経営者は、経営することによって自由になれるのか | 税理士・社労士の 数事と人事会議

税理士・社労士の 数事と人事会議

税理士・社会保険労務士が、数字やお金、人材や組織の経営ブレーンになります。

ありがとうございます。


数事と人事の小俣です。


税理士と社会保険労務士やってます。


日本のトップミュージシャン、スガシカオさんは

自身の楽曲「アシンメトリー」で

次のように歌っています。


『手に入れたのは自由じゃなく

 自由のまがいものばかり』



自由・・・というと、いつも

ある文章が思い出されます。


それは有名な経営コンサルタント氏が

世に送った著書の中に書かれていました。


今から10年近く前に拝読したものです。


『寿司屋に入って、メニューに2,500円のコースと、

 3,500円のコースがあったら、

 迷わず3,500円のコースを選ぶことができる。

 私が言うのは、そういう自由』


(原文どおりではありません。

 このようなニュアンスで記憶に残っています


今からする話は、

著者と、著書を批判する意図ではないので、

それぞれ名前は伏せておきます。


氏は、実績のあるコンサルタントのようで、

ファン、いや、信者も多い方です。


人をその気にさせる。行動を促す。

ということに長けている方です。


「お金を稼ぐ」ことについて、読み手が

ストレートに思考を働かせることができるように、

そして行動することができるように、

そのような表現をしたのだと思っています。


そして金額の高いほうを選べることを

「自由」と言っているのではなく、

「そういう自由」と表現することで、

一段下げている、もしくは

意味を狭めているのだと思います。


そう。具体的に表現するなら

「経済的自由」ということなのでしょう。


ただ、影響力のある人です。


氏の本意とはうらはらに

誤解する人も多いんじゃないかなぁ、

って思いながら読みました。


「手に入れるお金が多ければ多いほど

 それだけ自由になれるんじゃないか」

という誤解。



自由って、

『2,500円の寿司でも、

 3,500円の寿司でも、

 どっちでもいい』のが

本当の自由だと、

私、小俣は思っています。


「経済的自由」って、実は矛盾した言葉です。


それは「経済に縛られている」から。


「経済ということについて自由になろう」

という意思は、

経済から自由になれていない

どっちでもいい状態になっていない、

自由じゃない状態だから。


別に、本当の自由を求めましょうとか、

本当の自由じゃなければいけないとか、

そんなこと言うつもりはありません。


だってそれじゃぁ、

「自由」に縛られている「自由じゃない」状態

ですから。


そしてもちろん、

お金そのものを否定するつもりも、

お金を稼ぐことを否定するつもりも、

毛頭ありません。


ただ「自由」を勘違いしていると、

アリ地獄にはまる危険があるとは思っています。



そうそう。

スガシカオさんは『自由のまがいもの』の後に、

続けてこう歌っています。


『手に入れたのは自由じゃなく

 自由のまがいものばかり


 失くしたものはいちいち憶えちゃいない』



経営者は、経営することによって、

自由になれるのでしょうか。


新時代の経営は、自由になれると思っています。

いや、自由になれるのが、

新時代の経営だと思っています。


ま、それもどっちでもいいのか。



お付き合い、ありがとうございました。