村上春樹インタビュー(2008年3月) 中 | 苺猿の咆哮

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2008年3月30日 信濃毎日新聞より

 日本の怖さを映す戦争
 
去年亡くなった臨床心理学者の河合隼雄さんが、唯一、繰り返し対談する年長の知識人だった。
 「僕が『物語』という言葉を使って話すときに、その意味をきちんと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」
 村上さんにとって、物語を書くことは魂の奥深く降りていくこと。
 「物語というものは非常に有益なことでもあるのですが、一方でものすごく危険なことでもあるのです。このことを河合先生は本当によく分かっていた。単なる研究者ではなく、実際の患者を診てきた人ゆえの、戦場をくぐり抜けてきたみたいなすごさがありました。」

■ 自省の念

 人間は自分の中にそれぞれの物語を持っているが、魂の底まで降りていくと、その暗い部分から抜け出せなくなってしまう場合がある。
物語の危険性とはそのようなことだろうか。そこからどうやってオープンな世界に戻って来られるのか。
 「僕が『アンダーグラウンド』でやったことも、そういうところから来ていると思うんです」
 『アンダーグラウンド』は村上さんが地下鉄サリン事件の被害者やその関係者たち約六十人にインタビューしたノンフィクションだ。
 「あの人(オウム真理教の実行犯)たちは、どうしてあっちの方に行ってしまったのか。そのことはちゃんと解明しておかなくてはいけないことです。皆死刑にしておしまいというのではいけないことなんです。」
村上さんはオウム裁判も多く傍聴してきた。教祖にサリンをまいてこいと言われ、そのまま従った人たちの姿を見てきた。その体験を通して「戦争の問題を凄く考えた」という。
 「戦争中、情感から捕虜を殺せと言われたら、ノーとは言えないわけですよね。日本人は戦争でそういうことをやってきた。そのことに対する日本人の本当の自省の念というのは、まだ出てきていないと思うんです」

■ 戻れる力

 これに関して、村上さんはリー・クアンユー・シンガポール元首相が日本の新聞に寄稿した記事のことを紹介した。元首相によれば、戦争中、シンガポールを占領していた日本人は信じられないほど残酷だった。だが戦争が終わり、英国人の捕虜になると皆、良心的で懸命に働き、シンガポールの街をきれいに清掃していったという。
 「これは日本人の怖さみたいなものを物語っている話だと思うんですよ。良心的で懸命に街をきれいにする日本人がある日、突然、残虐行為を働く人間になってしまう可能性も示している。きっとどの国民にもあるのでしょうが、日本人は特にそういう面が強いんじゃないかという気がしてしょうがないのです」
 だが日本人がそういう世界へ行かない力、オープンな世界に戻れる力についても、村上さんは「アンダーグラウンド」の仕事を通じて学んだという。取材で出会ったサリン事件の被害者たち、ごく普通の人たちから実に多くの事を得たのだ。
 「この人たちは一人一人それぞれに弱いところもある。でもその六十何人もの普通の人たちの声が、一つのボイスになると、すごい説得力を持っていて、信頼していいような力を感じました。自分が変わるような経験でしたね」
 「だからこそ」と村上さんは続けた。「そのボイスが、戦争みたいなことに引きずりこまれないことを真剣に望んでいます」

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