光と闇の物語 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

光というのは存在している。

それが粒子だとしても、波だとしてもそこに「実体」がある。

けれど、闇というのは存在していない。

それは、光の「不在」に過ぎないから。

 

自分の心の中の、まだ光の当たっていない場所を、

シャドー(影、闇)と呼ぶのだけれど、

そこに実体があるわけではなく、

光が届いていない、まだ気づきが至っていない領域がある

ということに過ぎない。

 

この世界にある、あらゆる「闇」は、「影」は、

肯定の光がまだ届いていない新たな可能性領域のことだ。

 

故に、光と闇という二項対立は、幻想に過ぎない。

すなわち、光と闇の戦いなどというのは、存在しない。

 

この幻想に過ぎない「闇」なるものは、

しかし、時に、本当に力を持ち、人に多大な影響を与えることがある。

本来幻想に過ぎなかった「闇」を実体化し、力を与えるのモノ、

それは「闇」の存在を信じる心の動きそのものである。

 

幽霊を信じる度合いと、その恐怖心が比例するように、

ネガティブな現象、ネガティブな存在、

誰かを抑圧し、支配する力を持った人々が「存在する」と信じるほどに、

僕らは、自らの力を抑圧し、本当に支配する人々を作り出すことになる。

ネガティブなモノに力を与えるのは、

それをネガティブであると判定し、それを恐れる心の動きなのだ。

 

光と闇という分離した物語そのものが、「闇」を実体化する。

そうやって自分が作り出した、巨大な闇、強大な敵に、

自分が打ち負かされてしまうのは、なかなかに笑えない状況だ。

 

では、この喜劇の舞台から出るために、何が必要だろう?

まず、大切なのは自分の「欲望」を計算に入れる習慣を持つことだ。

 

僕らの脳(エゴと呼んでも良いけれど)というのは、

自分にとって都合の良い情報のみを、選択的に取得するようにできている。

 

この世界の無限に近い情報量を処理することはできないので、

1%にも満たない領域だけを、五感を通じて掬い取り、

フィルタリングをして、そのさらに、1%くらいを認識するわけだ。

 

僕らの認識は、大変にご都合主義、手前勝手なものに過ぎないというわけ。

であるなら、この「ご都合主義」をそもそも前提にしておこう。

 

自分は、信じたいモノを、信じている。

自分にとって、都合の良い認識を作り出し、

そこから、「利益」を得ている。

 

そこから、話を始めること。

 

今回で言えば、光と闇の物語を語ることによって、

自分がいかなる利益を得ているのかに思いを向けること。

その物語を、自分が必要としていることに気がつくこと。

その物語によって、自分が何から目を逸らしているのかに向き合うこと。

 

(もちろん、その逆だって言えるよね、

「光と闇の物語」の代わりに信じている何か・・・

例えば、「すべては、統合に向けた流れ」的なモノも同じ。)

 

人は、物語から完全に自由になることはできない。

けれど、自分と自分の周りの世界を幸せにする物語を

選び取ることはできる。

そして、自分の信じる物語の、恣意性に自覚的であることはできる。

 

自分の認識は不完全であり、

自分の信じる正義も、不完全である。

故に、相手の言葉に耳を傾け、相手が信じる物語を肯定し、

異なる物語を選びながらも、共に生きることができる。

 

これは、長い長い歴史を通じて

人類が学んだ、共存条件とも言えるテーゼだ。

 

今、もう一度、それが問われている。

長々書いてきたけれど、アメリカ大統領選の話ね。

 

トランプ率いる共和党陣営は、「光と闇の物語」を利用し、

分断を顕在化し、さらに拡大することに成功した。

 

確かに、急速に階層化が進み、

一部の富裕層と貧困層に分かれつつあるアメリカの状況は

正常であるとは、言い難い。

 

しかし、それは、産業構造の問題を含めた複雑な原因によるものであって、

局所的な問題、つまり、一部の悪人たちが作り出した問題ではない。

けれども、そのような複雑系・・・インプットとアウトプットが

1対1で応答しない状況・・・を、

わかりやすい「悪」、「敵」、「闇」を作り出すことで、単純化したわけだ。

 

人は、自分の人生についての不安や苛立ちを

「誰かのせい」という形で、外部化したいという欲求を持っている。

そこに適切な「攻撃対象」が用意されれば、

人々は簡単に流されることになる。

不安や苛立ちが大きければ、大きいほどに。

 

「なんだか、うまくいかない人生」の原因を

「エスタブリッシュメントの支配」

「グローバル資本主義」

「ディープステート」

に委託することに、人々は熱狂した。

 

人々は「支配される被害者」という立場から、

闇の勢力を倒す戦士へと昇進したわけだ。

自分は「気がついている側」であり、「目覚めた側」であり、

闇と戦う戦士、人々を目覚めさせる戦士。

なんだかうまくいかない冴えない人生を送っていた自分が、

突如としてスターになる。そりゃ熱狂するよね。

 

この心の動きを、ニーチェはルサンチマンと看破したが、

この理論が「キリスト教」の心理装置の分析によって

もたらされたことは、偶然ではない。

今、アメリカで起きているのは

大変に「キリスト教的な事態」なのだ。

 

さて、しかし残念なことに、極めて残念なことに、

正義のヒーローたちによって作り出された「闇の勢力」は、

彼らが攻撃するほどに強大化することになる運命にあり、

彼らは結局敗北を喫することになったわけだ。

 

自分が作り出した、巨大な敵は、

その後も、彼らの人生に大きな困難をもたらすことになるだろう。

自分の恵まれない境遇、理想とは違う社会の状況、

宗教的・伝統的な世界観の変容は、

「闇の勢力」によってもたらされている・・・という物語を手放すその日まで。

 

さて、この人為的に極大化された分断を

人々は、どのように乗り越えていくのだろう。

その一つの鍵は、すでに、明かしてきた通り、物語にある。

 

すなわち「分断」という物語ではなく、

「統合」の物語を語るということだ。

 

分断を語るほどに、違いを語るほどに、

「分断」は実体化していく。

そこに、未来はない。

 

アメリカの統合。人々の統合。

バイデン民主党に託されたこの大仕事は

文字通り、世界の行く末を決めることになるかもしれない。