活費を稼ぐ仕事も、自分の人生に与えられたもの、

絵を描くことと、同等の、価値を持つ体験になる。

 

「自分が他にやるべきことがあるのに、目の前の〇〇のせいで、できない」

この認識は、大変、精神を削ってきますよね。

イライラ待ったなし。

この前半部分、「他にやるべきことがある」というのが、なくなると、

「目の前のこと=自分の今、やること」というシンプルな設計になります。

 

(ここ重要なポイント、「構造的に実現する」というところ。

 尺度がなければ、比較できない。目的がなければ、手段は存在しない・・・

 という具合に、それが、そう起こる以外ない「仕組み」にする)

 

もちろん、顕在意識は相変わらず色々とガヤガヤ言うんですけれど、

潜在意識では、深く納得しているイメージですかね。

 

この時点で、かなり「人生」のモデリングが変わっています。

自分の意志で、上を目指して自力で上っていく「登山」から、

ボートに乗ってくだっていく「川下り」へ。

 

川の流れは、コントロールできませんので、

緩い時は景色を眺め、早い流れでは集中してバランスをとる。

そこに、身を任せていくだけ。

人生がくれるモノを、ただ、受け取っていくだけ。

 

ここからは、僕の経験則でしかないんですけれど、

実感は、人生は、自分のやりたいことなんてやる暇がないなーってことです。

自分の目の前に送り届けられるモノに、取り組んでいたらイベント盛りだくさん。

けっこう忙しい。

その取り組みを続けていると、不思議な場所にいます。

自分が、想像もしていなかったことをしている自分がいる。

 

僕は、自分が、吉祥寺で雑貨屋やるとは思ってなかったし、

インドでモノ作りするのも、自分のアパレルブランドはじめるのも、

子供の頃から、1ミリも考えたことがなかった。

 

座間味島で過ごしたひと夏のことも、

ウラジオストクのボルシチも、パリのアパルトマンも、

浅草の小さなワンルームで海外からのゲストをたくさん迎えたことも、

格安チケットで回った世界各国の展示会も、

灼熱のインド、ターバンの兄ちゃんとの交渉も、

スーツケースを抱えて、夫婦で転々と居候してた日々も、

アースバッグも、東北タイの山中をお坊さん達と120キロ歩いたタンマヤートラも、
友人たちとの出会いも、8年ぶりの会社員生活も、

どれもこれも想定外。
 

けれど、なんとなく、こんな人生を望んでいた気がするから

面白いところです。それは後付けなんですけれど、それでいい。

 

さて、1年先どころか、3ヵ月先すら
どこで何をしてるのかわからない人生が

最近、少し落ち着いちゃったなーと思っていたら

想定外にパートナーの妊娠が発覚しました。

友人の岸田氏いわく、出たとこ勝負の「すごろく人生」

ここに極まれりって感じです。

 

さて、天邪鬼なタイトルつけて書いてきましたけれど、

やっぱり思っちゃうんですよね。

自己実現も、目標達成も、退屈じゃない?

思った通りの現実なんて、夢見た通りの場所なんて、

退屈過ぎて死んじゃうな。

 

子供の頃から、夢とか目標とか、持ったことがないし、

何かに挑戦したり、何かを目指して頑張るということに

まったく興味がなかったのですけれど、

人生は、いつの日も面白かったので、

これからも面白いに違いないと思います。