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減断薬読本購入希望の方

 

デビット・ヒーリーは著書で、

抗精神病薬(統合失調症のクスリ)は、幻聴、幻覚を消しはしないと言う。

クスリは幻聴や幻覚を消すと言うより、それを気にならなくさせる効果があるだけだというのだ。

そこで、会の参加者に聞いてみると、やはり同じことを言う。

幻聴の音量が下がるだけという方もいる。

やはり、抗精神病薬は、どこまで行っても治療薬ではなく、そうした対症療法に過ぎない。

 

ある人曰く、悪い幻聴に支配された時に具合が悪くなるという。

また、ある人は、家族が宇宙人に見える時があるが、

具合の良いときは、半分くらい宇宙人で、具合の悪いときは、完全に宇宙人になるという。

 

ここからは私のただの推測でしかないが、

幻聴幻覚は、本人の思考手段の一つではないかと思うことがある。

この世の様々な矛盾に出会ったとき、それぞれの矛盾が多重人格や幻聴幻覚となって表現されているのかもしれない。

(これをもしその人の能力と捉えるならば、羨ましくもある。)

人間である家族が、宇宙人に見えるというのは、

良いイメージは人間で、家族に対する悪いイメージが宇宙人という象徴としてあらわれているのではないか。

無意識に否認された(押し込めた)側の感情が、幻聴や幻覚として現れるのではないかと思うのだ。

 

理想の平和と現実の社会

理想の家族と現実の家族

理想の結婚と現実の結婚

理想の子育てと現実の子育て

理想の仕事と現実の仕事

etc......

 

誰もが出会う、こうした矛盾と折り合いをつけていくのが人生だろう。

人生は理想とその挫折の連続である。

そうした挫折の繰り返しの中で、少しずつ人は矛盾に対する免疫力を獲得していく。

まるで身体が免疫を獲得するように。

挫折はいつも苦しいが、乗り越えたことのある挫折は対処可能である。

大人になるということはそういうことだろう。

 

子供時代にこうした挫折をしっかり経験しなかったり、

逆に挫折ばかりのひとが、こころを病むのはある意味当然であろう。

克服経験のないことを人は最初からこなすことは出来ない。

知らないからこそ、恐怖となり、パニックを起こす。

いや、さらに悪いのは、自分の意思の引き起こした挫折ではなく、いつも誰かから押し付けられた挫折である。誰かに従って引き起こされた挫折は、本人の経験とはならず、同じ挫折を繰り返す。他者に押し付けられた人生では、経験不足は否めない。

日常的に他者に支配的に接しられていれば、矛盾は無意識に押し込められていく。

無意識に押し込められた感情は、いつか爆発を起こすか、感情そのものを無くすということか。

 

これは、どこまで行っても仮説である。だが、こうした説明の方が、脳の器質的な問題として説明されるより、ADHDにしろ、うつ病にしろ、統合失調症にしろ、さらには適応障害やパニック障害などの発症の説明は合理的ではないか。治療法も無く、一生薬で症状を抑えろという精神病理概念より、こうしたPTSDやAC概念のほうが遥かに希望があるではないか。

AC(アダルトチルドレン)概念で、30年以上の臨床経験を持つ医師は、その臨床経験の中で、血の滲むような葛藤の末、ACを克服した事例を幾例も経験しているという。

 

精神疾患を、疾病概念でなく、人生の問題、他者や社会との関係性で捉えるならば、

精神症状を呈する患者に限らず、その克服の物語はすべての人にとっても役に立つ。